イヌイヌイヌ子さん、しまなみ海道をゆく!○○   作:ドラ麦茶

10 / 10
10・寄り道/大久野島

 広島と愛媛の県境・多々羅大橋を渡ったあおいと千明。

 次の島である大三島の案内はあおいが務める予定だったが、千明の強い希望により、その前に寄り道をすることになった。

 

 千明の先導で坂をくだり、大三島へ上陸したふたりは、海沿いの道を北へ向かう。

 海風に吹かれながら三十分ほど進むと、海に面した広い駐車場があり、千明はそこに入った。

 

 沿岸には防波堤で囲われた漁港があり、漁船が十(そう)ほど停泊している。

 その漁港から堤防で分けられた隣の区画には大きな白ゲートに囲われた桟橋があり、自転車やバイク・車と、観光客と思われる人の姿があった。

 恐らくフェリー用の港だろう。

 

 千明は桟橋から少し離れたところにある平屋の建物の前で自転車を停めた。

 建物の外壁には立体文字で『盛港務所』とあった。

 

()()()港だ」

 千明が自転車のスタンドを立てながら言った。

「ここでフェリーに乗って、隣の島へ行くぞ。チケット買ってくるから、ちょっと待っててくれ」

 

 千明は港務所へ入って行った。

 あおいは千明が戻ってくるのを待ちながら、フェリーを待つ人たちを見る。

 連休二日目ということもあり、二十人以上いるそのほとんどが観光客と思われる格好をしている。

 

 驚いたことに、その半分近くが外国人である。

 

 しまなみ海道は世界的にも有名なサイクリングロードだから外国人のサイクリストもよく見かけるが、そのサイクリングロードからは外れた島に多くの外国人が訪れるということは、かなり有名な島なのだろうか。

 

「お待たせ」

と、千明がチケットを持って港務所から出てきた。

「あたしの都合で行くんだから、ここはオゴリだ。ほれ」

 

 チケットを受け取るあおい。

 チケットには『盛~大久野』となっていた。

 

()()()()?」

 

「そうだ。大久野(おおくの)島。離島マニアの間では、結構有名なところなんだぜ?」

 

「アキがウチの交通費負担してまで行きたいんやから、よっぽどやな」

 

 あおいは「ありがたやありがたや」とチケットを頭上に掲げた。

 

 ぼう、と、海の方から汽笛が聞こえた。

 フェリーが港内に入ってくる。

 尾道の小さな渡船と違い、車も十台以上は乗れる中型のカーフェリーだ。

 正面デッキの手すりには『盛⇔大久野島⇔忠海』とある。

 大久野島を経由して大三島の盛港と竹原市の忠海(ただのうみ)港を繋ぐフェリーだ。

 

 フェリーは桟橋に近づき、位置を調整しながらゆっくりと接岸する。

 ランプウェイが下ろされ、船内で待機していた数台の車やバイク、十人ほどの自転車・徒歩の客が下船した。

 

 入れ替わりにあおいたちが乗りこむ。

 

 一階の車両積載スペースの隅に自転車を停めた二人は、外階段を使って客室がある二階デッキへ上がった。

 

「お? なんや、カワイイな」

 

 客室の窓には、白いカッティングシートをウサギの形に切り抜いたものが貼られていた。

 座っているものや飛び跳ねているもの、エサを食べているものなど、バリエーションも豊かだ。

 あおいの後から上がって来た親子連れが、ウサギを指さして笑顔を浮かべる。

 なんとも微笑ましい光景だ。

 

 客室には座席の他に靴を脱いで上がれるマス席もあるが、せっかくなので室内には入らずデッキで海を眺めることにする。

 船後方のデッキへ移動し、しばらく待っていると、ランプフェイを上げる音がして、フェリーは着岸時と同じくゆっくりと桟橋を離れた。

 

 防波堤で囲われた区画を出ると、先ほど渡った多々羅大橋が見えた。

 フェリーは橋を後方に見ながら北西へ向かう。

 天気は快晴で、風は優しく、波も穏やかだ。

 絶好のクルーズ日和である。

 と言っても十五分ほどの船旅だが。

 

「あ、そうだ。あれ、判るか?」

 

 千明が多々羅大橋の手前を指さした。

 あおいたちから見て左側には生口島、右側には大三島があり、そのちょうど中間あたりに、ぽつんと浮かぶように小さな島がある。

 かなり低い山とそれよりちょっとだけ高い山のふたつが連なっており、ちょうど()()()()()が海に浮かんでいるような形だ。

 

「その名もズバリ瓢箪(ひょうたん)島だ」

と、千明が説明する。

「観光地もなにもない無人島だが、この辺りでは、昔のNHKの人形劇『ひょっこりひょうたん島』のモデルではないかって言われている。まあ、真偽のほどは定かじゃないそうだが」

 

「ひょうたん島のモデルって言われてる島、結構いろんなところにあるらしいからな」

 

「そうなんだ。で、あの瓢箪島なんだが、ちょっと面白い民話があるんだ」

 

「民話?」

 

「ああ。あの島、昔はひょうたん型じゃなく、普通の山型の島だったらしいんだ。この辺りは、昔からたくさん魚が獲れることで知られ、特にあの小さな島の周辺は、網を投げ入れれば必ず大漁になるほどの良い漁場だった。だから、島周辺の漁業権を巡って、北の生口島の漁師と、南の大三島の漁師は、昔から()()()()が絶えなかったんだ。困った島民はそれぞれの島の神様に相談した。すると、神様は島を綱で結び、双方から引っ張って島を取り合うことにしたんだ」

 

「そらまた壮大な綱引きやな」

 

「まったくだ。で、さあ勝負、となり、お互いの島民が応援する中、綱が引かれた。すると、両側から引っ張られた島は、お餅を両端から引っ張ったみたいに、中央がぺこんとへこんでしまったんだ。神様が綱を引っ張るたびに、島はへこんでいく。このままだと島がちぎれてしまうと案じた島民は、神様にやめるようお願いた。それならば、と、神様は綱引きをやめた。そして、双方の島民は話し合い、ちょうどへこんだところで島を分け、北側を生口島のもの、南側を大三島のもの、という取り決めをして、和解することにしたんだ。これで、長く続いた漁業権の争いは一件落着。その名残で、今もあの島は、北側が広島県、南側が愛媛県に属しているそうだ」

 

「へこんでる部分が県境になってるわけか。そら珍しい島やな」

 

 なんてことを話しているうちに、フェリーは目的地の大久野島に近づく。

 ふたりは後方デッキから前方デッキへ移動する。

 

 島は、大三島や生口島と比べるとかなり小さく、最初の島・向島の隣にあった岩子島よりもさらに小さいように思う。

 その分、島の山頂に建つ巨大な鉄塔の存在感が強い。

 

 しかも、同じくらいの大きさの鉄塔が、島の北側と南側に一基ずつ建っているのだ。

 それぞれの鉄塔からはケーブルが伸び、北側は本州本土の鉄塔と、南側は大三島の鉄塔と繋がっている。

 

 つまり、ここから見渡すだけで巨大な鉄塔が四基確認できるのだ。

 

 島にはネコ耳型のゲートがある桟橋があり、フェリーは速度を落としてそこへ向かう。

 間もなく到着という旨のアナウンスがあり、客室の観光客は下船の準備を始めた。

 あおいたちも一階へ下り、自転車を準備する。

 

 やがてフェリーは桟橋へ接岸し、ふたりは自転車を押して桟橋へ降り立った。

 ネコ耳ゲートの桟橋は島の東部に位置しており、向かって右手側の山頂付近に高い鉄塔、左手側の山にやや低い鉄塔が見える。

 

「しかし、アキが鉄塔に興味があるとは知らんかったな。ていうか、この島で船下りた人ら、みんなあの鉄塔が目当てなんか?」

 

 桟橋を渡って上陸する観光客を見て、首をかしげるあおい。

 大三島で乗船した客のほとんどがここで下船したようだ。

 まあ、因島大橋で出会った橋マニアの男性のように、鉄塔マニアや鉄骨マニアという人も世の中には一定数いるだろうが、それでもこれほど多くの人が集まるほど人気が高いとは知らなかった。

 しかも、その半分が外国人である。

 

 だが、千明は「んー」と唸って続けた。

「まあ、あの鉄塔もこの島のウリのひとつではあるが、人気の理由は、別のことだな」

 

「別のこと?」

 

「ああ。ま、すぐに判るさ」

 

 千明は意味ありげに微笑む。

 あおいは首をかしげながらゲートをくぐって桟橋を渡った。

 

 そして、千明の言う通り、この島の人気の理由はすぐに判った。

 

「ふおおおぉぉぉ! 何やこれはああぁぁ!」

 

 その光景に思わずハイテンションの悲鳴を上げるあおい。

 桟橋を渡った先にはフェリーの待合所と駐車場があるのだが、そこでウサギ出迎えてくれたのである。

 

 それも、一匹や二匹ではない。

 

 駐車場には、いたるところにウサギ、うさぎ、兎、卯……白・茶・グレーなどいろんな毛色のウサギが何匹いや何十匹もいて、しかもあおいたちを怖がることもなく、ぴょこぴょこ跳ねながら向こうから近づいて来ては「エサくれるの? エサくれるの?」と言わんばかりの目で見上げてくる。

 そのかわいらしさに、あおいは悶絶してしまう。

 

 

 

 

 

 

『大久野島』

 

 大三島の北、広島県竹原市に属する島である。

 周囲四・三キロの小さな島とは思えないほどたくさんの魅力が詰まった島であるが、近年話題となっているのはなんと言ってもウサギである。

 島には九〇〇羽以上のウサギが生息しており、『ウサギの島』として各メディアで紹介され、日本はもちろん世界中に知られるようになった。

 

 

 

 

 

 

 観光客が上陸すると同時に一斉に集まってくるウサギたち。

 かわいさのあまり抱っこしたい衝動に駆られるが、残念ながらそれはNGらしい。

 代わりに、千明が盛港で買ってきたウサギのエサを与える。

 ウサギたちは「ウマい、コレウマい」と言わんばかりの勢いで食べ始めた。

 それにつられ、さらに別のウサギも「ワシにもくれ、ワシにもくれ」と集まってくる。

 ムホー、と、あおいは鼻息も荒くパシャパシャと写真撮影をする。

 

「……さて、ウサギはこれくらいにして、目的地へ向かうぞ」

 

 エサを与え終え、千明は自転車にまたがる。

 ウサギは「もっとくれもっとくれ」というような顔で見上げてくるが、エサはもう尽きてしまった。

 名残惜しいが、あおいも自転車にまたがった。

 

「コイツら島中にいるようだから、轢かないように気を付けろよ。じゃ、行くか」

 

 ふたりは港を離れ、千明の先導で北へ向かう。

 まずは北側の鉄塔へ向かうそうだ。

 千明の言う通りウサギは道中のそこかしこにいて、注意して進む必要があった。

 そのため、島は港周辺の駐車場以外は基本的に自動車やバイクは走行禁止で、島の移動には自転車が欠かせないらしい。

 

 海沿いの道を少し進んだところで横道に逸れ、細い山道を登る。

 自転車道として整備されたしまなみ海道の坂道と違い、ここの勾配はかなりキツイ。

 それでも、あおいはめげることなく自転車を漕いで上がる。

 二十分ほど上がると、トイレがある広場に着いた。

 

「――よーし、お疲れさん。ここからは、徒歩で行くぞ」

 

 広場に自転車を停め、ペットボトルのドリンクで一休みする。

 ちなみにここにもウサギはいっぱいだ。

 あおいたちを見るとエサくれエサくれと言わんばかりに近寄って来るが、エサは港のウサギに全て与えてしまったため、もう持っていない。

 ウサギはしばらくあおいたちの足下で鼻をひくひくさせていたが、あおいたちがエサをくれないと判ると、「ケッ、しけてやがる」と言わんばかりに去って行った。

 

「……エサを持ってない人間には、なんや冷たいな」

 

「まあ、動物なんてそんなもんだ」

 

 休憩を終え、ふたりは広場を離れて細い砂利道を鉄塔へ向かって歩く。

 鉄塔は既に大きく見上げないと先端が見えないほどだが、それでももう少し距離があるようだ。

 

 広場から砂利道を少し進むと、山肌を擁壁で補強した場所に出た。

 そこからさらに進むと少し広くなった場所に出る。

 そこには、赤レンガを組み上げた欧風の建物が並んでいた。

 

 かなり古いもののようで、レンガはかなり色あせ、建物全体が山から伝って来た蔦に覆われている。

 かなり長い時間放置されていた建物のようだ。

 

 面白いのは、建物の上には普通に木が生い茂っていることだ。

 朽ちかけた建物が自然と一体化したようなその姿は、ジブリアニメの天空の城のような雰囲気だ。

 

「明治時代に日本軍が作った地下兵舎跡だ」

と、千明が言った。

「あっちには砲台跡もあるぞ」

 

 千明が指さした先へ行くと、細い道が急に開け、コンクリートで固められた地面に大きな丸い跡が残っていた。

 ここに、かつて日本軍の砲台が設置されていたんだ、と千明は言う。

 地下兵舎跡に砲台跡。いわゆる『戦争遺跡』である。

 

 

 

 

 

 

芸予要塞(げいよようさい)跡(大久野島)』

 

 明治時代、対ロシアとの戦争・いわゆる日露戦争を見据えた当時の日本軍は、ロシア海軍の侵攻に備え、各地に艦隊戦用の要塞を建築した。

 そのひとつが、大久野島に建築された芸予要塞である。

 芸予要塞はロシア海軍が瀬戸内海に侵入して、大阪・京都へ攻撃することを想定して作られた。

 しかし、開戦後、侵攻してきたロシア海軍は九州と朝鮮半島の間の対馬(つしま)海峡で迎撃されたため、瀬戸内海に侵攻してくることはなく、この要塞が戦闘に使われることはなかった。

 要塞は一九二四年に廃止されたが、現在も島の北部・中部・東部に、兵舎施設の跡や砲台跡が残っている。

 

 

 

 

 

 

「ええ雰囲気やなぁ。廃墟マニア垂涎って感じやわ」

 

 ふたりは各所を写真撮影する。

 近年は廃墟マニアだけでなくコスプレマニアにも人気のスポットだが、もちろん戦争遺跡なので歴史的価値も高く、修学旅行で訪れる学校も多いそうだ。

 ウサギはここにもたくさんいて、渋い遺跡と可愛らしいウサギのミスマッチ感も面白い。

 

 ひと通り撮影を終えたふたりは、改めて鉄塔を目指す。

 遺跡の階段を上がって砂利道を進むと、すぐに鉄塔の麓に着いた。

 海から見てもその巨大さが判る鉄塔だ。

 麓から見上げると、その大きさに圧倒されそうだ。

 

 

 

 

 

 

『中国電力大三島支線No.11』

 

 大久野島北部の山に建つ巨大な送電用の鉄塔で、本土から大久野島、そして、南の大三島へ電力を供給している。

 この鉄塔がある山の高さは約八〇メートルであるのに対し、鉄塔の高さは二二六メートルと山よりもはるかに高く、送電鉄塔としては日本一の高さを誇る。

 

 

 

 

 

 

「――海峡間の長さは二三五七メートル、か」

 あおいは鉄塔の前に建てられた説明用の看板を見ながら言った。

「そんだけ長い距離にケーブルを渡そうっちゅうんやから、そら高い鉄塔が必要やろな。瀬戸内海は船の往来が多いやろうし、()()()()部分が船に引っかかりでもしたら、大ごとやからな」

 

 見上げながら写真を撮るあおい。

 真下から見ると、先端部は果てしなく遠くに見える。

 送電鉄塔であるからには、定期的にあそこまで上ってメンテナンス作業する人がいるのだろう。

 その苦労を思うと頭が下がる思いだ。

 

 ちなみに、さっき千明は

「あの先にあたしという観測者がたどり着いたとき可能性がうんちゃらかんちゃら」

とかワケの分からないことを言っていたが、当然ながら鉄塔は進入禁止で、周囲は鉄条網付きの金網で囲われている。

 素人が先端部まで上ることは不可能だ。

 

「……って、アキ、なにしてんねん」

 

 千明の強い希望でこの島へ渡り、目的地だった鉄塔の麓についてさぞ喜んでいるのかと思いきや、千明は地べたに寝そべって、虚無感たっぷりの表情で空を見上げていた。

 

 そして。

 

「……あっち側は遠いな」

 

 ぼそり、と、つぶやくように言う。

 

「あっち側ってどっち側やねん。空見たって、なんもないやろ」

 

 あおいも空を見上げる。

 天気は快晴で、雲もほとんど無い青空が広がっている。

 

 千明は「にひひ」と笑って身体を起こした。

「要塞跡と鉄塔の麓で、この『虚無』ごっこをするのが夢だったんだ」

 

「なんやようわからんけど、念願叶って良かったな」

 

「ああ。じゃ、次行くか」

 

 要塞跡と鉄塔の見学を終えたふたりは、自転車を停めた広場に戻り、坂道をくだって海沿いの道まで戻った。

 ウサギに注意しながら北へ向かうと途中から山道になり、さらに五分ほどで島の北部に到着する。

 

 そこにも砲台跡などの戦争遺跡があったので、自転車を停めて見学する。

 鉄塔近くの遺跡よりも広範囲に広がっており、加農(カノン)砲という特殊な砲台の跡やトンネルの跡などもあって、また少し違う雰囲気だった。

 

 北部砲台跡の見学を終え、さらに自転車を漕いで進む。

 しばらくして狭い山道は開け、海が広がる場所に出た。

 島の北端に到着したようだ。

 ここからは島の西側を海沿いに南下するらしい。

 

「――お? アキ、あそこにもなんかあるで?」

 

 少し南下したところで、あおいは左手側にコンクリートでできた巨大なゲートのような建築物を見つけた。

 入口には柵が立てられているので中に入ることはできないようだが、二十メートルほど奥まで続いており、両サイドには天井までの高さが五メートルはあろうかという大きな部屋が四つもある。

 兵舎にしてはかなり大きいように思う。

 

「これも、芸予要塞の施設か?」

 

 あおいが訊くと、千明は

「いや、あれは、ちょっと違う」

と、低い声で言った。

 なにやら表情もシリアスになり、そのまま続ける

「あれは、日露戦争よりも後、第二次世界大戦中、この島で作られていた()()()()を貯蔵するための施設だ」

 

「ある兵器?」

 

「ああ――毒ガスだ」

 

「――――」

 

 毒ガス――その恐ろしい響きに、あおいは思わず息をのんだ。

 

 

 

 

 

 

『毒ガス島』

 

 対ロシア艦隊用に建設された芸予要塞は戦闘に使われることはなく、一九二四年に廃止となった。

 その後、第一次世界大戦を経験した日本軍は、戦場で猛威を振るった毒ガス兵器に注目し、研究を始める。

 その製造施設の建設地として選ばれたのが、この大久野島だった。

 そのため、島には芸予要塞跡とは別に、毒ガスの製造施設や貯蔵庫の跡なども、戦争遺跡として現存している。

 

 

 

 

 

 

「――毒ガス兵器は、第一次世界大戦後に締結されたヴェルサイユ条約やジュネーブ議定書などによって国際的に製造・使用などが禁止され、日本もそれらに調印していたんだ」

 

 海沿いの道を南下し、島南部にある『大久野島毒ガス資料館』を見学しながら、千明は説明してくれる。

 資料館には、当時工場で使われていた防護服や製造装置などが数多く展示されている。

 

「でも、日本軍はそれらの調印に反し、密かに毒ガス兵器を製造していた」

 

 千明は、重い口調で話を続ける。

 あおいは資料を見ながら、無言で話を聞く。

 

 毒ガス製造は秘密裏に行われたため、当時はこの島の存在そのものが極秘にされていた。

『地図から消された島』――そんな風に呼ばれることもある。

 ここで製造された毒ガスは一九三七年から始まった日中戦争で実際に使用され、多くの犠牲者を出したという。

 

「さらに、この工場で製造に従事した人たちも、その多くが毒ガスの影響を受けることになったんだ」

 

 展示物は、毒ガスが人体に及ぼす影響を説明するものになった。

 全身の皮膚が焼けただれたような姿の人や、奇妙な形のコブがいくつもできた人、慢性的な気管支炎に苦しむ人、など、目を背けたくなるような悲惨な写真が、いくつも展示されている。

 

 島の毒ガス工場で働いていた人はのべ六七〇〇人にものぼる。

 そのうち約一一〇〇人は、十二歳から十五歳の子供であったとも言われている。

 当然、毒ガスを扱う知識など無い。

 それどころか、毒ガス兵器製造は軍の機密事項であったため、彼らは自分たちが毒ガスを製造していることすら知らされていなかった。

 

 さらには、支給された防護服や運搬・貯蔵用のタンク等の設備は完全なものではなく、漏れ出たガスが防護服の隙間から浸透し、作業員の九割がガスの被害を受けたという。

 その後遺症に苦しむ人は、今もいる。

 

 そして。

 

 知らされていなかったこととはいえ、自分たちが作った毒ガスが戦場で使用され、結果的に多くの犠牲者を出したことへの罪の意識に苦しむ人も、また。

 

 

 

 

 

 

 資料館の見学を終えた千明とあおいは、上陸した桟橋まで戻り、その近くにある発電所施設の建物跡までやってきた。

 

 横長の三階建てコンクリート製の建物で、外壁には長方形の窓が三列規則正しく並んでいる。

 窓にガラスは無く、碁盤の目のような格子だけがむき出しで残っており、ここも建物全体に植物の蔦が絡みついている。

 

 柵に覆われ立ち入り禁止の看板が立てられているので中に入ることはできないが、ウサギたちは「ワシらにそんなの関係ないよー」とばかりに、建物の内外でエサを探していた。

 

「この島のウサギは、元々は毒ガスの実験用に持ち込まれたんだ」

 発電所跡を見学しながら、千明はさらに話を続ける。

 

 毒ガス実験用に持ち込まれたウサギは、終戦後すべて処分されており、いま島にいるウサギはその子孫ではないそうだ。

 それでも、さっきまでカワイイカワイイと悶絶しながら見ていたウサギたちにも、人間の身勝手な行為に利用されていたと知ると、悲しみややり場のない怒りといった感情が湧きあがる。

 

「戦後、島は進駐軍に接収され、毒ガス兵器や施設は全て投棄や焼却処分された。しかし、一九五〇年に朝鮮戦争が始まると、島の建物は米軍の弾薬保管施設に使われることになったんだ」

 

「日露戦争と、第二次世界大戦と、朝鮮戦争……島は、三回も戦争に利用されたんか」

 

「そういうことだ。広島の平和学習は原爆被害に関するものがほとんどだが、この島では、加害面の歴史を学ぶことができる、貴重な場所だ」

 

「せやな。正直、なんと言っていいか難しいけど、とにかく、戦争の歴史を知れて、良かったわ」

 

 あおいは、ウサギと毒ガス施設という正と負の相反する感情が浮かぶ光景を、いつまでも眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 しばらくして、千明が、ぱん、と手を叩いた。 そして、

「ま、マジメな話はこれくらいにして、最後の仕上げと行くか」

と、重く沈んだ空気を入れ替えるように明るい声で言う。

 

「最後の仕上げ? まだ行くところがあるんか?」

 

「ああ。過去には悲しいこともあったが、いまこの島は平和だ。それを堪能しないテはないぜ?」

 

 ぱち、と、ウィンクをする千明。

 またまた自転車に乗り、島の南部へ向かう。

 

 先ほど見学した毒ガス資料館の前を通って島の南東部まで来ると、海沿いに南国のリゾート地を思わせるような公園があった。

 海が間近なのはもちろんのこと、道沿いにヤシの木のような木やパイナップルのような木がいくつも植えられ、テニスコートやプールもある。

 

 敷地内には学校の校舎のような建物もあり、その入り口には、『休暇村 大久野島』とあった。

 

 

 

 

 

 

『休暇村』

 

 戦後十年以上が経ち、日本が高度成長期に突入すると、生活の安定により観光の大衆化が進んだ。

 政府は日本各地で国立公園の整備を行う『国民休暇村整備計画』をすすめ、一九六三年、大久野島はホテルやスポーツ・キャンプ場などの各種レクリエーション施設を備えた『国民休暇村』に生まれ変わった。

 現在島にいるウサギは、この休暇村のマスコットとして再度持ち込まれたものである。

 

 

 

 

 

 

「――ぷっはー! 適度な運動の後に入る温泉はたまらんなー。まさに、極楽ごくらく、だな」

 

 ホテルには日帰り入浴ができる温泉施設がある。

 大浴場の湯船に浸かりながら、千明は定番のオヤジクサいセリフを言った。

 

「ほんまやなぁ」

と、あおいも同意する。

 真昼間からの温泉。

 これこそ、野クルの野外活動の真骨頂と言えるだろう。

 

「しかし、ここまで訪れた中でたぶん一番小さい島やのに、ホンマ、いろんな魅力がある島やったな。要塞に毒ガス工場に弾薬庫ときて、休暇村からのウサギ島やろ? 波乱万丈の歴史やな」

 

「だな。ほんの百年あまりの期間にいろいろ詰め込まれ過ぎて、こっちとしては、正直キャパオーバー気味だぜ。まあ、最後に温泉に入って美味いものを食べれば、全てまるっと解決だな」

 

「美味いものか……この島の名物いうたら、なんや?」

 

「そりゃあもちろん、ウサギ鍋じゃないか?」

 

「…………」

 

「…………」

 

「そんなん出たら子供が泣くわ」

 

「そうだな」

 

 ふたりは温泉でめいいっぱい癒された後、昼食のためにレストランへ向かう。

 当たり前だがウサギ鍋は無く、代わりに竹原名物のタコ天の定食や広島名物のカキフライの定食に舌鼓をうち、食後はロビーでたっぷりくつろいだ後、ホテルを出て港へ戻った。

 時刻はお昼の二時。かなり長い滞在となった。

 

「――ところで、アキ」

 

「うん?」

 

「あの先にあたしという観測者がたどり着いた時、とか、あっち側は遠い、とか、変なこと言うてたけど、あれ、結局なんやったんや?」

 

「ああ。あれは、一部の人間の聖地巡礼だ」

 

「聖地巡礼?」

 

「そ。この島は、あたしらみたいな人種には、近くにきたら絶対に寄らなければならない島なんだよ」

 

 にひひ、と、意味ありげに笑う千明。

 結局なんだかよく判らないが、まああおい自身もかなり楽しんだので、良しとすることにした。

 

 ふたりは大三島へ戻るフェリーに乗り込むと、要塞毒ガス休暇ウサギ島である大久野島を後にした。

 

 

 

 

 

 

夜見(やみ)島』

 

 大久野島にある芸予要塞跡・日本一の送電鉄塔・発電所跡などは、ホラーゲーム『SIREN2』の舞台・夜見島のモデルとなっており、ゲームに登場する貝追崎(かいおいざき)の要塞跡・離島線4号機鉄塔、竪坑櫓(たてこうやぐら)などにその影響がみられる。

 人類・屍人・闇人にとって、ここは聖地である。

 

 

 

 

 

 

Continue to NEXT ISLAND...

 

 

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。