真剣で私に恋しなさい!S 〜孤独な貿易商人の川神出張〜   作:霜焼雪

1 / 2
神奈川県川神市川神院周辺のロースカツ定食

 

 

 

 七月某日、川神市。

 

 

 

 ふう、やけに商談が長引いてしまった。個人相手の取引は高値で買い取ってもらえるから有り難いが、こうも長々と話しこまれると腰に来る。金に物を言わせる振る舞い通りの豪邸だったが、立地条件はいいとも言い切れないな。

 

 観光地に近すぎて騒がしい。銀閣寺付近の哲学の道のようにごった返してるし、何よりも南側の窓から見える景色がパイプだらけだったな。まるで巨人の内蔵がむき出しになっているようだ。外界を見下ろせる気分が味わえると言っていたが、あの白で塗りたくられた顔から分かる様に生きている世界が違うんだろう。

 

 門を出るまでの間にも京浜の工場地帯がよく見えた。セメント通りを通ったころより年月が経ったからかより多くの飛行機が良く飛んでいる。しかし、それは京浜が終わる確率が上がったとも言える。墜落すれば一瞬だ。

 

 さて、長かった商談が最後だったこともあってか、腹の中が綺麗にすっからかんだ。三時を回っていれば当然か。適当に車を走らせてから駐車場を探す時間も惜しい。

 

 よし! 車はここに置いて川神院近くの『めし屋』でサッサッと食べてしまおう。歩いて行ける距離に何かあるだろう。

 

 遠くから見ても分かるが、川神院は確かに大きい。関東三山に数えられているというが、そこのところはどうなんだろうな。あのまましごかれていたらここにも縁があったかもしれないが。

 

 以前訪れたときは焼肉だったが、ソープ街と川神院は雰囲気的には真反対だ。何か違うものが食べたい。確かに焼肉もガツンとキメるにはいいが、川神と言えば焼肉という謳い文句に馬鹿正直に釣られるのもなあ。

 

 考えてるだけじゃ腹は膨れない、歩いて探せ。

 

 くず餅かあ。これは腹にたまるものを食ってからゆっくり堪能したいものだ。ん……くず餅パフェなんてものまであるのか。一体どんな発想でこんなものが生まれたんだ。抹茶パフェみたいな物だろうが、これはどちらにしろ腹に来ない。

 

 梅屋、牛丼か。こんな時間に牛丼なんてマヌケすぎる。

 

 何でもいいと思いながらも見つかる店がどうにもドスンと来る物がない。空腹も相まって苛立ちを覚える。

 

 

 

「ん……」

 

 

 

 ふと、えんじ色の古びた暖簾が目に入る。

 

 かつ清……とんかつか。久しく食べていない。うん! ここにしよう。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「いらっしゃいませー!」

 

 

 

 ビニール張りの丸椅子に白いテーブル、この時代珍しいアナログな丸い画面のテレビ。店員も料理人も割烹着で、手書きのメニューが壁に貼っつけてある。

 

 なんだか懐かしい店だ。まだ社会人に成り立ての頃にこういう店に入ったことがあるような気がする。

 

 

 

「ひとり……なんだけど」

 

「ハイ、奥の席へどうぞ!」

 

 

 

 メニューとしぼり、茶を置いて店員は定位置に戻る。元気のいい店員だな。真っ赤な髪の毛が目立つが学生か?時代だな。

 

 さて、何にするか……。

 

 

 

「ズズゥ」

 

 

 

 茶を啜りながらメニューを見る。

 

 

 

「ん……ネギ味噌カツ定食か」

 

 

 

 味噌カツか、名古屋で食べるものなのかもしれんがあの甘ったるい味噌と豚肉に心が染まっていく。

 

 

 

「スイマセン、このネギ味噌カツ定食を」

 

「あー、ごめんなさい、それは本日のランチタイム限定で」

 

「あ、そうですか……」

 

 

 

 そうか……ランチは三時までか……。さっき三時を回っていたのを確認したのに、未練がましくも時計を見てしまう。

 

 ネギ味噌カツはランチタイム限り、単品も受け付けていないときた。まいったなあ、ピーンと来たんだが……。仕方がない、あるメニューから選ぶ他ないか。

 

 

 

「じゃあ……このロースカツ定食」

 

「ハイ」

 

「あ、それと牛すじの煮込み。おでんも」

 

「かしこまりました。お飲み物はどうしましょう?」

 

「いや、飲み物はいらない」

 

 

 

 牛すじの煮込みにおでん、学生にすらビールでも飲むように思われたか。ビールや何かが合うだろうが、ううむ。

 

 

 

「はい、お先におでんです!」

 

 

 

 おお、きたきた。取り敢えず腹を沈めよう。

 

 

 

「しゃく」

 

 

 

 うん、大根も出汁がしみてるしみてる。本職じゃなくてこれなら大したものだ。

 

 

 

「うーん、美味しい」

 

 

 

 こんにゃくも硬くなり過ぎてない。どこかのお好み焼きやの関東煮みたいに保温放置してない。手の込んでいる証拠だ。

 

 

 

「はい、卵とじロースカツ丼!」

 

 

 

 隣の客のか。カツ丼、そういうのもあったな。

 

 丼物に……うむ、ここのメニューならナスのおひたしやきゅうりとわかめの酢味噌和えでキメるのも悪くはなかったか。このおでんの質なら味噌汁もウマイだろうし。

 

 

 

「でも釈迦堂さんがここに来るなんて珍しいわね」

 

「可愛い看板娘が出来たって聞いたらそりゃくるさ。豚丼単品とろろのセットがないのはいただけないけどよ。メニュー追加しておいてくれや」

 

「短期バイトの身にそんなことできないって」

 

 

 

 豚丼にとろろ? なんだその組み合わせは。とろろとかおろしとか、あったかいうどんに乗せてもイマイチ効果の分からないものを豚丼に乗せるのか?

 

 うどんみたくひょっとしたらウマイと感じるのかもしれないが、そんな冒険は無用だ。

 

 

 

「はふ」

 

 

 

 うん、はんぺいも捨てたもんじゃないな。これとこんにゃくは作ったその日の方が美味しい。

 

 

 

「お待たせしました!ロースカツ定食と、牛すじの煮込み!」

 

 

 

 

 

 『ロースカツ定食』九〇〇円(白菜のおしんこ、味噌汁、白飯付き)、草鞋のような大きさだが厚みもしっかり。衣がしならないように脚付きの網に載せてある。大量のキャベツの千切り添え。

 

 『おしんこ』、白菜がギュッと絞られてお猪口を逆さにしたように乗せられている。それでいてみずみずしそう。

 

 『味噌汁』、ネギやもやしがたっぷり入っている。別売りだと二〇〇円。

 

 『白飯』、お茶碗一杯に盛られている。水分が多めで重たそう。別売りだと二〇〇円。

 

 『牛すじの煮込み』四五〇円、鍋でじっくり煮込んだものを器によそったもの。乗せてある白ネギが色合い的にマッチしている。

 

 

 

 

 

 うーん、見栄えは悪くないが思ったよりもロースカツ定食の量が多い。白飯もキャベツもたんまりと盛られている。これは牛すじの煮込みが無くても満足できたかもしれないな。

 

 

 

「ズズゥ」

 

 

 

 うん、思った通りだ。ここの味噌汁はウマイ。最近の定食屋みたいな安っぽい味がしない、昔ながらの舌に染み渡る赤だしそのものだ。この辛さこそ定食屋の味噌汁だろう。

 

 

 

「じゅるっ」

 

 

 

 もやしも味が通っているがシャキシャキは損なっていない。色も適度な味噌色だ。しかしそれでいてスポンジのような麩はぶよぶよしている。熱々の麩が喉を舐めるようにして胃に落ちる。ああうまい!

 

 

 

「さてカツだ……」

 

 

 

 備え付けのソースをかける。容器に書かれた「ソース」の文字もまた懐かしい。

 

 

 

「しゃく、もぐ」

 

 

 

 うんうん、衣への配慮が素晴らしい。カツなんてコンビニやカツサンドで食うことばかりだったから、このサクサク感が堪らない。作り置きではこうはいかんだろう。

 

 キャベツもつまんで口に放り込む。これも安いキャベツじゃないな。水で洗う無粋な真似もしていないそのままの生野菜だ。やはり定食のキャベツはこうでなくては。

 

 そしてこのおしんこ。カツの油が溜まった口の中を爽やかにしてくれる。漬かり具合もちょうど良い。

 

 

 

「むぐ、むぐ」

 

 

 

 そう考えるとカツ丼にしなくてよかった。衣のこの食感を殺されてしまうのは実に惜しい。

 

 

 

「一子、マグロのやまかけとスタミナ丼な」

 

 

 

 隣の客はまだ食うのか、やまかけにスタミナ丼とは。学生と濁酒の二役をこなすような妙な男だ。

 

 

 

「あ、やまかけはそのまんまでな! かけるのは俺がやるから!」

 

 

 

 言われなくてもそんなことをする奴はいないだろうに。

 

 

 

「へへっ、頼むよ」

 

「あんまり大声出さないでね釈迦堂さん」

 

 

 

 いかんいかん、せっかくの衣が。

 

 

 

「しゃく、もぐ、もぐ。うむ、うまいうまい」

 

 

 

 さて、牛すじの煮込みか……。

 

 

 

「もぐ、まずいのはゴムみたいになるが……」

 

 

 

 以前の取引先の、何とかセンターとかいうなんでも屋と行った屋台の牛すじはハズレだったな。

 

 

 

「もぐ」

 

 

 

 うん、まあまあか。おでんと味噌汁が美味しいからってほかの煮物まで完璧とは限らない。期待しすぎたな。決してまずいわけではないんだが。

 

 

 

「ん……」

 

 

 

 牛すじとは違う食感だ。これはなんだ……。

 

 

 

「むぐ、むぐ」

 

 

 

 そうか、こんにゃくか。うーん、しまったな。牛すじの煮込みとこんにゃくは鉄板の組み合わせだった筈なのに。おでんと言えばこんにゃく、牛すじの煮込みと言えばこんにゃく、当たり前過ぎてダブりに気がつかなかった。

 

 やれやれ、こんにゃくで喜んでこんにゃくで気が滅入るとは。今日の俺はこんにゃくに振り回されているぞ。しくじったなあ。

 

 

 

「もぐ、もぐ、むしゃ、むしゃ」

 

 

 

 しかし、この豚肉の脂身は凄いな。噛んだところからじゅわじゅわと音が出てくるようだ。これもある意味スポンジか。これに白飯が合わないはずもないな。

 

 

 

「ご飯のおかわりいかがですか?」

 

「え……」

 

「一杯目のおかわりは無料なんですよ」

 

 

 

 うーん、ご飯はどうしようか……。一口二口で食べ切るような量でもないが、残ったカツと牛すじを相手取るには物足りない。

 

 えい、いってしまえ。

 

 

 

「じゃあ、おねがい」

 

「かしこまりました!」

 

 

 

 そう言えば、以前の焼肉の時もライスを二杯行ったな。川神はどうにも俺の身体限界まで食べさせたいらしい。

 

 

 

「はい、お待ちどうさま!」

 

 

 

 手早く運ばれた白飯の山。さて、カツで白飯を半分として残りを牛すじに充てるならどう食べるか……。

 

 

 

「はい、やまかけとスタミナ丼!」

 

「おっ、きたきた! これを混ぜてっとぉ!」

 

 

 

 うへーっ、本当にやまかけをスタミナ丼の上にかけたよ。わさびじょうゆでかき混ぜたマグロと山芋がスタミナ丼に合うものかい。

 

 食欲を減退させるような行為は勘弁してくれ。二杯目は挑戦なんだよ。

 

 

 

「あっ」

 

 

 

 そうか、二杯目はかけてしまえばいいのか。

 

 カツをキャベツのシャキシャキと共に堪能して、残った白飯に牛すじをぶっかける!これで牛すじ丼だ。

 

 

 

「おっ、兄さん豪快だねぇ」

 

「え……はあ」

 

 

 

 まさかあれを参考にするとは思わなかったな。しかしこれはうまそうだな。

 

 

 

「はふ、はふ」

 

 

 

 うん。熱々のご飯に牛すじの味が染み込んだのが分かる。味が濃すぎだったからこれはいい組み合わせだ。なるほど、酒が合うだろう油の濃さもいい具合になる。

 

 

 

「ふぅー。もう食えない」

 

 

 

 しかし何とか食べきったな。あの赤羽の奇妙な店では残してしまったが、今回は見栄えも量もよかった。

 

 

 

「ごちそうさま」

 

「はーい!」

 

「すいませんおいくらですか」

 

 

 

 ◇

 

 

 

「うー」

 

 

 

 ゆったり店を出る。ああ……腹がいっぱいだ。やはり二杯目は挑戦的だったか。学ばないなあ。

 

 直ぐに車でなくて良かった。腹ごなしに歩けるのは助かる。しかし、運転中に眠くなってしまいそうだ。

 

 

 

「げっぷうっ」

 

 

 

 くず餅はまた今度だな。帰ってシャワーを浴びて……ああくそ、だめだ頭が回らん。頭の鈍さは食う前と変わらん……。これはいかんな。

 

 

 

「何でも屋に顔を出しておこうと思ったが……」

 

 

 

 どうにもそんな気分には成れない。明日も川神だ、急ぐこともないだろう。

 

 車に乗って煙草を蒸かして、微睡と煙に溶け込んで少し休むとしよう。

 

 

 





 深夜に飯テロを受けた腹いせに書き上げました。
 これが飯テロになってくれればなぁと思います。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。