「うあああぁぁあああぁぁぁあああ!!?」
「振り落とされるなよォ!」
今、俺は――風になっていた。
比喩とかそんな生易しいものじゃない。
そのままの意味であり、風になったかのように走っていた。
耳元では吹き荒れる風の音が聞こえていた。
今までの人生で聞いたことが無いような音であり、自分自身が砲弾になったように感じていた。
景色が勢いよく流れていく――目がすぐに乾燥して痛い。
必死に目を瞬かせながら、俺は叫ぶのをやめて歯を食いしばる。
全力だ。手から力を放したら終わりだ。
何がとかではなく、兎に角、放したら終わりだと分かっていた。
「――ぅ、ぅぅ!!」
目を細める。
そうして、激しく揺れる中でどうしてこうなったのかと思っていた。
砂漠の中を猛然と駆け抜ける女エルフ。
俺ではなく、走っているのはアンカーさんだけだ。
彼女は家から出てすぐに俺の首根っこを掴んだかと思えば、俺を全力で投げ飛ばした。
そうして、そのまま全力で走り出した。
俺は空中を舞いながらも地面に落下する前に彼女の首に手を回し。
そのまま彼女にしがみつく形でついて行ってしまう。
もしも、今、手を離せば俺は帰る事も出来なくなるだろう。
此処が何処なのかも知らないし、今、何処を走っているのかも皆目見当がつかない。
何処に行くのかも告げずに、彼女はずっと走って――ああぁぁ!!
「前!! 前ぇぇぇ!!!」
「ははははは!!!!」
地面が大きく裂ける。
そうして、山のように巨大な砂の色と同化した魔物が出現した。
そいつは硬そうな外殻をしている上に、その全長は軽く二十メーテラを超えていた。
地上に出ているのはその中でも一部のようであり。
無数の足を激しく動かしながら、大きく口を開けて此方に向かってきた。
血走ったような真っ赤な目が輝いており、大きな口からは無数の歯が見えていた。
奇妙な鳴き声を発しながら、その巨大な虫のような魔物は俺たちへと突っ込み――彼女が拳を握る。
そうして、まるで砲弾の如き速さで勢いよく飛んだ。
「邪魔だァァァァ!!!!!」
彼女が叫ぶ。
そうして、一瞬にして拳に練り上げられた魔力を纏わせた。
目が眩しく感じるほどに彼女の拳から青い輝きが放たれている。
素人であろうとも分かるほどに練り上げられた魔力で――強い閃光が迸る。
彼女は目にも留まらない速さで拳を振るう。
瞬間、今にも食べられそうだった俺たちの前から魔物が――消えた。
一瞬。ほんの一瞬で――“敵が蒸発した”。
魔物の体が消えてなくなり。
砂に埋まっていた残りの体がうねうねと動いていた。
死んだことも理解できていない。
まだ生きていると錯覚しているように動いていた。
そうして、大きく目を見開いて前を見れば――まるで、巨大な何かが通過したような道が出来上がっていた。
バカでかい隕石が通過したようだ。
地面が大きく抉り取られて、障害物となっていた岩石の山も不自然に抉られていた。
ただ魔力を纏わせただけの拳。それも、拳圧のようなもので景色が大きく一変した。
信じられない。次元が違い過ぎる。
彼女は俺の動揺も知らずに、そのまま地面に着地し何事も無かったようにノンストップで駆けていく。
俺は黙ったまま、彼女にしがみついていた。
魔物が時折現れるが。
そのほとんどは彼女の気配を察知すればわき目もふらずに逃げていく。
先ほどの大型の魔物などは襲ってくる奴もいたが。
情報ではサボイアの魔物は温厚だと聞いていたけど……もしかして、種類にもよるのか?
彼女はどんな魔物が襲って来ようとも歯牙にもかけない。
拳で殴り飛ばしたり、そのまま全力で駆けて魔物を吹き飛ばしたり……滅茶苦茶だ。
走行する要塞のような存在だ。
どんなに敵が大きくても関係ない。
彼女の進行方向を塞ぐものはすべからく排除される。
その証拠に、自然的な山であろうとも彼女は関係なしに拳で吹き飛ばしていた。
「へ、へへ、へへへ……冗談じゃ、ねぇよ」
「ぬははははは!!!!」
あり得ない……この人、本当に同じ人間か?
彼女は走る。
走って走って走って――走り続けた。
どれくらいの時間が経過したのかは分からない。
ただ、彼女の走る速度は異常だった。
アードルングやレーラ以上であり。
彼女が走る速度は彼女たちの五倍以上はありそうな気がした。
景色が流れるように進んでいく。
オアシスの近くで昼寝をしていた魔物たちは俺たちが通った事に気づいていない。
砂漠地帯を超えて、緑がぽつぽつと見え始めた。
高い丘や奇妙な形をした岩山を超えていく。
立ちふさがる木々を吹き飛ばし、川の上を走り抜けていった……に、人間じゃねぇ。
俺は激しく混乱する。
が、そんな混乱している間にもマルケッテからどんどん離れて言っている事だけは認識していた。
彼女は全く息を乱す事無く笑みを浮かべて走っていた。
おかしい、この人の身体能力は異常だ。
恐らく、これでもまだ余力があるんだろう。
そうでなければ、既にマルケッテから遠く離れて。
国境まで行くほどに走っているのに、こんなに元気でいられる筈が無い。
俺を気遣っているのか。それとも、単純にジョギング程度でのんびり行こうと考えているのか……何方にしてもこえぇよ。
小山を破壊し、魔物を消し飛ばし。
景色が目まぐるしく変わっていく。
空にはまだ太陽が昇っており……多分、そんなに時間は経っていない。
時間は経っていないが、かなりの距離を移動した筈だ。
サボイアの領地内はほとんどが砂漠であったと記憶している。
緑が見え始めたのなら、サボイアの領内ギリギリくらいか。
この人の走る速度が異常過ぎて感覚がおかしくなりそうだが。
広大なサボイアの砂漠地帯が終わり、緑地帯に出ているのであれば。
恐らくは、サボイア領地の外に出ようとしているのか、もしくは海に……。
俺は風に激しく揺られながら。
両目から涙を流してガチガチと歯を鳴らす。
荒れ地が終わり、風の音に混じって何かの音が聞こえ始める。
何処か懐かしい音であり、それが近づいていっているように感じた。
見れば、ウサギや鹿などの動物もいる。
彼女が接近すれば驚いたように逃げていく。
それを通り過ぎ様に確認し。
俺は視線を前に向け続けた……ん?
風の中に何かの匂いを感じた。
鼻を鳴らせば、俺が知っている匂いだと分かる。
微かにだが懐かしく感じる気が――まさか。
「もしかして、この先は――っ!」
「はぁぁぁ!!!」
彼女が大きく飛ぶ。
すると、その先は――浜辺だった。
砂浜が広がっていて、奇妙な形の木も立っている。
慣れ親しんだ海が広がっていた。
俺は少しだけ笑みを浮かべて――彼女に首根っこを掴まれる。
「へ?」
「とうちゃぁぁぁくぅぅぅ!!!」
彼女は叫ぶ。
そうして、俺を無理矢理に引き剥がして――全力で放り投げた。
「あああぁぁぁあああぁぁ――ぶぅ!!?」
砂浜に顔面からダイブ。
そのまま転がるように進んでいき――バシャリと水の音がした。
全身が海水に浸かり、俺は慌てて手足を動かす。
そうして、何とか水面に出てから急いで岸に戻る。
鼻に塩水が入って凄く痛い上に、口には砂が入ってしまっていた。
俺はぺっと砂を吐き出しながら、垂れている鼻水を拭う。
「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ……こ、殺す気かぁ!?」
俺は荒い呼吸のまま叫ぶように彼女に抗議した。
彼女は浜辺で豪快に笑いながら「気持ちが良いだろう?」と言う……こ、このぉ。
俺は拳を握ってわなわなと震える。
すると、彼女は持っていた腰の鞄から何かを取り出す。
俺は動揺しながらも、何かの液体が入った小瓶を見つめた。
「飲め」
「え、これ」
「――飲め。殺すぞ」
彼女は恐ろしいほどの殺気を放つ。
俺は全身の毛を逆立たせながら、素早く瓶を受け取り中身を呷る。
一口で飲めば、味は死ぬほどにまずい。
まるで、泥水を煮詰めたような味だった。
ドロッとしていて、ねばねばとしていて……うげぇ。
アンカーさんが俺を睨む。
俺はびくりと肩を揺らしながらも、何とか喉を鳴らして飲み込んだ。
俺は舌を出しながら、これは何かと聞こうと――ッ!!
「あ、がぁ、な、だ、ご、れぇ……あああぁ!!」
俺は喉に手を当てる。
これは――“渇き”だ。
水、水、水水水水水水水水水水水水――欲しいッ!!
喉がカラカラに乾いている。
水じゃなくてもいい、何でもいいから口に入れたい。
欲求が溢れ出していて、体の中から急激に水分が抜けていくように感じた。
いや、それだけじゃない――“空腹”も感じている。
飯、飯、飯肉魚肉魚野菜肉肉魚野菜肉野菜物物物物――食いたいッ!!
何でも良いから、口に入れたい。
何でも良いから、胃にぶち込みたい。
今なら例え腐った肉でも卵でも、生で食えてしまえるような気がする。
それ程までに今の俺は――“飢えていた”。
喉が渇いていて腹も空いていた。
信じられない。さっきまでは全く何も感じていなかったのに。
今はまるで、三日三晩……いや、それを超えて何も食べても飲んでもいないような状態になっていた。
そして、不思議と体が熱いように感じる。
いや、感じるんじゃない……体からほんのりと蒸気が出ている!?
まるで、俺自身が熱したフライパンのようだ。
体の中にあるもの全てが消化されて行っている。
流れる汗が蒸気となっているのか……これは、一体?
アンカーさんはにやりと笑う。
「お前が飲んだものは私が調合した薬――“成長薬”だ」
「成長薬だって……ぅぅ……これは、何なんだ。喉が、腹が!」
「あぁ分かってる。喉がカラカラで腹が減ってんだろう。今、お前の体は栄養を欲している。無理もねぇ、何せ、今のお前は急速に栄養を自らの成長の為に使ってるからな。それも通常の人間の何倍もの速度でだ。何故か分かるか? それは、お前が今まさに――“成長をしている”からだ」
「……ッ!」
アンカーさんは説明する。
俺は薬の効果によって限界を突破し成長している状態だと。
通常であれば何年もの時間を掛けて栄養を吸収し、成長していくのをこれによって大幅に短縮するという。
飯を喰らい、水を飲み続けるだけで俺の体はどんどん成長するようだ。
従来の方法では決して出来ない限界の壁を無理矢理に超える方法。
彼女が独自の研究で編み出した荒業がこれらしい。
俺はその説明を聞いて手を伸ばす。
「なら、早く……水、をッ! たべ、ものをッ!」
俺は強く懇願する。
すると、彼女は笑みを消して冷たい視線を俺に送って来た……え。
「――あぁ? 私は何もしないよ。自分で調達しろ」
「は、はぁ? おま、何言って――待て、何処に!?」
「帰るんだよ。私も暇じゃない……お前の修行は単純明快だ……生きて、マルケッテに戻って来い。それだけだ」
「じょ、冗談言うなよ……此処まで、どれだけ離れて……こんな状態で、どうやって魔物と……っ!」
俺は立ち上がろうとした。
が、腹が異常なほどに鳴った事で力が抜けそうになる。
俺は何とか倒れまいとしながら、踵を返すアンカーさんを見つめる。
彼女はゆっくりと振り返り邪悪な笑みを浮かべて――
「知るか。テメェで考えろ……そんじゃ、あばよ」
「ま、待て……待てよ……おい……おい!」
アンカーさんは俺に視線を向ける事無く駆けだす。
浜辺から飛び出し、彼女の姿はどんどん遠くなっていく。
ものの数秒で彼女の姿が見えなくなり、俺はその場に膝をつく。
間違っていた。
あの人は途轍もない強者であり、事戦闘に関してはとてつもなく頼りにはなるが……あの人の性格は破綻していた。
こんな何処なのかも知らない場所に放置し。
常に飢餓に苦しまなければならない状態にさせられて。
マルケッテまで戻って来いと告げて……信じられねぇよ。
ふざけている……何処まで理不尽な人なんだよ。
俺は悔しさから歯を食いしばる。
が、歯に力を込めるだけでも力を使ってしまうと気づいた。
俺はだらりと体から力を抜きながら、どうすべきかを考える。
「クソ、これは、悪夢か……うぅ腹が……ダメだ。何か、口に入れねぇと」
俺はこの状態を改善する為に動こうとした。
が、空腹の状態では碌に動く事は出来ない。
魚を獲る事も出来なければ、獣を追う事も出来ない。
俺は周りを見る。
海は近いが、こんな状態では泳ぐこともままならない。
緑地帯には獣がおり、此方を見ている奴もいるが。
体力がこれでは遠距離からの攻撃しかない。
が、それさえも今の状態では当てられるかは賭けだ。
せめて、対象が動くことなく止まっていれば当てられる。
が、命ある存在がただ黙って狩られる筈が無い。
何か、何かないかと俺は必死に視線を動かして……あれだ!
不思議な形をした木を見つめる。
木はそれなりの高さであり、昇れない事も無いが今はそれはどうでもいい。
木の上には実らしきものがなっていた。
それも成人男性の頭ほどの大きさの丸い黄色の果実のように見える。
果実に関してはそれほど詳しくはない。
見た目は食えそうには見えるが、もしかしたら毒があるかもしれない……でも、そんな事言ってられるほどの余裕はねぇ。
……どうせ何もしなくても餓死するだけだ……それなら、毒ありでも食ってやるよ。
俺はよろよろと動き、落ちていた石を拾う。
高さを見て、木の実までの距離をざっと目算で計算する。
チャンスは一度きりであり、二度目は更に確率が減るだろう。
俺は意識を集中させる。
そうして、なけなしの魔力を注いで――投げる。
放たれた小石は実を吊るしていた部分に当たる。
そうして、身が地面に落下しぼとりと転がる。
俺はそれを拾い上げて――硬い!
俺は果物ナイフを取り出す。
魔力を刃に流せば、更に腹が空腹を訴えかけて来た。
俺は必死に魔力操作に集中し、皮を剥いで……っ!!
皮を剥げば、中から透明な液体が流れて来た。
俺は齧り付くように液に吸い付く。
そうして、流れ出て来た液体を吸って……っ!!
美味い……かは分からない。
すごく薄味だが、ほのかに甘さを感じる。
俺の口は勝手に中身を吸い出していき、喉は下品な音を立てていた。
あっという間に中身を飲み干し、更に果物の皮を剥ぐ。
真っ二つに割れば、実らしき白いものが出て来た。
またしても齧り付いて何度も咀嚼する。
実はそれなりに硬い。
が、噛める事が出来るくらいの硬さだ。
噛めば噛むほどに中のほのか甘みの液が出て来る。
喉を鳴らして飲み込み……あぁ。
これも薄味だ……でも、助かった。
実のお陰で、俺の空腹感と喉の渇きが僅かに薄れる。
しかし、自分でも分かるが急激に満たされた感覚が薄れていく。
通常の人間の何倍もの速度で俺の体が栄養を吸収しているんだ。
どれだけ腹に食べ物を詰め込んだとしても、満腹になる事は絶対にないだろう……だったら。
俺は回復した状態で石を掴む。
一気に五個ほどの石を掴んだ。
そうして、流れるように魔力を流して同時に実に向かって投げた。
ざくりと蔓を切る音が響く。
そうして、実がぐらりと揺れて――落ちて来た。
残りの実全てが、地面に落ちて来る。
俺はそれを回収し、ナイフで革を剥いですぐに食べていく。
中身の液体を吸い出し、実も余す事なく食べる……よし、次だ。
兎に角、今は此処で食べられるだけのものを食べる。
そうして、出発できるだけの体力が回復すればすぐにマルケッテを目指そう。
成長を続けているという事は、少なくともデメリットばかりではない。
食べたり飲んだりするだけで体が鍛えられて行っている筈だ。
もしも俺の考えが正しいのであれば、魔物と遭遇し襲い掛かって来たとしても……何とかなるかもしれねぇ。
ポーションも持って来ている。
剣と防具だってちゃんと装備しているんだ。
どんなに鬼みたいなクソババァでも、装備だけは身につけさせてくれた。
それだけは感謝であり……まだ、足りない。
俺は別の木へと急いで向かう。
兎に角だ……食って食って、食いまくる。
今は何が何でも食う事だけに集中だ。
第一の目標を定めて俺は行動する。
木の実を喰らいつくし、その次は貝でも蟹でも食ってやる。
更に余裕が出れば、近くにいる小動物も狩猟する。
ここら一体の食えるものを全て喰らって――俺は生き抜いて見せるぜッ!!