いずれラスボスになる妹と、その兄のはなし   作:悠里@

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38.優しくない妹

それから少し歩いて、俺たちが初めてこの村に訪れた場所に着いた。少年が言っていた入口というのはここで間違いないだろう。

 

「…………」

 

村に滞在してからまだ数日しか経っていないが、リアナと二人でこの場所にいると、少しだけ懐かしい気持ちになる。

ここから目と鼻の先に住むブラッドさんに、俺たちはゴブリンと勘違いされたのだ。当時は気にもしなかったが、今考えるととんでもなく失礼な話だ。

こんな愛くるしい美少女をあの醜悪なゴブリンと間違えるなんて、ちゃんと目ん玉が機能しているのか問いただしたい。

 

「モォー」

 

そんな曰く付きの場所にミーシャさんの姿はなかったが、そこには少年が美味しいと太鼓判を押した仔牛のリッキーがいた。村の外に刺してあった杭に、一頭だけでぽつんと繋がれており、少しだけ寂しそうにしている。

 

「……なんだこれ?」

「なんでしょう。前衛的な落書きですね」

 

リッキーに近づいてみると、体に奇妙な模様が描かれていることがわかった。俺の全身に刻まれた術式にも似ているが、こちらは赤黒い塗料で描かれている。少し前に描かれたばかりなのか、まだ完全には乾いていない。

塗料の正体を確かめようと恐る恐る鼻を近づけると、普段嗅ぎ慣れた牛の匂いとは違う、妙な血生臭さを感じた。

 

「うーん、ますますわからん」

 

あまり気は進まないが、魔法で嗅覚を強化する。まず感じ取ったのはリッキーの体臭だったが、それとは別の臭いもある。……これは、俺たちがよく知ったもの。

塗料の主成分は、ゴブリンの血と臓物だ。ゴブリンの体臭も血も臓物も今日に至るまで、散々嗅いだからよくわかる。加えてもう一つ、この独特な臭い。これは地下のミーシャさんの研究室で馴染みの深い臭いだった。

 

「リッキーからゴブリンの血と臓器、それと何らかの薬品が混じった臭いがする。……まさかゴブリンシャーマンの死体をこの塗料に使ったのか?」

「ひえー! あの女は猟奇的です! 私には何故か優しい顔を見せていますが、やはり油断のならない相手でした!」

 

リアナが両頬を押さえて「怖いよー怖いよー」と喚いている。ちっとも怖がっているようには見えないが、今はどうでもいい。

ただ、俺の方もミーシャさんが何をしたいのか、まるっきり見えてこない。第一、こんな村の外れに繋いでおけば、いずれゴブリンに襲われてしまう。

このまま放置するのはあまりにも可哀相なので、リッキーをミーシャさんの家に連れて帰りたいところだが、この牛は彼女の所有物だ。

こうして村の外に繋いでおくのも、何か意味があってのことだろう。そうであれば、下手に手を出すべきではない。

 

「というか、意味不明過ぎます。もしや、乱心しているのでは?」

「今の体調を考えると、なくはないんだよなあ。……あの人、何徹してんだろ?」

 

……リアナの言うとおり、彼女が不眠不休の激務で心を乱していた場合は、リッキーをこの場から助け出そうか。

 

「まずは何にしても、ミーシャさんを探そうか。話を聞き出さないと」

 

あの聡明な女性が一時的な狂気に染まっている可能性は低いが、俺はもうこの牛に情が移ってしまっている。この村の家畜の一頭だとしても、こんなところに繋がれたリッキーを見るのは、心が痛む。

 

俺だけではなく、リアナもよく可愛がっていた。彼女もまたリッキーを心配しているかと思ったが、こちらには関心を示さず、村の外の方角を眺めていた。

 

「…………」

「リア、どうかした? 何か気になるものでもあったのか?」

 

ゴブリンの襲撃かと思ったが、五感強化を使えないリアナが俺より先に気付くとは思えない。

 

「……私たちは今、村の出口にいますよね?」

「うん、そうだね」

 

入り口であれば出口でもあるのは当然だが、それがどうしたというのだろう。

 

「ここで私から一つ提案なんですが」

「うん」

 

リアナにしては珍しく神妙な態度だ。もしかしたら、何か妙案でも浮かんだのかもしれない。

とはいえ、これまでの経験からすると、こいつの思い浮かぶ案なんて、どうせろくなものじゃないけど。

 

「私たち、このままこの村を立ち去ってしまってもいいのでは?」

「は?」

 

天使のような妹の口から、悪魔のような言葉が飛び出した。ろくでもないとは想定していたが、本当にろくでもない案だった。

 

「マジで言ってる?」

「マジで言ってますけど?」

 

まさか、そんな発想がリアナの口から出るとは思いもしなかった。義理や人情に無関心な部分があるのは薄々勘付いていたが、まさかここまで徹底しているとはいくら何でも驚いた。

ついこの間、「自分のせいで誰かが傷つくのは耐えられない」と言っていた彼女の優しさは、どこに行ってしまったのか。

 

「それは……本当に危なくなった時の緊急手段。お兄ちゃんもそこまでの不義理は働けないな」

「不義理……ですか?」

 

俺もまた、いざとなれば村を見捨てるつもりだ。その冷酷な判断をリアナに告げたくなかったが、仕方がない。

彼女が先に提案してきたのだとしても、兄である俺だけが綺麗なフリをしているわけにはいかない。

俺が優先するのは、いつだってリアナだ。ミーシャさんには悪いが、これだけは何が起きようとも覆りはしない。だから、妹と一緒にこの村と心中なんて、真っ平ごめんだった。

……でもそれは、本当に最終手段だ。ミーシャさんの言う報酬も気になるし、村のみんなも嫌いじゃない。だから限界ギリギリまでは、粘ってみようと思っている。

 

「そう、不義理。それに、そんなことをするとリアはこの村の人に嫌われちゃうぞ」

「……あ」

 

たったそれだけの言葉で、表情の乏しいリアナが目を丸くして驚いている。今の発言がそんなに意外だったのか?

 

「そ……そうでした。私ってば、なんて馬鹿なことを。えへへ、兄さんはいつだって私を助けてくれますね」

 

リアナを説得するための足がかりのつもりで言ったのに、その一言だけで妙にダメージを受けている。それどころか、労せず信頼を得てしまったようだ。

俺が言った言葉なんて、取るに足らない一般論だ。感銘を受ける要素なんてどこにもない。それでもリアナが考え直してくれたようだし、決して悪いことではないはず。

 

「それでは、あの女を見つけ出して尋問しましょうか。吐かせる手段は問いません。兄さんにお任せします」

「それは尋問ではなく、拷問だ」

 

今日の妹は極端から極端に振り切っているな。

 

「……ちょっと確認。リアナはミーシャさんのことが嫌いなのか?」

 

リアナのミーシャさんに対する評価は、これまで聞いた範囲だとあまり良くない気がする。出会ってすぐに腕を掴まれて怖がらせられた相手だから、その辺はしょうがない部分もあるけど。

ただ、その反省もあってか、今の彼女はリアナにとても良くしてくれている。少なくとも、村のためにあれこれと働いている俺よりも、ずっと贔屓目に見ているのは間違いない。

 

「いいえ、嫌いではありませんよ? ご飯もすっごく美味しいですし、本も読ませてくれました」

 

予想していたものとは違い、妹から返ってきたのは少し意外な答えだった。彼女を名前で呼ぶこともないので、てっきり嫌っているのかと思っていた。

 

「それにしてはミーシャさんに対して妙に辛辣じゃない? お兄ちゃん、聞いててちょっとヒヤヒヤしてるよ」

「ふふん。兄さんは知りませんか? 人に嫌われないようにするには、人を嫌わないようにするのが一番なんですよ? だから私は人を嫌いになったりはしません」

 

驚いた。質問の回答としては少しズレているが、リアナがちゃんとしたことを言っている。

 

「うん、その考え方は凄く立派だ。俺も見習いたいと思った」

「ふへへー。そうでしょうそうでしょう。兄さんは今後、私という妹を模範にして残りの人生を過ごしてください」

 

だけど、こいつの場合、今の言葉とこれまでの言動がどうにも一致しないんだよな。さっきの少年相手みたいに、挨拶されても無視するなんてざらにあるし。

他人の心の機微が、幽閉生活の影響で理解できないのはわかる。それでも、人見知りに関してはかなり良くなってきているので、今度は他の人を慮られるように言い聞かせた方がいいのか?

 

でも前に一度、似たような話をベリンダちゃんの件でしたと思ったんだけどな。ちゃんと伝わっていなかったのだろうか。

……あの時の俺は、リアナになんて言ったんだっけ。『人からやられて嫌なことを他人にもするな』という月並みな言葉を使った気がする。でも妖樹と戦いの最中だったので、細かいところの記憶が怪しい。もしかしたら、彼女に伝わったニュアンスが少し違ったかもしれない。

まあ、それは今考えても意味のないことだ。タスクの優先順位は厳格化しなければならない。

 

「このリッキーのいる場所を起点にして、ミーシャさんの足跡を追ってみようか。話を聞かせてもらわないと」

「はい、そうしましょうか。……なんでも人間の痛点は、指先よりも前腕や大腿に集中しているみたいですよ」

「……ミーシャさんとは普通にお話するだけだからね。お兄ちゃんに変な雑学を植え付けなくていいからね」

 

リアナはどうしても俺にミーシャさんを拷問させたいようだ。いくらなんでも冗談だと思うが、やっぱり嫌っているようにしか思えない。

妹の将来を憂いつつ、ミーシャさんの足跡を視力強化で確認する。……彼女は、村の外周に沿って歩いていた。特に急ぐ様子もなく、一定のペースで歩いている。

 

「じゃあ、リアちゃんはついてきて。そのうち、ミーシャさんに追いつけるはず」

「あいあい、兄さんのお気に召すままに」

 

しかし、ゴブリンとの決戦が近いのに何をしているんだか。

 

 

 

 

 

 

「……ん? これ、なんだろう。白い砂っぽいけど……」

「ほんとです。なんでしょうか?」

 

薄暗くてよくわからなかったが、ミーシャさんの足跡に白い砂粒が盛られていた。摘んでみたが、刺激もなく臭いもしない。味の確認は……さすがに躊躇われる。

 

「でも妙に馴染み深い感じもするな……」

 

この正体不明の砂状の物質は、行く先に点々と続いていた。どうやらミーシャさんは、歩きながらこの砂を盛っているようだ。一見すると、何か宗教めいた儀式のようにも見える。

 

「……これは塩ですね! しょっぱい!」

「あー、言われてみれば確かに……って、おい馬鹿! こんなもの口に入れるなよ!」

 

水筒を持っていたので、急いでリアナの口をゆすがせる。舐めただけで飲み込んではいないみたいだが、これがもし劇薬だったら命を落としていた可能性だってあった。

 

「リアナ、そういうことは本気でやめてくれよ……。お兄ちゃん、動悸が収まりそうもないぞ」

 

実は涙も出そうだったが、それは黙っておく。しかし、リアナは今の話を疑っているのか、俺の胸に手を置いた。

 

「ほんとだ! ドキドキが凄いですね! うへへー」

「はぁ……なんでそんなに嬉しそうなんだ……」

 

道に落ちていた謎の物質を手に取った俺も悪いが、リアナは世間知らずではあるが頭はいいので、そんな不用意な行動はしないと思っていた。

……でも、ちょっと前にも森の泉に腕を突っ込んでいたし、今後はちゃんと見張らないと駄目だな。十五歳ではあるが、マイナス十をした五歳児だと思った方がいいかもしれない。

 

気を取り直し、白い物質を指の上で強く押すと、硬くザラザラした感触が伝わってきた。この感触はリアナの言うとおり塩だ。

そうなると、ミーシャさんは村の外周に塩を盛っていたことになる。どういう意図かは不明だが、これが彼女の目的なのだろうか?

 

村の外に繋がれたリッキーと、村の外環に盛られた怪しい塩。謎は増える一方だった。

 

 

「ミーシャさん、いないなぁ」

「まったく、あの女、どこをほっつき歩いているんでしょう」

「辛辣!」

 

結局、村を一周したが、ミーシャさんには会えなかった。

予想通り、外縁の塩は最後まで途切れることなく、ぐるっと村を一周していた。距離は一キロ近くあるだろう。

膨大な塩の量だったが、彼女は錬金術師なので、それぐらい貯蔵していても不思議ではない。

 

「あ、塩がある」

「ほんとです。先に帰ってきたんですかね?」

 

起点と定めた村の入り口に戻ってみたら、そこにも塩が盛られていた。

さっき見た時は何もなかったので、リアナの言う通り、ミーシャさんは一足先にこの場所に戻ってきたようだ。

さて、どうやら彼女とは入れ違いになってしまったようだし、俺たちも一旦家に戻るべきだろう。

 

「牛さん牛さん」

「モォー」

 

リアナは無表情で、繋がれているリッキーを撫でていた。ゴブリンシャーマンの血が塗られた箇所は避けているので、そこは汚いものだと認識しているようだ。

こんな場所でいつまでも待ちぼうけになっているリッキーは、やはり可哀想だったが、かと言って逃がすわけにもいかない。

 

「じゃあ、ここにいても仕方がないし村に戻ろうか」

「徒労でしたねぇ。ねー牛さん」

「確かに徒労だったけど、それを口に出して指摘するのは、お兄ちゃんが無駄に傷つくだけだからやめようね」

 

ミーシャさんの光源魔法によって村は照らされているが、すっかり夜と呼んでも差し支えのない時間帯だ。

 

「もう、ゴブリンがいつ攻めてきてもおかしくないな……」

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