イヌイヌイヌ子さん、しまなみ海道をゆく!○○   作:ドラ麦茶

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2・渡船

 山梨県から西へ約五〇〇キロ。中国地方、広島県尾道市へやってきた犬山あおいと大垣千明は、サイクリストの聖地・しまなみ海道を渡るため、愛車のロードバイクとレンタルの電動アシスト機付き自転車にまたがり、駅前広場から出発した。

 

 そして、その約()()()後。

 

「よし。最初の目的地到着や」

 

 あおいは海に突き出た桟橋の前で自転車を停めた。

 後ろの千明が「早っ!!」とツッコミを入れる。

 最初の目的地である向島(むかいしま)渡船(とせん)乗り場は、駅前広場のすぐ隣だ。

 

「短い移動のワリに、随分と気合入れてグローブとヘルメットを装備してたな」

と、千明。

 

「ええやろ別に。あれはスポーツ選手が競技前にやるルーティーンみたいなもんや。気合入れて何がアカンねん」

 あおいは千明の言葉を軽くいなす。二人は自転車を下り、押しながら桟橋を渡った。

 

 

 

 

 

 

『渡船』

 

 尾道側からのしまなみ海道自転車旅は、ほとんどの場合船から始まる。

 最初の島である向島へかかる『尾道大橋』は自転車でも通行できるものの、この橋は自転車道が整備されておらず、交通量も多くて危険なのだ。

 さらに、橋は島の東端に位置するため、駅前から出発した場合はかなりの遠回りにもなる。

 そのため、ほとんどのサイクリストは尾道と向島を往復するフェリー、『渡船』を利用するのだ。

 渡船にはいくつかの航路があるが、駅から徒歩三分の好立地であるこの『駅前渡船』は、しまなみ海道サイクリングで最も使われており、多くの人がここから出発することになる。

 

 

 

 

 

 

 桟橋を渡った船着き場にはアーチ状のゲートがあり、すでに多くの人が船を待っていた。

 ほとんどはこれから出発するサイクリストだが、地域住人と思われる徒歩の人や、原付の人もいる。

 

「――あれ? これ、チケットはどこで買うんだ?」

 千明は周囲を見回して首をかしげた。

 ゲート内には料金の案内板はあるが、券売所や券売機などは見当たらない。

 

「ああ。お金はフェリー内で直接払うそうやで。現金しか使えんから、用意しときや」

 あおいは事前に調べた情報を千明に話す。

 渡船にチケットは無く、船に乗ってお金を直接払うシステムだ。

 ちなみにこの渡船はフェリーと言っても非常に小さなもので、乗ることができるのは歩行者と自転車・原付だけだ。それ以外の車・バイクは、他の渡船を使うか橋を渡る必要がある。

 

「で、次の便の出発時間は……って、これ時間も決まってないのか」

 千明は時刻表を見て驚いた顔になる。

 時刻表には、向島と尾道駅前ぞれぞれの始便と終便の時間、そして、おおよその運行時間が書かれているだけだ。

 

 渡船に明確な時刻表はない。

 船は乗船場に着いたら客を下ろし、次の客を乗せ、向こう側の乗船場へ向かう。

 そして着いたらまた客を下ろし、次の客を乗せ、また向こう側の乗船場へ。

 これをひたすら繰り返すのだ。

 片道およそ五分。約十二分おきに行き来している。

 

「なんか、ゆったりしてていいな、そういうの」

 

 千明の言葉に「せやな」と応えて、あおいは海を指さした。

「あ、来たみたいやで」

 

 向島の造船用クレーンが並ぶ場所の間に水路があり、そこから船体がするりと姿を現した。

 白い船体の上に操舵室がちょこんと乗っかった小さなフェリーだ。

 操舵室はお寺にある塔の最上部を思わせるデザインで、寺の町・尾道にマッチしている。

 カワイらしい見た目に反して、スピードは結構速い。

 尾道・向島間にある尾道水道(おのみちすいどう)は、狭いだけあって流れが速く、その流れに乗るとフェリーらしからぬスピードが出るようだ。

 

 ときどき白波を立てながら進むフェリーは、あっという間に桟橋に正面から着岸した。

 側面から乗り降りするタラップはないので、乗客はそのまま正面から乗り降りするようになる。

 まだ朝早い時間だからか船内に今治側からのサイクリストの姿はなく、地域住民が数人乗っているだけだ。

 船と船着き場を繋ぐランプウェイという板が降りると、乗客は下船して桟橋を渡る。

 全ての客が下船した後、入れ替わるようにあおいたちも乗船した。

 

 船内に客室はなく、車両を積載するスペースに簡素な木組みのベンチがあるだけだ。

 全員乗船すると、カーンと鐘が鳴った。

 それが出航の合図だ。

 ランプウェイが上げられ、船は乗船場を離れて行く。

 こちら側から、向こう側へ。約五分の短い船旅だ。

 

 船員に運賃を支払い、自転車を停めた。

 ベンチはあるが壁が背もたれになっているタイプなので、座ると景色が見えなくなる。

 五分とはいえせっかくの船旅なので、二人は座らず景色を見ることにした。

 

 海は流れこそ早いが波は比較的穏やかだ。

 来る時とは逆に流れに逆らう航海なので、さっきと比べると少し遅い。

 それでも船はカワイイ見た目に反し力強く進んでいく。

 

 向島に近づくと、造船用のクレーンやタンカーの大きさがより際立って見えた。

 海に面した小高い丘の上には灯台もある。

 海なし県民にとっては何もかもが新鮮だ。

 テンションが上がったなでしこのごとく「ふおおぉぉ!」と叫びたくなるのをぐっとガマンし、ふたりは冷静を装ってスマホで写真を撮りまくった。

 

 乗船場を離れて一分ほどで、船は細い水路へ入って行く。

 水路は大きくS字にくねっており、向島の船着き場はここを進んだ先にある。

 

 水路に入ったところで、ベンチに座っている女性が

「お嬢さんたちは、学生さん?」

と声をかけてきた。

 

「ええ、そうです」

と、あおいが答える。

「山梨から来ました」

 

「そう。遠いところからようこそ」

 

 女性は親しみ深い笑顔でそう言った。

 年齢は五十歳から六十歳といったところだ。

 ようこそ、と言ってくれたということは、地域の住人だろう。

 あおいが「地元の方ですか?」と尋ねると「そうなの」と、嬉しそうに答えた。

 話好きな性格のようだ。

 

 女性は深夜のビル清掃の仕事をしているそうで、仕事が終わって家に帰るところだという。

 この船は、地域住民の足としても利用されている。

 

「ということは、毎日船で行き来してるんですか? 大変ですね」

 

 千明が気遣うように言うと、女性は

「そうでもないよ。町に住むよりはずっと楽なの」

と、なんでもないように言った。

 

 尾道は坂の町だ。細く入り組んだ道を上り下りするのは大変で、それを避け、あえて向島に住む人は少なくないらしい。

 島は比較的大きく、スーパーやコンビニ、病院や学校など、ひと通りの施設はあるのであまり不便はないし、本土への船も定期的に行き来している。

 

「でも、最近は船も少なくなってきて、ちょっと不便になってきてるんだけどね」

 女性は肩をすくめると、どこか寂しそうな顔になった。

 

 尾道は古くから港町として栄えてきた。

 尾道向島渡船の歴史も古く、明治以前から存在する。

 最盛期は全部で九航路も運航していたが、一九六八年に尾道大橋が開通して本土と繋がったのを境に、徐々に衰退していく。

 採算が取れない航路は次々と廃船となり、現在はこの駅前渡船の他にふたつ、計三航路を残すのみとなった。

 

 さらには、この内のひとつも先日廃船が決まり、来年の春には二航路になるという。

 

 こういった船の廃止は尾道渡船だけの話ではない。

 しまなみ海道開通後、広島と愛媛を結ぶ多くのフェリーが廃船となった。

 かつては隣の三原(みはら)市やさらに隣の竹原(たけはら)市からも今治行きのフェリーが出ていたが、今はもう廃船となっている。

 広島と愛媛の交通は車が主流となった。

 

 もちろんそれは交通の便が良くなったことではあるのだが、長く船を利用している人たちからすれば、どこか寂しいものがあるのだろう。

 

「駅の近くに行くときは橋だと遠回りになるし、なんとか今の船だけでも残ってほしいけどね」

 

 しみじみと語る女性に、あおいは「ほんまですね」と、相槌を打つ。

 

 女性は「それにね」と言った後、

「災害の時とか、いざという時、移動手段は多い方がええと思うんよ。この前の豪雨災害の時も、そうやったの」

と続けた。

 

 二〇一八年七月に発生した西日本豪雨災害では、中国・四国地方をはじめ九州・近畿地方など広範囲で多数の土砂災害や浸水被害が発生し、多くの被害者が出た。

 尾道でも災害関連死を含め四名の尊い命が失われた。

 交通の被害も各地で多発した。

 特に呉市と広島市を結ぶ国道で被害が大きく、鉄道も寸断され、陸路は完全に失われてしまったそうだ。

 

 このとき多くの住人が利用したのが、呉市と広島市を結ぶフェリーだった。

 

 災害後は通常より増便され、国道と鉄道が復旧するまでの間、地域の交通を支えたという。

 

「尾道は他と比べて被害は少ない方だったけど、ああいうことは、どこでも起こりうるからねぇ。今度また大きな災害が来たら、どうなることか……」

 女性は、小さくため息をついた後、それを打ち消すように、

「ああ。ごめんね。これから旅行する人に、なんだか暗い話をしちゃったわね」

と、明るい声で言う。

 

「いえ、とんでもないですよ。お話、聞けて良かったです」

 

 あおいの言葉に、千明も「だな」、と頷く。

 

 船がスピードを落とす。

 正面に桟橋が見えた。向島の乗船場だ。乗客が下りる準備を始める。

 やがて着岸し、ランプウェイが下ろされた。

 ぞろぞろと下船する乗客たち。

 千明とあおいも、自転車を押し、女性と共に船着き場に降りた。

 

「じゃあ、お嬢さんたち、気を付けてね、良い旅を」

 

「ありがとうございます。おばちゃんも、お元気で」

 

「さようなら」

 

 別れを告げると、女性は徒歩で桟橋を渡って行った。仕事を終え、家路につく。

 

 カーン、と鐘が鳴った。新たな客を乗せた船が出航する。こちら側から、向こう側へ。

 

 あおいたちにとっては本当に短い船旅だったが、あの女性も、あの船も、この先何度もこの海を行き来する。

 これからも、ここで生きていく。

 

 あおいは、船が水路を出て見えなくなるまで、その場で見送った。

 

「――よっしゃ。じゃあ改めまして。アキ、行くで」

 

「おいーっす」

 

 桟橋を渡り、二人は自転車にまたがる。

 今度こそ本当に、自転車旅が始まる。

 

 

 

 

 

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