寺次優衣子と社幸華に関すること   作:藍沢カナリヤ

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15 ベルベットブルーサファイア【水天一碧】

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 意を決して、控え室の扉を開く。ただそれはいらない心配だったみたい。扉を開くと、目の前には水族館の大水槽があった。照明はついたままで、ターコイズブルーの水槽の中を優雅にジンベイザメが泳いでいる。

「なんだ、心配して損した」

「そうね」

 ふと視界の端を何かが過った。反射的にそちらへと目を向けてしまう。粘着質で、黒々としたタールのような『何か』が水中でゆらゆら揺れていた。水槽の中、異質な黒い物体が段々と"何か"の形を作り始めた。まず胴体が形成される。そこから四肢のような四本が生え、最後にごぷり、と音をたてて頭が生える。原始的な口がぱかり、と開き、そして、にやりと笑った。

「っ」

「っ、さちっ」

 一瞬、体が硬直するも、ゆいこの声で我に返る。

「なに、あれ……っ」

「わ、わからない……なに、かしら」

「と、とにかく逃げよう……。走れる!? ゆいこ!」

「ええ、大丈夫……逃げましょう!」

 ゆいこの手をとって、さっき入ってきた扉へと踵を返す。こんな衣装を着ていてはまともに逃げるも何もないかもしれないけど、それでも『あれ』をずっと見ていてはいけないという本能的な恐怖を感じた。けれど、その足は止まる。扉から水族館従業員の制服を着た誰かが入ってきたからだ。目深に帽子をかぶっているが、顔は黒い。目も鼻も口も、あたしたちからは見れない。

「!! 職員さんだ! あ、あの!!」

「待って、さち! その人、何かおかしい……!」

「へ?」

 警戒するゆいこの言葉で、よく見れば確かに異様な雰囲気をしている。それに何か生臭い。制服を着たその人は、ふらつきながらこちらへ向かって歩いてくる。切れ目のようにぽっかり空いた口から声を発する。

「きょしき……ぎしき? 女王にみせる、なにもせず帰す。もしいやがるなら、歌をきかせて、むりやりぎしきさせる」

 それは控え室にあったメモにもあった文言で、きっとこの人があれを書いたのだろうと瞬時に理解する。たどたどしい話し口調。たぶんこの人は、人間じゃない。けど、不思議なことに、敵意は感じられない気がする。ゆいこを庇うように、一歩進み出ると、あたしの後ろのゆいこが訊ねてくる。

「……きょしき……ぎしき……結婚式、ってことかしら……どう思う、さち?」

「たぶん、そうだよね。それに敵意はなさそう、だし」

 ここは大人しく従った方がいいかもしれない、と伝える。

「まぁ、そうね。無理やり言うことを聞かされるより、協力した方が、良さそうだものね」

「うん。それにいざとなったら、パンチぐらいは出せるし!!」

 少しおどけるように、拳を突き出して見せると、ゆいこは笑ってくれた。

「さちは頼りになるわね」

「えへへ!」

 ひとまず式を挙げよう。敵意はなさそうだし、従っておく方が良いに違いない。そう決める。痛い目には遭いたくないしね。とはいえ、参列者もいないような式をどこまで行えばいいのかは、正直分からないけど。

「こちら、へ」

 あたしたちを導くように、人ではない人が歩き出す。水槽の中の『それ』から目を反らさないようにしながら、あたしたちは水族館を進んだ。

 

ーーーーーーーー

 

 大きな水槽の横を、2人で歩く。幻想的なターコイズブルーの光が射し込み、レースのトレーンに複雑な模様を作っていた。ちらちらと波間の模様がきれい。昼間に調査で回った時は人が多くて、あまりよく見ることができなかったけど、なかなか幻想的な空間で。

「………………」

「………………」

 隣を見れば、ゆいこも同じような感想を覚えてるみたいで、ゆらゆらと揺れる光を目で追っていた。

「…………きれい」

「ええ、そうね」

 そういう意味じゃないんだよ、とは言わない。それを言う前にふと思い出したことがあったから。

「ねぇ、ゆいこ」

「なに、さち?」

「……え、えっと……はい、ゆいこ///」

「…………あ、ありがと、さち///」

 腕を差し出す。その意図をゆいこはすぐに察してくれたみたいで、その腕に片手を添えてくれた。腕を組み歩く。バージンロードで新郎新婦がやるように。

「えへへぇ、なんかさ……照れるね」

「ええ、さちと本当の式を挙げてる気分になってきて……ほんと、照れくさいわ」

 少しだけ頬に朱も差しつつも、その顔は穏やかで幸せそう。きっとあたしも同じ表情をしてるんだろうなぁ、って。だからこそ、伝えたくなる。

「………………あのさ、ゆいこ」

「どうかした、さち?」

 

「いつか…………本当に挙げたいな、ゆいことの結婚式……ううん。絶対挙げるからね」

「…………私も、挙げたい。だから……絶対よ? 約束」

「うん、約束!」

「……さち、大好き」

「あたしも、大好きだよ。ゆいこ」

 

 指切りをして、微笑みを交わす。キラキラと水槽から溢れる光が、あたしたちを照らしている。成り行きで、こんなことに巻き込まれたのは、やっぱり不幸で。でも、こうしてゆいこと大好きを交換し合えたのは、本当に幸せだ。不幸中の幸いってやつだよね。

「つぎへ。こちらへ」

「あ、はい」

 人じゃない人に先導されながら進む。

 

ーーーーーーーー

 

 予想通り、トンネル水槽へ。ここも昼間来ていたけれど、こうして人がいないと、また違う場所みたいに見える。上を見上げれば、エイが優雅にひれを揺らめかせながら通り過ぎていった。その後ろを小さな魚たちが群れで泳ぐ。その小魚の身体で反射した光がちかちかとこちらを照らす。それが祝福されているように感じてしまうのは、思い込みかな。スカイブルーをした水槽の中、色とりどりの魚たちが遊泳する様を見ながら歩く。カツン、カツンとヒールの音が水槽に反響する。

「ねぇ、さちはもし、その……」

「んー、なあに?」

「わ、私と結婚したら……どんな風に過ごしたい?///」

「!」

「な、なによ……///」

「んへへぇ」

 赤い顔をした花嫁さん。恥ずかしがり屋のゆいこさんがそう聞いてくるんだもん。真剣に返さなきゃね。うーんと少しの間悩んでから、あたしは答える。

「今と変わらないかなぁ」

「…………そうなの?」

 声が少し不満げなゆいこに続ける。

「うん、変わらないよ。一緒に楽しいことをして、一緒にたいへんなことも乗り越えて、いろんなことを2人で経験していきたい。ほら、結婚したら運命きょうどーたいになるって言うでしょ?」

「それは……たしかに今と変わらないわね」

「でしょ? だから、いいの」

「……それだと……///」

 照れた顔でうつむき、ゴニョゴニョと何かを口にするゆいこ。聞こえないふり。これ以上はきっとゆいこは恥ずかしがって耐えきれないだろうからね、えへへぇ。

 ゆっくり、ゆっくりトンネルを進んで、やがて、トンネル水槽の終わりが見えた。

「さち」

「ん? なに?」

「幸せね」

「えへへぇ、うん!」

 穏やかで嬉しそうな表情で、あたしも嬉しくなる。

「こちら、です」

「……あ」

 不意に先導していた人じゃない人が立ち止まった。すぐ先がトンネルの終わりだっていうのに、何故か靄がかかったように見えない。

「……ゆいこ」

「……ええ、さち」

 怖いのは怖い。けれど、何度もこういう『不思議現象』に立ち合ってきたこと。それに何より隣にいる愛おしい存在が、自分の心を奮い立たせるのが分かった。

「行こう」

「ええ」

 いざ覚悟を決め、そのまま一歩踏み出す。一瞬、目の前が暗くなってからすぐに開ける。

「ここ、深海の……」

「……ええ、昼に気を失った場所、よね」

「うん」

 そこは深海エリアだった。瞬間、空気が重くなる。照明が暗いからってだけではなくて、『そういう現象』特有の空気だ。意を決して、巨大で暗い水槽を見上げる。最低限の照明で照らされた中で、ごぽごぽと泡が立つのを眺める。ふと深海の闇を、水槽の上空に設置されていた照明がまるでスポットライトのように切り裂いた。

「さち、あれ……っ」

 切り裂かれたその明かりの中にいたのは、ベルベットブルーの中に漂う、白い肌の女の人。美しい銀の髪をゆらゆらと海藻のように漂わせながら、気品のある唇が笑みを浮かべている。白い。生きている色を感じない白さ。しかし、『それ』が身にまとった白いレースのドレスが、人間とは違うのだと本能的に理解する。何より異質なのは、『それ』の唇からこぼれる歌。讃美歌のように美しく、たなびいて、あたしたちの耳に入る。人魚みたい。そう思う。

「さぁ、誓いましょう。この女王の前に愛を」

 『それ』の従者がそう言葉を紡げば、いつの間にか水槽の中には、女性の周りを囲うように揺蕩う何体もの黒い不定形が拍手の真似事をしていた。一瞬、躊躇する。けれど、これを拒否するのはきっと危ないだろう……というのは建前。本当はーー

「…………」

「…………」

 深海の暗さの中で唯一輝く純白の彼女。こちらを見つめる黒い瞳。限りなく薄い照明を吸い込むような漆黒の艶髪。白い肌に映える朱。彼女を構成する全てがあまりにも綺麗だったから。

「さち、いい?」

「……うん、もちろん」

 頷き、微笑み合う。それはいつか2人で見た恋愛ドラマのクライマックスの真似事だ。

「…………病めるときも、健やかなるときも。富めるときも、貧しきときも。さちを愛し、敬い、慈しむことを…………誓います」

「あたしも、病める時も健やかなる時も……富める時も貧しき時も……ゆいこを愛し、敬い、慈しむことを……誓います」

 そう言って、軽く吹き出してしまう。それはゆいこも同じで、きっとドラマそのまんまじゃんって思ったんだよね。形式ばった誓いの言葉はおしまい。改めて、あたしたちはそれを口にする。

【挿絵表示】

 

 

「愛してるよ、ゆいこ」

 

「私も。愛してるわ、さち」

 

 『女王』と称された女性は満足げに頷いて、あたしたちを見つめ柔らかく微笑んだ。気づけばあの重い雰囲気は既になくなっていた。

「では、誓いのキスを」

 心臓が高鳴るままに、深海のスポットライトに照らされたゆいこの肩を優しく掴む。真正面から見つめてくれるゆいこの表情は、真剣そのもので、けれど、どんなあたしも受け入れて愛してくれる、そんな熱をも感じる。

 

「ゆいこ」

「……さち」

 

 ベルベットブルーの中、沈むように唇を重ねる。静寂。この世界に2人だけしかいないかのような錯覚に陥る。どれくらいしていたかは分からない。いつものように深くはない。ただ合わせただけの唇を、ゆっくりと離した。

『祝福を』

 あたしたちへ向けられた言葉。それから歌声が聞こえる。それは讃美歌のように大きく、さざ波のように広がっていく。悍ましくも荘厳な旋律で、その音に2人、身を任せた。何があっても離さないように、両手を重ね合い、やがてーー

 

ーーーーーーーー

 

「……ん、あ?」

 意識が浮かび上がった。気が付けば。あたしは自室のソファに座り込んでいた。隣には同じく目を擦りながら起きたゆいこがいる。ただの夢、でないことは寝起きの頭でもはっきりと分かる。だって、2人ともあのウェディングドレスのままだったから。ソファで寝ていたせいで、豪奢な衣装が皺になっちゃってる。

「さち、ぶじ……?」

「うん。痛むところとかは……ないかな」

「そうね。私も少しコルセットで絞ったところが苦しいくらいよ」

「同じく。あと、なにか異常は……あ」

 持ち物に異変がないか確かめようとして、スマートフォンを確認すると、1件だけ、水族館から留守電が入っているのに気づいた。聞いてみましょうかというゆいこの言葉に頷き、スピーカーにして再生する。

『あ、もしもしー! 昨日はありがとうっすよ!』

『バイト代は振り込んでおいたんで、確認よろっす!』

『そのイ イ イショウ イショウ も もらって 貰って』

『また 女王が およびのとき、きて』

 そこでプツリと留守電は切れた。最初の声自体は、確かにアルバイトを依頼した人の声だった。けど、最後の方はどうだろう。あのたどたどしい口調は、例の人じゃない人を思い出し、少しだけ背筋が凍るような気分になる。

「え、えっと…………戻って、きた、のかな?」

「そうみたいだけれど……何だったのかしら、今の留守電……」

「な、なんだろ……なんか最後……っ」

 そこまで言って、首をブンブンと振る。アルバイトを依頼してくれた人曰く、『そういうものは惹かれ合う』らしい。考えないのが吉だって。だから、どうにかそれを思考から追い出して、話を強引に変えることにする。

「やめよやめよ! それより問題は……どうしよね、このかっこ」

「そういえばそうね、どうしましょう。とりあえず……クリーニングにでも出す……?」

「このまま皺になるもの嫌だもんなぁ。ただ……お母さんになんて説明しよ」

「それは、たしかに……。とりあえずウエディング企画に当選した、とか、誤魔化すしかなさそうだわ」

「あははぁ、そうだねぇ」

 この衣装の説明をどうしたものかと頭を悩ませる。なんだったら、ゆいこのお母さんとかは「そのまま式場とっておきましょうか~?」なんて言ってきそうではある。うちは……まぁ、似たようなものかも。ふとゆいこの方を見れば、ウェディングドレス姿で姿見の前でスマホのカメラを構えているようだった。

「ゆいこ」

「ん? なぁに、さち」

「えっと……約束、ちゃんと覚えてますか……?///」

「/// あ、当たり前じゃない……ぜったい、何があっても忘れないわよ///」

 約束。深海で交わした白い約束。それを忘れないと彼女が言ってくれたことがとても嬉しい。

 

「えへへぇ、うん。あたしも♡ 大好きだよ、ゆいこ♡」

「ふふ、私も♡ 大好きよ、さち♡」

 

 大好きが溢れ出る。深海でも、海の中でもない、いつものあたしの部屋で2人、純白に身を包んだまま、穏やかに笑い合った。

 なにはともあれ、挙式……の真似事をしてしまったことを、あたしたちは忘れることが出来ないだろう。底なしのベルベットブルーの夜に飲まれた、あの夜のことを。

 

ーーーーーーーー

 

 

 さいしょ、「百合の顔」は海の薔薇を盗んだとして王子様を憎んでいましたが、王子様を一見るなり恋に落ちてしまったのでした。

 

――千夜一夜物語『海の薔薇とシナの乙女の物語』より。

 

 

ーーーーーーーー

 

END:A『ブルーサファイアはこのあとで』

 

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 これにて、寺次優衣子と社幸華の物語はおしまいです。
 彼女たちは無事『不思議現象』から逃げ延びて、日常へと戻っていくでしょう。それが永久に続くかは別として。

※挿絵は相方様(寺次優衣子のPL様)よりお借りしました。
たすかる。本当にたすかる。
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