今回、喧嘩シーンはありません。※本当は干支試験中にどこか書きたいけどどこに入れようかで難攻しています。
桐生、長谷部、三宅の三人は、無言のまま指定された部屋へと歩いていた。無駄に広い廊下を抜け、目的の部屋の扉を開けると、すでに何人かの生徒が到着していた。
“癖の強いメンバーだな...”
部屋に一歩足を踏み入れた瞬間、桐生はそう思った。見たことのある顔もいれば、初対面らしき生徒もいる。だが共通していたのは、どこか一筋縄ではいかなそうな雰囲気を纏っていることだった。
そんな中、唯一の知り合い──Bクラスの網倉麻子の姿を見つける。桐生と視線が合うと、網倉は小さく手を挙げて挨拶してきた。
そして、桐生は空いていた椅子に腰を下ろす。やがて部屋の中には全員が揃い、空気がじわじわと張りつめていく。
そのとき──
『ではこれより1回目のグループディスカッションを開始します』
船内スピーカーから、無機質なアナウンスが短く響いた。どうやら進行はすべてグループ任せということらしい。
ここからは“誰がどう動くか”が全てだ。
桐生は無言のまま、他のメンバーの顔を一人ひとり順番に見渡していった。
「とりあえず、こうして集まったわけだし、自己紹介でもしようぜ。やっぱ名前ぐらい知っとかないと話しづらいし」
そう言い出したのは、金髪を後ろにまとめた男子生徒だった。やけに明るい声色で、場の空気を割るように言葉を放つ。
桐生はその様子をちらりと見て、心の中でぼそりと呟いた。
“自己紹介しとけって星野宮は言ってたしな……ここはアイツの流れにのるか。”
少しだけ視線を前に戻して、口を開く。
「そうだな。名前も知らなきゃ、話すことも話せないだろうし」
桐生の一言で、部屋の空気がほんの少し和らぐ。黙っていた生徒たちも、なんとなくその提案に乗る流れになった。
金髪の軽薄そうな男子が先陣を切って名乗る。
「俺はAクラス所属の橋本正義だ、よろしく」
橋本に続いて、同じくAクラスと思われる二人が名乗りを上げた。
最初に口を開いたのは、長髪に両手には黒い革の手袋をはめた男だった。
「鬼頭隼。Aクラスだ。……無駄話はあまり好きじゃない。用件は手短に頼む」
名乗りだけで済ませると、さっと視線を切って後ろに引いた。
桐生は、鬼頭という男の顔をじっと見た。
“どこかで見た気がするな……”
記憶の底を探るように、視線をわずかに細める。確信はないが、どこかで見かけたような、そんな既視感があった。
次に前へ出たのは、控えめな印象の女子だった。だがその目は鋭く、どこか人を値踏みするような視線を持っていた。
「福山しのぶ。私もAクラス。あんまり喋るの得意じゃないけど、よろしく」
そう言って小さく頭を下げると、また元の位置に戻っていった。
Aクラスの自己紹介が終わると、それに続くようにBクラス、そしてCクラスの生徒たちも順に名前を口にしていった。
それぞれが自分の名前と軽く一言を添える程度の簡単なものだったが、全体の雰囲気はどこかよそよそしく、ぎこちなさが残っていた。
最後に、Dクラスの桐生たちが自己紹介を済ませると、ひと通りの流れが終わった。
「……」
静けさがその場を支配する。
会話のきっかけを失った空気がじわじわと重たくなっていく。誰もがどこか様子見で、無理に口火を切るような人間もいない。
“……まぁ、こうなるか”
桐生は椅子の背にもたれながら、そんな風に内心でつぶやいた。
名前を知ったからって、すぐに打ち解けられるほど甘い集まりでもない。
クラスも性格もバラバラ、癖の強い連中ばかり。最初の空気がこうなるのは、ある意味予想通りだった。
気まずい沈黙が続く中、Bクラスの網倉が意を決したように、そっと声を上げた。
「み、みんなは……どの結果を目指したいか、決まってるのかなぁ……」
語尾が不安げに揺れながらも、最後までしっかりと言い切った。その小さな一歩が、場に微かな変化をもたらす。
「そりゃ、結果1でしょ」
すかさず答えたのは福山しのぶだった。背筋を伸ばしたまま、あくまで当然のように言葉を続ける。
「これが一番大きなポイントが貰える……まぁ、簡単ではないんだろうけどね」
その口調には冷静さと現実感が混じっていた。
彼女の言う通り結果1なら優待者以外の全員に50万のプライベートポイント、さらに優待者には100万プライベートポイントの報酬が支払われる。文句なしの最高報酬だ。
ただ──
“言うのは簡単だが、実現となると話は別か…”
桐生は無言のまま、福山の言葉を受け止めていた。
4クラスが協力して挑むこの試験で、全員が一致団結して優待者を言い当てるなんて、絵に描いたような理想論。
クラス間の駆け引き、優待者自身の動き、情報戦……どれか一つでも綻べば、一気に崩れる綱渡りのバランス、余り現実的では無い。
「あ、俺たちAクラスは、この試験は沈黙させてもらうぜ」
唐突に、橋本が思い出したように言い放った。
「……なに?」
桐生の脳裏に疑問符が浮かぶ。何を言っているのか、一瞬理解が追いつかなかった。
「え、どうして?」
Cクラスの諸藤が問いかける。すぐに代わって答えたのは、鬼頭だった。
「俺たちは、今Aクラスの実質リーダーである葛城に従っている。葛城が“沈黙”という方針を出した。だから俺たちもそうする」
その説明に、桐生は思い出すように目を細める。
“たしか、Aクラスには二つの派閥があるって話だったな。葛城と確か、坂柳だったか....?”
桐生のいう通りAクラスには二つの派閥があり、対立している。
一つは葛城を中心とした《保守派》あくまで慎重に、確実に勝ちを拾っていく堅実なスタンス。
もう一方は坂柳が率いる《革新派》才気は突出しているが、その分リスクも恐れない攻めの姿勢を取る派閥だ。
しかし、坂柳は足が不自由であり、この試験には不在。そのため、今は葛城がAクラスをまとめている。
“沈黙”というのも納得だった。下手に発言して情報を与えるくらいなら、喋らず流れを読む。それが葛城のやり方なのだろう。
ただ、そうやって無言を貫かれると、空気は重たくなる。
結局、話し合いは終始まとまりのないまま、時間だけが過ぎていった。
そんな空気を断ち切るように、耳に刺さるようなキーンという音が部屋中に響き渡る。
『──以上をもちまして、一回目のグループディスカッションを終了します。生徒の皆さんは引き続き、クルージングをお楽しみください。もちろん、各部屋に残って『話し合い』を続けていただいても構いません』
冷たいくらいに淡々としたアナウンスが流れ終えると、部屋の中は一斉にざわつき出す。やがて、それぞれが立ち上がり、まるで気まずさを振り払うように部屋を後にしていった。
気づけば、残っているのはDクラスの三人だけだった。
「いやー、中々うまくいかないねー」
そう言って、長谷部が椅子にもたれかかりながら大きく伸びをする。
「まぁ、まだ一日目だし、こんなもんじゃないか?」
三宅が肩をすくめつつ、あくまで気楽な調子で返す。
どこか気疲れした空気の中で、桐生は無言のまま椅子に座り続けていた。
“午後にもまた話し合いがあるのか....疲れるな”
そう思いながら桐生たち三人は、それぞれ別々の方向へと歩き出した。
桐生は、気分転換もかねて船内のバーを目指すことにした。まだ昼食には早い時間帯だったが、ちょっとした飲み物くらいで気持ちを切り替えようと思ったのだ。
廊下を歩いていると、向かいから数人の影が近づいてくる。視線を向けた桐生の足が、ふと止まる。
“アイツは....”
Cクラスリーダー、龍園翔。その傍らには、伊吹澪の姿があった。
龍園もまた、桐生に気づいたようで立ち止まり、不敵な笑みを浮かべる。
「龍園....」
「よう、桐生。無人島じゃ伊吹がずいぶん世話になったみてぇだな」
と、皮肉っぽく言って肩をすくめる。
「おかげでコイツは、こんなザマだぜ?」
言われて改めて伊吹を見ると、腕と頭に包帯、頬には湿布、鼻と脚には青アザと、明らかにボロボロな状態だった。どこをどう見ても「ただのケガ」では片付かない。
だが伊吹は口を一文字に結び、何も言わず桐生を睨み返していた。桐生もまた、視線だけを返す。
ほんの数秒の沈黙──だがそれは、軽い世間話では済まされない、妙に張り詰めた空気を伴っている。
桐生は一歩前に出て、無表情のまま口を開いた。
「先に言っておくが、手を出したのは伊吹の方からだ」
その声に、龍園の眉がピクリと動く。
嘘ではない。あの時、桐生は明らかに戦闘体勢に入ってはいたが、最初に攻撃したのは伊吹だった。
「ハッ、手ぇ出したのは認めるってわけか?」
龍園が口元をゆがめて言う。挑発の色が濃く滲んでいた。
けれど、桐生も一歩も引かない。静かに、だが皮肉っぽく返す。
「だが、あの状況で私が何かしたなんて証拠はどこにもないだろ。事実、私は怪我をしていない」
さらりと、だが確かな自信を持った口調だった。
伊吹は、一瞬だけ反応に詰まったようだったが、すぐに顔を背けた。唇を噛むようにして、黙ったまま。
喧嘩はあった。だが桐生の言う通り、誰が見たと言う証拠はない。何より彼女は怪我すらしていない。
対して伊吹は、包帯に湿布、打撲の跡まで揃ってる始末だった。
龍園はその様子をちらと見てから、ふっと鼻で笑う。
「ククッ……おもしれぇな。やっぱ、お前は一筋縄じゃいかねぇようだ」
短い沈黙のあと、彼は踵を返し、伊吹もそれに続くように歩き出した。
すれ違いざま、伊吹は何か言いたげだったが、結局一言も発しなかった。
桐生は二人の背中を無言で見送る。
龍園たちと別れ、桐生は目的地である船外のバーへと足を運んだ。海風が心地よく吹き抜けるデッキは静かで、太陽の光がテーブルに反射して眩しかった。
だが──着いてすぐ、彼は小さな違和感に気づく。
「……やってない?」
サブストーリー⑤ 臨時雇いのバーテンダー?
確かにマスターはカウンター内にいる。けれど、店の様子はどう見ても開店前のそれだった。グラスも揃っていないし、メニュー札も裏返されたままだ。
“何かあったのか?”
そう思いながら桐生はカウンターに近づき、軽く声をかけた。
「マスター、なんかあったのか?」
すると、マスターは彼の方に顔を向け、やや驚いたように目を細めた。
「ああ、貴女は……確か一週間ほど前にいらしてくれたお客様だね」
マスターは小さくため息をついた。
「実は、今日来るはずだった臨時のアルバイトが急に来れなくなってしまってね。この時間帯、結構混み合うから一人じゃ対応しきれなくて……開けるに開けられないんだよ」
なるほど、と桐生は納得したように頷く。昼時は客が増える。見れば確かに、遠巻きにバーの様子を伺っている乗客もちらほらいた。
「……それは災難だな」
言いながら、桐生はゆっくりとカウンターに片肘をつく。
桐生がカウンターに肘をついたままグラスを眺めていると、マスターがふと真面目な顔をして口を開いた。
「もしよければ……代わりに店番をお願いできないか?」
「……え?」
桐生の顔に、明らかな戸惑いが浮かぶ。
「ちょっと待て、私はバーテンダーの経験なんてないぞ?」
当然の反応だ。シェイカーも振ったことがなければ、カクテルの名前もよく知らない。
だが、マスターは何事もなかったかのように落ち着いた声で続ける。
「大丈夫、大丈夫。開店まであと45分ある。それまでに基本を教えればなんとかなるよ」
「いや、さらっと言ってるが45分でバーテンダー仕上げるつもりか?」
「うん、いけるいける。カクテルなんてね、意外とシンプルなんだ。あとで“それっぽく”見えればいいのさ」
まるで乗せるようなマスターの口調に、桐生は頭を押さえたくなる。
“……なんだこのノリは、しかも逃げづらい空気だ....”
遠くでクルーらしき人物がちらりと様子を伺っているのが見えた。どうやらマスターが困っているのは船内でも伝わっているらしい。
“どうするか....”
•手伝う←
•用事があるからと断る
「……わかった、やるだけやってみる。けど、指示はちゃんと出せよ?」
マスターは頷く。
「名前を聞いていいかな?」
「桐生一葉だ」
「では桐生さん、服をどうぞ!」
マスターがにこやかに差し出したをバーテンダー用の服を受け取りながら、桐生は大きくため息をつく。おそらく高育の生徒でバーテンダーを経験するのは彼女だけだろう。
カウンターの奥にある小さな更衣スペースで急ぎ服を着替え、鏡の前に立った瞬間、思わず目を細める。そこには、どこからどう見ても“バーテンダー風”にしか見えない女子高生がいた。
“似合わないな....”
やがて、背後からマスターの声が飛んでくる。
「似合ってるよ。じゃ、とりあえず練習する?」
「……喧嘩の方が気が楽だったな」
ぼそりとつぶやきながら、桐生はカウンターの内側へと足を踏み入れた。
それからの45分、桐生にとっては、ある意味で“地獄”のような時間が始まった。
「違う、グラスの持ち方はこう。親指の位置に気をつけて。手の位置が少しでもズレると、美しく見えないから」
「……見た目とかいるか? カクテルって、ただの飲み物だろ……」
桐生がぼやけば、すかさずマスターの渋い声が返ってくる。
「“魅せる”飲み物だよ。君はまだ、バーテンダーの“演出”を知らない」
“……演出?”
そんな言葉、これまでの人生で考えたこともなかった。
今、桐生が求められているのは“魅せ方”。
シェイカーの振り方ひとつ取っても、ただ混ぜればいいわけじゃない。肘の角度、振るリズム、終わるタイミング、手首のしなりなど、まるで舞台俳優のような所作が要求された。
「肩を固定して、手首を柔らかく。もっと、そう、“それっぽく”!」
「それっぽくって何だよ……抽象的すぎるだろ……」
桐生は何度も苦い顔を浮かべ、そのたびにマスターの手がスッと差し込んできて、丁寧すぎる修正が加えられる。
「今のはよかった。でも、最後のグラスの置き方が雑だね。氷が跳ねる音も演出の一部なんだから」
“どこの世界に、グラスの置き方で神経すり減らす女子高生がいるんだよ、仮にも女子高生だぞ、バーテンダーとか年齢的におかしいだろ....”
内心ツッコミを入れながらも、桐生は手を止めなかった。
正直、バーテンダーなんて柄でもないし、やる理由も義理もない。けれど一度引き受けた以上は、中途半端にはしない。
それが桐生一葉という人間だった。
喧嘩では、何度も血の気の多い相手とやり合ってきた。殴られたことも、殴ったこともある。でも、今この瞬間のような疲労感は、あまり覚えがなかった。
“……これ、喧嘩より疲れるんじゃないか?”
手元を動かしながら、そんな思いが不意にこぼれる。
ようやく、全てのレシピを実践し終え、マスターが小さくうなずいた。
「……よし、これでメニューは一通り覚えたね。シェイクも様になってきた。姿勢も悪くないよ」
「はぁ……マジでバイト代請求するからな……」
額に浮いた汗を手の甲で拭いながら、桐生はなんとか習得を終えた。息は乱れていないが、脳がすっかり疲労していた。
見れば、時計の針は開店の数分前を指している。
船内のスピーカーからは、どこか軽快なジャズが流れ始めていた。外の廊下からは、観光気分で歩いている生徒たちの足音が近づいてくる。
“本番は、ここからか”
バーが、少し遅れてオープンした。
まだ“本格始動”とまではいかないが、船内をうろついていた生徒たちがぽつぽつと訪れはじめ、空席だったカウンターに少しずつ人影が増えていく。
桐生は、覚えたての技術であるグラスの扱い方、ジュースの注ぎ方、簡易シェイクを駆使しながら、なんとか注文を捌いていた。
「……オレンジフラワークーラー、でしたね」
そう口にし、慣れない手つきながらも、メニュー通りにグラスに氷を入れ炭酸、ジュース、シロップを入れなんとか形にしていく。
そのとき、見覚えのある姿が現れた。
“堀北……?”
制服の着こなしも態度も、いつも通りピシッとしている。何より、その真っ直ぐな目線が桐生を一直線に射抜いてきた。
咄嗟に目を逸らす。バレないように、ただの“たまたま手伝い中の一般女子高生”を装って。
しかし、無駄だった。
堀北はカウンターの前までまっすぐ歩いてきて、手すりに手を置くと、一言。
「桐生さん。貴女、何をやっているの?」
やや呆れの混じった声音。完全に、身内に見られてはいけない場面を見られた感じだ。
それでも桐生は、即座に口を開いた。
•正直に名乗る
•偽名を使う←
「桐生ではありません。私は....鈴木です」
あまりにも苦し紛れすぎる偽名。
だが、堀北の眉一つ動かない。
「……なるほど、では鈴木さん。桐生さんと瓜二つのあなたが、なぜここでバーテンダーをやってるのか詳しく説明してもらえるかしら?」
やっぱり通じないか、と桐生は観念した。視線を外し、グラスを磨きながら小さくため息をつく。
「……ちょっと流れでこうなっただけだ。マスターに頼まれたんだ。臨時のバイトが来なくなったからな」
「バーテンダーの代わりを高校生が?」
「そこは気にするな」
そう言ってカウンターの奥からグラスをひとつ差し出す。ピンクグレープフルーツとトニックウォーターをミックスした爽やかなドリンク。ミントの葉が一枚、さりげなく添えてある。
「……味見するか? お客様」
堀北は一瞬、呆れたような、でもどこか興味を持ったような目をしたが、ため息とともに椅子に腰を下ろした。
「そうね、いただくわ。鈴木さん」
会話はそれきり。堀北はグラスを軽く傾けながら、時折カウンターの中の桐生をちらりと観察していたが、特に何を言うでもなく、数分後には「ごちそうさま」と一言だけ告げて立ち去った。
“もう、顔見知りの生徒は来るな。頼むから来るな。”
けれど、現実はそんなに甘くない。むしろ期待を裏切る才能に満ちている。
「……ん?」
カウンターの向こう、ゆったりした歩調で近づいてくる女子生徒。長い髪を腰まで伸ばし、見覚えのある柔らかな笑顔。
“あれは、一之瀬?”
Bクラスのリーダー、一之瀬帆波だった。
普段は数人の仲間と連れ立って行動しているイメージが強い彼女だが、今日に限ってはどうやら一人らしい。その分、逆に目立っていた。
そして最悪なことに、目が合った。
「……あれ? 桐生さん?」
ぴたりと立ち止まり、首を傾げる一之瀬。
「えっと....なんでバーテンダー?」
当然の疑問だった。女子高生がカクテルグラス振ってる姿なんて、普通に考えて異常である。
桐生はグラスを拭きながら、観念したようにため息をついた。
「ちょっとした人手不足だ。マスターに頼まれたからな」
「へぇ〜そうだったんだ、けど似合ってると思うよその姿」
「似合ってないだろ」
「ううん、カッコいいよ。なんか大人っぽいし」
そのまま、当然のように席につく一之瀬。すっかり“お客さん”の顔だ。
「じゃあ、バーテンダーさんのおすすめ、ください」
桐生はカウンター越しに座る一之瀬をちらりと見たあと、ほんの数秒だけ考えた。
“....あんまり派手すぎるのは違うか”
悩んだ末に、選んだのはシンプルなモクテルだった。
ジンジャーエールに、鮮やかな赤のグレナデンシロップを沈ませ、透明なグラスの中でゆっくり色が広がっていく。最後にチェリーをひとつ、そっと浮かべれば、それだけで見た目にも華やかになる。
肩に力を入れすぎないように注意しながら、手際よく仕上げる。
「シャーリーテンプルだ」
「わぁ、ありがとう! すっごい綺麗、写真撮ってもいい?」
「ご自由に」
一之瀬は写真を何枚か撮る
「じゃあ、いただきまーす」
一之瀬が楽しげにグラスを手に取るのを見て、桐生はふぅ、とひと息ついた。
やがて一之瀬はシャーリーテンプルを飲み終え
「ごちそうさま、美味しかったよ」
礼を言って帰った。
頼むから、もう顔見知りの生徒は来るな。
桐生は心の底からそう祈っていた。
一之瀬が帰ったあと、カウンター越しに広がる海をぼんやり眺めながら、次の客が現れないことを願っていた。
その祈りは叶った。最悪の形で。
「ん?桐生か?」
その低くも鋭い声に、肩がピクリと反応する。
顔を見なくても分かる、あの声は
「....茶柱」
そう、現れたのはDクラス担任・茶柱佐枝だった。
逃げ道などない。しかも最悪なことに、彼女はカウンターの正面、しかもやや前屈みになりながら、桐生の顔をまじまじと見てきた。
「....人違いです。私は鈴木です」
咄嗟に出た偽名は、さっきも使った“鈴木”。もはや雑にもほどがある。
しかし茶柱は、ふっと鼻で笑ってこう言った。
「さすがに、自分のクラスの生徒の顔くらいは覚えているぞ」
逃げ場、ゼロ。
桐生は眉をピクリと動かし、カウンターに手をついたまま、少しだけ顔を伏せた。
「....どういう経緯でここに?」
「そこは聞くな....」
「そうか....」
茶柱はため息をつきながら、椅子に腰を下ろした。どうやら、頼む気満々のようだ。
桐生は再びシェイカーを握るのだった。
茶柱はカウンターに肘をつきながら、メニューのボードをひと通り眺め、ふん、と小さく鼻を鳴らした。
「では、ヴァージン・モヒートをもらおう」
その一言に、桐生は茶柱を呪った
“よりによってそれかよ....”
ヴァージン・モヒート。
ラムを抜いたノンアル版モヒートで、使う材料は至ってシンプル。ミント、ライム、砂糖、ソーダ。
だが、このカクテルは見た目以上に“繊細”である。特にミントの扱い。適当に潰せばいいというものではなく、香りを引き出しつつも苦味を出さず、草っぽさを抑えなければならない。雑にやると、ただの“草水”になる。
さらに、ライムの量も多すぎれば酸っぱく、少なければ締まらない。
“コイツ....わざと難しいやつ選びやがって、嫌がらせか?”
思わず茶柱の顔を横目で睨みそうになったが、グッと堪える。
代わりに、冷えたグラスを取り、ミントの葉を丁寧にちぎりながら、心を無にする。
「鈴木さん、少し手際がぎこちないな」
「新人なもんだからな。お手柔らかに頼む」
「.....そうか。それにしては妙にシェイクは様になっていたが?」
「それ以上は突っ込むな」
会話は軽く刺し合い、探り合い。
それでも桐生は、ミントを潰す指の力を加減し、グラスにライムを搾りながら思った。
“これ、喧嘩より神経使うんじゃないか?”
仕上げにソーダを注ぎ、丁寧にかき混ぜ、最後にミントの葉をそっと飾る。
「....ヴァージン・モヒートだ」
茶柱は一口飲み、ふむ、と短く唸った。
「悪くない。鈴木さんにしてはな」
桐生はシェイカーを片付けながら、疲労と共にまた一つ、深いため息をついた。
茶柱が去ったあとも、客足は止まらなかった。
数人の生徒、さらには見知った顔ぶれの教師たちまで現れ、桐生は何度も心の中で「なんで来るんだよ....」と叫びながらも、黙々とシェイカーを振り、グラスを磨いた。
気がつけば、太陽は頭上を越え、昼を少し過ぎた頃。ようやく客足が落ち着き、ふっと一息つけるタイミングが訪れた。
「お疲れ様、桐生さん。取り敢えず、昼ごはんにしよっか」
カウンターの奥からマスターが優しい声でそう言って、ひょいと皿を差し出してくる。
中には、湯気を立てるアラビアータのパスタ。
「ありがとう」
桐生は、椅子に深く腰を下ろすと、フォークを手に取って一口。
「....う、美味い....」
口の中に広がる、ピリッとしたトマトソースの刺激と、モチモチのパスタの食感。喧嘩じゃない疲労感に、温かい食事が染み渡る。
「それはよかった」
マスターは、やや得意げな顔をしてうなずく。
「桐生さん、ありがとう。おかげで助かったよ。これ、バイト代の代わりってわけじゃないけど.よかったらどうぞ」
営業が一段落した頃、マスターがそう言って手渡してきたのは、一冊の分厚い本だった。
タイトルは『ノンアルカクテル&クラシック・モクテルレシピ集』。
受け取った桐生は「へえ....」とだけつぶやきながら、ぱらぱらとページをめくっていく。
グラスの種類、リキュールの役割、ジュースの組み合わせ、初心者にもわかりやすく図解された内容に加えて、どうやら本の後半には著者の紹介ページがあるらしい。
何気なくそのページを見て、桐生の手が止まった。
《WORLD CLASS 優勝》
「....ん?」
目を疑ったが、そこに載っている顔写真は間違いなく、今目の前にいるあの穏やかな笑みのマスターだった。
「僕、この界隈じゃちょっと有名人なんだよ?」
くすりと笑いながらマスターが言う。なんとも軽い口ぶりだったが、その肩書きは冗談じゃ済まされない重さがある。
つまり、今さっきまで怒鳴られながら受けていたあの特訓は、世界王者による直々の指導だった、ということになる。
“そりゃ、キツいわけだ”
桐生はレシピ本を閉じると、改めてマスターの顔をじっと見つめた。
「....なんでこんなとこでバーなんかやってるんだ? もっと他に....有名な店とか、海外のホテルとかでやれんじゃないのか」
素朴な疑問がそのまま口から出る。
マスターは少しだけ目を細め、窓の外に広がる海を見ながら答えた。
「うん、そういう道もあったんだけどね。僕さ、若い人たちにバーの面白さを知ってもらいたいんだよ。カクテルって、お酒って、ただ酔うためだけのものじゃない。もっと“文化”として知ってもらえたら、未来は変わるって思ってる」
「....意識高いな」
「ふふ、そう言われることもあるよ。でも、こうして桐生さんみたいな若い子がちょっとでも楽しそうにシェイカー振ってくれると、僕はそれだけで嬉しい」
「まあ、貴重な経験をさせてもらった」
制服に着替えながら、桐生は肩を軽く回す。あの短時間の詰め込み講習とシェイカー地獄が肩にしっかり残っていた。
「こっちこそ、中々教えがいがあったよ」
カウンターの奥で、マスターがいつもの優しい笑みを浮かべて言った。
最後にちらりと店内を見渡す。慣れないながらもドリンクを出し、笑顔や驚きの反応を引き出したあの数時間は、どこかで喧嘩とは違う“勝ち”の感覚があった。
「私はこれで。もうバーはこりごりだけどな」
「またいつでもおいで。鈴木さん」
背中越しにそう呼ばれて、桐生は一瞬だけ立ち止まったが、振り返らずに片手をひらひらと振って応えた。
扉の外はクルーズ船の静かな通路。先ほどまでの喧騒が嘘のように、そこには心地よい潮の香りと、微かな振動だけが残っていた。
“......ま、悪くないバイトだったな”
心の中でそうつぶやきながら、桐生はゆっくりと歩き出した。
後、1〜2話で干支試験は必ず終わらせます!
今更ですがこのよう実のクラス基準(不良含む)
Aクラス: 不良としての関与ゼロ(あるいは過去に関わっていた痕跡がまったく無い)
Bクラス: 関与の可能性はあるが確定的な証拠がない
Cクラス: 不良組織の構成員であることが確定している
Dクラス: 不良組織の幹部経験者または現役幹部
こんな感じなので、桐生ちゃんや真島の兄さんは問答無用でDクラスルートです。Bクラスで証拠が無いってどんだけ治安悪いんだよとか思わないで下さい...