いずれラスボスになる妹と、その兄のはなし   作:悠里@

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死んだほうがいいやつは死んだほうがいい
51.回顧「邂逅の翌日」


三年前

アルメル共和国首都 ノインベルト郊外

クリューガー家敷地内の研究棟にて

 

 

 

昨日と同様に、閉ざされた扉を三回ノックする。

すると、間を置かずに扉の向こう側からドタドタと慌ただしい音が聞こえてきた。

 

「なんだなんだ?」

 

はて、何だろう? 何かしているのだろうか?

 

「……急に静かになった」

 

今度は息を潜めたかのように物音がしなくなる。いや、どういうつもりなのか、彼女は事実として息を止めていた。

それから少し待っても返事がなかったので、扉越しに声を掛ける。

 

「約束通り、今日も来たぞ。お前の兄のアンリだ。……リアナ、部屋に入れてくれるか?」

「……は、は……はい。ど、どうぞ、お、お入りくだ……さぃ」

 

今にも消え入りそうな声が俺を迎える。昨日は頑なに門戸を閉ざしていたが、今日は迎え入れようという意志があるようだ。呼吸は苦しくなったようで再開していた。

 

「まったく、何が何だか……」

 

著名な魔法使いを幾人も輩出し、政治の世界では国家の中枢であるアルメル評議会の一議席を預かるクリューガー家。

この扉の先には、クリューガー家の末子であるリアーナ・クリューガーが幽閉されていた。そして彼女は俺の三つ違いの妹でもあり、昨日と会わせて二度目の邂逅となる。

 

「お邪魔するよ。リアナ」

 

部屋の中は、昨日と同様に格式高い調度品に包まれた豪奢な空間が広がっていた。この建物の外観は遠目で見ても老朽化が著しいが、この部屋だけは信じられない奇麗な内装だ。

さらに奥へと続く別室には、風呂やトイレだけではなく、調理場すらも完備しているという。まさに十全十美、至れり尽くせりというやつだった。

ここから一歩も出なくても、何一つ不自由なく生活できるように設計されているのだろう。いや、正確には『一歩も出さないようにするための設計』とでも言うべきか。

 

「この匂い……」

 

やはり、昨日と同じように部屋からは薔薇の香りがする。どこか懐かしく、ずっと嗅いでいたくなるような香りだ。昨日よりも匂いが強くなっている気がした。

これ、何だろうな……。でも、決して悪い気分じゃない。

 

「あの、その……」

 

昨日訪れた時、彼女は俺という存在を拒絶するようにベッドにうつ伏せになっていた。しかし今日は昨日とは打って変わって、どこかバツの悪そうな様子でベッドの端に座っている。

感情がないのかと思うほど表情は乏しいが、視線を中空に彷徨わせたり、指をもじもじさせたりと、どうにも落ち着きがない。

 

「…………あうう」

 

それに、今日も泣いていたのだろう。目は泣き腫らして充血しており、顔色も良いとは言えない。だが、長い黒髪や着ている衣服は綺麗に整えられていた。それに薄くではあるが、化粧すらもしている。

もしかして、俺が来るから準備をしていたのかもしれない。

 

「思ったよりも元気そうで良かった」

 

そんな泣き腫らした顔ではとても元気そうには見えなかったが、今だけはそう言っておく。身なりを綺麗に整えるという行為は、自分は万全であるというアピールに感じられたからだ。

 

「あ……えっと、き、昨日は、その……恥ずかしいところを見せてしまって……本当に、ご、ごめんなさい」

「おお……!」

 

これは驚いた。思わず感嘆の声を上げてしまうほどだ。うつむきがちではあるが、昨日に比べて随分態度が軟化している。

あの様子から、もっと長期戦になることを想定していたので、些か拍子抜けしてしまった。うむむ、何か心境の変化があったのだろうか。そうなると、昨日の態度は何だったのかと尋ねたくなったが、そんなことをすればまた振り出しに戻りかねない。

だったらこの場は彼女の『兄らしく』無難な挨拶をして、様子を見てみよう。

 

「いや、俺の方こそ昨日はいきなり訪ねて悪かったと思っている。近くに住んでいるのを知っていたのに、今まで一度も会いに行けなかったから。今更どの面下げて会えばいいのかもわからなかった。こんなのは兄として失格だ。ごめん」

 

自分で言っておきながら、なんとまあ明け透けで歯が浮くような台詞だった。俺がこの少女の立場で同じ言葉を言われようものなら、殴りかかっていたかもしれない。

 

 

 

 

 

 

俺の幼年期に消えてしまった妹が、屋敷と同じ敷地内の旧研究棟に住んでいたことを知ったのは、今から五年も前の話だ。

いなくなってからの間、別の建物とはいえ同じ敷地内に住んでいる妹の存在に気付けなかったのかという話ではあるが、それにはちょっとした事情がある。というのも、この少女の住んでいる研究棟は幽霊屋敷というなんともわかりやすい蔑称があった。

 

曰く、研究棟は経年劣化が進んでいて、崩れやすくなっている。

曰く、過去の実験によって研究棟全体が汚染されており、近づくだけで病になる。

曰く、恐ろしい幽霊やら魔物などの得体が知れない何かが住みついている。

 

そんな真偽がまぜこぜになった噂が流れており、俺も小さい頃は屋敷の使用人たちによく脅されていた。それに父からも、この場所には近づかないようにときつく言われていたのもある。

自分で言うのもどうかと思うが、当時の俺は親の言いつけを守る聞き分けのよい子供だったので、逆らうことなく素直に従っていた。

 

そして五年前のある日、棟の最上階の窓辺に佇む妹の姿を見たとき、俺は衝撃を隠しきれなかった。

確かあの当時の俺が十歳だったから、妹は七歳の時だろう。黒くて長い髪と、宝石のような赤い瞳の少女が窓辺に佇んでいた。何をするわけでもなく、殺風景で何もない庭を無表情で俯瞰していた。

その頃の俺は、妹の存在をすっかり忘れていたこともあって、初めて見た時は誰なのかもわからず、幽霊屋敷の幽霊は本当に実在したのかと思ってしまったぐらいだ。

 

興奮冷めやらぬうち父に尋ねてみたが「あの子のことは忘れなさい」とかつてと同じ言葉で釘を刺されるだけだった。

当然納得いかなかったので、姉にも説明すると「……今頃気づいたのか。お前は呆れるほどの馬鹿ヤローだな」と嘆息を漏らされた。ついでに頭もはたかれた。

しかもこの姉に至っては、父の言いつけを破ってずっと前から何度も妹に会いに行っているらしい。

 

最後に体を壊して、床に臥せていた母にも妹の存在を告げると、他の家族と違う悲し気な表情を浮かべてこう言われた。

 

『……あの子は理由があってあそこにいるの。だから絶対に会いに行っては駄目。でもリアナの部屋から見えるところで遊ぶようにしてみなさい。そしたらあの子もきっと喜んでくれると思うわ』

 

その頃の彼女は、無茶な飲酒を繰り返していており、まともな精神状態でいることが珍しかった。そして、それが母と家族らしい会話をした最後の機会でもあった。

俺もある程度の分別がついていたので、父が何も意地悪をして妹を幽閉しているわけではないと察していた。

俺は、母から言われたとおりに屋敷の外で遊ぶ時は、妹からも見える位置に行くようにした。その行為に父も気づいていただろうが、特に何も言われなかった。

外から見る妹の顔は、何を考えているのかわからなかったし、そもそもとして俺の存在に気づいているどうかも定かではなかった。

視線が合うわけでもなく、遊んでいる俺の動きを視界に捉えているようにも見えない。それでも以前と比べて、窓辺の少女は外を眺める頻度が多くなっていたような気がした。

 

そんな折、姉は留学で家を出てしまったため、姉妹の交流はパタリと途絶えてた。そして、姉の留学から半年もしないうちに母は本格的に身を崩してしまい、そのままあっさりと亡くなってしまった。

母の葬儀には留学中で帰国が困難だった姉だけではなく、妹も同じように参列しなかった。この時ばかりは、遠い外国にいる姉はともかく、同じ敷地にいる妹にすら参列させない父の考えが理解できなかった。

 

そんな俺も姉が留学から帰国した折に彼女の付き人になったので、ここ何年かは庭で遊ぶような機会は一度もなくなってしまったが。

 

 

 

 

 

 

「あ……そ、そんなことはないです! わ、私がここに閉じ込められている理由も知ってますし、それもこの間のことで強く実感しました……! だ、だから、兄の人が謝るようなことは、な、何もないんです!」

 

直接誰かから聞いたわけではないが、彼女がここに幽閉されている理由は想像できる。どうもこの少女は、自身の持つ魔力の制御に難があるようだった。

これもまた伝聞でしかない話だが、彼女が言葉も覚束ないような小さな頃に、メイドの一人を魔力の暴走によって大怪我をさせてしまったのだという。

しかも運が悪いことにそのメイドは三階の窓を突き破り、そのまま地面まで落下してしまった。そんな事態を重く見た父は、この研究棟を大幅に改築し、彼女を幽閉したのだろう。

 

そして先日、また同様の事故を起こしてしまった。しかも今回怪我をさせてしまった人物は、彼女がここに閉じ込められてからずっと世話をしてくれた従者だった。

だから昨日はあんなに落ち込んでいたのだ。ただそれでも幽閉という手段は腑に落ちない点もあったが、こうして結果だけ見れば、父の判断は正しかったかもしれない。

 

「でもよかった。てっきり嫌われているのかと思っていたよ」

 

そう言うと、目の前の少女は赤い目を丸くして驚いている。ふむ……どうやら表情がないわけはないようだ。

 

「あ、え? き、嫌う? わ、私が誰かを嫌いになるはずがありません。それにあなたは、何年か前に毎日のように私に構ってくれたじゃないですか」

「あ、俺の意図に気づいてたんだね」

 

どうやら俺の長年の苦労は報われていたようだった。子供一人、外で遊ぶにしてもやれることなんかは限られている。靴を飛ばしたり、雑草を意味もなく毟ったり、蟻と遊んだり、蟻で遊んだりと……まあ他にも色々だ。成長した今ならそのどれもが五秒もしないで飽きる自信がある。

そんな当時の涙ぐましい一人遊びが、取り越し苦労にならずに済んだようで、僅かながらにホッとした。

 

「は、初めはこんな何もない場所で、ど、どうして遊んでいるだろうと思いましたが……。留学に出る直前に……お、お姉様が教えてくれました。『あいつはお前に構ってほしいからあんな場所で馬鹿みたいに走り回っているんだ』と」

 

……なんだそれ。姉さんの言い方だと俺の方が構ってちゃんみたいじゃないか。というか、姉妹だからなのか、姉さんの声真似がかなり似ている。

そもそも、俺からすれば母からの遺言と変わらない言葉だったので、それを律儀に守っていただけだ。いや、多少は構ってほしくてやったところもあるのは事実だが。

 

「そ……そしたらなんだかおかしくなってしまって。あ、兄の人が遊んでいる時には……わ、私も『顔を出さなきゃな。でも面倒だな』と思っていました……」

 

おお、この妹はなかなか言ってくるじゃないか。ついさっきまでは謙虚だったのに随分な変わりようだ。今は猫を被っているようだけど、実は言いたいことは何でもずけずけと言うタイプだな、こいつ。

うん。だけど、それでいいのだ。俺もその方がやりやすい。それならば俺からも一つ言わせてもらおう。

 

「昨日も思ったけど、その『兄の人』って呼び方はどうにかならないか? もう少しちゃんとした呼び方してもらえると嬉しいんだけど」

「た……確かにそうですね。我ながら変な呼称でした。で……ではアイリスお姉様に倣って、お……『お兄様』とお呼びしてもよろしいでしょうか……?」

 

少し控えめにリアナが提案する。だけど、『お兄様』か。屋敷の使用人たちを筆頭に、対外的な呼称では『様付け』で呼ばれることも多いのだが、昔からあまり好ましくなくなかった。なぜなら俺は、姉に比べてあまりにも凡庸であり、常に引け目を感じて生きていた。

 

「うーん、それもなんかなー。血の繋がった家族なんだし、様付けで呼ばれるのはかしこまり過ぎでどうにもしっくりこないんだよね」

「ふふ、意外と兄の人は我儘なんですね。じゃあ『お兄ちゃん』でいいですか? リアナ、お兄ちゃんと呼んでみたいです……!」

 

……ワンクッションも挟まずに随分と気安くなったな。

 

「…………ちょっと背中がゾワゾワするけど、それがまあ一般的か。じゃあ今後はそれでお願いしようかな」

「わかりました。こ、これからお願いしますね……お、お兄ちゃん」

 

発音にぎこちなさが残っていたが、これはこれでいいかもしれない。何だか急に可愛い妹ができたみたいだ。

 

「……ん?」

 

いやいやいや、何を言っている。相手は間違いなく血の繋がった妹だ。一瞬だけその前提がおかしくなってしまった。

どうもまだ目の前の少女が妹だと言われても信じられない自分がいた。それは俺だけではなく、今も緊張を隠しきれていないこの少女にとっても同じかもしれない。

しかしまあ、この俺が『お兄ちゃん』か。まさか誰かからそんな風に呼ばれる日が来るなんて夢にも思わなかった。俺たち二人は、こらから少しでも兄妹らしくなれるのかね。……だけど、そんな未来はとてもじゃないが想像できない。

 

「くく」

 

思わず、吹き出しそうになった。口から空気が漏れる程度だったので、リアナには聞こえていないと思いたい。

…………でもなぜだろう。そこまで悪い気はしなかった。これまで俺に兄になりたいなんて願望は一度たりともなかったはずなのに。

 

「じゃあお茶でも淹れようか。姉さんに鍛えられた俺の腕を見せてやろう」

 

美味しい紅茶の淹れ方はお湯の沸かし方から始まっていると言ってもいい。ただ沸騰させるだけでは駄目なのだ。

 

「いえいえ、お、お兄ちゃんは私の部屋に訪れたお客様ですから。……リアナにやらせてくださいな」

 

ひらひらの黒いスカートの裾をちょこんと摘んで、深々とお辞儀をした。

うおお、なんというか、意外と様になっている。彼女の外見は近くで見ても、均整の取れた人形ように美しい。ちょっとだけ心臓が高鳴ってしてしまった。

……いやいや、相手は十二歳。それも実の妹相手なのに何を馬鹿な。

 

「おいおい、お客様って。俺はお前の世話をするためにここに来たんだぞ」

「きょ……今日だけはいいじゃないですか。な、なんだかそうしたい気分なんです。そ、それに私のほうが腕は上だと思います……」

 

意外と強情で、それで妙に強気でもある。……この少女の性格が少しだけわかってきたかもしれない。一言でいえば、姉さんに似ているのだ。

顔立ちがとても似ているのもあるし、変に強情なところも姉妹たる所以か。同じ兄妹である俺と似ているところは……母譲りの黒い髪ぐらいかな。

 

「ほーう。じゃあお手並み拝見といかせてもらおうか」

「い……いいですよ。お、お兄ちゃんはそこで見ていてくださいね……」

 

そして少女は慣れた手付きで、茶葉、ティーポット、ティーカップをキャビネットから取り出して作業を開始する。

彼女の大人しそうな見た目に反し、紅茶を淹れる動きはキビキビとして無駄がない。普段から使い慣れている道具というのもあるだろうが、かなり熟練の動きと言えるだろう。

お湯の沸かし方、ポットの温め方、茶葉の蒸らし方、ジャンピングのタイミング、カップへの注ぎ方。ティーコゼーを使用してティーポットの温度を保つなどの労力も惜しまない。うん、どれを取っても完璧だろう。

 

「あ、ミルク入りの方がよかったですか? そ、それなら淹れ直しますけど……」

 

本当に美味しいミルクティーを淹れるには、先にミルクをカップに入れる必要があった。これに関しては諸説あるのだが、先にミルクを入れると熱変性が起こりにくく、口当たりが滑らかになるらしい。

 

「いや、ミルクはいい。そのままいただくよ」

「で、ではどうぞ。と……とっておきのセカンドフラッシュです……」

 

ティーソーサーとティーカップを手に取り、深いオレンジ色の液体からの芳醇な香りを少しの間だけ楽しむ。では早速いただくことにしよう。

 

「……………………じ」

 

……何やら目の前の少女が無表情のままでこちらをじっと見ている。そう見られるとなんだか少し飲みづらいぞ。

 

「……うん、おいしい。参りました」

「えへへ、やったやった」

 

一口飲んで、素直に両手を小さく上げて負けを認めた。コクの強さ、柑橘類のようなフルーティーな味わい、砂糖とは違う独特だけど上品の甘さ。これならセカンドフラッシュは、砂糖もミルクも入れなくていい茶葉だというも理解できる。

まあそれだけ彼女が初めて俺に淹れてくれた紅茶は美味しかった。悔しいけど俺が淹れるよりも数段上だろう。同じ道具と同じ茶葉を使っても、味の繊細さに差が出てしまうもの。その点は料理と何も変わらない。

 

「な、なんてたって年季が違いますからね。……わ、私の体の半分は紅茶でできていると言っても、その、過言じゃないです……」

「へー、なんだか甘ったるそうだな。じゃあもう半分は?」

「そそそ、それは、その、あの、乙女のひみつ……です。…………な、なんちゃって」

 

自分で言っておきながら照れくさそうにしている。うんうん、こういう奴は嫌いじゃなかった。

 

「というか、自分で淹れるような機会もあったのか。従者にやってもらったんじゃないの?」

 

俺がそう訊くと、リアナは今まで俺を見据えていた視線を俯かせた。

……この質問にどういう意味があるのか、俺はわかっていながら言った。つまり、彼女が大怪我をさせた従者についてのことだったからだ。軽々に触れられないデリケートな問題であるため、いきなり切り出すよりも会話の流れで誘導するのがいいと思った。だけど、彼女の反応を見るにそれも少し性急だったかもしれない。

 

「……エイラは私の従者ではありますが、何も二十四時間一緒というわけはありません。彼女は魔法使いでもありましたから、お姉様やお父様から仕事をよく頼まれていたみたいです」

 

クリューガー家の屋敷には一族以外にも魔法を使える者、それも『大深度の魔法使い』を何人も召し抱えている。

エイラもそんな強力な魔法使いの一人であり、昨日調べた資料によると、シールドや結界などの防御魔法が得意だったようだ。確かにいつ暴走するかわからない妹を相手にするのならうってつけの魔法だろう。

 

「それでも可能な限り、私の側にいてくれました。こんな私なんかのために甲斐甲斐しく世話を焼いてくれました。そして私も彼女の献身に甘えていました」

 

リアナの言葉にぎこちなさがなくなっている。関心事が俺からエイラに移り、俺に対しての緊張なんて吹っ飛んでしまったのだろう。

エイラの経歴はそう難しくはない。隣国の貧民街の出身の彼女は、幼少期に魔法の才能を認められて、それから魔法の研究機関でもあるクリューガー家のメイド兼魔法使いとして働くようになった。

それから十年もの間、リアナの面倒をたった一人で見つづけたという。その苦労は計り知れないものがあったと思う。

 

「……本当はこんなことを聞く資格も私にはないんでしょうけど、兄の人……『お兄ちゃん』に教えてほしいことがあります」

「ああ、俺にわかることだったら何だって訊いてくれ」

「………………」

 

 

だが、いつまで経っても少女からの質問はなく、二人の間に奇妙な沈黙が流れた。息を呑む音と、柱時計の音だけが重い空間を支配していた。

リアナの顔は、血の巡りが止まってしまったかのように白く染まっている。指先は細かく震えており、特徴的な虹彩を持つ赤い瞳は涙を揺蕩わしていた。

 

「……ぁ」

 

白い喉が小さく跳ねたが、言葉が喉に引っかかったまま出てこない。質問をする覚悟がまだ足りないのだ。彼女から尋ねられる質問の内容はわかりきっているが、だからと言ってそれを俺から言うべきではないだろう。

そうして、永遠にも思える沈黙が過ぎようとした頃。ようやく意を決してくれたのか、リアナの小さな口が開いた。

 

「………………エイラは、無事ですか?」

 

当然その質問をされる覚悟はあった。昨日彼女と別れてからエイラに何が起きたのか調べているので、その『答え』も当然知っている。だから、予め用意していた『答え』をリアナに……妹に渡す。

 

「……俺も直接会ったわけじゃないけど、聞いたところによると今は入院中らしいね。魔法による応急処置のおかげで命には別状ないみたいだよ」

 

「そこまで大した事ではない」と言いたげな口調で俺は妹に告げる。……命には別状ない。これは紛れもなく本当の話だ。

 

「よかった……本当によかったよぉ」

 

堪えていたものが決壊したように少女がポロポロと涙を流した。昨日のあの様子からして、いまこの瞬間まで絶望の淵に立たされていたのだ。

 

「…………」

 

だが、意図的に隠していたこともあった。機能予後の不良。つまり、命には別状ないが、治療の経過は良くない。少なくともエイラは、確実に大きな障害が残る。それも、今までのように妹の従者としての復帰は絶望的なほどに。

……俺は、この妹にその事実を告げるべきなのだろうか。『エイラには後遺症が残り、もう二度とお前の側には居てやれない』という残酷な真実を伝えていいのか。顔をくしゃくしゃにして安堵と悔恨の涙を流す少女に、その真実を受け止められるのか。

……いいや、おそらくは耐えきれない。それなら黙っていた方がいい。『エイラは死なずに助かった』という欺瞞に隠された一つの真実だけが、リアナにとって唯一の救いだからだ。

 

「リアナ、これからは俺がずっと側にいてやる。エイラの代わりにはならないけど、俺はお前の兄だからな」

 

すっと、思ってもみない言葉が俺の口から出た。

 

「……??」

 

……あれ? おかしいな。こんなことまで、言うつもりはなかったのに。どうしてか、妹を慰めるため、無意識のうちにそんな言葉が出てしまった。

 

「……私は絶対に許されないことをしてしまいました。エイラが無事とわかっても、吐き気が今も止まりません。大切な人を簡単に傷付けてしまう私にはもう誰かが側に居てもらえる資格なんてないのです」

「大丈夫だ。ここ何年もの間、付き人としてあの姉さんに鍛えられてきたんだぞ。俺ならお前の側にいてやることはできる」

 

そう、いまの俺は姉のためにあると言ってもいい。そんな俺がどうして『ずっと側にいてやる』なんて言葉が出てしまったのか。

だけどどうしてだろうか、それも悪くない気がする。これが兄妹愛の芽生えと呼べるものかは定かではないが、今だけはどうしてもこの少女を放っておけなかった。

 

「こんな力なくしてしまいたい。でなければ今すぐにでも消えてしまいたい。…………でなければ死んでしまいたい…………」

 

『こんな力』。それは俺が求めてやまないもの。魔法使いとしての天賦の才。魔導の深淵を覗く緋色の瞳。

俺の前で泣いている少女は、歴史あるクリューガー家において最高傑作と名高い姉、アイリス・クリューガーと比肩する才能を持つ天才だった。それは、あの傲岸不遜を絵に描いたような姉も、自分と並びうる存在だと認めている。

……それなのに『こんな力』と吐き捨てる彼女が憎々しもある。だがその力が彼女自身を苦しめているのも事実だった。物心が付いてから、ずっとつきっきりで世話をしてくれた唯一の相手に大きな後遺症を残す怪我をさせてしまった。

たまに会いに来るとしても姉一人だけ。それ以外は幽霊屋敷に住む少女に、俺を含め、誰一人として近づきすらしなかった。そんな一人ぼっちの少女の唯一のよりどころと呼んでもよい存在を自らの手で傷付けてしまった。

だからなのだろうか、憎々しいと思うと同時に憐憫の情も沸いてきてしまう。それどころか彼女のためになにかしてやりたいと強く感じてしまっている。

 

……だけど……だけど、俺はこんなにも誰かに対して献身的だったのだろうか。出会って二日にしか経っていない少女のために行動を起こせるほど『正常な人間』だったのだろうか。

俺はもう、取り返しも付かないほど沢山のものを、姉のために、自分自身のために奪ってきたというのに。

 

「わかった。何かできないか探してみるよ。これまで兄として妹のお前に何もできなかったせめてもの罪滅ぼしだ」

 

薔薇だ。薔薇の香りがする。……甘く、赤い、薔薇の香。

ああ……俺はきっと、彼女から漂うこの薔薇の香りに狂わされているのだ。

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