カレンダーが十二月にめくられた頃。
毎年この時期になると花妃がそわそわし始めることを、雫は知っていた。
言うまでもなく、雫の誕生日が近いからである。
「し、雫は最近何か欲しいものとか、足りないものとか……ない? いや、ちょっと気になっただけで、他意はないんだけどね?」
「え、ええと……」
両手の指をもじもじと合わせ挙動不審になる姉を毎年見ていれば、いかに天然な雫と言えど察するものがあった。
この姉は誕生日プレゼントを贈ろうとしてくれている、と。
しかも例年通りであればプレゼントというのは一つではなく、複数に及ぶ。
手編みのマフラーや手袋、セーターなど寒さいや増す今の時期にありがたい防寒具が一つ。
手作りのケーキに加え、いつもより豪勢な夕食が一つ。
そして、雫が今欲しているものが一つ、である。
それが分かっているから、雫もこの手の問いには答えにくいのだ。
「私は……」
ここで、特にない、などと答えようものなら彼女は暴走して――主に金銭感覚的に――よろしくないものを買ってきかねない。
雫にはそれもよく分かっていた。
手編みのマフラーだけで冬の間ずっと笑顔でいられる自信があるし、自分を想って作ってくれた夕食は世界中のどんな料理よりも美味しい。
でも、姉はそれでは満足しないらしいのだ。
程よいものだ。程よいものを考えなくてはならない。
気持ちとはつまり値段のことだ、とばかりに高価な代物を贈られても困るのだから。
「……そうだわ、みかんが―――」
「……」
炬燵に入って食べるみかんは良い。
居間の炬燵を見遣ってみかんを所望しようとした雫だが、姉の表情を見てセリフを切り替える。
みかんだけならプラスアルファで何か買ってこようかな、という目をしていた。
「みかんが……あったら、年末にみんなで食べたいわね」
「年末かあ……もうちょっと近いうちに欲しくなりそうなものは?」
この姉はこれでさりげなく聞いているつもりなのだ。
逆にこのレベルの質問下手でもなければ、雫はサプライズを計画されていることに気が付かなかっただろうが。
「……あっ、しぃちゃんが―――」
「……」
次に雫が思い付いたのは、妹の志歩が『受験用に腕時計買わないと』と言っていたこと。
しかしそれでは雫の誕生日プレゼントではなく志歩へのプレゼントになってしまう。
姉が “志歩が欲しいもの? それはそれで買うとして、雫には別のものを……” という目をしたので、雫はやはりセリフを切り替えた。
「しぃちゃんが、今日も可愛かったわ」
「そうだね。でも志歩のことをラッピングするわけにもいかないし―――ん゛んっ! じゃなくて」
咳払いで誤魔化せることにも限度がある。
「うーん……欲しいもの……あっ!」
「なんか思い付いた?」
「ええ。あのね、遥ちゃんが “ダンスは録画しながら練習してる” って言っていて」
「へえ」
「だから私も、スマホ用の三脚を買ってみようかと思っていたの」
「なるほどね」
まるで姉にプレゼントをおねだりしているようで、雫としては大変心苦しかったが。
それはそれとして、姉が自身の誕生日を気に掛けてくれるのは嬉しいものだった。
◇
季節は巡り、四月。
新年度が始まって、志歩ちゃんたち幼馴染組が宮女に入学してきた。
全員で、誰一人欠けることなく。
「……なんで?」
私が首を傾げると、朝食をとっていた志歩ちゃんが眉をひそめる。
「なんでって、何が」
「だって全員で宮女って……え? ほんとに?」
「今さら? 穂波と一歌は勉強できるし、私と咲希だって苦手ってわけでもないんだから、そんな驚くことじゃないでしょ」
学力は私も特に心配していなかったけど、咲希ちゃんの身体のことがあったはずで……あれ?
そりゃ決まったときは嬉しかったけど……とかごにょごにょ照れ始めた志歩ちゃんを横目に、私は顎に手を当てた。
「……」
前世の記憶のことはもう忘れた方が良いのかもしれない。
今となっては嫌な記憶も多いし、生まれてこの方役に立った覚えもない。
人付き合いをする上ではむしろ邪魔にすらなるものだし……この際何が変わっていても気にしないことにしよう。
咲希ちゃん元気、四人で宮女。
なんだ、何も問題ないじゃないか。
ヨシ!
「あ、志歩。ちょっと待って」
「なに」
ローファーのつま先を叩いて家を出ようとした志歩ちゃんを呼び止める。
「せっかく初日なんだから、今日は三人で登校しない? それとも、一歌ちゃんたちと待ち合わせしてる?」
「してないけど」
「じゃあ雫待って一緒に行きたいな」
「……分かった」
志歩ちゃんが頷いて式台に鞄を置いたのを見た私は、廊下の奥に向かって声を張り上げた。
「雫ー! 志歩も待ってるから準備できたらおいで!」
「まあ!」
微かに廊下で反響した私の声が消え切らないうちに、雫ちゃんは突き当たりの向こう側から顔を出す。
早い。そして速い。
家の中では滅多に走らない雫ちゃんが、小走りで玄関までやってきた。
「まぁまぁまぁ! 凄いわ! そうね、今日からはまたしぃちゃんとも一緒に登校できるのね!」
「ね。私からしたら小学校以来だよ」
「いや、毎日はイヤだから」
うふふあははと姉二人で笑っていると、志歩ちゃんが真顔で釘を差してくる。
はい。
たまにね、たまに。
「志歩の方は今日は入学式だけなんだっけ?」
「そう。クラス発表とクラスでの顔合わせもあるけど、授業はないみたいだった」
「一歌ちゃんたちと同じクラスになれるといいわね」
「……うん」
家を出た私たちは、志歩ちゃんを真ん中に挟んで歩き始めた。
「入学式はね、途中で中等部三年生と高等部三年生、あと合唱部からの合唱が贈られて、吹奏楽部も演奏してくれるんだよ」
「へえ」
「あら? でも私が入学したときもはーちゃんが歌っていたわ?」
そんなものは私が合唱部の同級生に拉致られたせいである。
あんた歌えるんだから歌いなさいよと当日になって合唱部の列に放り込まれた私は、宇宙猫状態で歌ったのだ。
新入生の中に雫ちゃんがいたから、全力ではあったけど。
「何やってんの……」
「私ははーちゃんの歌が聞けて嬉しかったわ」
なら良かった。
「高等部は入学式の参加が終わったら普通に授業なんだよね……」
「お疲れさま」
「朝もお弁当作っていたものね」
◇
入学式の式次も半ばを過ぎた頃。
「……?」
桐谷遥は、妙に合唱の質が高いな、と思った。
彼女は何も、宮益坂女子学園の先輩たちの歌唱力を低く見積もっていたわけではない。
合唱の質が高いとはつまり、全体的に見ても歌声のバランスがとれているということである。
個々の歌ではなく、三百にも届くほどの生徒が歌っていてなお合唱としてのまとまりがあることが信じがたかったのだ。
合唱部と中等部三年、高等部三年。
合唱部の声が際立ってしまってもおかしくないところを、上手く丸めている歌声がある。
遥がそのことに気が付いたのは、合唱が終わる間際になってのことだった。
「……、……」
「………」
近くで何事かをひそひそと話す、遥と同じ新入生。
長い黒髪の生徒と、灰色の髪をショートにした生徒が、壇上のある一点に目を向けながら小さく口を動かしている。
気になった遥は耳を傾けた。
「花妃さんの声、いつもみたいに聞こえないね」
「当たり前でしょ。合唱で一人だけ目立とうなんてさすがに花妃姉もしないから」
「……」
遥の視線も、壇上の一人で留まる。
大人数の歌声を、極めて繊細に調和させている声。
全体の隙間を縫うように、あるいは隔たりを埋めるように歌うそれは―――気が付いてみれば、もはや人間業ではなかった。
遥の同僚と瓜二つな容姿を持つその人物について、遥は二つの事実を思い出す。
一つは、事務所にソロ曲のデモとして送られてきた音源のこと。
音源で仮歌を担当していた人物は、数多のアイドルを世に送り出してきた事務所の人間をして唸らせる歌唱力の持ち主だった。
選考担当がデモを聴いたその場でスカウトのメールを送りかけ、遥の方をちらりと見て諦める、という一幕があったほどに。
次に、件の遥の同僚が姉について聞かれると、“はーちゃんは歌がとっても上手なの” と話して回っていたこと。
とっても上手、とは今思えば随分マイルドな表現である。
実際に聴いてみれば、超自然的なまでの歌声だった。
ただ、その声に込められたメッセージは実に人間的かつ感情的で。
すなわち、“あなたたちが入学してきてくれて嬉しい” という意思。
彼女一人の歌を聴き分けることができたのならば、誰もがそれを理解したことだろう。
何故だか知らないが彼女は心から新入生のことを歓迎して、入学を祝ってくれている。
色々と複雑な感情はあれど、遥はその気持ちを受け取ることにした。
なお、どこかの長女は歌っている間中ずっと末妹に視線を固定していたため、遥と目が合うことはなかった。
プロセカには25時の概念が強固に染み付いているからして、今は12/6の45時という見方ができる。つまり今はまだ推しの誕生日。間に合った。