いずれラスボスになる妹と、その兄のはなし   作:悠里@

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10.泉で見たもの

「昨日寄ったあの池の辺りですかね。大きな音がした直後に、あの場所からヘンテコな感覚が伝わってきました」

 

リアナは、ゆらりとこちらを向くと俺の目を真っ直ぐ見据える。その赤い瞳は『確信している』と強く訴えていた。

……彼女の指差す方角、木々が生い茂るだけで俺には何も見えない。その先には確かにこれから向かう予定だった例の泉がある。

 

妹は、その泉にいま起きた音の正体があると言っている。

その根拠は、曖昧模糊で頼りない『感覚』というもの。そんなあやふやな根拠を唯一の武器にして、絶対の自信があると俺に告げていた。

 

「……リア、それは本当なのか」

「ホントですよ。この感覚が兄さんに伝わらないのは不思議なぐらいです。あの音は間違いなく池からです。今も背中が『ぞわぞわー』ってしますもの。ぞわぞわ~」

 

リアナは自分の身体を抱きしめて、大げさに身震いしてみせた。

……ここから十五分も歩けば、例の泉に着く。リアナは俺にその『感覚』なるものが伝わないのは不思議だと言う。

ダメージを受けた聴覚は暫く使い物にならないが、それ以外の感覚を魔法で研ぎ澄ましても、やはり何も感じられない。

 

「……指輪は?」

 

念のため、リアナの右手にはめられた指輪を確認する。ジルベルタの環を含め、ちゃんと三つとも存在していた。

 

冗談を言っているようには見えない。だが、信じるに足る根拠もない。

何が起きているか一切わからない状況だった。下手に行動を起こせば、この場にいる全員の命取りになる。

 

……リアナには悪いが、今の俺にそんな妄言を拠り所にする余裕はなかった。

 

「……私、あなたに嘘をついたことがないのが、数少ない自慢できることの一つなんですよ。だから兄さんは、妹の言うことを信じてくださいな」

 

押し黙っていたためか、俺の懐疑心が伝わったのだろう。リアナは言葉を付け足す。表情は相変わらず硬く無表情。だけど、口調だけは落ち着いていた。

今の言葉にしても、根拠と呼べるようなものではなくて……。ただ『私を信じて』と言っているようなもの。

まるで要領を得ない。論理の飛躍ですらなく、前提から破綻した、誇大妄想にも等しい戯言だった。

 

そんな妹の根拠からは程遠い、一連の言動に思わず苦笑しそうになるが……まあ、うん、俺にはそれだけで十分だった。

 

「うん、わかった。信じるよ」

 

俺の妹――リアナだけは、どんな時でも絶対に信じる。それに足るだけの理由と信頼が俺たちの間にはある。

根拠なんて必要ない。リアナの言った通り、あの泉が轟音の発生源なんだろう。

 

だったら、俺がやるべきことは一つだけ。

 

「ノーマンさんたちは、ここで動かずにいてください」

「あ……ああ。ああ、わかった……」

 

泣いているベリンダちゃんを抱きかかえたノーマンさんに一声掛ける。

少女はどこか呆けた様子であり、心ここにあらずという感じだった。……あまりの出来事に思考が追いついていないのかもしれない。

 

「リアはお手柄。たくさんナデナデしてやりたい。それと実はあれ池じゃなくて、泉でよかったらしいぞ」

「えっ、マジですか!?」

 

一呼吸して、両脚を極限まで強化する。

 

『――――』

 

俺の使う身体強化魔法は、一切の詠唱が不要だ。

そのための鍛錬をずっとやってきたし、そのために多大な対価も払った。

毎秒十メートル――。

全身を巡る血液よりも速い速度で、身体に刻まれた術式に魔力を高速循環させる。

 

……そういえば、一人で走るのも随分と久しぶりな気がする。

 

「じゃあ、ちょっと見てくる」

「え、兄さ――」

 

リアナの制止よりも先に、俺は泉へ向かって駆け出した。

 

 

 

 

 

 

木々を避けながら、森のなかを全力疾走する。

妹を抱えていない単独の状態であれば、俺はこの森に住むどんな獣よりも速く走れる。

生命線である聴覚は馬鹿になっていたので、当面は常人程度にしか役に立たない。それなら直接この足で泉まで行って、音の原因を確認するまで。

徒歩であれば十五分の距離を一分足らずで走りきり、泉が視認できるあと少しの距離まで辿り着いた。

 

――その途端、心臓がバクバクと警鐘を鳴らした。……今だったらリアナの言う『感覚』もわかりそうなほどに。

 

「リアナの言う通りだったな……」

 

森の清涼な空気が、くるりと反転したかのように不浄なものに侵食されていた。大気の澱みも視認できるほどに禍々しい。

 

「…………」

 

……万が一の交戦を考えて、マチェットを握る。

姿勢は可能な限り低く、木々を影に身を隠しながら、目的の泉まで音を立てずに移動。

鳴り止まぬ心臓を抱えながら、泉が視認可能な場所まで辿り着いた。

泉は木々のない開けた場所なのもあって、肉眼での確認はしやすい――。

 

「……マジか」

 

しまったと思ったが、つい声が出てしまった。だが、アレを見たのなら仕方がない。

自らの頬をつねって、目の前の光景が夢か現か確認したくなる。もし夢だとしたら、これほど悪夢と呼ぶのに相応しい光景はないだろう。

 

俺がいま見ているものは、それだけ常軌を逸していた。

 

まず、泉が呪われていた。

少なくとも俺たちが昨日見た時は、そんな兆候はなかったはず。

それが今や泉でも池でもなく、毒沼とでも呼ぶに相応しい瘴気を放っている。あの汚染された泉に触れようものなら、肉体どころか魂さえも穢されてしまう。

リアナが昨日、遊び半分で腕を突っ込んでいたが、まさかこんな事態になっているなんて。

 

だが……呪われた泉はまだいいほうだ。これはなんとか理解の及ぶ範疇だろう。

その呪われた泉すらも、可愛げがあるように映る『異質』がそこにあった。

 

――樹木。いや、あれは『木』などと呼んでもいいものなのか。あまりの異質であるが故に、形容する言葉が見つからずにいる。

……便宜的に『妖樹』と呼称する。その『妖樹』は幹の太さだけで七メートルはあり、高さは三十メートルを優に超えていた。

触手のように分かれた木の根を使って、大地を震わせながら移動している。

 

おそらくだが、泉のほとりに一本だけ生えていたブナの老木が、あの妖樹の正体だろう。

それも昨日、泉に生えていたからそう信じられるだけで、元の姿とは完全に別物と言えるほど変質していた。

触手のような根だけではなく、大きさからして違う。しかし、しかしだ。そんな変化も些細なものだと断言できた。

 

『オザニワボティフャム ンコクゼュプワゼクサ ソホヨエズヤオヘェ』

 

妖樹の樹皮に浮かぶ無数の目と口――。

それが、ブナの老木だったものを異形の化け物へと完全に変貌させていた。

目と口は規則性もなく出鱈目に配置されており、いくつあるのか数えるのも馬鹿らしい。

 

全ての目は、ギョロギョロと当てもなく彷徨い。

全ての口は、解読不能な禍々しい怨嗟を垂れ流す。

 

怨嗟の念が幾重にも重なって、大きな呪いとなり、周辺の草木や土壌を腐らせている。その在り方は、生きるもの全てに呪いをもたらす厄災そのものだった。

 

地鳴りのような轟音の正体も今ならわかる。頭足類の触手のような根が想像を絶する力によって、地中深くから引き抜かれた際に生じたのだ。

元々木の生えていた場所には、ぽっかりと大きな空間が出来ており、その虚に泉から毒が滝のように流し込まれていた。

 

「…………」

 

少しの間、妖樹の動向を観察していたが、どこか別の場所に移動する気配はない。

パターンと呼べるような規則性のある動きで、木々を薙ぎ払い、泉の周辺を徘徊しているだけ。

そもそも、アレには意思や思考が存在しているようには見えなかった。ただそこにあるだけで、一帯を汚染し、草木を腐らせるシステムとでも言うべきか。

 

『ナムモラキンリタノテ コテタァミラヴプビバ トホダャドブヒァキ』

 

こちらに気づく様子もなく、意味不明な呪いの言葉を発している。この呪いは周辺の環境だけではなく、人体にも影響を及ぼすもの。

少し離れた俺ですら対策もなしに長く晒されれば、体と心、その両方を腐らせてしまう。

 

不意をつけば攻撃も可能かもしれない。だが、それが何になるというのか。とてもじゃないが、こんな化け物の相手はこれ以上やってられない。

 

いずれにしても、原因は判明した。今はリアナのもとへ戻ることを優先しなければならない。

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