「三回戦開始」
できればこれが最後であってほしいと願いつつ、妖樹がいる方向に吶喊する。
妖樹の全長は約三十メートル。遠くからでもかなり目立つ存在だ。こんな深い森の中であろうと位置の特定は容易い。
あいつもまた何かしらの力で俺たちを見つけているようだが、その点だけはイーブンと言えるだろう。
「……いた」
近くの木にスルスルと登り、そのまま猿のように他の木に飛び移っていく。
妖樹に接近する度に呪いの影響が強くなり、まだ治まってなかった頭の疼痛が激痛へと変わる。案の定というか、呪いによるダメージがさっきよりも凶悪になっていた。
「う……うううう!」
……眼窩から、目玉と脳味噌をスプーンで直接ほじくり出せば、こんな痛みがするんじゃないか。そう考えたくなる激しい痛み。
一旦飛び移るのを止めて、木の上で呼吸を整えていると、ポタポタと温かい雫が俺の顔から垂れた。初めは痛みに耐えかねて涙が出たかと思ったが、そうじゃなかった。
「う、げ……なんだよ、これ……」
今度は鼻血どころか、目から血が出た。血涙なんて初めての経験だ。
「ぐあ、ああああ……」
荒波のように襲いかかる激痛に、なりふり構わず叫び出し、今すぐ地べたでのたうち回りたい。
だけど、リアナが近くにいるのにそんな無様な真似はできない。無能な俺だが、妹の前では少しでも格好いいお兄ちゃんを演じていたかった。
だから奥歯が砕けたとしても、今は口を閉じてこの痛みに耐えなければならない。
チカチカと明滅する視界のなかで、なんとか妖樹の元まで到達。
幹の中程から飛びかかり、数ある目の一つを強化したマチェットで両断する。
「よし……よっし! 今度は手応えあった!」
熱したナイフでバターの切ったような感覚――とまではいかなかったが、上から下まで刃が通った感触が腕に伝わった。
直後、パックリと割れた眼球から、血にも似た赤黒い液体が流れ出す。これなら確実に痛手を与えただろう。
「あぐ……ううう……!!」
このまま連撃に移りたかったが、呪いによる頭痛で昏倒しかけており、間合いを広く取って妖樹から離れる。
『ンビワヤモヵデドマュ ビグデカイネドナホヵ!!』
「怒った! 感情とかあるの!?」
垂れ流されているだけだった妖樹の呪詛が、あからさまに荒くなった。森じゅうの枝葉が、ビリビリと振動する大音量。
妖樹とはある程度距離は取れていたが、かつてない悪寒が走り、リアナのもとへ全速力で逃げ出す。
今回は確実に収穫があった。これ以上の成果を急ぐのは身を滅ぼすのに繋がりかねない。
◇
「……あ、おかえりなさーい。今回はどうでしたか?」
まるで仕事帰りの旦那を出迎えるような、どうにも緊張感に欠けたリアナが状況を尋ねてくる。
心配を掛けたくなかったので、鼻血やら血涙やらは事前に拭き取っておいた。
「……目の一つを一刀両断にした。今回もバッチリだったよ、愛しのハニー」
「は? は、はあ!? ハニー? い、妹相手に何言ってんですか……!? ぶっ殺しますよ!?」
調子に乗って軽口を叩いたら、絶対零度の視線で見られるどころか、とんでもない罵声を浴びせられた。
コイツからはよく「死んでほしい」とは言われるが、「ぶっ殺す」は初体験だ。
冗談の返しにしてはあんまりな暴言に、背中が少し冷たくなる。なんでそこまで怒るんだろう……?
「はい、ふざけたこと言ってごめんなさい……。妖樹の目は強化したマチェットで両断できました……。これならいけると思います。はい……」
「ならいいです! まったく、最初からそう言ってください! 私はあなたの妹であって、恋人でも夫婦でもありませんからね!」
「その通りです。リアちゃんの言うことに間違いは一つもありません。リアちゃんがそうだと言えば、カラスも白いですし、猫もワンと鳴きます。ゴブリンは人間の良き隣人です」
「そして、私はあなたの妹です」
妖樹に対して確かな手応えがあった。俺たち兄妹も砕けた調子に戻ることができた。と思う。
よしよし、このまま一気に畳み掛けようじゃないか。
――そう思った瞬間だった。
ここから妖樹までは、二百メートルは離れている。それなのに一本の『根』が俺たちを射殺すために襲いかかってきた。
その根は、イカやタコのような頭足類の触手とも似ていたが、比べ物にならないほどの精密で高速。ロープのようにしなやかで、先端は槍のように鋭く尖っている。あんなもので急所を貫かれば、間違いなく死んでしまう。
警戒を怠らず、『眼』の強化を展開したままだったのが功を奏した。
「あっ……ぶない!」
鋭い根の先端が、俺たちを串刺しにするよりも先に、マチェットを振り抜いて切断する。
本体から切り離された根は、活きのよい魚のように飛び跳ねていたが、次第に大人しくなった。
視覚の強化だけではなく、マチェットの強化もなければ俺たちは死んでいただろう。
一つの判断ミスで命を落としかけていた事実に、心臓が鳴り響く。だけど今は状況把握に努めないといけない。
「これは、攻撃が多彩になった……のか?」
いや違う、そうではない。それは正確ではない。何故なら明確な攻撃行動と呼べるものは、これが初めてだからだ。
今までは巨体を使った移動と、呪いを撒き散らすだけの存在だった。言い換えれば、術的アルゴリズムに沿って俺たちを追い回し、一帯に呪いを撒き散らすだけの『装置』だったと言ってもいい。
そして今度は、移動に使っていた根を武器として使い、針に糸を通すように木々の隙間を掻い潜り、極上の殺意をもって俺たちを狙ってきた。
「じゃあ……呪いのテリトリーが広がって、ついには知性を得た?」
目を両断した時も怒気を露わにしたように見えた。もしかしたら、妖樹に意思や感情らしきものが芽生えたと考えるべきか?
「…………!!」
それから、一分もしないうちに次の根が飛んできた。今度は十分に警戒していたので切断するのは容易い。
「兄さん、流石ですー。やっるう!」
すぐ後で、コロリと機嫌を良くした妹がはしゃいでいるが、変に怯えられるよりかは何倍もマシだ。……まあ、リアナに褒められて悪い気もしない。
『ラコツメゾォツゴヌマ ワクァメヨトクユ』
遂に、根の主である妖樹が目視可能な位置まで現れた。しかし、それ以上は近づかずに中途半端な位置で移動を止めてしまう。
「……なんだ?」
今までは俺たちを押し潰そうと迫ってきたのに、どういうことなのか? おかげで呪いによる頭痛は軽減されたが、こんな距離では俺から攻撃ができない。
「もしかして、目を潰されたのを気にしている……?」
それが本当だとすると考える力、つまり『学習能力』を身につけたことになる。
この距離では、俺から攻撃ができないだけではない。相手は有効射程が二百メートルを超える『根』を武器として使える。つまり、アウトレンジからの一方的な攻撃が可能だ。
俺から攻撃する場合、妹を庇いながらすべての根に対処し、妖樹に接近しなければならない。まあ、そんなのはどうやっても不可能だろう。
……ああ、これはいよいよヤバいかもしれない。身体が十全に動くうちに、この森から逃走を図る時だろうか。そうなれば、いよいよリアナ立案の森林放火作戦の決行だ。
『イベォロジカグスイゥ テペョリゥメオデコメ パベペ、ヒカリニエ……!』
……ヒカリニエ?
「光と贄?」
ここに来て初めて知っている単語が出たので、つい言葉の意味を考えてしまった。
呪いによる産物は理解すること自体が間違いだと妹に言っておきながら、俺もこの有様だ。心身ともに疲弊が激しい。
かぶりを振り、頭の中をクリアにする。今はこの妖樹の倒す方法だけを考えなければ。
このまま妖樹の出方を待つべきか、それともまたリスクを無視して逃げて時間を稼ぐべきか。それともさっきのようにどうにかして攻撃を……って。
「あれ? ちょっと待てよ。まさかまさか!」
「……ところで兄さんが潰した『おめめ』ってどれですか? いま必死に探しているんですけど、なかなか見つからなくて。この位置からじゃ見えない裏側ですかね?」
今まさに気付いたことをリアナに言われてしまう。
彼女の言う通り、破壊したはずの目が何事もなかったように再生している。俺が血涙を流しながら放った一撃は、徒労に終わってしまった。
「いや……でもそうなると違和感があるな」
まだ確実じゃない。慎重になる必要がある。でもほんの少しだけ、攻略の糸口が見えてきた気がする。
「あっ、もしかして兄さん。妹に見栄を張りたいからって虚偽の報告をしましたね。クリューガー家の長男たるものが末妹に嘘を付くなんて恥ずかしいです。死んでください」
「……本当に死にそうな局面なので、今は冗談でもやめてください」
そして今度は、俺の疲弊を見抜いたように根による攻撃が『三本同時に』飛んできた。
妖樹は今、完全に動きを止めている。移動していない状態なら攻撃に使える根の数も増えるようだ。
……妖樹が見える範囲にいるのなら、対処しやすいと思っていたが、実に甘い考えだった。
「すう……」
現在の強化範囲は『武器』と『眼』――。このどちらかが崩れたら、完全に瓦解する。
肺に取り込んだ空気を吐き出すよりも速く、三度マチェットを振り、三本の根を切断した。……辛うじてだった。
今の三本の根が、時間差なく同じタイミングで来ていた場合、俺は間違いなく死んでいた。どうやっても、今みたいに斬り払うことができない。強化魔法が通ってない腕では、同時攻撃への対処はできない。
避けた場合も同様の死が待っている。妖樹の根は槍と違って追尾するので、避けた直後に串刺しにされる。
……それ以前に、俺の背後にはリアナがいる。避けるという選択肢は元から存在しない。
妖樹の学習が本当なら、次こそは同時攻撃が来る可能性が高い。そうなると完全に詰みになる。
「……えっと、兄さんに妹速報第二弾があります」
「手短に!」
絶望的な状況下なのにも関わらず、リアナが例の速報の第二弾を通達してきた。
前回の速報が名前に反して優良情報だったので、今回も無下にするわけにいかない。
「この触手くんなんですけど、兄さんではなく私を狙ってますね。さっきから私と目が滅茶苦茶合ってますし。……私、先方の気に障るようなことしましたっけ?」
「なんだって……?」
……俺ではなくて、リアナの方?
根による攻撃もそうだが、膨大な目の『視線の先』をちゃんと確認していなかった気がする。ただ漠然と『俺たちを捉えている』と思っていただけだ。
「本当だ……」
「でしょう?」
無数の目の視線を追ってみると、確かに背中越しのリアナを見ていた。じゃあ最初から俺ではなくて、妹を狙っていた? だとすると何故?
「それとなんですが、兄さんが『目の一つを一刀両断にしてやったぜドヤァ』と虚偽申告した時に気づいたんですけど」
「あれは再生したんだ……。お兄ちゃんは目の一つを間違いなく両断したんだよ……」
まだ『妹速報』は終わってなかったようで話が続く。でもお兄ちゃんの名誉を守るためにそこだけは異議申し立てをしておく。
「ふふ、そこまでして妹に見栄を張りたいなんて、かわいい。かわいい兄さん。……まあそんな世迷い言は放っておきまして」
「いやいやいや、かわいいて。世迷い言て」
妹の前では、かっこいいお兄ちゃんで居させてほしい。もう手遅れかもしれないけど。
「……あの盛り沢山な目。一つだけですが、目の色が妙に濃くありません? ほら、上の、一番上の方です。更に言うなら『もわーん』という感じも伝わってきます。もわーんです、もわーん」
リアナの言う上の方をざっと探してみたが、色の違いがなければ大小の差もない。結膜角膜ともにすべて同じ色をしている。
『もわーん』やら『ぞわぞわー』については、考えるのを放棄した。これはもうリアナだけの領分だ。
「どれ? というより何色? 俺には違いがわからないんだけど」
「黄疸みたいにあの目だけ黄色くなってるじゃないですか。わかりませんかね? ……実はこの木、肝臓が悪いんじゃないですか?」
「黄疸の人を見たことありませんけどね。フフフ」と言っているが、そんな情報はどうでもいい。人間の臓器みたいなわかりやすい急所がある相手なら、そもそもこんな苦戦はしないのだ。
「黄色の目……?」
「ほらほら、あれですって、あれ!」
あー、駄目だ。全然わからない。俺にはどれもこれも同じにしか見えない。
彼女は健気にも指を差して教えようとしているが、三十メートルという高さに加えて目の数も多く、何の意味のない行為だった。
「うぐぐ……」
ああ……また頭が痛くなってきた。
今はある程度の距離があるので、いきなり血涙を流すような事態にはならない。
しかし今は頭だけではなく、別の場所も蝕まれていた。さっきから指先が小刻みに震えるのが止まらない。俺の手足が正常に動かなくなるのも時間の問題だろう。
妖樹からしたら、俺が呪いで動けなくなるのを待つだけでいい。切断した根だって、そう遠くない未来に再生するだろう。
時間を掛ければ掛けるほど、こちらは勝手に消耗していき、相手は攻撃の手を増やしていく。……なんとも絶望的な状況だった。