「――ひゃっはー!」
歓喜の声を上げ、あおいと千明は坂を下っていた。
長く続く上り道を上って因島大橋を渡ったふたり。上りがキツかった分、橋を渡った先にある下りは風を切って行ける(もちろん、クネクネ道なのでカーブは慎重に)。
一気に坂を下ると、ふたりは因島に上陸した。
『因島』
尾道側からのしまなみ海道旅における二番目の島である。
戦国時代に瀬戸内海一帯を支配した大海賊・
また、歴史上最強の囲碁棋士とされ、二〇〇〇年代にヒットした囲碁マンガにも登場する
「さーて、この島はイヌ子の担当だな。どこに連れて行ってくれるのか、楽しみだぜい」
坂を下り、自転車道が国道と合流したところで、千明は自転車を停めて言った。
今回の旅では、訪れる島々で千明とあおいが交互にナビをすると決めた。
先ほどの向島では千明が行先を決めたので、この因島ではあおいが決める。
事前にネット等で検索し、行きたい場所とルートは調べていた。
「ウチが行きたいと思てるのは、
あおいは国道沿いにある標識を指さした。
ブルーラインが真っ直ぐ続く道から左に脇道があり、その上の道路標識には『←白滝フラワーライン』『←白滝山』との看板がある。
山というだけあって、勾配のキツイ道が長く続いている。
「――ちょっと遠いから、まずは休憩して行こか。近くにええ店があるみたいやで」
ということで、山道に挑戦するのは後にして、一旦国道を北へ。
しばらく進んで横道にそれ、緩やかな坂道をさらに進むと、道端にオシャレな赤い屋根の家があった。
一見すると民家のようだが実は和菓子屋さんで、イートインコーナーもあるので中で休憩することも可能なのだ。
サイクリングロードからそう離れていない場所にあるので途中立ち寄る人も多く、店先にはサイクルスタンドも用意されていた。
二人は自転車を停め、店内へ入った。
「おお! なんじゃこりゃあ!」
店内に入って千明が声を上げた。
このお店のメインは大福で、ショーケースにはいろんな種類の大福が並んでいるが、なんと言っても目を引くのははっさく大福だ。
因島発祥の八朔の実を白あんで包み、さらにみかんの風味がするお餅で包んだ大福である。
商品のそばに写真が飾られてあり、お餅の中に八朔の実が入った断面図はインパクト抜群だ。
さらには期間限定の商品もあり、五月のこの時期はジャンボサイズのイチゴが入ったいちご大福が売られている。
他にも、今は販売されていないが、はっさくと甘夏の実を包んだ大福や、甘夏とぶどうの大福、みかんが一個丸々入ったみかん大福もあり、季節に合わせた味が楽しめるそうだ。
大福の他にも八朔を使ったゼリーやシャーベット、マーマレード、ポン酢、さらには八朔をイメージしたゆるキャラのグッズもあり、店内は和菓子屋さんというよりお土産物屋さんに近い雰囲気だ。
さらに千明を喜ばせたのは、なんと言ってもコーヒーが無料なことである。
いつだって千明は
はっさく大福といちご大福をふたつずつ買い、セルフサービスのコーヒーも貰ってイートインコーナーへ。
お客さんは多いものの、イートインコーナーは広めなので、どうにか座ることができた。
窓からは先ほど渡ったばかりの因島大橋が見える。
橋と海と島の景色を眺めながら大福を頬張る。
はっさく大福は八朔の酸味と餡の甘みのバランスが良く「爽やかな味」という表現がピッタリだ。
いちご大福もいちごの甘酸っぱさとお餅のモチモチ間の愛称バツグン。
コーヒーはタダというだけで美味い。
ふたりはここまでの疲れを甘いものとコーヒーと景色で癒した。
ゆっくりまったりしたかったもののお客さんが増えてきたので二十分ほどで切り上げ、店員さんによくお礼を言ってお店を後にする。
来た道を戻り、先ほどの道路標識に従い白滝フラワーラインを進んだ。
白滝フラワーラインは、因島の北にそびえる白滝山を通る全長約三キロの道だ。
目的地である白滝山の八合目駐車場は標高一六〇メートルと、因島大橋の時よりもはるかに高い。
電動アシスト機付き自転車の千明はともかく、ロードバイクのあおいにとっては、本日最大の試練になるだろう。
「大丈夫か? こんな山道選んで」
と、千明があおいの後ろから言う。
「わざわざここを通らなくても、ブルーラインに沿って北回りで進めば、遠回りでも平坦な道だったと思うぞ?」
「ええねん。通り抜けるのが目的やない。山の上が目的地なんやから」
「そんな苦労してまで行く価値があるってことか?」
「もちろんや」
「ほほう、なら、楽しみにしてるぜい」
千明を連れ、あおいは坂道を上がる。
大福パワーで多少疲労は回復したものの、それでもやはりこの道はキツイ。
あおいはギアを調整し、とにかくゆっくりでもいいからリズムを崩さないようにして進む。
フラワーラインの道端は
「お? イヌ子、なんかあそこに休憩できるところがあるみたいだぞ? ちょっと休んでいこうぜ」
十五分ほど上ったところで、右手側にちょっとした広場と、その先に東屋があるのを千明が見つけた。
あおいの自転車に取り付けてあるスマホのナビアプリによると、白滝フラワーラインの北駐車場、および北展望台らしい。
せっかくなので寄って行くことにした。
駐車場に自転車を停め、展望台へ向かう。ここまでの道中あまり視界は良くなかったが、ここは展望台だけあって北から西にかけて開けており、広く見渡すことができた。
山の麓にはビニールハウスが並んだ農場と広い造船所が見え、その向こうには海を挟んで瀬戸内の島々が見える。
「おー、結構いい眺めだな。疲れも吹っ飛ぶぜ」
千明は展望台に立って景色を見渡しながら言った。
「よう言うわ。電動アシストで楽してるくせに」
あおいは展望台の中にあるベンチにどさっと腰を下ろし、大きく息をついた。
「心外だな。あれはあくまでもアシストだから、漕いでる方も、まったく疲れないってわけじゃないぞ? ま、お前ほどじゃないけどな。ほれ」
そう言って、千明はポケットからミニペットボトルのドリンクを取り出して千明に渡した。
さっきの和菓子店で買ったミカンジュースだった。
それほど時間は経ってないから、まだ冷たい。
「お? 千明がおごってくれるなんて珍しいな、おおきに」
キャップを開けて一気に飲み干す。
甘酸っぱさが疲れた体に染みわたる。
ふたりは景色を眺めながら一〇分ほど休憩し、再び山頂を目指す。
北展望台から五分ほど自転車を漕ぐと、道は下り坂になった。
もちろんこれで上りが終わりというわけではなく、数分下るとロータリーに出る。
そこからは道が三本に分かれており、山頂へ向かう道は真ん中。最後の上りだ。
「よっしゃ、ラストスパートや!」
あおいは気合を入れてペダルを踏み込んだ。ロータリーから八合目駐車場までの四〇〇メートルほどの距離を、一気に走り切った。
「よーし、着いたでー」
ふたりは駐車場に自転車を停める。
ここにも展望台があるので、そこでもう一度休憩をする。
「……さっき、着いたと言うたやろ?」
「そうだイヌ子。確かに言ったぞ」
「あれはウソや」
「…………」
「…………」
「そのセリフは、崖のそばでは言うとリアルさが増すな」
「せやろか」
「それで、なにがウソだって?」
「自転車での上りはこれでおしまいやけど、ここは八合目やから、まだ二合分残ってる。もちろん徒歩やから、ここからはアシストは無いで? 自分の体力だけが頼りや」
「フフ、あたしをなめるなよ? ここまであたしは電動自転車で随分体力を温存してきた。今こそそれを解放するときだ!」
「ええ覚悟や。ほな、行くで」
ふたりは展望台を後にし、駐車場そばの登山道を使い、山頂を目指す。
登山道はほとんどが階段だ。ところどころ敷石が敷き詰められているものの、基本的に舗装はされていない。
しばらく上ると道の右手側は一気に開け、島の西側の景色を見下ろすことができた。
「景色もええけど、ちょいちょい道端にお地蔵さんが隠れてるから、見逃さんようにな」
と、あおい。
「そうなのか? 判った」
ふたりはさらに登る。
ごつごつした大きな岩の上にちょこんとお地蔵さんがいたり、さらには岩に文字が掘られた碑文もあったりして、ふたりでそれらを見つけてはお参りと撮影をしてさらに進むと、お堂や展望台がある場所に出た。
白滝山観音堂である。
ただしここがゴールというわけではなく、山頂まではもう少しある。
ふたりはまずお参りをし、ベンチに座って少し休憩する。
「よし、山頂まであとちょっとや。行くで、アキ」
「ういーっす」
観音堂の前を通り抜け、さらに階段を上がる。
少々疲れが見える千明だが、山頂へ近づくと。
「うお、スゲェな!」
と、一気にテンションが上がった。
山頂へ続く道には、何十、いや何百体ものお地蔵さんや石仏が、登山客を迎えるかのようにズラリと並んでいるのだ。
『白滝山』
因島北部にそびえる標高二七七メートルの山で、一五六九年、因島村上水軍六代当主・村上
一八二七年には豪商・柏原伝六とその弟子によって五百羅漢の石仏が作られた。
その数、なんと七〇〇体。
山頂までの道に所狭しと並ぶ様子は、圧巻の一言である。
「五百羅漢なのに七〇〇体!? そりゃ壮観だな!」
千明は興奮気味に石仏の写真を撮る。
カッコイイものからカワイらしいモノまでいろんな種類の石仏があり、一体一体撮影したい気分になってくる。
さすがに七〇〇体は時間がかかりすぎるのでしないが。
さらに、山頂の展望台まで行くと三六〇度の大パノラマが広がっていた。
戦国時代最強の海賊が拠点にしていただけあって、因島大橋や向島・岩子島はもちろん、その向こうの尾道、反対側にはこれから向かう予定の次の島も見える。
まさに一望だ。
ムホー! と、千明は展望台からスマホでパノラマ撮影をする。
海は三六〇度、島・島・島……。
高一の終わりに伊豆キャンプをした時も海を見たが、その時は太平洋の彼方に水平線が広がっていた。
今回の景色はまるで違う。
海上には、必ずと言って良いほど、どこかに島がある。
瀬戸内海の、特に広島と愛媛の間で、水平線を見ることは難しいのだ。
海の上に島々が連なるこの美しい景色こそ、瀬戸内海最大の魅力だ。
『
本州西部・四国・九州に囲まれる瀬戸内海には、大小約七二〇もの島々が点在する。
水面に山の頂だけが突き出たかのような島々が幾重にも重なる景観は『多島美』と呼ばれ、日本はもちろん海外の観光客からも高く評価されている。
「――ほな、最後に隠しスポットに行くで」
しまなみの多島美を気が済むまで撮影をした後、あおいは千明に言った。
「隠しスポット?」
「せや。実はさっきの観音堂のところにあるんや」
あおいたちは展望台を後にし、観音堂のところへ戻る。
お堂の奥には小道があり、そこを進むと、ぐるっとお堂の裏に回り込むことができた。
進んだ先には『恋し岩』との看板があり、お堂の裏が祠のようになっていて、中には高さ一メートルほどの大きな岩が収められていた。
縦長の岩で、「くねっ」っと左に傾いているのが特徴的だ。
『恋し岩』
白滝山の観音堂裏に建立されている岩である。
お祈りすると恋が叶うという言い伝えがあり、恋愛のパワースポットとしてカップルに人気である。
「この岩には、ちょっと悲しい伝説があってな」
「悲しい伝説?」
「せや。昔な、近くの村に気立てのよい娘と、大きな身体で力持ちの男の人がおったそうなんや」
と、あおいは事前に調べてきた恋し岩の伝説を話しはじめた。
娘と若者は恋に落ち、結婚を誓い合っていた。
そんなある日、島に
若者はその身体の大きさと力持ち具合から関取の才能を見込まれ、親方に相撲の修業をしないかと誘われた。
これは現代で言えば地方で草野球をしていた人がアメリカから来たメジャーリーグの監督の目に留まり直々にスカウトされたようなものである。
若者は大喜びでこの勧誘を受けた。
そして、結婚を約束した娘に、三年だけ待ってくれ、三年経ったら立派な相撲取りになって、必ず迎えに来る、と約束し、上方へと旅立って行った。
娘は若者の言葉を信じ三年間待った。
しかし、三年経っても若者は戻って来なかった。
当時はスマホも電話もメールも電報もなく、手紙さえ庶民が送れるようなものではない。
遠く離れた若者と連絡を取る手段はなく、捨てられた、と思った娘は、海に身を投げて死んでしまった。
「……なにも死ななくてもよさそうなものだがな」
と千明。
「男だけが人生じゃあない。美味いものでも食って寝れば、それだけで、人は幸せになれるじゃないか」
「せやな。でも、ウチはその娘の気持ちもわかるで。相手を信じて待ち続けるのって、勇気がいることやと思うもん。その娘は、勇気が無かったんやろうな」
「…………」
「…………」
「あたしらが恋を語っても、なんの説得力もないけどな」
「まあな。で、一方の若者の方は、頑張って修行に励み、『白滝』という四股名の一人前の力士になってたんや」
「一応、力士になることはできていたのか。そりゃまた難儀な話だな」
「そうやねん。若者は娘を迎えに島に戻ってきたんやけど、娘が身を投げて死んだことを知り、深く悲しんだんや」
そんなある日、悲しみに暮れる若者の枕元に、観音様が御立ちになった。
娘が身投げした海に、彼女の化身の岩がある、という。
若者は海へ向かうと、娘の化身となった岩を見つけた。
五十貫(約一八七・五キロ)はあろうかというその岩を、若者は一人でこの頂へ運び、観音堂に祀ると、その後一生をかけて供養したという。
「切ねぇ話じゃぁねぇか」
千明はまるで江戸っ子のような口調で言う。
「夢へと続く階段の上るのは難しい。ゴールが見えねぇからな。もう少し進めば頂なのか、まだまだ遠いのか、判断が難しい。その若者も、約束通り三年で戻っていれば娘は死なずに済んだかもしれんが、その場合は立派な相撲取りになれなかったかもしれない。中途半端なところでは、どうしても帰るわけにはいかなかったんだろうな」
「ほんまやな」
話し終えたあおいは、
「まあそんなワケで、それ以来この岩は恋愛関係、特に、その言い伝えから遠距離恋愛にご利益があるらしいで。ほな、
と言った。
「別に構わんが、あたしもお前も、恋愛を叶えたい相手なんていねぇだろ」
と、千明は苦笑する。
「いや一緒にせんといてや。ウチはおるで」
「フフン、彼氏ってヤツか? もうそのウソには騙されんぞ」
クリスマスの前、あおいは一度彼氏がいるとウソをついて千明を騙したことがある。
あのとき千明は、見事に引っかかった。
「まあ、彼氏がおるんいうのはウソやけど、好きな人やったらおるで」
「え……?」
千明のメガネがずり落ちた。
「な……誰だそれは!? あたしの知ってるヤツか!?」
うろたえる千明に、「ナイショや」と意味ありげに笑うと、「ほら、一緒にお祈りしてや」と、千明を促す。
「信じられん……イヌ子に好きな人がいたとは……誰だ……誰なんだ……いったい……」
ぶつぶつ言いながら、千明は手を合わす。
あおいは、アホ、と心の中でつぶやいて、自分も手を合わせ、恋の成就を祈った。