勾配は比較的緩やかだ。しかし、それも長く続くと足に疲労がたまってくる。心拍数が上がり、肺が新鮮な空気を求めるようになる。
あおいはゆっくりと息をし、強くペダルを踏み込む。
急ぐ必要はない。
呼吸も、ペダルも、ペースを乱さず、姿勢を保ち、ゆっくりと時間をかけて、少しずつ進む。
岩子島を後にしたあおいたちは、向島へ戻り、再びブルーラインに沿ってサイクリングロードを進んだ。
海沿いの道を十五分ほど南下すると、巨大な吊り橋が見えてくる。
次の島へ渡るための橋・
あの橋を渡るため、いま、あおいは勾配を上っている。
しまなみ海道サイクリングロードの橋へ上る道は、比較的緩やかにされている。
この勾配は3パーセント、角度にすると約一・七度だ。
こういうとたいした坂ではないようにも思えるが、この角度で高さ五十八メートル、ビルの高さで言えば十五階の高さまで上るので、いかんせん距離が長く、約一・二キロも続く。岩子島へ渡る橋の坂よりもはるかに長い。
山肌を
もっとも、自転車・原付及び歩行者道なので、自動車が来ないのは安心できるポイントだ。
自分のペースでじっくりと進み、一〇分ほどで橋の手前にたどり着いた。
「お疲れさーん。ちょっと時間はかかったが、まあイヌ子にしてはガンバった方だな」
電動アシスト機を使いスイスイ登って先に到着していた千明が言った。
「なんか偉そうやな。そんな余裕こいてるけど、この先充電が切れてひーひー言う姿が目に浮かぶわ」
「ま、その時はイヌ子が先に行って、充電させてもらえる家を探してくれ」
「なんやその人情すがり旅」
「ヤバいよヤバいよー、てか?」
冗談を言って息を整え、二人は改めて橋へ向かう。
『
向島と因島を結ぶ橋で、尾道側からのしまなみ海道自転車旅で渡船を使った場合は初めて通る橋になる。
全長一二七〇メートルの吊り橋で、吊り橋の規模を示す中央支間長は七七〇メートル。
これは完成した一九八三年当時は日本最長であった。
二層構造になっており、自転車・原付・歩行者は、車道の下にある専用道を通行するのが特徴である。
はるか眼下に島々が浮かぶ海を見ながら、潮の香りを含んだ風に吹かれ、頭上には雲ひとつ無い青空が広がり、まるで空を飛んでいるような感覚――これが、あおいたちがイメージしていた、しまなみ海道の橋を渡る姿であった。
しかし、今は。
「…………」
「…………」
「……なんか、思ってたのと違うな」
「せやな。なんというか、宇宙船の中にでもいるみたいな感じやわ」
ふたりは苦笑いをする。
因島大橋の自転車道は車道の下にあるため、当然見上げても青空は広がっておらず、鉄骨むき出しの天井があるだけだ。
両サイドも×印に組まれた鉄骨がずっと続き、さらに金網も張られてあるため、走りながらでは景色も見えにくい。
風は吹いているものの、海風というよりビルの隙間風のような気分で、イメージしていた解放感はまるで無かった。
ちょっとガッカリしながらふたりが自転車を漕いでいると、橋の真ん中付近で、道の端に自転車を停め、カメラで撮影している若い男性がいた。
かなり本格的な一眼レフカメラで、夢中になっているのか、あおいたちに気づかない。
ぶつかってはいけないので、ふたりはブレーキをかけた。
「ああ、ゴメンなさい」
ふたりに気が付いた男性は、道を譲ろうと慌てて端に寄る。
そのとき、足が地面に引っかかり、バランスを崩して尻餅をついてしまった。
「だ、大丈夫ですか?」
あおいたちも自転車を停め、男性に駆け寄った。
幸いケガはしておらず、高そうなカメラも無事だ。
「大丈夫です。いや、失礼しました。つい撮影に夢中になって、通行の邪魔でしたよね」
男性は申し訳なさそうに言う。
「いえ、それは大丈夫です」
と、あおい。
自分たちも旅の途中自転車を停めて撮影することは多いし、夢中になってしまう気持ちはよく判る。
「随分熱心に撮影されてましたけど、いい風景写真、撮れました?」
あおいが訊くと、男性は
「あ、いや、違うんだ。風景じゃなくて、橋を撮ってるんだよ」
と答える。
「橋の写真、ですか?」
「そうなんだ。僕は建築の勉強をしててね、こういう橋の構造に、すごく興味があるんだよ」
男性は子供のように目を輝かせて言う。
因島大橋は車道の下に自転車道があるため、橋の裏側を間近に見ることができる。
全長一キロを超える大きな吊り橋の裏側をここまで接近して見ることができる機会はなかなか無いそうだ。
そもそもこのような二層構造になっている橋自体が非常に珍しい。
そう言われると、さっきまでちょっとガッカリしていたあおいたちも、なんだかいま貴重な体験をしているような気になってきた。
せっかくなので、あおいたちも男性に橋の裏側の撮影スポットを聞きながら、スマホで撮影した。
「お嬢さんたちは、今治まで行くの?」
男性が訊いた。
「はい。何泊かしながら、ゆっくり旅する予定です」
「そう。しまなみ海道は、『橋の美術館』とも呼ばれていてね。それぞれの橋は、どれも違った特徴があるんだよ」
「そうなんですね」
と、あおいは感心する。
あおいたちは今回の旅で各島の観光スポットしか調べていなかったが、そういう楽しみ方もあるんだと気付く。
「そうだ。良かったら、これ、あげるよ」
男性はバッグからパンフレットを取り出した。『しまなみ海道/橋のミュージアム』とある。
「それぞれの橋の特徴が書かれているから、通る時は、参考にしてみて」
「いいんですか? ありがとうございます」
ふたりは喜んで受け取った。これは、旅に新たな楽しみが増えた。
「じゃあ、良い旅を」
男性の言葉に、「ありがとうございます」とお礼を言い、ふたりは旅を再開した。