日野森志歩は日野森家の末っ子である。
日野森志歩は姉のことが苦手である。
姉と言っても二人いるわけだが、そのどちらのことも苦手としていた。
強いて言うなら、常に天然の妹フィルターを展開し、嫌よ嫌よもなんとやらとばかりにスキンシップを図ってくる次女の方か。
長女はといえば、話は通じるが通じた上で無視をする、という点で悪質かもしれない。やはり長女の方か。
「……」
志歩としては、大抵あの二人は協力体制で構ってくるのだからあまり考えても意味のないことだった。
「……よし、志歩。人も多くなってきたし手繋ごう。はぐれたら大変だよ」
「まぁ! そうだわ、しぃちゃんが真ん中に来て、私とはーちゃんでしぃちゃんの両手を繋ぐのはどうかしら」
こんな感じに。
どうかしら、じゃないんだけど。
子供じゃないんだし、はぐれないし。
志歩は思った。
「はぁ……そんなことよりほら、そろそろ花妃姉の後輩さん? のところに行く時間じゃないの」
こういうときは下手に反発したりせず、話題をズラすのが得策である。
毎日のように繰り返される駆け引きの中で、試される末妹は学習していた。
「……そうだった。うわ、急がないとひなたのシフト終わっちゃう!」
「鳳さん、だったかしら。確か、こっちの教室だってパンフレットに載って―――」
「雫、そっちにはグラウンドしかないよ」
「……はぁ、もう」
出てきたのはため息。
家の外だというのにいつも通り過ぎる姉たちのやり取りに、志歩は脱力感を覚える。
加えて、妙な居心地の良さも。
「……ふふ」
「ね」
知らず自分が笑みを浮かべてしまっていたこと。
それを見た二人の姉が一瞬顔を見合わせたことに、彼女は気が付かなかった。
上機嫌にはしゃぐ姉二人を引き連れて、志歩は『1-B メイド喫茶』を訪れる。
出し物の名前がそのまま『1-B メイド喫茶』となっており、立看板にもそう書いてあった。
企画の時点ではっちゃけているのだから、どうせなら名前ももっと派手にすれば良かったのに。
志歩は内心で辛口に評価する。
「お帰りなさいませ、ご主人様! ―――あ、花妃先輩でしたか。それに妹さんたちも……私はもうすぐ外れますけど、どうぞゆっくりしていってくださいね」
満点とも言える対応で彼女たちを出迎えたのは、桃色の髪を肩まで伸ばした生徒だ。
彼女が、姉の後輩だという人物だろうか。
親しげに接する様子から、そう判断する。
「結構賑わってるみたいだね」
「ええ、おかげさまで」
白と黒のオーソドックスなメイド服を着こなした彼女を志歩は感心して眺めた。
本職かと見紛うほど彼女の立ち姿は堂に入っている。
それもアキバな方ではなく、ヴィクトリアな方である。
「初めまして。いつも姉がお世話になってます」
「初めまして、鳳ひなたです。ふふっ、お姉さんからよく話は聞いてたよ? あなたは……しっかりしてそうに見えるから、志歩ちゃんかな」
「……まぁ、はい」
姉は何を話したのか。
あの性格のことだから悪口ではないだろうが、本人にとっては不名誉な話をされている可能性はあった。
例えば、小さい頃のあんな話とかこんな話とか。
家に帰ったら、外ではあまり私の話をしないようにと釘を刺す必要がある。
志歩は心に決めた。
◇
「おっひさまさっにさっに〜♪」
みーんな笑顔で、とーってもすてきなお祭りっ!
周囲の視線を集めながら、うきうきとしたステップで校内を散策する少女―――鳳えむ。
待ちに待ったお祭りだった。
姉が “高校からは文化祭というものがある” と教えてくれて以来、ずっと楽しみにしていたのである。
この二、三日などは楽しみ過ぎて眠れない……こともなく、日中遊び回って夜はぐっすり寝ていた。
そして夢の中でまだ見ぬ文化祭を堪能していた。
「むむむっ、あっちからとってもわんだほいな匂いがするっ」
鼻を利かせて、香ばしい焼き物屋台へと吸い込まれていく少女。
夢であるからして、昨日一昨日はそれはもう盛大なお祭りを想像していたえむだが、実際の文化祭も彼女の期待を全く裏切らなかった。
あっちもこっちもわんわんわんだほいなので、目移りして仕方がない。
「タレの串焼き一つ、くださいな!」
付き添いを担当するはずだった兄を校門付近で置き去りにしてきたことなど忘れ、えむは串焼き片手に校舎へと入っていく。
『1-B メイド喫茶』
もこもこした文字でデザインされた立看板を見て、えむの脳裏に電撃が走った。
ポヨヨヨヨ〜ンなお姉ちゃんが言っていたことを思い出したのだ。
文化祭ではメイドをやることになったから、着ぐるみさんたちにお作法を教えてもらったと。
何故着ぐるみさんたちがメイドの作法を知っているのか、えむには分からなかったが、姉は確かにそう言っていた。
行かなくちゃ!
姉のことは思い出しても、今も必死に彼女のことを捜している兄のことはやはり思い出せないまま、えむはその教室へと突撃した。
「お姉ちゃん知りませんかっ」
えむが教室に入って見回してみても、姉の姿は見つからない。
近くにいた人に聞いてみても、ぱちぱちと瞬きが返されるばかりで答えが返ってこない。
「むむっ……あたしのお姉ちゃん、知りませんかっ」
はいっ、とマイクを差し出すように別の人に尋ねてみるが、相手は文化祭にやってきた客である。
目の前の少女が誰か知らないのはもちろん、彼女の姉についても知っているはずがなかった。
困ったな〜、と腕を組んで首を捻ったえむは、また辺りを見渡す。
キリッシュピーンな灰色の髪の女の子と、フワフワポワワーンな水色の髪の女の人、と良く似たフワフワドッカーンな女の人、の三人組と目が合った。
寄せ合わせた机を囲んでオムライスを食べている彼女たちの元へ少女は飛び込む。
「あたしのお姉ちゃん、知ってますかっ?」
はいっ。
エアマイクを差し出されたフワフワドッカーンな女の人……花妃は苦笑しながら口を開いた。
「もしかして、えむちゃん?」
「いいえっ! えむはあたしの名前で、お姉ちゃんはひなたって名前のポヨヨヨヨ〜ンなお姉ちゃんですっ!」
レポーター気分のえむは普段よりも真面目な口調で答える。
「あ、やっぱり。……あのね、えむちゃんのお姉ちゃんは、さっきまでここにいたよ」
「ほんとーですか!?」
「うん。でも、電話が掛かってきてね。“えむが迷子になったからそっちでも捜してほしい” って。ひなたはそれで、大慌てで出て行っちゃったの。……えむちゃん、誰か付き添いの人とか、置いてきてない?」
「……あっ!」
『―――迷子のお知らせです。鳳えむさん。鳳えむさん。ピンクのパーカーを着た、小学生の―――』
タイミング良く、校内放送が響いた。
『―――文化祭実行委員会本部にて、晶介様がお待ちです。鳳えむさんは本校舎一階入口の本部までお越しください』
「……あわわわ……!」
1-Bにいた誰もが、迷子の居場所を確信する。
絶対この子だ。
校内放送から数分後、迷子問題は解決した。
◇
「ん? この匂い……串焼き?」
煙を立ち上らせる屋台を見て、志歩が呟く。
たった今ご飯ものを食べたばかりではあったが、その屋台からは実に香ばしいタレの匂いがしていた。
「あ、咲希も並んでる」
最後尾には、兄と列に並ぶ彼女の幼馴染の姿もある。
志歩は咲希の兄である司という人物について、妹想いであることは理解しているがどうしても “うるさい人” のイメージが先行してしまう。
声に限らず、所作の全てが目を引くのだ。視覚的にもうるさい人、という認識である。
そしてこの感想を本人に伝えてもまず褒め言葉としか思われないだろうことも、彼女の苦手意識を高めていた。
「あら……! そうそうあの串焼き、昨日も食べたのだけれどすっごく美味しかったのよ! しぃちゃんにも食べてもらいたいわ!」
「ちょっ、押さないで……」
咲希にだけ声を掛けて、屋台はスルーでいいかと判断を下しかけた志歩は、姉に背を押され問答無用で列に並ばされる。
「あっ、しほちゃん? しずくさんとはるひさんも!」
「む……? おお、日野森姉妹ではないか!」
「咲希、と司さん。こんにちは」
「ふふ、司くんは今日も元気ね。こんにちは」
「咲希ちゃん、司くん、こんにちは。さっきぶりだね」
五人は顔馴染みであった。
軽い挨拶を交わした後、話題は必然的に今並んでいる列の話になる。
「しほちゃんたちもこれからお昼ごはん?」
「いや、メインはさっき食べてきたところ。ここに来たのは―――」
「私がしぃちゃんにも食べてもらいたかったの!」
雫は両手を合わせた。
「ほう。その口ぶりだと雫はこの串焼きを食べたことがあるようだな」
「ええ。とっても美味しかったわ」
「ほほう! それは良いことを聞いたな、咲希!」
「うん! せっかくなら美味しいものでお腹いっぱいにしたいもんね!」
最近また入院していた期間があったことで幼馴染のことを心配していた志歩は、前と変わらず元気そうな様子を見て密かに胸を撫で下ろす。
「しずくさんとはるひさんは、一日目はどんなところを回ったんですか? もしオススメのお店があれば教えてください!」
「そうね―――」
「昨日は―――」
遡ること一日。
宮益坂の生徒のみが参加できる文化祭一日目は、中等部の生徒も高等部棟に足を踏み入れて活況を呈していた。
「まぁ……! この串焼き、美味しいわね、はーちゃん!」
「うん。塩も美味しいけど、そっちのタレも美味しそうだね。雫、一口もらってもいい?」
「もちろんよ!」
本格炭火焼き。秘伝のタレ。
この串焼きは、それを売り文句にしている。
高校での火の取り扱いが年々厳しくなる中で、ガスどころか炭火という企画をどのような手管で通したのか、疑問ではあるが。
二日限りの文化祭の出し物で、“秘伝” などというタレが果たして存在しうるのか、甚だ不審ではあるが。
雫が頬に手を当てて感動するくらいには、美味しい串焼きであった。
同行するまふゆには、そこまでの美味しさは感じ取れなかったが……普段の食事に比べれば、僅かにでも味がするというだけで十分である。
無言で食べ進める程度には気に入っていた。
「次は焼きそば行こう」
「ええ!」
「……」
これも焼き方が大雑把でソースの絡み具合にムラがあったが、それも祭りらしいと花妃と雫は喜んだ。
まふゆ的にはジャンクな味だったので高評価である。
「並んでる人減ってきたし、フランクフルト食べてみよっか」
「ええ!」
「……」
カリカリに焼けた皮と溢れる肉汁が美味しかった。
塩分過多な味だったため、まふゆ的にも高評価である。
「たこ焼き!」
「ええ!」
「……」
アイドルがこんなに食べて良いのか。
問題ない。雫は遥から “チートデイ” なる日について教わっていた。
この日を設けることによって、むしろダイエット効率が良くなるのだという。
雫は今日をチートデイとして設定していた。
「……あら? でも朝比奈さんは大丈夫かしら」
「大丈夫だよ。今日はいつもよりたくさん食べられそう」
学校ではあまり多く食べている印象がないまふゆのことを雫は気に掛けたが、無用な心配である。
まふゆは今ならいくらでも食べられる気がしていた。
その日、三人は食い倒れツアーをして文化祭一日目を終える。
時は戻り。
「そうね、私からのオススメは……たこ焼きとチュロスと海老せんべい、それにフランクフルトも美味しかったし焼きそばもこういう場所で食べるにはピッタリだったと思うわ」
「昨日はそこに加えて唐揚げとポテトフライ、あとポップコーン―――」
「待て待て待て! 食べ過ぎだろうそれは!? オレも咲希もそんなに食べられんぞ!?」
「いける! アタシ今日はいける気がするよお兄ちゃん!」
「血迷うな咲希!?」
いけなかった。
が、串焼きにたこ焼き、焼きそばにチュロスは意地でも食べたことで、彼女の少食っぷりをよく知っている兄と幼馴染は驚愕することとなる。
イベ初日に火消しのタイミングを間違えて徹夜する羽目になったとうふ。