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時刻は午後9時。ゆいこと待ち合わせをして三度、博物館へとやって来た。
「さち……」
ゆいこの表情はいつもよりも圧倒的に固く、暗闇の中でもその不安が伝わってきた。だから、あたしはまた確認する。
「ゆいこ、もしホントに怖いなら今から帰ったっていいからね?」
「……でも、さちは1人でも行くつもりでしょ」
「…………」
「なら、行くわよ。さちを1人にするわけないじゃない」
「…………ん、ありがと」
手を繋ぎ、それだけを伝える。互いの体温だけを頼りに、あたしたちは暗い博物館の中へ歩を進めた。
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夜の博物館。なぜか警備員もいなくて、すんなり博物館の中に入ることができた。館内は思ってたより明るい。それはきっと博物館の窓から入ってくる月明かりのおかげだろう。これなら用意してた懐中電灯も使わずにすみそう。晴れていてよかったかも?
「さち、どうする? 同じ感じで常設展の方から回ってみる?」
「んー、そうだなぁ。展示室行く前にその他のとこ、見てみない? お土産のとことか」
どんな風に回ろうか聞かれたあたしは、そんな風に返答した。何か理由があったわけじゃなくて、気まぐれ。まぁ、あの『猫の水晶体』みたいなものを夜に見たくないって思いは、多少あったかもしれないけど。あたしのそんな気持ちを察してくれたのか、ゆいこは同意してくれた。そのまま土産スペースに足を向ける。勿論、お土産屋スペースには、ネットが張られていて、当たり前だけどやっていないことが分かる。
「ん?」
ふとお土産屋の奥。いわゆる従業員用の扉の側に、昼間にはない段ボールの箱が大量にあるのが目に入った。
「あれ、なんだろ?」
「さち?」
「んしょ!」
スペースにかけてあったネットをくぐり、あたしはその段ボール箱に近寄った。ゆいこもそれに続く。段ボールは封がされている感じはなく、ただ軽く閉まっているだけ。心の中でごめんなさいと謝った後、あたしはその箱を開けた。
「これって……?」
中を見れば、昨日や夕方にはなかった商品の箱がぎっしりと詰まっているのが分かる。箱の横には商品名が書いてあって。
「お! これ、棚になかった『ラピスラズリ』だ!」
「本当ね。どうする? いちおう、お守りのつもりで持っていく?」
お守り。そうだ、『ラピスラズリ』は魔除けになるって話だったもんね。こんな状況だし、あったらちょっとは心強い、かな。
「そだね! えっと……10個ぐらい借りてこう! お金はここに置いてっと!」
「うん。じゃあ、私も10個くらい借りていこうかしら……それでお金も置いて……よし」
2人でレジに代金を置く。あとついでに入館料も置いておくと、ゆいこもそれを真似てくれた。
「……よしっ! 行こっか!」
「うん、そうね」
『ラピスラズリ』を1個握りしめる。決して安心はできないけど、1つ拠り所を見つけたおかげか、視野が広がったような気がする。そのまま、あたしたちは館内散策へと向かうことにした。
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館内を見渡しながら2人、歩く。宝石や展示のケースには布がかけられていていて中を見ることはできない。それ以外は昼とそう大差ないと思う。
「特に昼と変わりなさそう、かしら……さち、何か気になるところ、ある?」
「そうだなぁ。思ったより見れるものないね。強いていうなら、月明かりが綺麗ってことくらい?」
そう言って、あたしはふと窓の方に目を向けた。月明かりが射し込んでいる。夜の博物館に2人で忍び込むなんて状況も相まってどこか幻想的だった。そのおかげで、さっきまでの緊張や強ばりが少しだけ和らぐような気がする。
「……そ、そうね……『月が綺麗』……ね」
「うん。幻想的だよねぇ」
「…………うん」
本当に幻想的だなぁ。今のこの状況はとっても非日常感が強くて、昼間学校に行っていたなんて信じられない。テニス部の朝練をサボったことも、今日の現代文で悪い点数をとったことも遠い昔のよう…………ん? おぉ?
「…………あ」
「?」
不意に思い出した学校での一場面。今日返ってきた現代文の小テストの中に書いてあった一節。それをあたしは思い出してしまっていた。
「…………あのぉ、ゆいこさんや?」
「どうしたの、さち」
気まずい。でも、ここで正してあげないと、後々ゆいこが誤解されちゃうかもしれないし。そんな義務感であたしは話を続ける。
「さっきさぁ、『月が綺麗』って言ったじゃん?」
「……え、えぇ…………言ったけど」
「なんかさ~、それって他に意味があるらしいからね? そのぉ、なんだ……ここぞって時に、この人だって相手に言った方がいいらしいよ?」
「っ」
あたしの言葉を聞いて、その言葉の裏を察してくれたのか、ゆいこは俯いた。まぁ、そりゃあ恥ずかしいよねぇ? でも、ここで正せてよかったぜ。親友としての仕事を果たしたな、うんうん。
「…………私はちゃんと……相手考え……」
「? ゆいこ、なんて……?」
自分の有能ぶりに腕を組み、悦に入っていたせいで、ゆいこの言葉を聞き逃してしまうあたし。何て言ったのか聞き直したんだけど、ゆいこは答えてくれず。慌てたように捲し立てられ、あたしはゆいこに促されるまま、例の特別展示スペースに進むことになってしまったのだった。
ーーーーside:ゆいこーーーー
『月が綺麗』。
その言葉がもつ意味を私が知らない訳がないでしょ。テニス部の朝練で体力を削られて、現代文の授業で爆睡してるさちとあたしは違う。その由来も、意味も知ってるわよ。別に応えてくれるとは思っていなかった。
『ゆいこと見るから綺麗なんだよ』とも、『ずっと前から綺麗だったよ』とも。だから、勿論『死んでもいいわ』なんていう、私にとって最上の返答も期待してない。
けどさ、それでも『そんな風』に返されたら、私はどうしたらいいの? 私の心はーー。
「っ」
ズキッと私の心の一番弱いところが痛む。幻痛だってことは分かってるわ。それでもその返しはあまりにも残酷すぎる。
ここぞって時? この人だって人?
ねぇ、さち。私がそれを考えてないと、本当に思う? ねぇってばーー
カラン。音が思考を遮った。
「なに、あれ……?」
「え……?」
さちの見る先に私も目を向ける。そこにはあの巨大な水晶『キーザ』があった。当然よね、特別展示スペースに入ったのだから。
けれど、それは明らかに『異常』だった。『キーザ』は蠢いていた。様々な色を放っていた。本来動くはずのない無機物が収縮を繰り返していて、頭のおかしくなりそうなほどの光と色で瞬く。さらに、結晶から生物的な触手が伸び、近くを飛んでいた羽虫に触れた。その瞬間に、カランとその虫は床に落ちる。それはもう『命』ではなく、『鉱物』へと変容していて。
「っ、ゆいこっ! 逃げるよッ!!」
ぎゅっとさちが振り返り、私の手を握りながら叫んだ。
「あ……っ」
けれど、彼女ではなく、その向こうの『キーザ』の放つ異様な光から、私は目を離せなかった。そして、何かが入り込んでくる感覚。それに支配された私はーー
「っ、さちっ」
咄嗟にさちの手にしがみついてしまった。
「あっ……あ」
この状況で何をやっているんだ。きっと後になって思い返せばそうなるのだろうけれど、それでも私はしがみつかずにはいられなかった。だって、
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『ごめんね、ゆいこ。あたしはゆいこのこと、そういう目では見られないかな』
『そっか。あたしのこと、そういう風に思ってたんだね……』
『……うん、ごめん。少し距離を置いてもらえるかな』
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水晶から放たれる光。その眩さにまばたきをする度に、そんな場面が、声が頭にこびりつく。彼女が離れていく。手からすり抜けていく。
「っ、さち、お願いっ」
手に力を入れる。けど、ちゃんと力を込められてるかも怪しい。感覚がない。いやっ、離れないでっ! 好きだと思っていても言わないようにするから。絶対態度には出さないようにするから。告白なんて絶対しないから。だから、お願いっ!
「離れてかないで……」
「離すわけないでしょっ!!」
鈍くなっていた手に、痛みにも似た感覚があった。瞬間、自分の体が自分の元に戻ってくる。さちが私を引き寄せたのだと理解した。
「走るよ! 奥の扉、あそこに逃げ込もう!」
「う、うんっ」
さちの言葉に頷き、私も走り出す。徐々に自分から離れかけてた意識が現実に追い付いてきた。見れば、走り出した私達を追うように、あの大きな結晶生物『キーザ』が動き始めていた。結晶の体から触手を伸ばして。
「ゆいこ、あの触手には絶対さわらないでねっ」
「わ、分かってるわっ」
さっきも見た。あれに触った虫が結晶になってしまっていた。つまり、触手に触れたらアウトなのよね。
「っ、さちっ!」
ギュンと音を立てて迫る触手を避けるさち。よ、よかった、避けられた。でも、一瞬、体勢が崩れたところへまた触手が飛んでくる。
「あ……っ」
「さち!?」
「やばっ!?」
避けられない!? そう思ったその時、さちのポケットに入っていた青く光る何かが何個かその場に散らばった。それが『ラピスラズ』だと気づいたのは少ししてから。目の前で青色が触手にぶつかる。それはみるみるうちに結晶体に変化していった。そのせいか触手の動きが止まる。
「っ、さち! こっち!!」
「っ」
私の声に反応したさちは素早く起き上がって、私の方へ駆け寄ってくる。
「だ、大丈夫、さちっ!?」
「死ぬかと思ったけど……うん、無事っぽい」
よ、よかった。さちに何かあったらと思うと……って、ううん、今はダメよ。おかしくなりそうなくらいに不安はあるし、心はギシギシと鳴っている気すらしてる。でも、考えなきゃ。この場を切り抜ける方法を。
必死で考える間にも『キーザ』はまた動き始め、再びこちらへ迫ってきていた。どうする、どうすればいいの!?
「……あっ」
ふと目に入ったのは、あの青色の何かーー『ラピスラズリ』だ。見れば、さちのポケットから落ちた『ラピスラズリ』は触手に当たって結晶化してしまっていた。けど、さっき一瞬だけーー
「っ」
「ゆいこっ!? 何を!?」
私は一歩踏み込むと、ポケットにあった『ラピスラズリ』を2、3個『キーザ』に向かって投げつけた。すると、触手はその『ラピスラズリ』に向かい、結晶化させる。ただ、その瞬間だけは『キーザ』本体は動くのを止めていて。
「! ゆいこ、手をッ!!」
「うんっ!」
さちもそれに気づいたようで、手を繋ぎ、駆け出す。私よりもずっと足の速いさちに半ば引っ張られるように走り、私達は扉に飛び込んだ。そのまま扉を閉め、近くのものをバリケード代わりに扉へと積んでいく。ドンドンと音はしていたけれど、やがて、その音は止んだ。
「はっ、はっ……」
「っは、……っはぁ……」
「………………あ、あきらめた、かな?」
少しして、音がしないことを確認した私達。ふと顔を見合わせる。その瞬間に涙がこみ上げてきて、
「さち!! さち、さち……!」
「っ、ゆい、こ……」
私はさちに抱き着いて泣いてしまう。彼女は力いっぱいに抱き締め返してくれて。そのせいでフラッシュバックする。あの光の先で見た光景がまた脳裏に甦る。
「……さち、さち……っおねがい、……いっしょに居させて……離れ、ないでっ……」
堰をきったように溢れ出る感情。それを私は止められない。置いていかれる感覚を、離れていかれる心の痛みを感じてしまって、私はさちに縋ってしまう。懇願してしまう。
「ゆいこ? うんっ、ダイジョブ、ダイジョブ。ちゃんといるからっ」
「……うんっ……」
そう言いながら、さちは私が落ち着くまでずっと頭を撫で続けてくれた。そのおかげで、あの光の影響が少しだけ和らぐような気がした。
「……まだあいつ、扉の外にいるよね……。どうにかしなきゃ……」
「そう、ね」
さちに抱き締められたまま言葉を交わす。辺りを見回すと、この部屋はそこまで広くない。『キーザ』がいた方を除くと、扉は2つ。すぐ左側と右奥。そんな私の耳に、ふと入ってくる音、いえ、歌声。それは昨日も館内に流れていた歌だった。
「さち、歌よ。歌が聞こえる……」
「! あの右奥の扉からだ! ゆいこ、行ってみよう」
「……うん」
2人でまた手を繋ぎ、右奥にある扉に手をかけて開けた。
ーーーーーーーー
扉の先は広いホールのようになっていた。そこには十数人の人間が立っていて、その中心に常設展で見たプラズマボールが鎮座している。その十数人全員が歌っていた。それは館内に聞こえてきていたものと同じもの。
よく見れば、その中の1人だけが球体の中から小さな石を取り出し、触れながらぶつぶつと呪文のような言葉を唱えている。不意にその人がばたりと倒れ込んだ。けれど、周りの人間は気にする様子もなく淡々と歌を歌い続けている。そして、倒れたのとは別の人がふらふらと近寄り、倒れた人と同じように呪文を口遊み始めていた。
まるで『儀式』のようだ。理屈じゃない。この『儀式』は危険だってことを本能が叫んでいた。
「っ、ゆいこ! なんかあれ、ヤバイ感じがする」
「うんっ、どうにか止めなきゃ」
その光景から感じたことはさちも同じだったみたいで、私達はそちらへと近寄ろうとした。でも、私達の前に1人の人が立ちはだかる。顔からは生気は感じられない。それでも、その人からは『儀式』を邪魔させないという意志を感じて。
「ゆいこ……あたしの後ろに」
そう言って、構えるさち。どこを見ているか分からないその人がゆらゆらと近づいてくる。
「っ、やぁぁっ!!」
先手必勝とばかりに、さちはその人に殴りかかる。さちはご両親から護身術は習っていたみたいだけど、決して人を傷つけるためのものじゃない。さちの拳はかするだけ。逆にその人の拳がさちに当たる。
「さ、さちっ」
「っ、だ、ダイジョブ! モーマンタイ!」
「っ、ま、待ってて。何かこの状況をどうにかできそうなもの見つけるからっ」
そう言って、私は周りを注意深く見渡す。なにか、なにかないの!? 視界の端でさちは迫ってきてた人と戦ってる。私もなにかしなきゃっ! じゃないとーー
「うっ……」
強い吐き気を感じた。それはさちが離れていく妄想がまたフラッシュバックしてしまってせいだ。さっきよりも酷い。彼女が拒絶して離れていくのではなく、死ぬことで私の側からいなくなってしまう。そんな残酷な幻覚だった。
「~~っ、そんな、ことっ、させるわけないでしょ……ッ」
どうにかおかしくなりそうな心を繋ぎ止める。さちは戦ってくれてる。私もここで何かしなきゃ、さちの隣に立つ資格がなくなっちゃうものっ!
私はとにかく目を凝らす。
プラズマボール。歌っている人たちの中心にあるんだから、あれは重要なもの? そして、その中にある石。あの石に触っては呪文を唱え、倒れて、また代わりの人が呪文を唱えるのを繰り返してる。意味がないわけがない。あの呪文にも歌にもきっと意味があるはず。少しでも情報を集めなきゃ。私はその歌に集中する。もしかしたら歌詞に意味がーー
「……………………あ」
気づいた時にはもう遅い。プツンとテレビの画面が消えるみたいに、私の視界は暗転してしまった。
ーーーーside:さちかーーーー
「ゆいこっ!?」
後ろからドサッと音がして振り返ると、ゆいこが倒れていた。何が起こったのかは分からない。けど、ゆいこによくないことが起こっていることだけは分かった。だというのに、目の前の人は依然としてこちらを邪魔しようとしてくる。
「ーーーーッ」
ザワザワと、心の奥底から沸き上がる衝動。
『あたしがゆいこを守らなきゃ』
その使命感は、いつの間にか薄れてしまった衝動を呼び起こす。ゆいこを害する物をなんとしてでも排除するという強い強い感情は、あたしの身体中を巡り、
「邪魔すんなッ!!」
叫び声とともに振り抜いた拳は、目の前の人の腹を打ち抜いた。いいところに当たったのか、その人は崩れ落ち、意識を失ったようだった。チラリと確認をするけど、他の人たちは歌に夢中でこちらに向かってくる様子はない。
「ゆいこっ!!」
倒れた彼女に駆け寄る。
「ゆいこっ、ゆいこってば!」
ユサユサと彼女の身体を揺らすけれど、起きる気配はなかった。
「起きない……な、なんで……」
怪我もない。病気とかもないはずだ。なのに、全然起きない。それどころか顔色がとてつもなく悪い。
「ど、どうしたらっ!?」
あたしにできることは……? 警察官の両親から色んな事件のことも聞くこともある。その中で意識を失ったこういうときにどうしたらいいか教わってるはずなんだ。
「思い出せ、思い出せぇ」
混乱する頭で考える。傷や衝撃で気を失った訳じゃない。そういう時、どうすればいいんだっけ!?
「意識を失った人には……………………あ」
思い至る。
「人工……こきゅー……?」
「……………………ま、じかぁ…」
「う、うぅぅぅぅぅぅむ、まじかぁ……///」
唸りながら悩む。これはあくまでも人工呼吸で、治療的な行為だってことは分かってる。こんな異常な状況で、悠長に悩んでる暇はないことも。うん、分かってるよ?
それでも、その行為をキスだって思ってしまう。こっちとら、ファーストキスもまだなんだよっ!! それに……。
「ゆいこ、は……あたしで……いいのかな……///」
親友といっても、ゆいこの全部知ってるわけじゃなくて、もしかしたらゆいこはもうしてるかもしれない。けど、もし初めてだったら……? そう考えると、恥ずかしい以上に、申し訳なくなってしまう。
「………………う、ぅぅ……」
「っ」
苦しそうな声。視線をゆいこに落とすと、その顔色はさっきよりも悪くなっていた。いや、こんなことで悩んでる暇はない。今すぐ人工呼吸しなきゃ!
「せーめー維持のためだからね…ノーカン、ノーカン……」
この期に及んで言い訳を口にしながら、あたしはゆっくりとゆいこに顔を近づけていく。
10cm、8cm、5cm。少しずつあたしとゆいこの距離が近づいて。あとでちゃんと謝るからね。彼女の唇に触れる直前に、心の中でそう言って。
「ん……っ///」
ゆいこの唇は柔らかかった。あたしのとは違う感触。乾燥を気にしてリップ塗ってたなとか、これ前に一緒に買いにいったやつだろうなとか。そんな他愛もないことが頭に浮かんでは消える。やがて、ただ彼女の唇の柔らかさだけが、あたしの頭を支配した。
どのくらい唇を合わせていただろう。一瞬、自分の身体が重くなる感覚がして、あたしは口を離した。
「…………んん……?」
「!」
数秒して、ゆいこが意識を取り戻した。咄嗟に、あたしは必要以上に離れてから
「あ、れ……? さち……?」
「あ、ゆ、ゆいこ……お、起きたんだねっ///」
「うん。私、いったい……? あれ? さち、何かあった……?」
「い、いやぁ? な、なんでもないよぉ?」
めざといゆいこめ。なんで勘繰るかなぁ!? 上擦った声をどうにか誤魔化して、あたしはなんでもないと告げる。
「……さち、声が上擦ってるけど……」
「!?」
誤魔化せてない!? 何もなかったことを強調しようと、あたしは顔を上げて、ゆいこの目を見て話そうとしたんだ。けど、
「やっぱり何かあったのね!?」
「ひゃんっ///」
ぐいっとゆいこは身を乗り出して、あたしの顔を覗き込んでくる。思わずらしくない声が出たし、顔も伏せてしまう。視界の端に映るゆいこの唇に目がいってしまう。反らそうとしても、視線が柔らかかった唇に向かってしまうのを自覚した。
「っ、な、ななななんでもなイカラ! それより、あれだよっ!」
とにかくゆいこの視線をこちらから違う方へ向けたい一心で、あたしは指をさす。その先にはあたしがさっき倒した人の姿がある。
「あっ! さちが倒してくれたの?」
「まぁ、うん」
よ、よし、誤魔化せたかな。ばれないように胸を撫で下ろしたあたしはそのまま話を進める。実際、早くここから出たいのもあるしね。
「あの人たちは動かなそうだし……ここから脱出できる手がかりが他にないかなって思ってるんだけど」
「ねぇ、さち、私、あのプラズマボールが気になってて……」
確かに仲間が倒れてもあの集団は一心不乱に中央のプラズマボールに向かって歌い続けている。それに石に触れた人が呪文のようなものを唱えた後に倒れたんだ。たぶんその中心にあるプラズマボールはさぞかし大切なものなんだろう。
「どうする?」
「うーん、正直、情報が足りない、かも」
さちの言う通りだ。気にはなっていても、あのプラズマボールをどうすればいいのか分からない。となると、情報がほしい。
「…………さち、確かここの反対側……部屋の左手前にもうひとつ扉があったよね」
「あー、そういえば!」
「行ってみよう、何かあるかも?」
「うん!」
ーーーーーーーー
左手前の扉を開けると、そこは書斎のような部屋だった。正直、博物館って建物の中にある部屋っぽくない。
「色々、書類が散乱してるね」
「…………うへぇ、なんか難しそうなこと書いてある」
落ちていた書類を1枚拾い上げて中を見てみるけど、細かい字で難しそうなことが書いているだけ。小説ならまだしもこういうのは……うん。
「ゆいこぉ」
「うん、任せて。さちは入口から誰か入ってこないか見張っておいてくれる?」
「おっけー!」
流石は親友。あたしのこと分かってるなぁ。
あたしはゆいこのお言葉に甘え、部屋の入口から前の部屋の様子を見ておくことにした。
「………………」
「………………」
「………………」
「………………きす……」
「~~~~っ///」
「さち~!」
「っ!?!? な、なにっ!?」
急に声をかけられ、身体がビクッと跳ねる。その様子に首をかしげるゆいこ。
「……どうかしたの?」
「う、ううん、こっちは異常無しでありますっ!」
「? 変なさち……」
頭を抱え悶絶する姿を、ゆいこに見られてなくて本当によかったと思いました、うん。
「それより、ちょっと見てほしいものがあるんだけど」
「う、うん」
書斎の部屋のに戻ると、ゆいこはローテーブルの上にある1枚のメモ用紙をあたしに渡した。これ、テーブルの下に落ちてたんだけど。ゆいこの言葉を聞きながら、メモの中身を確認する。そこにはとある『呪文』が書いてあった。一応、あたしでも読める言葉。その下にはその呪文の説明らしきものも書かれていて。
「『天候を変える呪文』? なんだこりゃ?」
「魔法、みたいなものかなとは思ったのだけれど」
魔法。普通なら冗談だと思うけど、水晶体の怪物がいるくらいなんだから、そんなものがあってもおかしくないと、今のあたしは思ってしまえるようになっている。
「これ、なんの意味があるんだろうね」
「それなんだけど、実は本棚に日誌があってね。そこにあの怪物を呼び出す儀式を館長さんが知ったって書いてあったのよ」
「!」
「たぶんあの部屋の人達は、あの石に魔力?を溜めて、天候を変える呪文に使ってるんだと思う。天気が『晴れ』だってことが、あの結晶体の怪物をこの世界に留める条件だって書いてあったから」
加えて、その呪文を使うには大量のえむぴーってやつを使うらしい。
「なるほど。あの人たちがしてたのはそういうことかぁ」
それで納得した。なら、
「うん。たぶんだけど……あの石、壊した方がいいと思う」
「そうだよね」
あたし達は頷き合って、その部屋を後にした。
ーーーーーーーー
部屋に入ると、あの人達はまだ呪文を唱えていた。今度はこっちに近づいてくる人もいない。
「……ゆいこ、今なら!」
「うん」
ポケットの中にしまっていた『ラピスラズリ』を取り出す。見れば、ゆいこもあたしの気持ちと同じ。彼女も『ラピスラズリ』を握りしめていた。息を合わせて、
「「えいっ!!」」
投げる。あたし達の投げた『ラピスラズリ』は放物線を描いて、プラズマボールにコツンと当たる。決して壊れるような衝撃ではなかったけれど、それでもプラズマボールは割れた。その中には乳白色の石。
「っ、ゆいこ、あの石!」
「うん!」
見えなくても分かる。その石からは、見えないけど確かに感じる『何か』が立ち上っている。あれがもしかしたら……?
「っ、プラズマボールに触った時、ふらっとしたよね。もしかしたら、あの中身の石が呪文を使うえむぴーってやつ吸いとってたとか?」
「だから、あれに触って呪文を唱えてる人は倒れた」
「うん。なら、プラズマボールじゃなくて、石自体に触ればえむぴーがたくさん手に入る……とかないかな」
「確かに、ありうるのかしら……? 触りに行ってみる?」
ゆいこがそう聞いてくる。あたしは頷く。でも、
「……………………」
「さち?」
身体が止まる。もしそれが失敗したら? 逆に前みたいにえむぴーを吸われてしまったら? あの人達と同じように倒れてしまったら? そう考えると動けなくなる。
チラリと隣を見る。ゆいこと目が合った。
うん。そうだ、あたしがゆいこを守らなきゃ、だよね。
「ねぇ、ゆいこ。あの石に触る前にあたし、呪文使ってみていいかな?」
「……さち、大丈夫なの? MPっていうのがよくわかってないけど……へいき?」
「うんっ、使ってみる!」
リスクを考えると、これが最良な気がした。だから、あたしはあのメモに書いてあった言葉を頭の中で復唱する。そして、それを口にした。瞬間、身体がどっと重くなる。ど、どうだ……?
「さち! あれ!」
部屋の奥にあった小さな窓から見える夜空。そのさらに向こうに輝く月に薄っすらと雲がかかっていく。呪文が成功したのか、歌っていた人達が狼狽え出した。そして、1人また1人倒れていく。
「……ゆいこ……大丈夫そう……?」
「うん、私は大丈夫よ。さちの方が……」
「あははぁ……うん、思ったよりつらいかもぉ」
あたしはそう言って寝っ転がった。とりあえず今のところ気絶まではしなさそうだ。その時だった。
ガンガンガンガンガンガン。
扉を叩く音がして、『そいつ』が侵入してきた。水晶体の怪物『キーザ』。さっきまでよりも透明度が上がっていた『キーザ』は、ゆらゆらとこちらへ近づいてきた。
「っ、ゆいこ! 走ってっ!!」
「でも、さちがっ!!」
あたしの身体は満足に動かない。這うことはできても歩くことは難しい。だから、察する。あたしはここまでだ。でも、ゆいこだけはーー
「んん、ふぅぅんっ」
「な!?」
逃げてと言う前に、ゆいこがあたしを背負おうとしてきた。けど、ゆいこの力じゃあたしの身体は持ち上がらない。ふと猫の水晶体が頭をよぎる。このままじゃ2人とも『キーザ』に触られて、あの猫みたいに、結晶にされちゃう。そうしている間にも、『キーザ』から触手が伸びてきていて。
「な、にしてるのっ、ゆいこっ! 早くあたしのことなんてーー」
「うるさいっ!!!」
「っ」
ゆいこの声に体が跳ねる。その迫力にあたしは黙るしかなかった。
「次、そんなこと言ったらぶっ飛ばすからッ」
見れば、ゆいこの目には涙。それを流させてしまったのは、間違いなくあたしだ。そのことにフツフツと罪悪感が沸いてくる。こんな状況だっていうのに、だ。
「ふふっ」
「……っ、さち?」
おかしいよね。目の前に迫ってくる恐怖よりも、ゆいこを泣かせちゃったことの方が今のあたしにとっては嫌なんだから。
「ね、ゆいこ。実は謝らなきゃいけないことがあってさ」
「っ、そんなの後でいつでも聞いてあげるからっ、今は!」
「あのねーー」
ガランッ。
「「え?」」
音がした。石が床に落ちる音。2人で振り返ると、『キーザ』だったあの巨大な水晶が床に無造作に転がっていて。そこから伸びていた触手はいつの間にかその姿を消していた。
「え、えっと…………?」
「お、終わった、のかしら」
「たぶん?」
よろよろと2人で光の射し込む窓の下へ。水晶体はその小さな窓から射し込む微少な光ですら反射し、輝きを放つ。複雑なその輝きはまるで生き物のように、曇天の中でも煌めいていた。
ふと星を眺める。 明日の天気はなんだっただろう。そんな呑気なことを考えながら。
ーーーーーーーー
後日談。
博物館での一件はニュースにならなかった。それどころか来場していた人達の記憶や様々な記憶媒体からも綺麗さっぱり消えてしまった。ただ変わったことが何点か。1つは博物館の館長が変わったこと。もう1つはーー
「いやな天気だぁ」
「そうね」
いつもの集合場所に集まったあたし達は、空を見上げながら呟いた。せっかく、近くの自然公園に出かけようって約束してたのに、空模様は最悪。今にも降り出しそうな天気だった。室内でもまぁいいっちゃいいけど、どこかの博物館での一件もあり、正直な話、室内は勘弁してほしいっていう感情も強い。
「よしっ! やろっか、ゆいこ!」
だから、あたしは提案する。
「…………あれ、疲れるからイヤなのよね」
「んー? せっかくのデートなのに雨降ってもいいわけぇ?」
少し嫌そうな顔をするゆいこを煽ってあげると、
「……それは、イヤ」
「だよねー!」
ほら、彼女はちゃーんと乗ってきてくれた。
「はぁ、分かったわよ、ほら」
ゆいこは1つため息を吐くと、こちらへ手を差し出してくる。
「そうこなくっちゃ!」
あたしはその手をとって、彼女に笑いかけた。ゆいこは照れたように俯く。そんな彼女に顔をあげてとお願いをして。
「行くよ!」
「うん」
あたし達は繋いだ手を空へ掲げた。
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END『曇天に煌めく』
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