「ギャ、ギャギャギャ」
現在、俺はミーシャさんの作戦通りに解放されたゴブリンを追跡している。このまま見つからないように尾行し、やつらの根城まで案内してもらう予定だ。
ミーシャさんが派手に蹴飛ばしたおかげで、ゴブリンは再び気絶した。その後、村の外れで縄をほどくと、程なくしてゴブリンは目を覚まし、一目散に村とは別の方向に走っていった。その脇目も振らずに逃げる様子から、本当に臆病な個体だったのだろう。
追跡と潜入の際、俺の匂いでバレないように、風呂場で丹念に汗を拭き取った。そして仕上げとして、ゴブリンの腰巻きを全身にこすりつけた。最低最悪だ。
悪臭と言えば、薬品と牛の臭いを撒き散らすミーシャさんの専売特許だったのに、すっかり立場が逆転してしまった。こんな無茶な依頼をした彼女には、村に戻ったらまず俺の服を手ずから洗濯してもらおう。
そもそも、逃がしたゴブリンを追跡なんてしなくても、俺の魔法なら足跡を辿って住処を見つけることができる。確実性は低くなるだろうが、俺の魔法はそういう用途に特化しているのだ。
「…………」
ミーシャさんは、作戦の中核になる部分をあえて話さない傾向がある。伝えなくても支障がないという判断なのだろうが、実行する側としては気分の良いものではない。彼女は、過去に手の内を明かして手酷く裏切られた経験でもあるのだろうか。
結局、ゴブリンシャーマンの死体を何に使うのかは教えてくれなかった。このままでは、牛のリッキーがどんな秘密兵器なのかも、本当に秘密のままで終わってしまう。それだけは何としても避けたい事態だ。
ゴブリンが感知できる範囲外から尾行しているため、気付かれることはまずない。警戒する様子もなく、道を走り続けていた。……山の奥に続くような獣道ではなく、人が人のために作った山道を。
「やめてくれよ」
このままだと、最悪なシナリオが現実のものになる。そして、そんな最悪というものは得てして的中するものなのだと痛感した。
ゴブリンは、山村に入ろうとしていた。通常こんな朝の時間帯に魔物が侵入しようものなら、悲鳴の一つでも聞こえてくるだろう。しかし、村からは人の声も喧噪もなく、ゴブリンは我が物顔で入っていく。
「まあ、そうだよな……」
何百ものゴブリンが冬を乗り切れた理由――それは、村の一つが既にゴブリンの手によって滅ぼされていたから。
越冬のため、村の人々が用意した食料を奪い、自分たちの糧にした。そんな単純で残酷な理由だった。
占拠された時期が冬に入る前か後かは不明だが、最低でも半年近く経過しているのは間違いない。村に生き残りがいる可能性はゼロと考えていいだろう。ミーシャさんの予見は、見事最悪な形で的中していた。クソッタレだ。
ゴブリンが乗っ取った村は、ミーシャさんたちの村落よりもいくらか規模が大きい。家屋の数も三十戸以上はある。家屋とは別に、村の至るところにゴブリンが作った木の枝と枯れ草による巣が点在していた。こちらの数は、もはや数えるのも馬鹿らしい。元々あった家屋の数を超えており、目算で百以上はある。
『――――』
山の斜面から魔法で強化した視力を使って村全体を俯瞰する。何十ものゴブリンが村の中を闊歩しているが、奴らの弱視では俺を見つけられない。
村の様子は、悪夢とも呼べる有様だった。かつての人の営みは無残に蹂躙され、ゴブリンどもの巣窟になっている。
往来で腹を掻いて眠るやつ。畑の土を穿り返すやつ。棍棒で家の壁を叩き壊すやつ。何らかの骨をしゃぶるやつ。廃墟から引き出された家具の破片が散らばり、大事に使われていたであろう家財道具も野ざらしにされている。……他にも言葉にしたくない行為をしている個体もいる。
俺の視界に人間の死体が一つも見当たらなかったのが、唯一の救いだろうか。
「じゃあ、元々の村の住人はどこに……?」
そんな疑問が当然湧くが、逃げ延びた人がいないのは明白だった。少人数でも村から逃げ出し外部との接触があれば、いくらなんでも半年もの間ゴブリンの根城になっているなんてあり得ない。
雪が降って外界から断絶される季節であり、何より山中の村落という好条件だったからこそ、ゴブリンはこうして村を乗っ取れたのだ。
こんな好条件が重なるのが偶然とは考えにくい。本当にゴブリンシャーマンがこの村にいると見ていい。
「…………はあ」
胸が上下に隆起するような重い息を吐く。今は元の住人を憂うよりも、本来の目的を果たすことが先決だ。ミーシャさんの村と同じく、この村も囲う壁がないため、侵入経路には事欠かない。
問題は、どの建物にゴブリンシャーマンがいるかだ。ゴブリンが後から作った巣は除外していい。どう考えても、人間の住居の方が何百倍も上等だ。
その住居にしても三十戸近くあるので、一軒一軒確認するのは現実的ではない。ある程度目星を付けてから行動しないと非効率であり、何より見つかるリスクが高くなる。まずは二階のある家や集会所、教会といった大きな建物は候補に入れてもいい。人間だろうがゴブリンだろうが、富や権力を持つ者は、決まって大きい建物に住みたがるものだ。
……他の候補としては、村の外周にある家だろうか。ゴブリンシャーマンが本当に知恵者なら、人間に見つかった際の逃走経路を用意するはず。そうなると、村の入口の反対側にある斜面近くの家が怪しい。あの位置なら、人間が攻めてきた時、そのまま山の奥深くに隠れることが可能となる。
一番の問題は、ゴブリンシャーマンとゴブリンキングが同じ建物にいるケースだ。ゴブリンキングに関しては絶対に殺すなと、ミーシャさんから厳命を受けている。王という存在がいなくなれば、統率を失ったゴブリンが各地に散り散りとなり、他の村や町に被害が及ぶケースがあるらしい。
それならばと、一つ思いついたことがある。こうして敵の拠点が判明したなら、総出でこの村を焼き討ちにするのも手ではないだろうか。枯れ木と枯れ草でできた巣は、可燃物としてよく燃えるはず。
「今度は攻められるのではなく、こっちが攻める番なのでは……?」
ああ、駄目だ。それだと焼き討ちから逃げ延びるゴブリンが出てしまう。やつらは絶対に根絶やしにする必要がある。それに、万が一生存者がいる可能性もある。いくらなんでも馬鹿な考えだった。
◇
「……さて、目星のついた家から確認していくか」
第一候補は、俺の位置から最も遠い反対側の外周にある大きな家。村の真ん中を突っ切る必要はない。侵入を遮る壁がないのだから、外側からぐるっと回り込めばいい。
当然、人の手の入っていない斜面を移動しなければならないので、多少の時間がかかる。だが、『急がば回れ』なんて言葉もある。それに、ここなら身を隠す草木が豊富だ。
「……じゃあ、行動開始だ」
身を屈めながら斜面を進んでいく。夜間の冷え込みで地面が湿り、滑りやすく足を取られそうになるが、今のところは順調だ。
そのまま目的地まで行けると思った矢先、十メートル先に一匹のゴブリンを発見する。あのゴブリンを何とかしないと、目的の家に到達する前に見つかってしまう。
「ふむ」
これは、もしかしなくても見張りと考えていいかもしれない。その証拠に、ゴブリンの腰巻にはホルンのような角笛が吊り下げられている。あいつに見つかれば、あの角笛で仲間に知らせるのは想像に難くない。
『――――』
聴覚の強化を解除して脚に移す。現在の二点強化は『眼』と『脚』。
哨戒ゴブリンは見かけによらず勤勉なのか、鼻を鳴らして周囲をキョロキョロと警戒している。一見すると死角は存在しないように見えるが、頭上ばかりはどうにもならない。
目の前の木に登り、木々の合間を飛び移って、見張りの頭上まで移動する。少し前にリアナを背負って、全く同じことを思い出した。
腰に携えたシースからマチェットを抜き、そのままゴブリンの上に飛び降りた。
「頭上注意!」
「…………ガ!?」
愛用のマチェットは、村から出る前にオイルストーンで手入れをしたので、切れ味は抜群だ。ゴブリンの肩の付け根から心臓までパックリと両断され、確実に絶命している。
「ふぅ」
こんなところに哨戒がいた理由。それは、この近辺を警戒していると見ていい。こうなると、第一候補の家にゴブリンシャーマンがいると考えは正しいかもしれない。
ゴブリンキングはミーシャさんの予想が正しければ、ただの大馬鹿者だ。逃走経路など考えず、ただのデカい建物に住んでいる可能性が十分にある。
「なんだなんだ。意外とうまくやれそうじゃないか」
この手の仕事は久しぶりだったが、思った以上に事が順調に運んでいた。少し緊張がほぐれて気分が楽になる。しかし油断や慢心は禁物だ。自信と過信は兄弟関係であり、己を限界を誤るとといつか身を滅ぼす。
早速、村の中に潜入しよう。と言っても、目的の家はもう目と鼻の先にある。何百といるゴブリンの目をかいくぐって村の中を移動する必要はない。
当然、正面玄関から堂々と「こんにちは! 殺しに来ました!」というわけにはいかない。強化された脚を使って屋根に飛び乗り、二階からの侵入を試みる。
「…………」
引いても押しても、二階の窓はびくともしない。ゴブリンか元の住人かわからないが、内側からしっかりと鍵がかかっていた。
ガラス窓とは違って、中の様子は確認できない。聴覚を強化すると中から物音は聞こえたが、さすがにゴブリンシャーマンかどうかまではわからない。
ただこれぐらい簡素な鍵なら、窓の隙間にマチェットを差し込むだけで簡単に破壊できる。先端を差し込み、力を込めると、金属製の金具がひしゃげる音とともに窓が左右に開いた。
「……臭い」
思わず、声に出してしまうほどの臭いだった。