……俺、何してんだっけ?
バチバチと弾ける視界、まるで鉄を打つ時に出る火花みたいだ。
視界がぐにゃぐにゃと歪んでいる。
何かが迫って来て、それが当たれば火花が散る。
痛いのかもしれないが、よく分からない。
何故か、気持ちが良いような気もしているけど……?
意識が朦朧としている。
段々と視界が戻って来て、眼前に迫るものが薄っすらと見えていた。
それが俺の顔に深々とめり込み――弾き飛ばされる。
俺は鼻から赤い血を噴き出しながら、空中を舞った。
空を仰ぎ見れば、鳥が数羽飛んでいた。
聞いた事の無いような鳴き声のようで、俺の上をぐるぐると回っている。
ゆっくりと感じる時間の中で、地面に落下していく感覚を覚える。
そうして、受け身も取らずにドスリと地面に仰向けに倒れ込む。
「……」
ボケっと上を見ていた。
四肢には力が入らず、寝ている事しか出来ない。
空は綺麗な青空で雲一つない。
鳥も元気に飛んでいてとても気持ちが良さそうだった。
暑さも、痛みも何も感じない。
綺麗でありのどかであり…………あれ?
俺は……“殴られている”、のか?
何で、殴られているのか……あぁ“思い出してきた”。
あの女だ。
今、俺の上に立ちぎらぎらとした目で俺を見下ろす女だ。
ゆっくりと俺の胸倉を掴んで立たせる女のせいだ。
修行だ何だと言って俺を引きずり回し。
連れてこられたのは別の砂漠地帯で。
近くには飲み水が飲めるような井戸が設置されていた。
ただそれだけがぽつんとあるだけの場所で何をするのかと聞いて――殴られた。
『殺し合いだァクソガキ!』
――イカれている。ハッキリ言ってハイになってんじゃないのか?
奴は目を輝かせながら有無を言わずに殴りかかって来た。
そして、俺は急な戦闘になったものの冷静に対処しようとした。
が、結果から言えば手も足も出なかった。
相手は拳だけで魔装も解除していた。
対して俺は遠慮せずに剣を握って戦ったさ。
相手は本気で俺を殺しに来ているんだから手を抜ける筈が無い。
魔装により身体強化も施し、攻撃の速度で言えば俺の方が断然早かっただろう……でも、奴を捉えられない。
全ての動きが軽やかで、全ての行動に無駄がない。
まるで、空気を相手にしているような感じだ。
そこにいる筈なのに、俺の剣は奴を捉えられなかった。
何度も何度も剣を振り、その度に空を切り。
カウンターのように拳を叩きこんでくる。
とても重い一発であり、カウンターだからこそ攻撃の威力も増していたんだろうな。
気が付けば全身はボロボロで、いつの間にか剣も手から離していた。
立っているのも限界で、俺は奴に胸倉を掴まれて強制的に立たされる。
奴はにこりと笑う……終わりか?
「終わりって思ったなぁ……甘ぇんだよクソガキがぁ!!」
「――ッ!?」
奴は拳を握り、全力で俺の顔面を殴る。
バチバチと視界が弾けて俺は勢いよく後方に転がっていった。
そうして、だらりと四肢を投げ出して天を仰ぎ見る。
あぁ、ダメだ……もう意識を……つなぎ留められ、ない……。
限界だった。久しぶりに感じる限界で。
俺は何の抵抗も無く瞼を閉じる。
そうして、そのまま意識を、闇、に――――…………
…………――――冷たいッ!!?
「げほ!! えは!! がは……ぁぁ?」
「お目覚めか? 根性のねぇ野郎だ。玉と竿はついてんのかぁ?」
顔が冷たい。
震える手で顔に触れれば濡れていた。
頭上では桶を持ったあのクソ女が立っていた。
どうやら、意識が無くなってこの女が俺に水をぶっかけたようだ。
それで強制的に意識を戻されて……くそ。
思い出しただけでもムカつく。
凄く腹立たしい上に、殺意さえ湧いて来る。
俺は苛立ちを表すように拳を握りしめて地面に叩きつけた。
悔しい……マジで悔しいよ。
女は桶を投げ捨てる。
そうして、つまらなさそうに俺を見下ろしながら底冷えするような低い声を発した。
「……ガキが……そんなに私に負けた事が悔しいか。それとも、私が心底ムカつくってか」
「……違う。俺がムカついてるのは……自分がどうしようもなく――“弱ぇ事”だ」
「……へぇ、なるほどな……ちったぁ見込みはあるのか。まぁそれくらいは考えられなきゃ、アイツの弟子にはなれねぇわな」
女はどかりと俺の横に座る。
そうして、ローブの下に隠し持っていたボトルを手に取った。
銀色のボトルであり、ひどく使い古されているそれは汚れていてボコボコだ。
女は蓋を取り、中身を軽く呷った。
何を飲んでいるのかと見つめていれば、女は俺に視線を向ける事無くそれを差し出してきた。
「ほら、飲め。気付けだ」
「……? ありがとう……うぶぅ!!」
奴からボトルを受け取る一口飲む。
すると、一気に目が覚めるような強い刺激が俺を襲う。
喉がすごく熱くなり、顔が一気に熱を帯びた。
思わず起き上がり、口から盛大にそれを噴き出した。
女は「もったいねぇな」とほざいていた……これ、酒じゃねぇか!!?
「しょ、正気か!? こんな時まで酒って……正気か!?」
「あぁうるせぇうるせぇ。酒が何だってんだ……あぁうめぇぇ」
女は耳をほじりながらうざったいと言わんばかりの嫌そうな顔をする。
そうして、俺の抗議の言葉も無視してボトルをひったくり酒を飲んでいた。
ドがつくほどの酒飲みであり、これでは流れる血も酒ではないのかと思ってしまう。
心配を通り越して呆れた目を女に向けていれば、女はにやりと笑う。
「傷は治ったみてぇだな」
「え、何が……あれ? 動けるぞ?」
俺は自らの体を触る。
痛みは残っているが、意識が朦朧とするほどではない。
パンパンだった筈の顔の腫れも引いていて、鼻血も止まっていた。
まさか、こいつがしたのかと視線を向けて――頬に強い衝撃を感じた。
「ぶげあぁ!!?」
俺は情けない悲鳴を上げながら地面を転がる。
そうして、砂に顔を埋めさせられた。
勢いよく顔を出して頬に手を添えれば腫れていた……あ、あの野郎ぉ!!
「はは、目は覚めたか? なら――殺し合いの再開だぁ」
奴は立ち上がり、ボキボキと拳を鳴らす。
その目は細められていて、笑顔は殺意に満ちていた。
俺は体を震わせながら立ち上がり、奴に両手を向けて叫んだ。
「ま、待てよ! こんな事して何の意味があるんだ!? 修行って言った癖に……こんなの無茶苦茶だ!」
「はは! 無茶苦茶だから良いんだ! ルールや決まりで殺し合いが出来るわきゃねぇだろ! それにな!」
「――ぅ!!」
俺は手をクロスさせる。
そうして、一瞬で間合いに入った女の拳を受け止めた。
メキメキと音を立てて拳が腕にめり込んでいく。
此方は上等な鎧を装備していて、腕だって装備で固めている。
それでも、女からの攻撃がまるで弱まっていないかのように衝撃が腕に伝わる。
俺は痛みに表情を歪めながら、その衝撃のまま後ろに後退する。
女は拳を構えながらステップを踏んでいた。
「お前には何よりも――“痛み”と“教育”が必要だ」
「痛み、だと……っ!!」
女の姿が揺らぐ。
俺は咄嗟に顔をガードする。
が、女は姿勢を低くし地面スレスレで腕を振るう。
正面ではなく――“下から、顎だ”ッ!
「オラァ!!」
「――ッ!!?」
鋭い一撃が顎に命中する。
それは俺の顎を精確に捉えていた。
脳が激しく揺さぶられたように感じた。
気が付けば宙を待っていて、俺はそのまま地面に激突する。
砂を巻き上げて止まり、涎をだらだらと垂らす。
体が小刻みに震えていて痙攣を起こしていた。
自分の体じゃないかのように指示を受け付けない。
俺は揺れる視界の中で、不敵な笑みを浮かべて傍に立つ女を睨む。
「て、めぇ、こ、のぉ」
「あぁ? どうしたぁ? 聞こえねぇ――なぁ!!!」
「――ぐぅ!!!?」
奴が足を振りあげる。
そうして、無遠慮に俺の頭を踏みつけた。
視界が火花が散ったかのようになっていた。
奴が足を上げれば俺の血がべったりとついていた。
また、意識が朦朧としていく。
痛みが薄らいでいき、気持ちの良さを感じ始めていた。
まずい。非常にまずい状況で……女が呟く。
「んだよ……碌な鍛え方されてねぇな。アイツ――“才能ねぇな”」
「……っ!」
今、こいつは何と言った?
才能が無いと言った。誰が――“師匠の事だ”。
師匠の関係者で俺よりも師匠の事をこいつは知っているんだろう。
きっと俺と師匠の時間の何倍も一緒にいたんだろう。
だが、それでも――その言葉は聞き捨てならない。
俺は女の足を掴む。
すると、女は驚いたような声を出す。
俺は女の足に力を込めながら、体を起き上がらせようとした。
「取り、消せよ」
「あぁ? 何がだ?」
「師匠は、才能が、ねぇ筈が、ない……あの人は、誰よりも、凄くて……げほ……俺が尊敬する。偉大な……冒険者だッ!」
「あぁ? あの飲んだくれがかぁ? はは、こりゃ傑作だ……だったら、力ずくで撤回させてみな!」
「――ぅぐ!」
女はもう片方の足で俺の腹を蹴る。
俺はごろごろと地面を転がる。
が、今度は意識を手放したりはしない。
地面の砂を掴みながら、俺はゆっくりと立ち上がった。
足は生まれたての小鹿のように震えていた。
鼻からも止まる事無く血が流れている。
顔面はまた腫れていて、視界はとても悪かった。
震える手で腰の鞄からポーションの瓶を取り出す。
それを飲もうとしたが“手が滑って地面にばしゃりとそれが掛かった”。
「どうしたぁ? 手が震えてるぜぇ?」
「う、るせぇよ……っ」
もう一本、ポーションを取り出す。
が、それも地面に散らしてしまった。
俺は空の瓶をぼとりと捨てる。
奴は俺が満身創痍であると認識していたが……まだだぜ。
俺の目の中の光は消えていない筈だ。
奴と戦う理由が出来て、死んでも倒れられない意志が生まれた。
俺は震える手を上げて拳を構えた。
すると、女は俺の姿を見て口笛を吹かす。
そうして、またしてもゆらりと体を揺らす。
「立ったから、どうしたってんだよッ!!」
「――ふ!!」
俺は握っていた拳を横に振った。そうして、“体を僅かに横へ移動させた”。
掌を開けて振る事によって掴んでいた砂が宙を舞う。
奴はハッとして――そのまま突っ込んでくる。
「目潰し何て私には効かないねぇッ!!」
女は目を閉じていた。
恐らくは、魔力によって俺の姿を捉えているのだろう。
女は移動した俺に合わせるように動き――姿勢が僅かに崩れる。
「――へぇ!」
女の足元は“ぬかるんでいた”。
そして、その足の下には“空の瓶が二つ転がっていた”。
奴は俺が瓶の中身を零したと思っていたが。
実際には態とまき散らしていた。
それも二つとも同じ場所であり、そこに自然に瓶を落とす事で踏ませるように仕組んだ。
砂地には慣れているだろうが、水に濡れてぬかるんだ地面。
そこに異物が混じっていれば、自然と姿勢を乱してしまうだろう。
後は体の位置を調整すれば、必ず踏むであろうと考えて――女の拳をギリギリで避ける。
頭を狙った攻撃だ。
それを紙一重で避けながら、俺自身も拳を硬める。
全力で歯を噛み締めて拳を握り――叩きつける。
「……っ!!」
「うぅああああぁぁ!!!」
右の拳が女の顔に命中する。
そうして、叫びながら拳を振り抜いた。
女は後方へと飛んでいき、ゆっくりと着地する……浅い。
今の一瞬、俺の攻撃を察知して後ろに飛んでいた。
俺の狙いが分かっていたのか。
分かっていたうえで俺の策に嵌まり、それを無力化したのか……信じられねぇ。
「はぁ、はぁ、はぁ……まだ、まだぁ!」
俺は拳を構える。
女は鼻をそっと撫でてからにやりと笑う。
そうして、拳を構えながら呟いた。
「いいじゃねぇか……認めてやるよ。てめぇは腑抜けじゃねぇ――骨のあるクソガキだッ!!」
女が飛ぶ。
一瞬にして間合いを詰めて来た。
そうして、拳を振りかざしてきた。
俺はそれに合わせるように拳を振るう。
「ハハッ!!」
「ぐぅぅぅ!!!」
風が吹き、互いの一撃が精確に顔面を捉えた。
互いの腕が交差している状態だ。
互いの頬に魔装も施していないただの拳が突き刺さる。
女はほぼ無傷で笑っていた。
俺は脳を揺らしながら、鼻血を噴き出していた。
いてぇ……クソほどにいてぇけどよ……こんなもんじゃねぇ。
「師匠の拳は……こんなに柔らかくは……無かった、ぜッ!!」
「ハァ!! 言うじゃねぇかッ!! 気に入った!! 気に入ったぜ――小僧ォォ!!」
奴は拳を固める。
そうして、何度も何度も俺を殴りつけて来た。
一発一発がまるで巨大な棍棒で殴られたかのような衝撃だった。
凄く痛いし、凄く強烈だ――が、倒れない。
俺は闘志を燃やし、口から血を吐き出しながらも奴を睨む。
そうして、自らも拳を固めて女に殴りかかった。
互いにノーガードの状態で殴り合う。
無傷だった女の顔にも僅かに傷が出来ていた。
利いてるんだ。こいつは無敵な訳じゃない――だったらァ!!
俺は奴の攻撃に合わせる。
決して離れないようにピタリとついて。
風になって拳を振るい続けた。
流れる鼻血が宙を舞い、固めた拳の皮がむけて革のガントレッドの中で出血する。
腕を伝って血がまき散らされる。
俺は痛みも何もかもを無視して果敢に攻め続けた。
女は気持ちが良いのか笑っていて、俺は歯をむき出しにして闘志を燃やし続けた。
もう、こいつが誰でも関係ない――ただ、“勝ちたい”。
誰であろうとも師匠の事を悪くは言わせない。
誰であろうともあの人との思い出を穢させはしない。
俺は今、師匠の為に……いや、自分自身の為に戦っている。
師匠との年月を無意味なものにしない。
師匠が教えてくれた事を無価値だとは言わせない。
あの人は冒険者で、俺にとって最高の――
「――
「……ッ!!」
全力で拳を振るう。
奴の隙を突くように、奴の顔面の中心を捉えた。
奴の体は揺らめき、僅かに足が後退した。
俺はそれを見て僅かに口角を上げて――宙を舞う。
「……ぁ」
宙を舞ったかと思えば落下し、そのまま地面に倒れる。
砂が舞って、俺は顎に強い痛みを感じていた。
今の一瞬、ほんの一瞬油断した瞬間に奴は目にも留まらぬ速さで俺の顎を膝で蹴りつけた。
それは俺の予想でしか無いが……きっとそうなんだろう。
指一本動かせない。
燃えカスのような闘志だけが残っていた。
俺はか細い呼吸の中で、必死に瞼を閉じないようにしていた。
掠れる視界の中で、奴の足音が聞こえた。
ほとんど何も見えない中で、奴が俺の傍に立ったと感じた。
何かが上から垂れてきて頬に掛かる。
それは涙でも汗でもない……あぁ、そうだ。
俺はそれの正体が分かった。
だからこそ、最後の最後にニッと笑う。
「ざまぁ、みや、がれ」
「……ムカつく顔だな……だが、及第点だ」
女は腰を屈める。
そうして、俺の顔を覗き込みながら掌を翳して――――…………