「……もう一度確認するけど、本当にいいのかい?」
「ええ、もちろんです。ベリンダちゃんには妹も良くしてもらいましたし。それに先程も言いましたけど、こういう事態に慣れているんですよ。訓練も一通り受けています」
女将さんは俺の最終意思を確認した後、ローストチキンとよく焼いたリーキのサンドウィッチ、それと水筒を持たせてくれた。
ローストチキンは脂がのっており、とても美味しそうだ。
起きてから何も食べておらず、お腹はペコちゃんだったので、道すがらリアナと頂戴しよう。
女将さんは俺たちみたいな余所者に任せるのが、心苦しいのだろう。
こんな正体不明の兄妹からの申し出なんてもっと疑って当然なのに、訝しむよりも先に申し訳無さが顔に出ている。
「ありがとうございます。妹も喜びます」
「…………」
コミュ障で人見知りの妹は、いつものように俺の背中に隠れていた。
コイツは俺よりもずっと体が小さいので、女将さんからは姿が見えなくなっている。
その分、俺を背中側から見れば、とても珍妙な光景になっているだろう。
そんなやり取りを済ませた後、女将さんと話していた男――レナルドさんがカウンター席から立ち上がった。
「じゃあいくぞ」
レナルドさんが途中までの道案内を買ってくれたのだ。
彼は、ベリンダちゃん親子の唯一の目撃者であり、案内人としては最適解だろう。
そうして、俺たち兄妹とレナルドさんの三人で宿から出た。約半日ぶりの外出になる。
泊まっていた金鹿亭はサロの南東部に位置し、国と国を結ぶ玄関口に建てられた宿だった。
そんな国境に続く主要路から外れた、舗装もそこそこな細い小道を歩くと川にぶつかる。
川幅は広めだったが、流れは緩やかで水深も大して深くない。足場に気を付ければ、靴も濡らさずに渡れるだろう。
なるほど。これなら川釣りをするに丁度良さそうな場所だ。
女将さんたちの話にあった通り、その川の対岸には深い森が広がっていた。
川沿いを遡上するように数分歩くと、レナルドさんの足がピタリと止まる。どうやらここが目的地の模様。
「……この対岸から二人の姿が森に入っていく姿を見た。ほら丁度、あの大きな木のあたりだ」
向こう岸には数十メートルはあろうかというブナやトウヒなどの大木が密生しており、想像よりも森は薄暗い。
既に四時過ぎようとしている。日没が間近に差し迫っており、行方不明者の捜索にしては遅い時間帯になってしまった。
本来なら捜索は明日にするべきだろうが、状況から察するにベリンダちゃんたちにそんな時間的余裕はない。
今から日が沈みきる前……使える時間は一時間、いや、多く見積もって二時間が限度か。これ以上は、悠長にしている場合ではない。
「では、ここからは俺たち二人でいきます」
「……こんなことを余所者に頼むなんてどうかしていると思うが、どうかノーマンさんとベリンダを助けてやってくれ」
「はい、任されました。最善を尽くします。ここまでの丁寧な道案内、ありがとうございました」
「馬鹿。かしこまり過ぎだ」
照れ隠しをするように、レナルドさんが頬を掻く。
これまで余所者の俺たちにはぶっきら棒な態度を取っていたが、意外と話せるタイプなのかもしれない。
川の対岸に渡る前に妹の手を握ってやると「……ん」と返事をして握り返してくれた。こういうところは昔から可愛らしい。
リアナは宿からの道中も、すれ違う人と目を合わせないよう伏し目がちに俺の後ろをついてきた。
何かに怯えるようにして、ちょっとした雑談にも加わろうとしない妹の姿は、レナルドさんからすれば奇妙に映ったかもしれない。
「……ええと、なんだ。その子も連れて行くのか? 俺が女将さんのところまで連れてってやってもいいぞ」
「いえ。俺も置いていこうとしたんですけど、どうしても自分も一緒に行くとむずがってしまいまして」
「ほとほと困ったものですよ」と続けると、怒った妹に足を踏まれた。痛い。
そんなリアナを、彼は微笑ましいものを見る目をこちらに向ける。
好意的な視線であっても、妹は逃げるように俺の背中に隠れてしまった。
「……恥ずかしい妹ですみません。普段はどうでもいいことでもべらべら喋る奴なんですけどね」
「ははは。面白い子だな。……お嬢ちゃんはそんなにお兄ちゃんのことが好きなのかい?」
これまで聞いたことのない優しい声で、レナルドさんがリアナに尋ねる。
「…………」
リアナは俺の背中から顔だけひょこっと出すと、コクコクと二度頷いてみせた。
……おおおお、これは珍しい。というか、リアナが他人に反応を示すなんてこれが初めてじゃないか?
レナルドさんも反応が返ってくるとは予想してなかったか、驚きつつも笑ってくれた。それと同時に何か決心した表情を浮かべる。
「……俺も行く。こんな子供も行くって言ってるんだ。余所者に任せて男の俺が怖気づいてたら、一生の笑いものになっちまう」
思ってもない申し出だった。うぐ……だけどそれはマズい。
「……その申し出はとてもありがたいんですけど、ここは俺たち二人に任せてはくれませんか?」
「いや、これは元々俺たちの町の問題だ。ガキの時には何度もこの森に入って遊んでたんだ。森の中でも多少の案内はできる」
あー、もう行く気満々で張り切ってしまった。これはいよいよ困ったぞ。よーし、ここは妹をダシに使おう。
「ですが他の人がいると、うちの妹がコミュ障をこじらせて意思疎通ができな、ぐ――っ!?」
さっき踏まれた足を二度三度と踏まれた。痛い痛い。
同じ箇所を連続で攻撃するのは効果的だからやめなさい。お兄ちゃんが歩けなくなったらどうするんだ。
「ほ、ほら、リアちゃん。飴、飴ちゃんだよ!」
こういう事態に備えていた秘蔵の飴を妹の口に放り込む。これは、昨夜ベリンダちゃんにあげたものと同じものだ。
「むふー……」
リアナは飴を口の中で転がすと、俺への不当な暴力を止めてくれた。
ふう……飴を舐めている間だけは、大人しくしてくれるから非常に助かる(たまに飴をガリガリ噛み砕くので、その限りではない)。
そして、妹は今年で十五歳になる。国によっては徴兵される年齢だ。
「……で、でしたらレナルドさんには、森の入口で待機してくれると助かります。その方が万が一の緊急時の町への伝達がやりやすいですし」
踏まれた足は痛かったが、今はレナルドさんが問題だ。
町との伝達は、彼にしかできない役目であるのは間違いない。
流れ者の外国人である俺たちでは、町の人が話を聞いてくれるかも怪しいので、これは適材適所と言える。
……という事情にして、どうにか納得してくれたらいいんだけど。
「うーん」
「どうでしょうか……? こんなこと、レナルドさんにしかお願いできないんですけど……」
彼を捜索に連れていけない本当の理由は、妹が愉快な人見知りだからではない。
レナルドさんの前で『魔法』を使っていいのかわからないからだ。
今の時代、魔法は多くの国家で特異な技術体系として認められており、高度な魔法使いは人々から尊敬を集めている。
その反面、一部の国や地域では、根強い偏見と忌避感を持たれているのも事実だった。
旅先でニコニコと歓待してくれた老人が魔法使いだと知った途端、背後から刺してきたというのはこの界隈では語り草だ。
何年か前にも、魔法を嫌うコミュニティによって、魔女狩りならぬ魔法使い狩りが行われたと消息筋から聞いている。
それらはあくまで極端な例だが、魔法というものは後天的に身につけられるものではなく、生まれついての才能だ。
魔法の使えない人たちからは、理解できないものとして、疎まれる土壌がある。
それは、今も昔も変わらない。
そして、そんな特殊な優位性もあってか、魔法使いは傲慢で自己愛が強く、選民思想を隠そうとしない人物もいる。
……有り体に言ってしまえば、性格の悪い魔法使いが多いのだ。
つまりは双方に確固たる原因があって、それが互いの差別意識を根深いものとしていた。
そして俺が身につけている魔法は、こと人探しに於いては大いに役立つものだ。
ベリンダちゃん親子の捜索に使わない手はない。
ここでレナルドさんに魔法の是非を確認するのも一つの手かもしれないが、万一にも話がこじれてしまった場合を考えるとリスクが大きすぎる。
今はとにかく時間が惜しい。
もし魔法を見たレナルドさんに凶行でも走られでもしたら、俺はどうしていいのかわからない。少なくとも妹は泣き出す。
「……わかった。俺はここにいるから、何かあったらすぐに呼んでくれ」
「ありがとございます。その時は是非とも頼らせてください」
心のなかでほっと胸を撫で下ろす。
少し鼻白んではいたが、一応は納得してくれたようだ。
これ以上、貴重な時間を浪費するわけにはいかない。すぐに捜索を開始しよう。
「では、行ってきます!」
リアナには、俺のすぐ後ろを歩くようにキツく言い聞かせてある。
森のようなあまり人の手が入っていない道を移動するには、絶対にそのポジションを堅持しなければならない。
先頭に俺がいれば事前に足場を確認できるし、何かあった時は盾にもなれる。
まあ……リアナと歩く時は、わざわざ言いつけなくても大体こんな感じに後ろをついてくるのだが。
そうして、俺たち兄妹はレナルドさんが見送るなか、鬱蒼とした深い森の中へ踏み込んでいった。
◇
ベリンダちゃんとその父親の足跡を発見するため、目に魔力を集中させる。
『――――』
俺の使う視力の強化は、いわゆる遠見だけではない。
集中力が極限まで向上し、些細な変化や違和感にも気付きやすくなる。
今回みたいな捜索だけではなく、追跡にも使える利便性があった。
俺の魔法は詠唱不要であり、発動もシームレスに行われるため、即効性と隠密性に優れている。
「……あった」
ほどなくして子供と男性、二人組の足跡を見つけた。
形状と歩幅からして、探していた二人に間違いはない。数時間前の新しい足跡なので、状態も良くすぐに発見できた。
……歩調と土の状態からして、誰かに追われている様子は見受けられない。
レナルドさんの言っていた通り、自主的にこの森に入ったのだろう。
また、歩き慣れているのか、歩幅もよどみなく森の奥のほうへと続いている。後はこれを辿っていけばいい。
荷物から山刀――マチェットを取り出して、シース(鞘)を後腰に帯びる。
剣より短く、ナイフより長いマチェットは、重量も軽く携帯性に優れており、こんな木々の生い茂った森の中ではとても重宝する。
武器として使うのはいまいちだが、剣よりも軽く長時間振り回しても疲れない。
すぐ後ろを歩く妹のために、歩行の障害になる草や枝を鋭い片刃で切り落とし道を作っていく。
「……ににににに、兄さん! ああああなたは! いいいつから、そんなおっかない刃物を持ち歩くようになったんですか……!?」
今まで黙っていたリアナが、俺のマチェットを見て声を震わして驚いていた。
「結構前からだなあ。それこそお前の世話をするようになる前からだよ」
「で、でもでも、そそそんなの私、初めて見ますよ……!」
無表情ながらも若干顔ひきつっており、多少なりとも引いているようだった。
ふむ……妹のこういう反応は珍しい。
これまでリアナの前で刃物を使う機会はなかったので、気持ちもわからなくもないけど。
「初めてもなにも……必要もないのに妹の部屋に刃物なんかを持ち込んだらヤバいだろ?」
「そ、それはそうですね。十年ぶりの妹に刃物を見せびらかしてたら、それはもう頭のおかしい人です」
「……これは、姉さんが留学から帰国した頃に渡されたんだ。入手経路については知らない」
一人の肉親として、姉が合法的な手段で入手したと信じたいが、正直なところかなり怪しい。
渡された時の刃の使い込み具合からして、どこかで戦利品として強奪した可能性が高い。
「……お姉様は、名品珍品のコレクターですからね。ほとんど集めるだけで使いもしてないみたいですけど」
「……ほら、姉さんは道具に頼らなくてもなんでもできちゃう人だから。それに収集家というのは、集めたコレクションを愛でるだけで直接使ったりはしないらしいぞ」
「はえー。そういうものなんですか。それ、なんだか勿体ない気がしますね。……ちなみに私は取り寄せた本はすぐに読みますし、新しい茶葉もすぐに試しますけどね!」
むふーと得意満面のドヤ顔で自分語りをする妹。
「引きこもりで他にすることもないからな」と俺なりに補足説明を入れてやったら、背中に頭突きをされた。危ないからやめなさい。
女将さんの情報だと、ベリンダちゃん親子は今朝釣りに出かける時には、この森に入る予定なんてなかったらしい。
それなら、何の目的で急にこんな森に入ったのか。
春先ということもあって、山菜や茸といった森の恵みの採取など思いつく理由はいくつかある。
だが、今は推理するには材料が足りず、想像の域を出ない。
しばらく歩いたが、リアナは意外にも息を切らさずに後ろをついてきていた。
ここは舗装された道と違って、地中に埋まった石、木の根など、躓きやすいものが無数にあったが、言いつけを守ってちゃんと俺の足跡の上を歩いている。
コイツは年季の入った引きこもりなのだが、俺が思ってるよりもずっと体力があるのかもしれない。
リアナのことはそれなりに知っているつもりだったが、まだ数日程度のこの生活でもいくつもの発見があった。
やはり幽閉された日常を過ごすだけでは、行動がルーチン化されてしまうのだろう。
今みたいな新しい生活になれば、違った一面、違った姿を見せてくれる。
「…………そうだな」
今の俺たちの状況は間違いなくマイナスに振り切っている。それは確かだ。
それでも、測る物差しを変えてみれば、プラスにも見える面もあるかもしれない。
少々短絡的であり、楽観的な考えかもしれないが、リアナの新しい顔を見られたのは嬉しい誤算だった。
そしてもし、この旅で妹の成長を見られたのなら、兄として一番の喜びだ。
いや……それは違うな。リアナは、もうすでに成長を見せてくれている。
逃亡を決めたあの日。最期の日まで安全は約束されていたが、時間の止まっていた牢獄から彼女は自らの意思と力を証明して、一歩目を踏み出した。
これを成長と言わず、なんと言おうか――。
……あ、やばいやばい。
人命の懸かった捜索中だと言うのに笑みがこぼれてしまいそうだ。口元が自然に緩んでいくのがわかる。
「兄さん兄さん」
「どうしたんだい。愛しのリトルシスターよ」
「薄ら笑いを浮かべながら刃物を振り回さないでください。妹は兄にドン引きです」
「……そうだね」
自業自得の結果だが、妹に引かれてしまった。くそう。
それにしても広大な森だった。
もはや森というより、樹海に片足を突っ込んでいる。
木々も見上げるほどに高く、常緑樹の葉が日光を地面に届くより先に遮っており、辺りは既に薄暗い。
これで太陽が完全に沈んでしまえば、月明かりすらも通さないだろう。
知識もなしに立ち入ろうものなら、昼間でも迷いかねない天然自然の迷宮だ。
それにこの広さなら、我が国のアルメルを跨いで森が続いているんじゃないだろうか。
地図で確認したかったが、屋敷からはこの国の広域地図しか持ってきておらず、役に立たないと思って宿に置いてきてしまった。
「ベリンダちゃーん!! 聞こえたら返事をしてくれー!!」
人生でそう機会のない大声を腹の底から出して、少女の名前を呼ぶ。
……少し待ってみたが、やはりというか返事はない。
森は、不気味なほど静まり返っている。少しは野生の動物の気配すると思ったが、今のところそれも感じない。たまに野鳥を見かけるぐらいだ。
何度か同じように呼びかけを繰り返してみたが、いつまで経っても結果は同じだった。
久しく出してなかった声量に、喉の奥がザラつくように痛い。
声の届かないほど奥地にいるのか、それとも声の出せない状態に陥っているのか。後者は絶対に避けたいケースだった。
やはり、現段階では二人の足跡を辿っていくのが正解か。
しかし、こんな森の奥深くに何かあるんだろう。
案内人のレナルドさんなら何か知っていたかもしれないが、ここまで森に踏み込んでしまったら、もう引き返すこともできない。
「……女児の名前を懸命に叫ぶ兄の姿は、なかなか見ていて居た堪れないものがありますね。ぷぷー」
俺の叫ぶ姿を見て、妹がわざとらしく吹き出した。
こういう人の命の懸かった緊急事態でも真剣になれないのは、お兄ちゃん、人としてどうかと思うぞ。
さっきまでは、この旅で妹の成長を見守ると格好つけてみたが、ろくでなしには成長してほしくはなかった。それだけは切に願おう。