「……は? え? あなた、何を言ってるの……?」
ミーシャさんが眉根を寄せ、リアナの言葉を反芻していた。しかし、頭の中で何度確認しようとも言葉通りの意味でしかないだろう。
俺もベリンダちゃん親子の救援に行く際、宿に置いていく予定だった彼女に似たようなことを言われた時は困惑したものだ。
「本性はこういうやつなんです。何を言っても聞きませんよ」
他人の気持ちがわからない。他人の言葉の意味を想像しない。
初めて外の世界に触れた少女には、これから学ばなければならないことが山ほどある。だから俺は、保護者として、肉親として、兄として、それを一つずつ教えていかなければならない。
「本性ってなんですか。私はいつでもどんな時でも、可愛くて美人なあなただけの妹ですよ」
「……う」
『あなただけの妹』なんて、庇護欲をくすぐる言葉をすぐに使う。それだけでお兄ちゃんはキュンキュンしてしまう。
俺との三年間の生活で、兄への媚び方だけはしっかり身につけていた。それがまた厄介だった。
「……だってあなた、怪我人が出た時には、ちゃんとお兄ちゃんと離れて働いてくれたじゃない?」
「怪我人が出た時は、しょうがないので働きますよ。……でも今はまだ誰も怪我していないので、別にいいんじゃないですか?」
「しょうがないって……あなたねえ」
さすがに人の生死の関わる問題を「しょうがない」で済ますのは大問題だ。ミーシャさんもそれを触れないようにしている。
「こ……こういう妹なんです。本当に申し訳ありません」
「君もホントに苦労しているわね……」
ミーシャさんもリアナの厄介な性質に気づいたようで、俺に同情の視線を向けてくれた。
「まったくです。でも……そんなところも含めて可愛いんですよ」
「うん……君も大概ヘンだったわ」
苦労しているかもしれないが、嫌だと思ったことは一度もない。妹と過ごす時間はとても楽しい。
三年もの間、彼女の鳥籠で過ごした安寧と怠惰の日々は、これまでの人生で最も満ち足りたものだったと断言できる。
「はいはい、無駄口はやめてください。ゴブリンくんはもう目の前ですよ」
よりにもよってリアナの口から言われてしまった。俺もミーシャさんもそんなことは重々承知しているが、ここで反論するのは野暮だろう。
「りょーかい。リアナはミーシャさんのそばから絶対に離れないでね。じゃあ俺は突っ込むので、後方支援よろしくお願いします」
相手が物量で攻めてくるなら、少数精鋭の俺たちは前衛と後衛をしっかりと分けた方がいい。そういう意味では、俺とミーシャさんの戦闘スタイルはぴったり合致している。
二点強化は『眼』と『脚』。
近接戦闘における俺のスタンダードな戦い方だ。一対一でも、一対多数でも、機動力と動体視力の二つがあれば、大体の相手はなんとかなる。
もし相手が達人クラスともなれば、シームレスで強化の範囲を切り替えていく必要があるが、身体に掛かる負荷は大きい。
「ふっ――!」
腰のマチェットを抜き、先頭を走るゴブリンに斬りかかった。
前衛は俺一人――数が数だけに急所だけを狙う余裕はない。袈裟斬りの一撃はゴブリンの肩から入り、脇下を通って深く切り込んだ。
刃を振り抜くと同時に、別のゴブリンが飛び掛かってきた。左腕の裏拳で、その顎を打ち砕く。
『我は大気を御する者――漂う水気は氷となり、凍てつく刃となれ』
背後から聞こえてきたのは、ミーシャさんの魔法詠唱。詠唱深度は、おそらく三層だ。
撃ち出された氷の杭が、顎を砕かれ、だらしなく開かれたゴブリンの口の中に命中する。
飛来する氷の杭は一本だけではない。二本目、三本目の杭が、前線を走るゴブリン二匹の眼窩と眉間を貫いた。
ミーシャさんの氷魔法には派手さはないが、そのシンプルさ故に強力だ。魔物であっても脊椎動物である以上、急所に小さな穴を開けるだけで致命的になる。
「ギャハーッ!」
駆けながら棍棒を振りかぶってきたゴブリンに対し、肩から体当たりをして体勢を崩した。俺とゴブリンでは体格差が倍以上あるので、よろめかす程度なら簡単にできる。
俺の使うマチェットは武器ではない。武器ではない以上、一撃で殺しきれない場合もある。
だから、確実に殺せないと判断した時は、相手の攻撃体勢を崩すのが賢明だ。回復魔法を無尽蔵に使えるリアナがいても、怪我はできるだけ避けたい。
体勢を崩した直後、横薙ぎの一閃。今は確実に殺せるタイミングだけを狙う。
頸動脈を切断され、仰臥したゴブリンの首から噴水のように血が吹き出した。その噴血を浴びないように、ステップで間合いを取る。
「ふぅ……」
ミーシャさんの想定した通り、ゴブリンがそこそこ強い。これまでの雑魚ゴブリンよりも動きに無駄がなく、何よりも勇猛だ。囲まれないように立ち回らないと、大怪我を負うかもしれない。
「あれー? 五匹ゴブリンの死体があるのに、兄さんが殺したのは二匹ですよ。ニーサン、ガンバッテー」
「リアちゃんが襲われたら、その時点で人生終了だからね! あんまり目立たないように!」
こちらはリアナが襲われないことを第一に動いている。それを知ってか知らずか、気の抜けた声援を送る妹が腹立たしい。
彼女はミーシャさんのそばにいるので、前衛の俺をどうにかしない限り、狙われることはない。ただ、一応は注意しておく。
「なにをー! 私だってゴブリンくんの一匹や二匹、ワンパンでぶっ殺してやりますよ!」
この世の全ての魔物を舐め腐ったリアナの言葉に呼応するように、二匹のゴブリンが俺に襲い掛かってきた。左右からの同時挟撃――生意気にも連携攻撃だ。
しかし、どんなに優秀なゴブリンであっても、基本は棍棒を上から振り下ろすだけ。当然、棍棒である以上、突いても効果は薄い。そもそもゴブリンの体躯だと、体重を乗せた大振りでないと致命傷にはならない。
つまり、攻撃パターンが限られているため、予測がしやすい。二匹同時に襲ってきても、対処の方法はいくらでもある。
右から襲いかかるゴブリンの腕を、武器を振り下ろすよりも速く切断。腕を切り落とした左横薙ぎの勢いを殺さず、側頭部まで刃をめり込ませた。
左側のゴブリンは、俺の攻撃の隙を突いて飛び掛かってくるが、攻撃よりも先に棍棒を持った手首を掴んでやる。
そのままゴブリンを持ち上げると、俺の鼻先に臭い息が掛かった。こいつらのリーチは決して長くない。恐れずに腕を伸ばせば、簡単に届いてしまう。
「ギャ、ギャギギギャ!」
腕を掴まれたゴブリンは中空でもがいているが、もちろん解放してやるつもりはなかった。手首を掴んだまま大きく振り上げ、地面に向かって頭から叩きつける。
「ゲ、ガッ」
長年の村の営みで踏み固められた道だ。土壌は石のように固くなり、地面であろうとも十分な凶器になる。
頭から叩きつけられたゴブリンの息はまだあったが、頭蓋骨陥没による脳挫傷で、二度と目を覚まさないだろう。
◇
「ところでリアちゃん……お兄ちゃんの本当の名前ってなんて言うの?」
「アンリです。将来、大きい犬を飼った時に付けようと思っている名前の第一候補ですね! ワンちゃんかわいいです!」
「そ、そう。教えてくれてありがとう。でも、ペットにお兄ちゃんの名前を付けるのは、あまり良い趣味とは言えないんじゃない……?」
俺がゴブリンとの死闘を繰り広げている間、女子二人は和気藹々と雑談していた。しかも、どういうわけか俺の本名を教えている!
「アンリくん! 悪いけど少しの間だけ、一人でゴブリンお願い! 私のとっておきを見せてあげるわ!」
「わかりました! もう、なんだってやってやりますよ! ……それとリアちゃんはノータイムで人の名前を教えないで! この旅の趣旨わかってる!?」
ミーシャさんが、早速覚えたばかりの俺の名前を大声で叫んでいた。それと同時に、結構な無茶ぶりをされる。一体、何をするつもりなんだか。
「うげ」
間の悪いことに、ゴブリンの第二陣がやってきた。元々いた第一陣の残りと合わせると、これで計二十匹になる。
精鋭だろうが何だろうが、ゴブリン相手ではいくら集まろうと負ける気はしない。だが、今度はリアナだけでなく、ミーシャさんも守らなければならない。
今後は背後にリアナたちがいることも念頭に置き、囲まれないよう立ち回る必要があった。……うわあ、これは骨が折れるぞ。
「……なんだ?」
ゴブリンの二陣と一陣が合流したが、どういうわけか攻撃してこない。数では圧倒的に有利なのに、俺の動向を気にしながら、ジリジリと戦線を押し上げるだけに留めている。
戦術としては有効な手の一つだが、向こう見ずなゴブリンにしてはやけに消極的とも言える。
想定外の膠着状態となったが、俺にはマチェットの血を拭き取る暇もない。今いる二十匹のゴブリン全ての動向を視界に納めてなければならないからだ。
ゴブリンはさらに数を増やしていくだろう。考えてみたら、まだ全体の十分の一も殺せていない。
『よーやく来やがったか! 糞ゴミどもめ! そんなに死にたきゃそこに一列に並びやがれ! 順番にぶっ殺してやるッ!!』
『オラ死ね! オラ死ね! オラオラオラ! 死ね死ね死ねェェェェ!!』
ここから離れた中央広場からも、争う声が聞こえてきた。ついに別の場所からもゴブリンが侵入し、村の男たちとの戦いが始まってしまった。
……どうやら、無能とされたゴブリンキングも、脳みその使い方を多少は知っていたらしい。
「…………」
中央広場の教会には全村民が集まっている。そこに集結している男たちがやられてしまえば、この場で足止めをくらっている俺たちは挟み撃ちになってしまう。
……ブラッドさんを筆頭とした屈強な村人たちも、そう簡単にはやられないだろう。それでもリアナがここにいてくれたのは正解だった。どちらも危険ならば、俺の手の届く範囲にいてくれた方が万倍もマシだ。
「……あ、なるほどね。時間稼ぎか」
俺の前方にいるゴブリンが牽制ばかりで、戦闘に消極的な理由はこれか。ようやく合点がいった。
この村の最大戦力である俺たちを倒さなくても、中央広場を制すれば後はもう自動的にゴブリンたちの勝利が確定するじゃないか!
「わははははは――!」
何だか無性に笑えてきた。
相手の牽制をぶち壊すように、こちらから間合いを一気に詰め、一匹だけ孤立していたゴブリンの頭を蹴り飛ばしてやる。
「ゲギャ!」
やつらの身長は俺の腹ぐらいの位置なので、顔面を蹴るにはちょうどいい高さだった。
魔力で強化された足による跳び蹴りだ。ゴブリンの頚椎は、いい感じにへし折れているだろう。
「わ、兄さんの気が触れた」
む、リアナからとても失礼なことを言われた。でも確かに、笑いながらゴブリンを蹴り殺す姿は、そう思われても否定できない。
俺たちは今、圧倒的劣勢だ。窮地に陥っていると言っても良い。そんな簡単な事実にこの瞬間まで気付けなかった己の間抜けさに笑っていただけだ。
簡易的なものでも村にバリケードを作るよう、ミーシャさんに提言しておくべきだったか。
村全体とまではいかなくても敵の指向性をある程度は誘導できた。ゴブリンのようなシンプルな思考の相手には、尚更有効だったはず。
でも疑問もあった。あの才女が、そんな単純なことに気づかないものなのかと。
『――――』
彼女は、あれから一言も喋らずに瞑目していた。
しかし、かつてないほどの魔力の高まりを感じる。魔力が肌にビリビリと伝わり、比喩ではなく大気が震えていた。本当に凄い才能の持ち主だ。
今はまだ、ミーシャさんが何をするのか不明だが、この窮地を切り抜ける奥の手があると信じて戦うしかなかった。