逃亡生活 六日目 夜
オルティゼル王国 山岳地帯の村 カソ
村長代理の錬金術師兼魔法使い「ミーシャ・ノルドマン」の自宅にて
マジックランプの明かりに照らされた地下室へ戻ると、ミーシャさんがエプロン姿で迎えてくれた。
「久しぶりのお客様だからね。今日はとっておきのお肉を用意するわ」
そう言って、彼女は部屋の隅に置かれたクローゼット型の収納箱に近づき、上機嫌な様子で扉を開けた。箱の中には、肉、野菜、果物、飲み物、さらには酒類まで、多岐にわたる食材がぎっしりと詰まっていた。
何より驚かされたのは、箱からひんやりとした冷気が伝わってきたことだ。
「おー、これ凄いですね。一体どういう仕組みなんです?」
「ふふん、そうでしょう? 仕組み自体は至って単純。この上のスペースに氷を入れておくと、箱全体に冷気が伝わって食料の長期保存ができるの。私の氷は特別製で溶けにくいからね」
箱の中は上下二段に区画されており、上段に収納された魔法の氷が下段の食料を冷やす構造になっていた。冷気は性質上、上から下に伝わるため、最も効率的な構造だろう。
こんな装置は初めて見たが、単に俺が知らないだけで氷の魔法を使える魔法使いはみんな似たような手法を使っているのかもしれない。
改めて思うが、なんとも羨ましい魔法だ。色んな用途に転用できる汎用性もさることながら、ここまで生活に密着した魔法の使い方ができるなんて、考えてもみなかった。……俺もこんな魔法も使えるようになりたかったものだ。しみじみ。
「……ねえねえ、リアちゃん。このジュース試してみない? 私のおすすめなの」
ミーシャさんが取り出したガラス容器には、白濁した黄色い液体が満たされていた。その液体を綺麗に磨かれたグラスにたっぷりと注ぎ、手をかざすと魔力が収束していく。リアナもまた興味深そうに、彼女の動向を観察していた。
『――凍てつく氷塊よ。我が手中へと集え』
詠唱と共に、グラスから小気味いい音がカラカラと鳴る。詠唱内容からして、二層の氷魔法だろう。グラスの中には、ブロック状に形成された氷がいくつも入っていた。
「はえー、すっごい器用。よくそんな細やかに魔法が使えるものです」
「ふふーん。出力調整にはちょっとしたコツがいるのよ。大きいのをドカーンと出すよりも、礫のような小さい氷を複数出す方が難しいからね。私もこの感覚を掴むのに苦労したわ」
ちょっと得意になって、自分の魔法について説明してくれる。今までと違って、年相応の女性という感じだ。
彼女は俺の中で『妹に酷いことをした(臭い)氷の女』というイメージで固まりつつあったが、意外と可愛らしい一面もあるようだ。
……少し考えを改めてもいいかもしれない。出会った直後から悪い印象が続いていたので、ミーシャさんに対して苦手意識を持っていた。
「なるほど。勉強になります」
俺の身体強化は、そういった調整が難しい。訓練次第で可能かもしれないが、段階的な肉体強化を必要とする状況があまり思い浮かばない。基本的にいつも通りで問題ないはずだ。
「はいどうぞ、リアちゃん。そのままでも悪くないけど、冷えてた方が美味しいから氷も入れといたわ」
「……あ、ありがと」
ジュースを受け取ったリアナは、なんとも言えない表情をしている。そういえば、マジックランプを灯した時も似たような顔をしていたような。表情の変化が乏しくて、感情が読み取りづらいが、少しだけ口元が引きつっているようにも見える。
……しかしリアナに対して妙に優しくなったな、この人。暴行まがいの行為をしたお詫びなんだろうか。
「おいしい」
リアナはグラスを両手で持って、コクコクと喉を鳴らしながらジュースを飲む。喉が小さいので一度に飲める量は少ない。
ふふふ、我が妹ながら実に可愛らしい姿じゃないか。あまりの愛らしさに見ているだけで心がほっこりする。
「リアちゃん、そのジュースどんな味?」
「んーと。お兄ちゃんも飲んで」
決してそんなつもりはなかったが、リアナはジュースを差し出してくれた。優しい。
あまりに優しさに『誰だこの妹』と思ってしまった。それぐらい普段の彼女とはかけ離れている。
「……おー、林檎のジュースかー。確かに冷たくて美味しい」
さっき飲んだハーブティーも独特な風味で悪くなかったが、このジュースは甘味がガツンと効いたシンプルな美味さがあった。林檎の酸味と、これでもかと入れられた蜂蜜の甘味が疲れた体に浸透していく。魔法の氷によって冷やされたことで、味が薄まるどころか鮮明に引き締まっている。
今日一日だけでかなりの距離を歩いたが、水分補給は昼食の時と、さっきのハーブティーだけだ。どうやら、自分が思っていた以上に喉が渇いていたようだ。
こうして、林檎ジュースを飲んでいると、久しぶりに林檎酒のシードルも飲みたくなるな。炭酸が喉に弾ける刺激に、彼女の魔法の氷があれば、格別に美味しくなるだろう。でも疲れた体には、糖分が入ったジュースの方がいいかもしれない。
何にしても、この林檎ジュースはそれだけ美味い。最高だ。いくらでも飲めてしまう。
「飲み切ってしまった……」
気づけばグラスが空になっていた。中には氷しか残っていない。あー、やってしまった! 俺はどうしてこうなんだ……。
「ご、ごめんなさい。あまりの美味しさに飲み切ってしまいました……」
二人向かって、しどろもどろに謝罪を口にする。無表情なリアナはともかく、ミーシャさんからは冷たい視線を向けられてしまった。
「……君、割と最低なお兄ちゃんなのね。ねえ、リアちゃん。もう一杯いれようか?」
「うぅん。お腹たぷたぷだからいい」
ハーブティー二杯に林檎ジュースも少し飲んだのだ。彼女の小さい胃袋には十分すぎる量だ。道中でもこまめに水分補給をさせていたし。
「そう? 遠慮しなくてもいいのに。……じゃあ夕食の支度をするわ。二人とも少しだけ時間ちょうだいね」
あ、そうだ。夕食の前に確認したいことがあった。忘れないうちに訊いておこう。
「ところで、外のゴブリンの死体はあのままでいいんですか? 血の匂いは他の魔物や動物を呼びますよ?」
「うんうん、それは一般常識ね。でも今はまだいいわ」
うぐぐ。親切心から忠告したのに、あんまりな言葉が返ってきた。
……リアナに飲ませたかったジュースを飲み干したのは悪かったと思っています。どうか堪忍してください。
だけど、『今はまだいい』とはどういう意味だ? 額面通りの意味なら『また後でやる』と捉えることもできるけど。
うーん、几帳面そうに見えて、意外と面倒くさがりなのかもしれない。
◇
「というわけで、私特製のハーブステーキの完成! サロから私の町カソまでの長旅ご苦労さま。今夜は遠慮せずにガッツリいっちゃって」
彼女の言う長旅とは、俺が道を盛大に間違えた徒労のことだが、労ってくれるのなら大いに結構。ここは素直に受け止めよう。
そんな彼女が出してくれたのは、紛れもなくステーキだった。指の第二関節ほどの厚みがある牛肉は、バジル、オレガノ、タイムなどの各種ハーブとオイルで漬け込まれ、塩、香辛料、スライスしたニンニクと一緒に焼かれていた。
「……ごくり」
ハーブと香辛料、強烈なニンニクが混じった香ばしい肉の香りに、口の中に唾液が広がっていく。こんなの絶対に美味しいに決まっているじゃないか。
いくつかの材料は錬金素材の棚から使われていたが、やはりあれはスパイス棚ではないだろうか。とはいえ、この迫力のステーキの前では些細な問題だった。
「い、いただきます」
「はい、どーぞ。お召し上がれ」
肉厚のステーキにナイフを通す。事前に筋を切っており、想像以上に柔らかった。
しっかりと焦げ目が付いた表面とは対照的に、断面は赤味が残っており、溜息が漏れるほど美しい。そこにオリーブ油でコーティングされ、光沢感がより増していた。
……さて、ミーシャさんの言葉通り、遠慮せずにガッツリといただこうじゃないか!
「なんだこれ。美味い。美味すぎる……。肉も柔らかいし、香草とスパイスのおかげか臭みもまったくない。それにこのジューシーな肉の旨味は……俺の貧弱な語彙では語れそうもありません」
口の中にまだ肉は残っていたが、それでもこのステーキを出してくれた料理人に賛美の言葉を送らずにはいられなかった。
隣に座るリアナも、俺の言葉に強くうなずいている。小食で痩せっぽちな妹だが、意外と肉は好きなのだ。
「お気に召してもらえたようでなによりだわ。そう喜んでもらえると腕を振るったかいがあるわね」
「ええ、ちょーお気に召しましたとも。こんなに美味しい肉は久しぶりです!」
家には一流と呼んで差し支えのない料理人が何人も住み込みでいるが、こういう脂まみれの料理は滅多に出てこない。俺もリアナも十代の若者なので、こういうギトギトした料理は大好きだ。
単純な話だが、こんな美味しい料理を食べると、過酷な逃亡生活のなかであっても、多幸感を感じてしまう。……幸せってこんな何気ないところから見つかるんだな。世の中の大抵の悩みなんて、美味しいものを食べて腹が膨らめば解決するもしれない。
「ちなみになんだけど、この牛肉はリッキーのお母さんね」
「へえ、そうなんですか……え?」
考えなしにテキトーな返事をしてしまったが、彼女はとんでもないことを言っていた。口の中の肉を噴き出しそうになってしまう。ステーキの半分はもう胃袋の中だ。
「ミーシャさん、なんちゅうものを食わせてくれたんですか。……えっ、本当ですか? 冗談ですよね?」
「……冗談? フフフフ、私の冗談はこの百倍キツいわよ」
からかうような表情を含みつつ、ミーシャさんが不敵に笑う。「フフフフ」って。ちっとも笑い事じゃないぞ。
一体何なんだこの人は。印象を改めようと思ったが、最早どこを着地点にしていいか分からなくなってしまった。保留だ保留。
「……リア、大丈夫?」
リアナはリッキーを撫でる程度に可愛がっていたから、相応のショックを受けているはず。くそう、うちの妹が肉を食べられなくなったらどうするんだ。
「もぐもぐ」
妹の顔を覗いてみたが、今の話に何の関心も示さずにリッキーのお母さんをもぐもぐ食べていた。存外たくましい妹だった。
「今の話はマジなんですか」
彼女の言う百倍キツい冗談も気になるが、今は目の前の肉の真相を確認しなきゃいけない。
「大マジのマジよ。命とは巡り、循環するものなの。だからこそ、私たちの糧となる生命に対して深い感謝を捧げて、しっかりと味わいなさい」
「それっぽいことを大仰に言ってごまかさないでください。何なんですか、それ」
でも、その言葉はどこかで聞いたことがあるような気がする。ええと、どこでだっけな。喉まで出かかってるんだけど。
「サルマナザールの『フソウ誌』!」
リアナがそんな俺の引っ掛かりを的確に言い当ててくれた。確かにリアナの蔵書の一冊である『フソウ誌』にそんな一節があったな。
俺は、東洋のえちちな文化紹介の章を気に入って読んでいたから、他の章はほとんど忘れていた。
「あら? リアちゃんもあの本読んだの? そんなに可愛い顔して、意外と好き者なのね」
「読んだ! 十四回!」
大袈裟に聞こえるが、これは嘘ではない。リアナは気に入った本は暗唱できる程度には読み込む。引きこもりの少女が、それだけ暇人だったという証明でもあった。
「意外なところで同好の士が見つかったわ。あなたとは本についてお話がしたいところだけど……今は他に話さなきゃならないことがあったわね」
そう、そうなのだ。俺はダイニングにいる牛の正体について知りたい。ニッキーくんのお母さんの所在については、どうやら俺たちの腹の中のようだけど。
「じゃあ、牛のリッキーくんについて教えてくれるんですね!?」
「あの子はリッキー『くん』じゃないわ。リッキー『ちゃん』よ。雌牛だから」
新情報だったが、そんなのはどうでもいい。
「あの子はそうね。この村……カソの秘密兵器とでもいいましょうか」
「えええ!? ……秘密兵器ですって!? 俺も一人の男の子として何故か心が震えるワードです! ……そ、それでその詳細は?!」
まさか秘密兵器だったなんて! あの牛を何をどうすれば兵器に転用できるのか、俺の貧弱な脳味噌ではちっとも想像できない。だが、心が躍る秘密がリッキーちゃんに隠されていた。うおおお! 真相が今すぐ知りたい!
「……秘密よ。秘密兵器だから」
「…………え? えええっ!? ミーシャさん! それはないですよ!」
嘘だろー、おいおいおい。ここまで引っ張っておきながら、そんな無体な話はないだろう。
「……そうね。本当に知りたければ、この村の住人になってもらうしかないわね。もしそのつもりがあるなら、私もこの村の村長代理として熱烈に歓迎するわ!」
……あ、これ、冗談ではなく本気だ。軽い口調に反して、彼女の目が肉食獣のように爛々と輝いてる。まさに獲物を捕らえようとする獣の目だ。
村長代理として、過疎が進んだ村にフレッシュな人材を迎え入れようと必死なのだろう。彼女の日頃の苦労が偲ばれる。
「いや、流石にそれはちょっと……」
いくらなんでも牛に隠された秘密程度で、残りの人生をこの村に捧げるなんて真似はできない。
……いや、待てよ。こんな僻地の山村なら、姉さんの目も届かないんじゃないか? 村の代表者である彼女に村の人への口止めを頼めばいいわけだし。うぐぐ、ミーシャさんの思惑とは関係ないが、ちょっとだけ誘惑されている。
「じゃあ次は私からの質問させてもわうわね」
「えっずるい! 牛についてまだなにもわかってない!」
これだけじゃ肝心なことが一切不明だ。秘密兵器と聞かされて、余計に焦らされた気分にされる。
「雌牛であること、秘密兵器であることがわかったじゃない。それだけじゃ不満なのかしら?」
「ずるい! 大人はずるい! 横暴だ! おーぼー!」
彼女とは、おそらく二つか三つ程度しか離れていない。それでも俺は恥も外聞も捨てて、子供のようにだだをこねてみた。
「ふう……仕方がないわね。じゃあもう一つだけ教えてあげる。リッキーはまだ生まれてから半年程度の仔牛よ。これは最重要情報ね。おっと……危ない危ない。しゃべり過ぎるところだったわ。ここから先は入村特典なのに」
俺の羞恥心と兄としての尊厳を捨てただだこね作戦の結果、若い牛であることが判明した。すごくどうでもよかった。
「じー……」
童心に返った俺に向けられる妹の視線が痛い。うん、少し真面目になろう。
「もういいです。なんでも俺たちに質問してみてくださいよ。……ですが! ミーシャさんみたいに答えられるかどうかはこちらで判断しますからね!」
彼女の質問なんて容易に想像できる。どうせリアナの持つ『赤い目』のことだろうから、適当に誤魔化しまえばいい。
……そうだな。『寝不足で目が赤い』もしくは『重度の結膜炎』とでも言ってやろう。こんないい加減な人にはこの程度は十分だ。
あんまり適当なことを言うと、後でリアナに蹴られるかもしれないが、俺は妹についてどんな些細な情報でも教えてやるつもりはなかった。
「じゃあ、好きに訊かせてもらうわね」
「はいはい、どーぞ。お好きにしてください」
お腹も膨れて気が緩んだせいか、なんだか少し眠たくなってきた。早くリアナと二人になりたい。二人きりになれたら、意味もなくナデナデしてやろう。
「君たち……『銀炎』の関係者?」
「…………え?」
その一言で、俺の心臓は止まりかけた。