逃亡生活 八日目 朝
オルティゼル王国 山岳地帯の村 カソ
村長代理の錬金術師兼魔法使い「ミーシャ・ノルドマン」の自宅にて
昨日と同じ、俺のベッドに眠るリアナの頬を優しく撫でた。
「ん……」
小さく声を漏らしたが、思ったよりも深い眠りについている。それに、今日は寝る前にお風呂に入らせてもらったので、昨日よりもずっと寝付きが良かった。
この二日間、ずっと負傷者の治療に尽力してくれた。肉体的にも精神的にも疲労が溜まっていただろう。
「リアナ……。これから少しの間だけ出かけてくるよ。一緒にいられなくてごめんな」
妹は半日もしないうちに目を覚ます。その間に、俺はミーシャさんに頼まれた二つ目の依頼を済ませなければならない。ゴブリンの拠点に潜入し、ゴブリンシャーマンを殺害、その死体を村まで運ぶという荒唐無稽な依頼だ。
彼女が目を覚まし、俺がいないことに気づいたらどうなるだろう。兄としての自惚れもあるが、取り乱して泣いてしまうかもしれない。そんな妹の姿を想像するだけで、胸がどうしようもなく痛くなる。
ミーシャさんには、もしもの時のフォローをお願いしたが、あまり期待できそうもない。なるべく早く帰れるように急ぐべきだ。
「…………」
冬に大量出産したゴブリンの子供が餓死せずに生き残った理由。
あの時、ミーシャさんが顔を曇らせた理由がわかったかもしれない。これが想像通りだったら、最悪のシナリオだ。
◇
――追想する。
中央広場で、ミーシャさんに二つ目の依頼内容を確認していた時だ。
「どうしてゴブリンシャーマンがいるとわかったんですか? あれは群れに必ずいるものではないでしょう? もしかして、直接見たんです?」
ゴブリンシャーマンは、ゴブリンの中でも抜きん出た知恵者であり、厄介なことに魔法を使う。一種の変異体であり、生まれる確率はかなり低いとされている。
ゴブリンの王――ゴブリンキングの右腕として、祭事や執政にも関わっているらしいが、俺も詳しくは把握していない。ただ、他の有象無象のゴブリンとは一線を画する存在であることは確かだった。
「いいえ、直接見たわけではないわ。でも間違いなくいるはず。……そうね、君も教えてもらうばかりじゃなくて、少しは自分で考えてみたらどう?」
挑発的な物言いに少しだけむっとしたが、ここで何も答えないのは無教養を晒すようなものだ。
「ええと……群れの規模ぐらいしか思い浮かばないんですけど」
現状、何百匹ものゴブリンが襲撃してきたことから、大規模な群れだと想像できる。なので、群れにゴブリンシャーマンがいても不思議ではないが、それはあくまで統計に基づく傾向に過ぎず、根拠と呼ぶには少々強引だった。
「そうね。それも一因ではある。……これまでに五夜連続でゴブリンが襲撃してきたけど、総数はどれぐらいになると思う?」
「一夜あたりに百匹前後だとすると、ざっと計算して五百匹ぐらいじゃないですかね」
今日も昨日も百匹ぐらいだった。俺が村にいなかった三日間も、同じくらいだと聞いている。
「ええ、正解。もっと言うと『ぐらい』じゃなくてピッタリ五百匹。驚くことに一匹の狂いもなくよ」
「マジですか。というか、数えたんですか。それも結構驚きなんですけど」
毎夜正確に百匹ずつか。ゴブリンなんて、一桁以上の数字を理解できないと思っていた。それに、ミーシャさんが数えていたのも驚きだ。意外とマメというか、暇人というか。
彼女の仕事は迎撃だけではなく、死体の処理も含まれている。その際に数えていたのだろう。
「大マジのマジよ。でも、それだけの数がいるのなら、波状攻撃なんて回りくどいことをせず、一斉に村を襲えばいいと思わない?」
「……まあ、確かに。それは不思議ですね」
一匹一匹の実力は大したことないが、群れると途端に恐ろしくなる。だからゴブリンは個ではなく、群を想定して戦う相手だ。
彼女の言う通り、もし五百匹同時に攻められていたら、俺とミーシャさんはともかく、村そのものは確実に滅んでいただろう。
「つまり、これはゴブリンによる『間引き』じゃないかと思っているの」
「……間引きですか? 群れの総数を減らすってことですよね。なんでまたそんなことを」
わざわざ増やしたゴブリンを減らす理由? 間引きというからには、食料事情による口減らしと考えるのが妥当だが、やつらにそんな発想があるのだろうか。俺の浅学なゴブリン知識では、腹が減ったらそのまま餓死するか、仲間同士で共食いでも始めそうな印象がある。
「半年足らずでここまで増えたんですもの。食料には当然困っているでしょうね。それと兼ねて、弱くて臆病な個体を優先的に送っているみたい。……コイツみたいなのを、ね!」
「ギィ!?」
ミーシャさんが麻袋に入った臆病なゴブリンを蹴飛ばした。
突然の凶行に少し驚いたが、鬱憤晴らしか何かだろうか? ……死ななきゃどうでもいいけど。どうせゴブリンだし。
確かに、これまで戦ったゴブリンで強いと感じる個体はいなかった。手慰み程度でどうとでもなる相手ばかりだ。村の人々が負った怪我も、リアナが完璧に治せる範囲で済んでいる。端的に言えば、その程度の雑魚揃いだった。
「群れを数字として把握し、群れに不要な弱い個体を間引く。そんなことができるのは、頭の良いゴブリンシャーマンがいると考えるのが自然だと思わない?」
今までの話を聞く限りでは反論の余地がない。本当にゴブリンシャーマンがいると考えてもいいのか?
「……ゴブリンシャーマンではなく、ゴブリンキングが手引きした可能性は?」
「それこそないわね。冬に入る前なのに、ここまでポコポコ増やすような王よ? もはやただの馬鹿。その点だけはゴブリンシャーマンにいくらか同情するわ」
ごもっとも。いくらなんでも無計画に増やしすぎだ。
「というわけで、以上のことから、ゴブリンシャーマンが群れにいる根拠としては十分足りうるものだと、私の結論とさせていただくわ」
ミーシャさんが目を細め、ドヤ顔を披露する。それが少しだけ可愛く感じてしまうのは、男としての本能だろうか。
「……ミーシャさん」
「なに? まだ何か疑問点でもあるのかしら?」
疑問点なんてとんでもない。俺はただミーシャさんの知識と考察に感心しただけだ。そんな彼女には、今思いついたばかりの最大級の賛辞を送らせてもらおう。
「もしかして、あなたはゴブリン博士ですか?」
「はっ倒すわよ」