穂波ちゃんの練習を見ることになったわけだけど――私の個人的な事情により――お手本を見せた後で実際に叩かせてみて、ってわけにはいかない。
お手本なんて見せたら穂波ちゃんがドラムを嫌いになってしまうかもしれない。ついでに私のことも。
すると、私はどうすればいいのか。
「握り方はそれでオッケー。スティックは握り込まないように。手の中でスティックが動かなくなっちゃうと、腕と手首の動きだけで叩くことになるからね。音も響かなくなっちゃうし」
「はい!」
口出し。
「リズムは合ってる。でもちょっと音が弱く聞こえるかな。穂波ちゃんは物を強く叩くってことに抵抗感があるかもしれないけど、ドラムは叩くものだよ。思いっきりやってみて」
「はい!」
また口出し。
「音は聞こえるようになったよ、いい感じ。今度はリズムがとれてないから、スティックを振り下ろす速さよりも持ち上げる高さを意識して―――」
自分は何もしないのに口だけ出してくる厄介お姉さんとは私のことだ。
非の打ち所がない指示厨の完成である。
ほら穂波ちゃんも嫌そうにして……ないな。あれ?
……そうか。自分のことでいっぱいいっぱいで、“そういえばこいつ何もしてなくね” ということに気が付いていないのだろう。
良かった良かった。
ひとまず安心した私は調子に乗ってその後も口だけお姉さんをやった。
「スネアは中心を叩くと音が詰まっちゃうから、もう少し手前あたりを叩けるように意識できたらしてみてね」
「はいっ!」
結局、この日は終始穂波ちゃんに不満そうな様子はなく、充実した顔で帰っていった。
あの子、いつか詐欺とかに引っ掛からないだろうか。
「……花妃姉がまともなこと言ってた」
「まあ、流石にね」
一歌ちゃんたちみんなでやろうとしていることで、穂波ちゃんも真面目に取り組もうとしているのにふざけてもいられない。
ドラマーに必要とされるのは筋力とリズム感である。
技術も求められるけど、筋力さえあればカバーがきく。
そして楽器の演奏に使う筋肉というのは一朝一夕で付くものではない。
毎日家で練習できるだろう一歌ちゃんたちに置いていかれないためにも、私も可能な限り真っ当に教えてあげないと。
「それに、ドラムの音が立ってれば志歩も弾きやすいかなって」
「うん。私と穂波がリズム隊として安定できれば、みんなも演奏しやすくなる」
「ね。どうせやるなら良い演奏ができた方が楽しいでしょ」
私はバンドを組んだこともなければセッションの経験もないけど、たぶん。
「……ありがと」
「どういたしまして」
志歩ちゃんがデレた。
今日は父も母も帰りが遅いらしいから、私が夕食担当である。
ハンバーグでも作ってあげよう。
明日は雫ちゃんの好きなうどん……いや、鍋にしようかな。寒くなってきたし、ちょうどいい。
◇
とうふの朝は早い。ついでに夜は遅い。
昨今は動画配信サービスの充実により、時間帯を問わず活動するアーティストが増えている。
そんな彼ら彼女らの歌や演奏を聴き、応援するべく深夜までサイリウムを振り、また早朝に目覚めてはサイリウムを振る。
しかしながら、とうふたちの姿が彼らに見えることはない。
それを承知の上で、とうふは音楽を奏でる彼らを応援するのだ。
彼らの計り知れない苦悩を、それでも前に進もうとする熱意を、尊いと思うから。
『……』
今回取材するのは、くすんだ蛍光灯を握り締めた彼である。
とうふの一人である彼もまた、例に漏れず朝早くからとあるライブの最前線まで出張ってきていた。
「〜〜〜♪」
ヘッドホンを耳に当て、鼻唄を歌いながらシンセサイザーを叩いている少女。
こうして作曲作業をしている彼女のライブでは、大人しく見守るのがとうふとしてのマナーであると、彼は語る。*1
少女の名前は日野森花妃。
とうふの界隈では良く知られている名前であった。
生まれた直後から不思議と耳触りの良い声を発し、またその愛らしい容姿から固定のとうふが付いていた程だという。
彼もまた、彼女の成長を見守ってきたとうふの一人として、少女の成長を喜ぶ。
『やっぱりね、嬉しいですよ。彼女がこうして音楽に親しんでくれているというのは』
黙して語らないはずのとうふの彼は、白く四角い顔で何よりも雄弁にそう語った。
聞けば、彼女の演奏は凡その人に受け入れられないものだとか。
それでも彼女が音楽を続けてくれていることに、彼は感謝しているのだ。
『十数年聴くうちに気が付きました。音程もリズムも正しいんです。ただ、なんていうかな。……うーん、“音の質” と言うべきところで、多くの生き物にとって相性の悪い演奏になっている……のでしょうね』
彼の顔面はピクリとも動かず、しかし確かに彼はそう語っていた。
『代わりに、なんでしょうかね。彼女の声質には天性のものがあります。小声で話していても、大声を張り上げようとも、人にとって心地の良い聞き取りやすい音となるんです。……まるで川のせせらぎのようにね』
よく喋る顔面である。
「ふんふ〜ん、今日の〜晩ごはんは鍋〜♪」
時間帯を考えてか、そっと柔らかく歌う少女。
目を閉じた彼に倣って耳を傾けてみればなるほど、心にすっと沁み込んでくるような、優しい感情が直接伝わってくる歌声だった。
鍋を作る相手のことを想っていることがよく分かる。
「雫ちゃんの好きな〜鍋〜♪ ……ん?」
カチカチとPCをいじりながら音の調整をしていた彼女が、不意に歌うのを止めて振り返った。
「うわっ、いつから居たの君たち」
……?
これは不思議だ。
とうふのことは、人が見ることは適わないはずでは。
『それがね、例外があるんですよ。一つは、例外的な環境―――セカイ、とよばれる場所では、私たちは彼ら彼女らと相互のコミュニケーションがとれるようになります』
セカイについては知っている。
人々の想いが作り上げる、現実ではないどこか。
そこでは想いの持ち主、あるいは持ち主たちによるライブが不定期に開催され、とうふたちが熱狂するとか。
では、セカイでもない現実世界でとうふのことを認識できる彼女は、一体……。
『もう一つは、例外的な人物―――日野森花妃だけが、現実世界で私たちを認知しているんです。それこそ、生まれた時からね』
生まれた時から……彼は、少女の誕生に立ち会ったとうふであったらしい。
そんな彼でも、日野森花妃がとうふを見ることができる理由は分からないのか。
彼女の謎がますます深まった。
「……何を見つめ合ってんの君たちは……最近朝は寒いし、ライブは開かないからね」
少女もおかしなことを言う。
彼女が歌っていれば……否、声を発してさえいればそれだけでライブだというのに。
それを証明するかのように、推しに認知されていきり立ったとうふの一人が花火を飛ばした。
「室内で花火飛ばさないでってば、もう……」
キィ、と音を鳴らして椅子を回した彼女は、またPCに向き直った。
軽い注意で済ませたというよりは、言っても直る気配がないせいで半ば諦めているのだろう。
見れば、隣の彼もクラッカーをパカパカと連発していた。
作曲作業中に視界の端で大量の紙吹雪を撒き散らされた少女は、鬱陶しそうに手で振り払っている。
『LOVE花妃〜!』
最古参でもマナーのなっていない輩はいるものである。