妖樹が障害物など意に介さず、直線的に全てを薙ぎ払い、こちらに向かってくる。……今更ながらすごい迫力だ。
樹皮に刻まれた無数の瞳が俺たちを再び睨みつけ、そのおぞましさに背中が粟立った。それでも、俺の戦う意志は折れていない。
『メギカォリビイボピプ ウヘウルロヶゼザオカ タッグメレヵチキパケ』
口腔からは今も呪いの言葉を吐き続けている。精神と肉体を蝕むこの呪詛は、仮に耳を塞いだとしても意味をなさないだろう。
「ぐ、ぐぐ……も、もう頭が痛くなってきた。リアナは大丈夫か……?」
「?? 私は平気ですよ? ……というより、兄さんは感受性が豊かすぎやしません? こんなヘンテコな言葉に感銘でも受けてるんですか?」
いつもの調子でむかつくことをほざいているので、やせ我慢とかではなく本当に平気だとわかる。
そもそも感受性でどうにかなるレベルなら、周辺の植物は枯れたりしないのだ。
「……リアが大丈夫なら問題ない、よ」
あまりの激痛に俯むくと、鼻血がぽたりと垂れた。この血をリアナに見られるわけにはいかないので、慌てて服の袖で拭き取る。
ヤバいな……さっきよりも呪いの効果が強まっている。呪いの範囲が広がるにつれて、妖樹の力が強力になったのだろう。今さら後悔しても無意味だが、あそこで逃げだしたのは下策だったかもしれない。
だが、頭が割れそうな激痛であっても、俺の手足はまだまだ正常だ。決して戦えないわけじゃない。
今度は、俺の方から妖樹との間合いを詰める。
地面を強く踏みしめ、大きく跳び上がり、マチェットで目の一つを斬りつけた。
妖樹に点在する複数の目は、いかにもな弱点だったが、これまで一度も攻撃を試さずにいた。
跳躍なしで届く範囲に目が存在せず、跳び掛かり中の無防備な姿を晒したくなかったからだ。
ただ今はもう呪いの影響が酷く、これ以上余計な時間を費やすべきではない。
「――硬い!!」
眼球なら相応の柔らかさはあると想定していたが、樹皮と同等かそれ以上の硬度があった。跳躍による俺の全体重を乗せた一撃だったのに、これまでと同様に表皮しか削れていない。
「……うっそだろー」
それどころか、付けたばかりの目の傷が瞬く間に再生してしまう。たった数ミリ削るのがやっとだったのに、こんなんじゃどうしようもない。
よく見ると、これまで俺が散々斬りつけた樹表の傷も、ことごとく回復されていた。
呪いのテリトリーを広げたことで、どうやらとんでもない再生能力を身につけたようだ。
……これでは本当に埒が明かない。というか、デタラメだ。こちらの攻撃は薄皮一枚を削る程度、それもすぐに再生される。
妖樹を相手にするには、最低でも再生能力を上回る火力で継続的に攻撃しなければ、ただの徒労に終わってしまう。
「う、うう……ぐ……!」
もう呪いによる頭痛が限界だった。あまりの激痛に目の前が暗くなっていく。鼻血だけじゃなく、涙も出そうだ。
二回戦はまだ二分と少ししか経ってないのに、このペースは限りなくまずい。
このままだと、俺だけが一方的に消耗するだけのじり貧コースだ。一度リアナのもとに戻ったほうがいいだろう。
「リアちゃん! おんぶ!」
「はいはい」
リアナのもとに駆け寄り、背中に重みを感じた瞬間、全速力で走り出した。
これ以上、妖樹のテリトリーを広げて呪いを強力にするのは、悪手も悪手だろう。しかし現状は手立てがない。それなら、頭と手足がまともなうちに何か有効な手段を考えなくては。
今はとにかく走って逃げて、走って逃げて。次の手を、次の策を……。
◇
「さーて、ここでリアちゃんに質問です。お兄ちゃんによるマチェット攻撃では妖樹に対してあまり有効ではありません。何か打開策はあるでしょうか?」
とうとう進退窮まった俺は、戦闘なんてズブの素人であるリアナに丸投げしてしまった。今は思考を巡らそうにも、頭が痛くて考えが纏まりそうもない。
「うーん、打開策ですか。……あ、そうだ。妖樹を焼きましょう。なんと言っても木ですし、焚き火のようにちょー燃えるでしょう」
「却下。生木は湿気って、ちょー薪にならない」
いつかリアナにも焚き火のやり方を教えてやらないとね……。
実際は、生木を混ぜることで火が長持ちし、長時間の暖を取るのに適している。だが妖樹が相手では、火をつける前にプチっと潰されて終わりだ。
「うぐぐ。駄目出しだけは早いですね……コンチクショー」
そう言いつつも意外と乗り気のようで、ウンウン唸って考えを巡らせていた。
「……じゃあ、そうですね。この森を燃やしてしまうのはどうでしょうか? 森林火災に巻き込めば、湿気った薪だろうがなんだろうが燃えるでしょう」
「あー、それは考えつかなかった。確かに効果的だろうね。森に火をつけるまでが大変だろうけど、一度燃え広がってしまえば妖樹ごといけると思う」
意外と悪くない案だった。だけど。
「おお、じゃあ採用ですか」
「却下。この森全体が焼け野原になる。そしたら、今度は俺たちが町の人に吊し上げられて焼かれちゃう」
「むう。それは……イヤですね」
放火は、いつの時代のどの国でも重罪だ。特に森林は町や国の財産なので、当然死罪は免れない。こんな異国の地で火炙りなんてごめんだった。
もし俺たちの、そこそこやんごとのない身分がバレた場合、外交上の人質として使われる可能性がある。それで運良く助かったとしても、その後は間違いなく姉に見つかってしまう。それは別の意味でジエンドだ。
リアナ提案の森林放火作戦は、手の打ちようがなくなった時の最終手段にしよう。その時は町に戻らず、別の国へトンズラさせてもらう。
……あー、もうこうなったら、アレをやるしかないか。でも嫌なんだよなぁ。特にリアナには見せたくなかったけどしょうがない。
再び妖樹から距離を取ることに成功したので、リアナを地面に降ろす。
「よっとと。……それで兄さんは何か妙案は思い付きましたか?」
「ちょー消極的な案が一つだけね」
「超……消極的? なんですそれ?」
説明するよりも見てもらったほうが手っ取り早い。俺は袖をまくり左腕を露出させると、腰に携えたマチェットをシースから引き抜く。
「……ふぅ」
一度息を整えると、左腕を優しく撫でるように切り裂いた。当然、動脈だけは傷つかないように細心の注意を払う。
「…………!! に、兄さん!! なななな、なにをやってるんですか!? ……えっとえっと、ごめんなさいごめんなさい!! い、いますぐ治すから!!」
「……今はその時間も惜しいんだ。治療は後にしてくれると嬉しい」
多少予想はしていたが、ものすごい剣幕だった。俺の自傷行為を見て、何故かリアナがしきりに謝り出している。
彼女には余程ショックな光景だったようで、腕よりも先に胸が痛んでしまう。だけど今はやるべきことをやらなければならない。
腕から流れる血液をマチェットに垂らして、そのまま『吸わせる』。これは何かしらの比喩表現ではなく、文字通りの意味だ。
『――――』
俺は武器に自らの血を与えれば、体の一部であると一時的に誤認させることができる。
そうすれば、肉体と同じように武器にも魔法による強化が可能だ。刃物ならより鋭く、棍ならより硬く……そんな具合に、武器や道具の特性を性能以上に引き伸ばせる。
ただ結局は自分の体ではないので、魔力消費も激しく持続性も短い。それになにかと制限もある。
俺には付術師のようなエンチャント能力は皆無なので、こんなその場しのぎの方法に頼るしかない。
「だ、大丈夫なんですか? 大丈夫なんですよね? 大丈夫だと言ってください! 今すぐに!」
「治療は後にして欲しい」と言ったはずだが、リアナは聞く耳を持ってなかったようで、既に魔法による治療を終わらせていた。
比較的に浅い傷だったため、血が止まるのもあっという間だ。……うん、マチェットに垂らすより先に止まっていたらやり直しだったな。
「……大丈夫だよ。それと心配掛けてごめん。どうしてもやる必要があった。でもこれなら妖樹にもちゃんと攻撃が通るはず」
「……よ、よかったです。もう私の前でこんな馬鹿なことは絶対にやめてください!」
可能なら俺もやめたかったが、結局はそれも状況次第なので、今は曖昧に笑って誤魔化すしかなかった。