「小屋……?」
少しの間、リアナを抱えて森の中を走り続けると、木造の小屋を発見した。
外観は廃屋同然だったが、基礎がしっかりしているのか建物として体裁は保てている。
元々は薪割り小屋だったのだろう。朽ちかけた薪があちこちに散乱していた。
しかし、唯一の出入り口である門戸は固く閉ざされており、中の様子は窺い知れない。
それにこの位置からでは、足跡がどこへ続いているのか確認できなかった。
もし……二人があの小屋に逃げ込んでくれたのなら、生存の可能性が十分にある。
「…………それで、あいつらか」
そして、薪割り小屋を囲うようにうろつく複数の狼――。
ここから目視で確認できる範囲だと三頭いる。
「ここで待ってて」
「……あっはい。わかりました」
お姫様抱っこで、珍しく殊勝な態度のリアナを見つからないよう木の陰に降ろす。
呼吸と心拍を落ち着かせ、後腰のシースからマチェットをゆっくりと引き抜いた。
なるべく音を立てないように、一歩一歩ゆっくりと狼に近づいていく。
しかし、すぐに一頭の狼に気づかれてしまった。
……相手は狼だ。匂いは隠せてないし、音にも敏感。当然気づく。
だが、ここまでは想定済み。
俺に気づいた狼は、大きな体躯を反転させて一直線にこちらへ向かってきた。
野生動物らしく動きに迷いがなく、とにかく俊敏だ。
このまま何もしなければ、ものの数秒で俺の喉は鋭い牙によって食い千切られるだろう。
狼は更に速度を加速させたが、お目当ての喉は狙わせない。
左腕を差し出すように前方へとかざし、標的を狙いやすくなった腕に誘導させる。
『――――』
目に魔力を込めると、途端に狼の動きがスローになった。
これは、狼の動きが遅くなっているわけではない。
集中力と視覚が極限まで研ぎ澄まされて、時間の感覚が遅くなったように感じているだけ。
そんな極限の視力があっても、このまま真正面からは迎え撃たない。
いまの姿勢のままで迎撃すれば、狼に攻撃できる箇所が限られてしまう。
この位置関係で狙えるのは、頭部と前足の二か所。
その二か所で致命傷を狙うのなら頭だが、さほど重みがないマチェットの刀身では頭蓋骨の丸みに反って刃が滑る可能性がある。それでは殺せない。
……だから狙うべきは、頭ではない。狙うのは側面から頚椎。つまり、首を狙う。
囮にする左腕は差し出したまま、体の角度を相手から見て横向きになるように移動する。
マチェットを持つ右腕に魔力を流し込む。
「――ふっ!」
そして、強靭な顎が左腕に喰らいく寸前。
頚椎に目掛けて刃を振り下ろし、そのまま首ごと切断した。
まずは一頭。残りは二頭。
今の騒ぎに、残る二頭とも俺の存在に気づいたが、相手が行動を起こすよりも先に足へ魔力を流し、一頭の狼へ駆け出す。
走りの勢いを殺さぬまま、無防備だった一頭の横っ腹を蹴り上げた。
「ギャン!」
魔法で強化された足に、肋骨を砕く感触と内臓を潰す感触が同時に伝わってくる。
その不愉快な感触で、相手が絶命したのだと否が応でも理解できた。
間髪入れずに残る一頭が飛び掛かってきたが、俺の肉に喰らいつく前にマチェットの刃を喰らわせてやる。
鋭い刃が深く食い込み、狼の大きな口が更に大きく広がったが、それでも咥えたまま放そうとしない。
「だったら死ぬまで咥えてろ!」
全身の力を使って、マチェットを大きく振りかぶり、そのまま狼ごと小屋の壁に叩きつけた。
老朽化著しい木造の壁が壊れそうなほどの衝撃に、上顎ごと狼の頭が千切れ飛んだ。
『ひぃ――!』
叩きつけた壁の向こう側から、声を押し殺した悲鳴が聞こえた。
小屋の中に誰かいる……?
だが、生存者の声に安堵するより先に、聴覚を強化して周辺の最大警戒。
……俺の耳に聞こえた息遣いは、茂みに隠れたリアナものと、小屋の壁の向こうにいる誰かのもの。
もうこの近辺に、他の狼や獣の類はいないようだ。
「ふぅ、疲れた……」
マチェットに付着した血糊を振り払ってから、シースに戻す。
身体強化を複数箇所に駆け巡らせたので、多少なりとも疲労感があった。
詠唱なしのシームレスで魔法を行使しているのだ。
本来必要な工程をいくつか飛ばしているため、施術した俺の身体でも負荷がかかる。
……しかしまあ、凶暴な狼だった。
一頭殺した時点で残りは逃げ出すと思ったが、そんな様子もなく殺意マシマシで襲いかかってきた。
その点に多少の不自然さを覚えたが、今は考えるべきではない。
「に、兄さんすごいです……! あっという間だったので、何が起きたのかよくわかりませんでしたが、たぶんその……とにかく、ええ。なんとなく格好良かったです……!」
「あ、うん。もう終わったから大丈夫だよ」
離れて見ていた妹が、興奮気味に駆け寄ってきた。
なんとも曖昧でテキトーな感想だったが、一応は兄を称賛してくれている。
……刃物に拒否感を示していたし、野生動物を躊躇なく殺したので、またドン引きされるんじゃないかと心配したが、リアナはさして気にしていないようだった。
それどころか、興味深げに俺が殺した狼を観察している。我が妹ながら、線引きがよくわからない。
「うわー。私、狼を初めて見ました! 狼の死体も初めて見ました! うわー、グロい! そして臭い! ……ほんと臭っ!」
初めて嗅ぐ獣臭に、何故だか妹のテンションがうなぎ登りだ。いったい、何がそんなに楽しいんだろうか。
……森に入ってから、リアナの感情の起伏が激しい気がする。お願いだから、変な趣味には目覚めないでほしい。
「……そ、それで兄さん兄さん! お怪我はありませんか!? どんな小さな怪我でもバッチ来いですよ!!」
「心配してくれてありがとう。ちょっと疲れたぐらいで怪我はないよ」
「なーんだ。私も少しは活躍したかったのに、ちぇー。……あ、そうだ。ちょっと腕の骨を一本ほどポッキリいってみません?」
「……とても良いことを思いついたように言ってるけど、お兄ちゃん、痛いのは嫌なので却下します」
妹の兄を舐め腐った戯言はほっといて、薪割り小屋の門戸の前に立つ。
「んへ? どうかしたんですか?」
リアナが不思議そうな顔でついてきたが、それはこちらの台詞だ。
……もしかしてコイツ、俺たちがここに来た目的を忘れているんじゃないか?
「――ベリンダちゃん、そこにいるんだろ? 助けに来たよ」
怯えさせないよう戸は叩かずに、できるだけ優しい声で扉の向こうにいる少女に話しかける。
……少しして、狼から身を守るために固く閉じられた扉が静かに開いた。
そこには、目を赤く腫らしたベリンダちゃんの姿。
「もう大丈夫だよ。長い間、よく頑張ったね。本当にえらかった」
彼女は、見知った俺たちの顔を見て安心してくれたようで、大粒の涙をボロボロと流した。
「ううう~~!」
余程怖い思いをしたのだろう。
こちらに向かって駆け出したベリンダちゃんは俺の――横を通り過ぎて、リアナに抱きついた。
振り返ると、少女は妹の胸に顔をうずめて、わんわんと泣いている。
「……あー」
ベリンダちゃんを助けたのは俺なのに、素通りされたのは……ほんの少しだけショックだ。
うん、でもまあ、こういう時は同性の方が良いだろうし……。
「…………!!!!????」
その一方で、突然ベリンダちゃんに抱きつかれた妹は、どうしていいのかわからず、妙に行儀が良い姿勢で硬直していた。
直立不動で背筋と肘をピンと伸ばした『気をつけのポーズ』は、歩兵教本の参考図解として載せたいぐらい綺麗だった。
「……こういう時は、背中か頭をさすってあげればいいと思うよ?」
困惑するリアナに助け舟を出してあげたが、「私にそんなことできるわけないでしょう!?」と目がこれでもかと訴えている。
しょうがないので、ベリンダちゃんが落ち着くまで頭を撫でてあげた。妹の。
落ち着きを取り戻した彼女がリアナを解放すると、慌てて小屋の中に戻っていく。
「……お、お父さんが狼に咬まれちゃったの! こ、こっち来てください!」
ベリンダちゃんの後を追って小屋の中に入ると、薪と藁が散乱した土作りの床に白い顔で横たわる一人の男性がいた。
ええと……確か、名前はノーマンさんだったか。
「ずっとずっと『大丈夫だよ』って言ってくれたのに、少し前から何もお返事してくれなくなっちゃったの! ねえ、どうしようどうしよう……!!」
「……少し診てみるね」
土間に踏み込んで、少女のお父さんの容態を確認する。
『診てみる』などと見得を切ってみたが、俺は医者や治癒士ではないので大したスキルはない。やれて応急処置ぐらいだ。
「……脈はあるな。でも弱い」
取り敢えず、死んではいない。
だが意識は失っている。酷い高熱と発汗。呼吸の間隔も短くて浅い。
失血を防ぐため、大腿を上着で縛り上げていた。おそらく、まだ意識があった時に自分で処置をしたのだろう。
……狼に咬まれたのは下腿。咬傷が熱を持っており、赤く腫れた様子からして破傷風の恐れもあった。
「お父さん、死んじゃうのかなあ……。そんなの嫌だよお……」
「大丈夫だよ。絶対に死なせない。――というわけで、リアちゃーん、出番だぞぉー!」
「!!!!」
小屋の入口で、我関せずと傍観していたマイスシターが、無理無理と言わんばかりに両手を前に出して首を大げさに振る。
だーけーど、今回ばかりは働いてもらう。
俺に回復魔法など使えるはずもなく、知識は基礎医学をかじった程度。そもそも医療道具がない以上、彼にしてあげられることは何もない。
ノーマンさんの命を救うには、リアナの力を借りるしかないのだ。
「捕まえた!」
「う、あ」
嫌がって逃げ回ろうとする妹を一瞬で捕縛する。
そのまま両脇から持ち上げ、ノーマンさんの前へ強制的に座らせた。
「さっき自分も活躍したかったと言ったばかりじゃないか。言質は取ってあるぞ。確か俺の腕の骨を……何だったかな?」
「…………!!」
妹の赤い瞳が困惑に揺れている。
口をパクパク開いて何か言いたげにしているが、ノーマンさんの容態からして、リアナの言い分を聞いている余裕はない。
仕方が無い。ここは本気で頼もう。
「この人は、リアにしか助けられないんだ。頼む」
リアナの目をしっかりと見て言った。
……この妹は、孤独を愛するとか故あって人間嫌いとか、そういう特殊な事情があって他人と話せないわけではない。
本当にただの人見知りなのだ。俺以外の誰かと関わると、途端に余裕がなくってしまう。
やる気が無い訳ではない。ただ、他人が怖いだけ。
でもいまだけはそんな恐怖を乗り越えて、いつも使っている魔法を、少しの間だけ俺以外の人に使ってくれればいい。
「おねーさん……お父さんを助けてください! お願いします……!」
ベリンダちゃんの涙腺が再び決壊しそうになっている。
ここで「こんな小さな子を泣かせちゃいけない」などと言えば、余計なプレッシャーを与えてしまう。
だから、俺にできるのは妹を信じて待つだけ。
「すー……はー……」
リアナが深呼吸を繰り返す。
自分より小さな子供に懇願されてか、覚悟を決めたように見えた。
震えながらも俺を一瞥し頷いて見せると、ノーマンさんの下腿に両手をかざす。
……だが、魔法は発動しなかった。
一分二分と時間が過ぎても、リアナの手のひらからは癒しの力は発生せず、ノーマンさんの傷は治る気配がない。
かつてない異常事態にリアナの顔を覗いてみると、血の気が引いて蒼白に染まっていた。
これでは、どちらが病人かわからないぐらいだ。
そのまま魔法が発動せずに、五分が過ぎようとしたところで、リアナのかざしている手が細かく震え出す。
「………あ、あっ」
できて当たり前のことができずにいる。
そんな醜態を俺たちに晒していることに、リアナは殊更余裕を無くていた。
このままではパニックを起こしてしまうのも時間の問題だろう。
そうなってしまう前に、俺は震える妹の手に俺の手をそっと重ねた。
爆発寸前の彼女に、二人でいる時と同じ調子で話し掛ける。
「大丈夫だ、リアナならできるよ。……『頑張る妹をお兄ちゃんはいつだって応援しているぞ!』」
「…………ぶっふ!」
今日どこかで言った言葉を、一語一句違わずに繰り返してやったら、リアナが吹き出してしまった。
「……まったく、なんなんですかそれ」
ベリンダちゃんには届かない、俺だけに聞こえる小さな声で呟く。
……状況が状況なだけに不謹慎かなと思ったが、どうやら多少なりとも落ち着いてくれたようだ。
手の震えも収まっているし、顔にも血の気が戻ってきている。
ならばもう、いつも通りにするだけ。
『――――』
数秒のあと、妹の手のひらから、淡く青い光が発生する。
今にも消えてしまいそうな儚い光ではあるが、その効果は俺が身をもって保証できる。
「わあ、すごいすごい! すごいです! これって、魔法ですよね!?」
魔法を見るのは初めてなのだろう。
ベリンダちゃんが、泣きながらもリアナの魔法の力に目を輝かせている。
「うん、傷を治す魔法だね。リアは魔法が得意なんだ。俺もいつも助けられているよ。妹は本当に凄いからね」
時間は掛かるが、おおよその怪我や疾患を治す力を持っている。
今は魔法行使も安定しているように見えるし、おそらくはこれで問題ない。
……こうやって、最初の一歩を歩きだしてしまえば、もう大丈夫だ。
俺がこの妹にしてやれるのは、彼女の背中を押してやるなんて立派なことじゃない。
ただ隣に座ってやって、自分から歩き出すまで手を握ってやる。それだけだ。
◇
そして陽が沈んだ頃になって、ノーマンさんの傷は完全に塞がった。
熱も収まり、呼吸も穏やか。意識はまだ戻ってないが、これなら心配いらないだろう。
小屋の周囲に散らばっていた薪を回収し、焚き火の準備を始める。
獣避けと明るさの確保も必要だし、夜になれば急激に冷え込む。
怪我人一人に、女の子二人。季節はまだ春先だ。体を冷やしてはいけない。
枯れ木ばかりだとすぐに燃え尽きてしまうので、良さそうな生木もマチェットを使って周辺の木から回収する。
「これでもう大丈夫だよ。ただ失った血は戻らないから、後は栄養のあるものを食べさせたらいいと思う」
「……よかったよぉ」
ベリンダちゃんが再び泣きそうになっている。
でもこれは先程までとは違う安堵の涙だ。それだったらいくらでも流しても構いやしない。
大腿部動脈にまで達していなかったのが、不幸中の幸いだった。
今の妹の回復魔法では傷は治せても、出力不足で失った大量の血までは戻せない。
もっとも、動脈がやられていた場合は俺たちがここに着くまでに失血死していただろう。
「おねーさん! お父さんを助けてくれて、ありがとうございました!」
「!!!!」
ベリンダちゃんがリアナの手を握り、喜びを顔いっぱいに表して感謝の言葉を伝える。
……ベリンダちゃんは物怖じせずにぐいぐい行くなあ。でも、いいぞいいぞ、もっとやれ。
だが、そんな真っ直な言葉を、真っ直ぐに受け止められないのがこの残念な妹なのだ。
リアナにとって過負荷とも言える陽のオーラに耐えきれなくなり、ぷいっと顔を横にそらしてしまった。
「あっ……」
そんなコミュ障丸出しのそっけない態度に、ベリンダちゃんが悲しげな声を漏らした。
まったく、いたいけな少女にこんな顔をさせるなんて、とんでもない妹だ。
「大丈夫大丈夫。照れているだけだから気にしないであげて。ほら、よく見ると耳が真っ赤になってるから」
俺たちには顔が見えないようにそっぽを向いているが、黒髪から覗く耳までは隠せない。
その耳は、茹で上げたように真っ赤に染まっていた。
「~~~~!!」
リアナのいまの心境としては、余計な情報を与えた俺をいますぐ殴り倒したい気分だろう。
だけど、ベリンダちゃんに手を握られている以上、行動に移せない。
この妹に、少女の小さな手を振りほどく勇気がないのを俺は知っている。
「おねーさん……! かわいいです……! かわいいかわいい!!」
沸き立つ欲求を我慢できなくなったのか、ベリンダちゃんがリアナに思いっ切り抱きついた。
そのままの勢いで、小動物を愛でるように頬ずりをする。
そんな陽キャのコミュニケーションに、リアナは抵抗せずにされるがままだ。
……うんうん、ベリンダちゃんの気持ち、俺にもよくわかるぞ。
俺の妹は、ホントにいじらしくて愛らしいのだ。
俺がそんなふうに抱きつくと多分殴られるからしないけど。
「あーもー! かわいいです!!」
「~~~~!?」
リアナの顔が耳だけではなく、顔全体が真っ赤に染まってしまった。
もし感情を視覚化できるのなら、頭の上から盛大に湯気が上がっているに違いない。
……これを機に、ベリンダちゃんともっと仲良くなってくれると嬉しいんだが。
そして願わくは、妹の友達になってくれたら嬉しいと思う。
でもそれを俺の口から言うのは、独り善がりのいらぬ世話焼きだ。だから何も言わない。
それなら今は、可愛らしく抱き合う二人の少女を後方からニヤニヤと見守るのに専念しようじゃないか。
「うん、我ながら最高にキモいな」