「……ここまで血で染まっちゃうと、洗濯したところで無駄ね」
ゴブリンの血を落とすために風呂に入った後、異臭を放つ布の塊となった俺の服をミーシャさんに見せた。ゴブリンシャーマン暗殺の経費として、彼女にどうにかしてもらおうと思ったからだ。
もちろん今は裸というわけではなく、亡くなったミーシャさんのお父さんのチュニックを借りて凌いでいる。体型が似ていたのかサイズはピッタリだったが、半袖なので春先には少し寒い。
「マジですか。その服、結構気に入ってたんですけど、お得意の錬金術でパパッとどうにかできませんか?」
「大マジのマジよ。時間経過でゴブリンの血液が凝固しているもの。これはどうやっても染みが残るわね。あと私の錬金術を生活の知恵袋みたいに言わないでちょうだい」
俺の服は厚手の布地で動きやすく頑丈だったため、長期の旅に愛用していた。リアナの黒くひらひらとしたドレスと比べれば、ごく普通の服だったので、俺の地味さが際立っていただろう。
「うーん、どうしたものかな。当然この村には服飾店なんてものはありませんよね?」
そもそも、この村にお金を使える店があるのかも疑問だった。村の人口規模からして、通貨制度が成り立たないんじゃないかと思う。
「……割と失礼なこと言うわね。店がないのはそうなんだけど。服に関しては自分たちで作るか、山を下りて麓の町まで買いに行くしかないわね」
「今日のゴブリン襲撃、この服装で戦うのはかなり抵抗あるんですけど」
決して動きにくいわけじゃないが、山間部の夜では体を冷やしてしまう。熊男のブラッドさんをはじめ、村の人々は半袖装備が多いが、山岳民の彼らと都会育ちの俺では根本的な耐寒性能が違う。
「はあ……しょうがないわね。お父さんが昔使っていた服で良ければあげるわ。大事に使ってくれるのが条件だけど」
「ミーシャさんのお父さんって、確かこの村の村長だった人でしたっけ?」
流行り病で亡くなった後に、ミーシャさんが村長代理として引き継いだとだけ聞いている。それ以外は謎の存在だ。
「ええ、私の父は軍を退役した後、冒険家として旅に出てた時期があったから、その時にいろいろとね」
「へえ、人に歴史ありって感じですね」
「……二階から持ってくるから、ちょっと待ってなさい」
そう言って、ミーシャさんは地下室を出ていく。
退役軍人の冒険者が、どんな経緯でこの村の村長をすることになったのか。お金や能力だけではなく、ある程度のツテがないと、ミーシャさんを王立大学に行かせるのも難しいだろうし、何かと謎の多い一家だ。
「……兄さん兄さん! 私としては、黒くてベルトがたくさんある服が素敵だと思うんですよ!」
「リアちゃん、ちょっと待って。そして落ち着いて。色はともかく、ベルトがたくさん、というがお兄ちゃんにはイメージできないんだけど……」
黙ってミーシャさんの蔵書を読み漁っていたリアナが興奮気味に話し出す。本に集中しているのかと思っていたら、しっかりと俺たちの話を聞いていたようだ。しかも、いつになく元気だ。
あれ? 今までミーシャさんがいたのに、リアナはいつも通りだった。というより、今日はまだ素直モードを見ていない気がする。
「え? わかりませんか!? 腰だけじゃなくて、肩や腕や脚にもベルトが巻いてあったら、格好いいじゃないですか!」
「……それ、何の意味があるの?」
「格好いいじゃないですか!!」
繰り返し強調された。そんなに大切なことなんだろうか。
どうにも俺にはリアナのイメージが朧気にしか伝わらないけど、そんなにカッコいいかな? ベルトがそんなにたくさんあったら、着る時にも脱ぐ時にも大変そうとしか思えない。……俺には妹の服のセンスがよくわからん。
リアナのドレスも魔法使いのデザイナーに馬鹿みたいな金を払って作ってもらったし、その手のごちゃごちゃした服が好きなんだろう。どちらにしても俺はミーシャさんが持ってくる服を着るしかないので、妹の言う服はそもそも選択肢にない。
そうこうしているうちに、ミーシャさんが服を持って戻ってきた。
「おまたせ。あるものから選んできたからコーデのセンスは私だけど、一度着てみてちょうだい」
ダークグレーのジャケットに紺色のズボン、白のインナー。生地もちゃんと厚く質も悪くない。これなら、魔物や野生の獣に噛まれても、すぐに破けたりはしないだろう。
「ありがとうございます。これで今夜は寒い思いをしなくて済みそうです」
一階に上がり、雌牛のリッキーの隣で着替える。肉親のリアナ一人の時ならいいが、ミーシャさんの前で上半身はまだしも下までは脱げない。先日から懸念されていた露出癖は、どうやら俺にないようで安心した。
「ふむ」
落ち着いた色合いで、夜に紛れた行動にも向いていそうだ。見た目よりも軽く、衣嚢が多いのも悪くない。これならわざわざ鞄から出さなくても、リノアの飴を忍ばせておける。それとフードが付いているのもいいじゃないか。多少の雨に打たれても、これなら問題がなさそうだ。
「あら、いいんじゃないかしら。君、筋肉質でスタイルがいいから、服に着せられている感じがしないわね」
「そうですか。どうもです。……それでリアちゃん、おニューなお兄ちゃんはどうよ?」
早速、地下室でお披露目会をしたら、ミーシャさんが忌憚なく褒めてくれたので、調子に乗ってリアナに見せびらかせてみる。
「あの、その……うん、まあ及第点です、かね」
「あれま、意外と手厳しい。希望通り上着は黒系統だったけど、ベルトが少なかったのは減点材料だったのかな」
「……う、上だけじゃなくて、ぜ、全身、満遍なく黒い方がいい、です。絶対にそっちのほうが、カッコいい、です」
ミーシャさんの前で、いつものへんてこな敬語で喋っている。口ごもった感じだけど、普段のリアナと言ってもいい。
……勘の良い彼女なら、違和感に気づくんじゃなかろうか。まあ、リアナの素が他人様の前で出たところで、何か後ろめたくなる話でもないけど。
「さて、そろそろいいかしらね」
服のお披露が一段落したところで、ミーシャさんは少し深刻そうな顔をする。おそらく本題に入るのだろう。
「……それでゴブリン撃滅大作戦の話になるけど、私の想定だと今夜が大詰めになるわ。言い換えると、決戦になるでしょうね」
俺たちがやっているゴブリン退治は、そんな大仰で恥ずかしい名前だったのか。ゴブリンの総数を考えると、撃滅と言っても間違いじゃないけど。
「俺たちとの約束が今夜までですからね。それと俺が今朝、ゴブリンの追跡先で見てきたものは説明しなくてもいいんですか?」
あの村については思い返したくもなかったが、ゴブリンの群れの規模は確認済みだ。ゴブリンシャーマンの暗殺と同時に、その程度の仕事は済ませてある。
「……ねぇ、兄さ、お兄ちゃん……それ何の話?」
「あ、やべ」
間抜けな俺はリアナの前で、墓穴を掘ってしまった。疲れた身体に鞭を打って、彼女が寝ている間に済ませてきたのに自白してしまうなんて。くそー、なんて大馬鹿なんだ。
「リアちゃんにはあんまり関係のない話かな! うんうん! 後で説明してあげるからね!」
「……わ、わかった。後ほどちゃんと、説明してもらいます」
さすがのリアナもミーシャさんの前では強く出れないらしい。ここ数日で急激に人見知りは解消されたが、場の空気を読む分別も多少は身につけたようだ。
「……大体の察しはついているわ。北東の村がゴブリンにやられてたのでしょう? あの村とは冬の間、連絡が取り合えなかったけど……」
ミーシャさんの顔には明確な後悔が浮かんでいた。助けられなかったことを悔やんでいる。
今年の冬は例年よりも積雪量が多かった。俺の国よりも北方に位置するこの国なら、より多く雪が積もったはずだ。特に山岳地帯のミーシャさんの村なら、雪が溶けるまでほとんど身動きが取れなかっただろう。
「あの村に残ったゴブリンは、大して戦力にならない雌を除けば、二百匹程度だと思います。それも――」
「ええ、五百体の無能なゴブリンを間引きして残った、精鋭の二百匹よね。そして、今夜はコイツらが一斉に襲ってくると思うわ」
くそう、俺の台詞を先に言われしまった。ミーシャさんは話の肝の部分はピンポイントで内緒にする癖に、かなりの見栄っ張りだな。ただ、残ったゴブリンが精鋭なのは共通認識だが、それ以上の読みを彼女はしていた。
「えっ、一斉にですか。今までみたいな波状攻撃ではなく?」
「……どこまで群れの数を間引くつもりだったかは知らないけど、ゴブリンキングにそんな指揮を取れるとは思えないわね」
「あーなるほど。今やゴブシャー(ゴブリンシャーマンの意)もいないですし、今や数字をきちんと把握できるゴブリンはいないわけか」
そもそも、ゴブリンキングが群れの管理をできていたのなら、ゴブリンシャーマンが間引きをする必要もなかったのだ。
「ゴブシャー……そのゴブシャーによる連日にも及ぶ波状攻撃のせいで、私の村は限界まで疲弊している。幸いリアちゃんの回復魔法のおかげで大きな怪我人は出てないけど」
ミーシャさんの言葉を聞いたリアナがダブルピースをしながら、口の端をぎこちなく上げてニマニマしている。その得意気になっている妹の姿が、誇らしいと思う反面、無性に腹立たしいのは何故なのか。
「負傷者はいないとしても、今夜の戦いのコンディションは最悪。そんな状況でゴブリンキングが率いる精鋭の二百匹よ。まさに決戦でしょうね」
「ここでゴブリンシャーマンも生きていたらと思うとゾッとしますね。その場合はどんな作戦で来たんでしょうか?」
「うーん……不要なゴブリンの間引きが終わったと仮定するなら、コブシャーが生きてたとしても、精鋭による総攻撃で村を乗っ取るつもりだったんじゃない? 多分だけどやることは一緒よ」
ゴブリンキングは、ゴブリンシャーマンと違って無能らしいが、それても群れを率いてこの村に突撃するぐらいのことはできるか。……でもそれって、相当ヤバい状況なんじゃ。どう考えても勝ち筋が見えてこない。
「それで今夜、俺はどうすればいいんですか? ご両親の形見の服もいただいたわけですし、やれることはやりますよ」
本当に危なくなったらリアナを連れて逃げるつもりでいるが、ここまで乗りかかった船だ。限界ギリギリまでは付き合うつもりでいる。
それにゴブリン程度なら何百いようと、リアナを背負った状態で逃げ切る自信はある。その場合は村中から薄情者の誹りを受けるだろうけど。
「そうね。でも……君にはもう十分働いてもらったわ。いつも通りに前線を維持してくれればそれでいい。それに私も今夜は出し惜しみをしない予定よ」
少々拍子抜けしたが、相手はゴブリンの精鋭二百体。俺も無茶をしない程度に戦うとしよう。それに、ミーシャさんも負けるつもりは毛頭なさそうだった。
常識的に考えるなら、日が昇っているうちに全員で村を捨ててもおかしくない状況だ。下手を打てば北東の村の二の舞になる。
そうしないのなら、勝つための算段はもう彼女の頭の中でできているという証拠でもあった。その方法まではわからないが、ゴブリンシャーマンの死体と秘密兵器のリッキーが関係していると考えていいはず。
「……それで気になったんですけど、ゴブリンシャーマンの死体はどうするんですか?」
「ゴブシャーはこれから腑分けにするわ。……リアちゃんには見せられたものじゃないから、二階で休んでてね」
腑分けというと、バラバラに解剖するってことか。確かにそれはリアナの前ではやってほしくない。今日に至るまで、何度も血を見ても平気な顔をしているから、耐性がないわけじゃなさそうだが、可愛い妹には健全に育ってもらいたい。
「その……本、いくつか持っていってもいい……?」
リアナの方から珍しくミーシャさんに話しかけている。妹はこの家にいる間、寝る時以外はこの部屋で本を読んでいた。今も『魔法神秘学概論』という小難しい学術書を読んでいる。これ以上の魔法が習得できない俺には、関係のない本だろう。
こうして本を読んでいる間は手がかからないけど、本ばかりじゃなくお兄ちゃんにも構ってほしい。
「ええ、どうぞ。あなたは大切に本を読んでくれるのはわかるもの。ふふ、それと私と一緒に住む気になってくれたら読み放題よ!」
「…………」
リアナは何も言わずにぷいっと顔を背けると、何冊かの本を持って地下室から出ていってしまった。
「うう……リアちゃん、何だか雰囲気が変わってない……?」
今のあんまりな反応には、ミーシャさんもショックを受けていた。一緒に住むなんて本気で言っているわけじゃないと思うが、なぜ彼女は妹をこんなに気に掛けているのだろう。リアナの赤い目に興味があるようだけど、どうもそれだけじゃない気がするんだよな。
「うちの妹がすみません。でもどちらかというとあっちが素に近い感じですかね」
「へえ、そうなんだ。やっぱり面白い子よね」
近いと言ってみたが、いつも俺に向けている態度ともまた違う。少なくとも、俺が相手だとあからさまな無視をすることは滅多にない。口はどうしようもなく悪いが、基本的に話好きなやつだ。
「あ、そうだわ。ゴブシャーをテーブルに乗せるから手伝ってくれない?」
「えっ!? この部屋でバラすんですか?! めっちゃ臭いですよ!?」
「そうよ? だってここは私のラボだもの。臭いについては腸や胆嚢を破かなきゃそこまでじゃないわよ」
美味しい昼ごはんをここで食べたばかりなのに、この部屋で解剖するのか。今後どこで食事を取ればいいんだろう。一階はリッキーのスメルで問題外だ。となると、残されたのは二階だけ。うーん、この家から安住の地がどんどん減っていくなあ。くそう、ゴブリンめ……!
ゴブリンシャーマンの死体を麻袋から引きずり出して、昼食を取ったばかりのテーブルの上に乗せる。
「…………う」
考えなしに乗せたせいか、体は仰向けなのに首だけがうつ伏せというとんでもない状態になっていた。
「ねぇ……どんな殺し方したの? 出血が少ないのは嬉しいけど、ちょっと引いたわ」
「いや……その……なんでしょうね」
あの時の俺は頭に血が上っていたし、あまり褒められた戦い方をしなかった。『首を絞め上げ、喉を握りつぶし、そのまま殴って首の骨をへし折りました』なんてどこの狂戦士だ。
こういう時、感情的に行動するのは良くないと思っているが、人間そう簡単に割り切れるものじゃない。
「まあいいわ。君はリアちゃんと一緒にいなさい。今日はまだ寝てないでしょ?」
「でもミーシャさんも全く寝てませんよね? 大丈夫なんですか?」
昨日は風呂の中で微睡んだと言っていたが、そんなのは睡眠のうちに入らない。ゴブリンが襲撃するようになってからの五日間、まともに寝た日が彼女に一日でもあったんだろうか。
「私は君と違って、頭脳労働しかしてないから平気よ」
「少なくともこれからやろうとしているゴブリンの解体作業は、どう考えても肉体労働だと思いますけど」
ゴブリンとの戦闘にしても、魔法を的確に使っていたが、それも肉体労働と言っても差し支えない。それに連日のゴブリンの死体の処理なんて、体力だけではなく精神的にも辛い作業なのは想像に難くなかった。
「いいからいいから。君は気にしないでちょうだい。……それにこのゴブシャーの腑分けによって、今夜、秘密兵器が完成するのよ!」
「なんだってー!? ……でもそれがどんな秘密兵器なのかは教えてくれないんですよね」
「うん、察しが良くて助かるわ。……だって、まだ村のみんなにも言ってないもの。それじゃあね、お休みなさい」
にべもなく会話を打ち切られてしまった。彼女はもう、ゴブリンシャーマンの死体に関心を向けている。
「…………」
リッキーの秘密は入村特典だったような。それなのに村の人にも教えていないのか。一体、彼女は何をしでかすつもりなのだろう?
大変気になるが、ミーシャさんの言うとおり俺の疲労も限界なのも確かだった。ここは変な気を起こさず、彼女の言う通りにしよう。
「わかりました。夜まで寝て英気を養いたいと思います。今夜は俺が一番ゴブリンを殺してみせますよ!」
「はいはい、君の活躍には期待しているわよ。もし起きないようだったら、後で起こしにいくわね」
俺は昨日もゴブリンの死体処理を手伝わなかった。ミーシャさんの手伝いをしないなんて、もはや今更の話だ。それに俺には、解剖学の知識なんてないから、この場にいても何の役にも立てないだろう。
そうぼんやりと考えながら、一階への階段を登っていく。
『……みんなをがっかりさせたくないもの。本当に成功するのかわからないし』
その時、ミーシャさんが呟いたのを聞き逃さなかった。普通の人なら、聞き取れない小さな声だ。
……だけど、おかしい。彼女は俺の聴力が魔法で、寝ている間も展開しているのを知っているはず。それなら今の呟きは何だったのか。彼女らしからぬ凡ミスか、それとも俺に聞いてほしかったのか。
……確認しようもないが、俺に聞かせたかったと考えるべきだろうか。いくら寝不足だったとしても、あの聡明な女性に限って、そんなミスをするとは思えなかった。
ミーシャさんは、どんな時でも気丈に振る舞っている。その影で、常に大きなプレッシャーと戦っているのも想像に難くない。もしかしたら、今の呟きは誰かに弱音を聞かせたかったのかもしれない。
今回のゴブリン襲来にしても、村から死者を出さないよう、睡眠も取らずに奔走していた。俺と年齢はそんな変わらないのに、村の代表者として途轍もない重責の立場にいる。
そう考えたら、一つだけ腑に落ちたことがあった。彼女が『村長』ではなく『村長代理』と名乗っているのは『自分にはまだその立場に相応しくない』と言いたかったのかもしれない。
村の責任者として、誰にも弱みを見せられない彼女は、誰も気付かないような小さな弱音として『村長代理』と名乗っている。そう考えたら、何だか納得できた。
俺から見れば、ミーシャさんのような優れた人物は国じゅうを探しても、そう簡単に見つかるものではない。彼女はそれだけ、人格能力ともに優れた人物だ。
しかし他人がどう思おうが、それが本人の気持ちとなると別になる。こればかりはどうしようもない。
「でも……」
今の憶測が真実だとしても、明日にはこの村を離れる俺やれることは何もなかった。彼女の抱えている問題は彼女自身のものだ。
あの呟きにしたって、俺に聞かせるつもりだったかもしれないが、何かを期待したものではない。自分の本音を少しでも聞いてくれる人がほしかっただけ。それは、壁に話すか案山子に話すかの違いでしかない。
それなら俺のやるべきことは、もう決まっていた。今夜のゴブリンとの決戦で最大限のポテンシャルを発揮する。それが今、ミーシャさんを支えられる唯一の方法だ。
よーし、そのためにさっさと寝よう。少しだけ高揚しているが、それでも疲労感のほうがずっと強い。ベッドに入れば、ものの数分で眠りにつける自信がある。
……うんうん、なんだか夢の世界が俺を呼んでいる気がする! 気が抜けたせいか頭が眠気でふわふわだ! 今日は少しだけエッチな夢が見たいな!
「じゃあ兄さん、今から話を聞かせてもらいますので、そこに正座してください」
俺を呼んでいたのは夢の世界なんかではなく、リアナという現実世界の妹だった。しかも正座まで要求された。自主的に正座をすることはあったが、こうして要求されたのは今回が初めてだ。
……これはもしかして、ガチで怒っているやつなんじゃ。でも身に覚えがないぞ。
「えーっと、お兄ちゃん、リアちゃんに何か悪いことしたっけ?」
「はい。今の発言、妹ポイントマイナス百億点。そ、れ、と、発言する前に正座。せーいーざー!」
妹ポイント……まだあったのか。何日か前の一度っきりだったから、そこだけのお遊びかと思っていた。
「……はい、ごめんなさい」
逆らわない方が良さそうだったので、言われた通りに床の上に正座をする。情けないお兄ちゃんだった。
片やリアナはベッドに座って脚を組み、膝の上に絡めた手を置いている。物凄く偉そうな態度だったが、意外と様になってかっこいい。
……床の上に正座している俺の位置からだと、脚の隙間から下着がチラチラ見えるのは俺だけの秘密だ。
「何をすっとぼけた顔をしているですか。あなた……『今朝どこに行ってたのか後で説明する』とさっき言ってましたよね」
「言ってた」
今の今まで忘れていた。本気で忘れていた。
「さて……兄さんは私の寝ている間に黙ってどこに行ってやがったのでしょうか? これからその第一審理が始まります」
第一審理って。いくつまで審理を続けるつもりなんだ。いまから始まりそうな長期戦に早速げんなりとしてきたぞ。
リアナの怒る気持ちも理解できるが、今だけは怒りを忘れて俺を眠らせてほしい。単純に眠いのもあるが、俺の体力回復は村全体のためであり、ひいてはリアナのためでもある。
「お兄ちゃん、メチャクチャ眠いんだけど。……後にできないかな?」
「は? 私は睡眠をバッチリ取ったので眠くありませんけど? 兄さんも私と一緒に寝てたら、睡眠不足にならなかったんじゃないですか?」
ゴブリンシャーマンの暗殺なんて物騒な依頼に、リアナを連れていけるはずがなった。仕方がなかったんだ。
「ごもっともです。返す言葉もありません」
でも妹に甘くて弱いお兄ちゃんには、そんな口答えはとてもじゃないができなかった。
ゴブリンとの最終決戦は、あと半日もしないうちに始まる。なのにどうして俺は正座をして妹に叱られているのか。
疲労と睡魔によって朦朧とした頭では、そんな考えても無意味な答えは見つかりそうもなかった。