『脚』と『眼』――。
この二箇所の魔法による同時強化が、俺の基本戦術だ。極限まで強化された脚力によるフットワークと、同じく極限の動体視力を使って、近接攻撃を繰り出す。
極めて単純な立ち回りだが、ゴブリンやオークなどの魔物や、ただの人間相手ならまず負けない。
いま対峙している妖樹も、素早く近づき、マチェットで斬りつけ、反撃される前に離脱。その繰り返し。決して深追いはしない。言うなれば、ヒットアンドアウェイだ。
そんな俺の攻撃によって、鋼のような妖樹の外皮は徐々に削られていく。間違いなくダメージを与えている。……だがそこまでであり、この程度では有効打と言えない。
妖樹から今のところ攻撃らしい攻撃はない。俺たちの前で大きな移動をやめ、土壌を腐らせる呪いを垂れ流すだけ。
攻撃されないといっても、この質量が相手だ。触れただけで大怪我は免れない。だから『眼』の強化だけは、他へ移すわけにはいかなかった。
『ユザトヘゼトウオバ ョナァソパハヶキトラ ユザトヘゼトウオウ』
無数の口から無数の呪詛。妖樹から意味不明な言葉が吐き出される。何を言っているかはわからない。呪いの類というのはわかった。
理解できないとしても、こうして聞いているだけで頭が痛くなる。このままだと、おかしくなってしまいそうだ。
「兄さん! あいつが何を言ってるか解説ヨロです!」
「解説不能! 理解不要! この手の呪いによる産物は理解しようとすること自体が間違いだから!」
魔物や悪魔に対し、対話などで理解を深めようとする試みは、ごく一部で行われている。
しかし呪いで生じた怪異や悪霊には、決して理解など示してはならない。
特に悪霊の類は顕著だ。悪霊には言葉を巧みに使うタイプがおり、あらゆる手段で同情を誘おうとしてくる。
しかし、それ自体が罠なのだ。そんな彼らに理解を示そうとすれば瞬く間に取り憑かれて、死ぬか、死ぬよりも恐ろしい目に合う。
それが生前見知った相手であっても、どんなに非業の死を遂げた相手であっても、それは同様だ。
死霊術の使い手であるネクロマンサーは、死霊相手に理解ではなく習慣的行動を利用しているという。
秘匿性の高い彼らとはお近づきになったことはないが、おそらく、ネクロマンサーとは名ばかりに死霊やアンデッドの類に対して、俺たち以上にストイックなのだろう。
『アドァダトガニマヒニ ボトヴゾハルリネビ ワォダキボェギヮフゲ』
「うぐぐ……」
俺もこうして理解を拒んではいるものの、妖樹の呪いに晒されていると激しい頭痛が襲ってくる。肉体的なダメージよりも、精神的な負担が大きく、切らしてはいけない注意力が散漫になる。
ここは致命的なミスをする前に、一旦離脱して少し休んだ方が良さそうだ。逃げられる隙はいくらでもある。
「よし。おんぶ」
「うい。了解です」
そう一言告げるだけで、リアナが反射的に俺の背中に跳び乗る。
屋敷を出てからの三日間は、この体勢で国を跨ぐほどの大移動をやってのけた。だからこの行為に恥も外聞もなく、兄妹ともども慣れたものだった。
昨日のお姫様抱っこも悪くなかったが、今やこの形のほうが収まりがいい。
彼女を背負った状態でも、俺の方が妖樹より移動速度は速いので、逃げればそれなりに時間は稼げる。
それに背中には回復魔法が得意な妹ヒーラーが張りついているため、体力的にも魔力的にも盤石だった。
こうしていれば、リアナは何も言わなくても俺を癒やしてくれる。このまま疲労を感じることなく、いつまでもどこまでも走れてしまいそうだ(当然無理)。
◇
奥へ奥へ。森の中でもより樹木の密集した場所に移動していく。
妖樹は巨体が故に、木々が障害物となり、必然的に動きを妨害される。俺たちを追うには、その全てを破壊する必要があるため、時間稼ぎにはもってこいだった。
しかしその分、呪いの範囲が大きく広がっていくので、あまり逃げに徹するわけにもいかない。妖樹の通り過ぎた場所は、土が腐り、草木も枯れ果て、それらを糧にする虫や動物も住めなくなってしまう。
「そういや、リアは人が相手だとビビりまくりなのに、あんな化け物になんで平然としているの? お兄ちゃん、そこが不思議なんだけど」
「え? 兄さんは何を言っているんです? 意思疎通ができない相手なんて別にどうってことありませんよ。それにあんなのに嫌われても問題ないですし」
……衝撃の事実が判明した気がする。リアナが化け物相手に怖がらないことではない。
「……リアちゃんは、人から嫌われるのはイヤだったんだ」
「兄さんはまたおかしな事を言いますね。人から嫌われて、嬉しい人なんていないでしょう?」
普通の感性で考えればそうだろうな。だけど俺には、この妹がそんな普通の感性なんてものを持っていないと思っていた。
「うーん、だったら今まで見せた態度は、嫌われても仕方がないものばかりだったぞ。特にさっきのベリンダちゃんへの対応はまずかったな。必死に声を掛けたのに無視するとか」
「まずかったのですか……?」
まさか、やっちゃいけないことにも気づいていなかったのか……。これまでの対人関係の希薄さを如実に感じさせられてしまう。
他人の心の機微を読めとまでは言わない。これまでの境遇を考えると、それをこの妹に求めるのは酷だろう。
それでもだ。自分がやられて嫌なことは、相手の気持ちになって想像できるようになってほしい。
「すごく悲しそうな顔してた。声だって、必死に振り絞って出したのに可哀相だった。……もしリアナも俺に同じことをされたら嫌だろ?」
「………………うん」
流石のリアナも思うところがあったのか、それきり口を閉ざしてしまった。
いまは背負った状態なので、彼女の表情はわからない。いつもの無表情なのか、それとは違う別の顔をしているのか。少し気になったが、確認はしなかった。
これは、リアナとベリンダちゃんの二人の問題だ。部外者の俺が口を挟むべきではない。
リアナから彼女に歩み寄れとは言わない。だけど、彼女からまた歩み寄ってくれたのなら、その手を取るぐらいはできるはず。
血の繋がった兄として、妹にその程度の期待をしても許されるはずだから。
移動を続けて時間を稼いだおかげで、呪いによる頭痛も収まってきた。妹の魔法の効果もある程度はあるだろう。
「リアちゃん、ここで下ろすね」
「ん……」
リアナが躓かないよう優しく地面に下ろす。
さて……他よりも高い樹木が生い茂るこの場所で、今度は迎え撃つとしようか。
地響きと樹木をなぎ倒す音のおかげで、妖樹は目視できなくても位置の把握がしやすい。
「そういえば……さっきはなんで、人前だったのに普通に話せてたんだ?」
ずっと黙りっぱなしだったリアナに話しかける。何かを考えているようだが、今は少しでも気を紛らわせた方がいいだろう。
「……はい、そのことですか」
「うん、今まで人前だとずっと無言だったのに急に話しだしたんで、実は話の内容よりもそっちに驚かされた」
内容の緊急性が高かったので、流石にその場では言わなかったが、一瞬だけ別人が乗り移ったのかと勘違いしたほどだ。
「あの大きな音がしたせいか、うまく切り替えられずに、お二人の存在をぽっかり忘れました。……兄さんが一人で泉に行ってしまった後に気づいて、つい死にそうになりました」
「なんだそれ。どんな鳥頭してるんだ」
『ぽっかり忘れる』というのもなんとも不思議な表現だ。『すっかり忘れる』ならまだわかるけど。
「失礼な兄ですね。私の記憶力はとても良いです。どうでもいい事をいつまでも覚えています。それでたまーに死にたくなりますけどね……はぁ」
質量がありそうな、どんよりとした溜息をリアナが吐き出す。どうやら俺の何気ない発言で余計なことまで思い出させてしまったようだ。
コイツは、知り合った頃は溜息をよく吐いていた。そこだけは見かけ通り繊細な少女なんだろう。
そうこうしている間に、破壊音が次第に大きくなっていく。妖樹がすぐそこまで来ていた。
「……さてと、二回戦だ」