深く暗い夜。身の丈に余るほど大きなベッドの上で、まだ幼いリズは目を覚ました。真夜中というのに、なにやら騒がしい。
──どうしたんだろう……
気になったリズは急いでベッドから飛び起きると、自室の扉をそっと開けた。
するとそこでは、給仕や鎧に身を包んだ人たちが焦りながら廊下を走り回っている。
そんな様子に見入っていると、一人の給仕がリズの姿を見つけるなり大声で叫んだ。
「まあ、リズ様!急いで支度をしてくださいませ!すぐに敵軍がこちらへやってきます!」
そこで何事かを察したリズは、大急ぎでクローゼットを開く。その中には、思わず目移りしてしまいそうなほど煌びやかな衣装や小物がずらりと並んでいる。
だがそれには一切目もくれず、足元に無造作に置いてあった袋の中から地味な洋服を取り出した。そしてそれに急いで着替えると、リズは大切な物だけを急いで鞄に詰め込み、そのまま部屋を飛び出す。
いくつもの豪華絢爛な調度品が飾られた廊下を抜け、長く続く階段を駆け降りる。時折つまづきそうになりながらも、豪華なシャンデリアが飾られた大広間へと辿り着いた。
「ああ!私の可愛いリズ。どこへ行ったかと心配していたのよ!」
シルバーの髪を後ろで束ね、リズと同じように地味な洋服に身を包んだ女性が小走りで駆け寄って来るなり、リズを抱きしめる。
「お母様、ごめんなさい」
「いいのです。あなただけは何があっても守ります」
その様子を見ていた給仕の一人が、焦った様子で耳打ちをする。
「ウェーリン様、そろそろ出発せねば……」
「わかっております。戦というものはこんな些細な時間でさえ奪おうとするのですね……」
リズの母であるウェーリンは、悲しそうな目でそう呟いた。
今、アルビオン王国政府やそれに属する多くの貴族達は、突如として現れたレコンキスタによる陰謀と反乱により、強制的な服従に迫られている。そしてそれは、ロンディニウム郊外に位置するリーデルの領地も例外ではなかった。
領主であるエフケス・リーデル侯爵は、ジェームス一世やウェールズ・テューダー皇太子が率いる反乱軍の一員となり、すでに戦地へと赴いていた。
だが、つい一昨日までは反乱軍によりなんとかアルビオン軍の侵攻が抑えられていたが、それも時間の問題であり長くは持たない。兵の数は圧倒的差であり、さらに勢力を強めつつあるレコンキスタの力は、早くもリーデルにまで迫ってきていた。
「では参りましょう」
ウェーリンの言葉を合図に、玄関の扉がゆっくりと開く。すると目の前には、すでに馬車が数台止まっていた。
そしてその場にいた数人が急いでそれに飛び乗ると、馬車はすごい勢いで走り出した。
「これからどこへ行くのですか?」
揺られる馬車の中、リズは母であるウェーリンに尋ねる。
「古城です。かつて栄えた、名誉ある城へと向かいます」
次第に小さくなっていくリーデル城を背景に、どこまでも続く草原を馬車は全速力で駆け抜ける。夜空には、こんな夜に似つかわしくない満点の星空と美しい月が輝いていた。
古城への道中、山や川にうっそうと茂る森林をいくつも抜ける事になる。本来であれば丸一日かかってしまうような距離を、途中馬を変えながら一晩中走りぬける。
それからどれくらい走り続けただろうか、なんとか無事に目的地である古城へと辿り着くことができた。
「リズ、着きましたよ」
ウェーリンに肩を揺さぶられ、リズはゆっくりと目を覚ます。どうやらいつの間にか眠ってしまっていたようだ。
すでに目の前には、白く美しい古城が姿を見せている。
「お母様、あれですか?」
「そうです。ニューカッスルという古城です」
古城に到着するなり、中から数人の男女が小走りで出てくる。
「リーデル様、お待ちしておりました。どうぞ中へお入りください」
先導されるままに、白い城壁を淡々と日光に照らされ輝くニューカッスル城内部へと案内される。
いくつもの扉が並ぶ長い廊下を抜けると、すぐにホールへと辿り着いた。
「ウェーリン!リズ!」
すると二人の姿を見つけた男性が、こちらへ走ってくる。それと同時に、それを見たリズも叫んだ。
「お父様!」
駆け寄るリズを抱きしめながら、エフケスはウェーリンへと目を向ける。
「すまない、城を守れなくて。それにこんな格好までさせてしまって……」
貴族らしからぬ地味な洋服。平民が普段着るものを着させてしまっていることから、どこまでも申し訳なさそうにするエフケスを見て、ウェーリンは優しくほほ笑んだ。
「いいのよ、あなたのせいじゃないわ。それよりも無事再会できた事に感謝しましょう」
「ああ、そうだな」
そういって三人は抱き合う。
ジェームス三世が率いる反乱軍はアルビオン軍との攻防に敗れた後追いやられ、最終的にここニューカッスルの古城へと退却する事となる。
出発前にリズやウェーリンが着ていた服は、万一アルビオン軍に止められた際にも、避難する平民を装うためであった。
「お父様、もうどこへも行かない?」
長期間、父と離れていたリズはとても不安そうな顔をする。それを見たエフケスは、胸を締め付けられる思いでリズの頬を優しく撫でた。
「ああ、大丈夫だ。もうどこへもいかないよ。だから安心してお母さんと一緒にいなさい」
それを聞いたリズは嬉しそうな顔で再びエフケスに抱きついた。
「ではリーデル様、お部屋をご用意しております。夜の晩餐会までお休み下さいませ」
後ろで待機していた一人の給仕がそう告げると、リズとウェーリンは古城の一角にある部屋へと案内された。そこで二人はしばらくの間休息をとる。
そして夜になると、用意された華やかな衣装に着替え、晩餐会が開かれるホールへと再び赴いた。
仮にも戦時中だというのに所せましと広げられた豪華な料理の数々と、まるで園遊会のように着飾った人々。そんな不思議な光景が広がっている。ホールの中央で簡易に組まれた王座では、年老いた王ジェームス一世とウェールズ皇太子の姿も見えた。
「リズ、ウェーリン。ゆっくり休めたか?」
エフケスが二人の姿を見つけ駆け寄って来る。
「ええ、ゆっくりと休ませてもらったわ」
「それならよかった。もうじき晩餐会が始まる」
だがリズはまだ疲れが取れず、眠そうに眼をこする。まだ六才である彼女にとっては、一日の動きが少しばかり激しすぎた。
しばらくすると、ジェームス一世がよろめきながらも立ちあがった。その様子を見て、周囲から激励の言葉が飛び交う。
「陛下!お倒れになるのはまだ早いですぞ!」
「そうですとも!せめて明日までは、お立ちになってもらわねば我々が困る!」
するとその言葉にジェームス一世はにかっと笑い、叫んだ。
「あいやおのおのがた。座っていてちと、足が痺れただけじゃ」
そんなジェームス一世をウェールズが支えながら、言葉は続いた。
明日の決戦は一方的な虐殺になってしまうであろう事。そんな戦に最後まで共に戦ってくれることへの感謝と謝罪。
それらは決して明るい内容ではないのに、ジェームス一世の言葉が終えるたびに周囲から歓声と激励が飛ぶ。皆が酒を飲み、料理を食べ、終始賑やかな晩餐会となった。
それからしばらくして夜も更けた頃、リズは部屋でぐっすりと眠っていた。その隣ではウェーリンとエフケスがその様子を見守っている。
「この寝顔を見れるのも、今夜が最後なのね……」
「なあ、ウェーリン。やはり君も一緒に逃げてはくれないか?」
「何を言っているの?私はこの子を命に代えても守ると決めたわ。」
「しかし……」
「仕方がないの。私も本当はこの子が大人になるまで傍にいたいわ。でもね、もし今ここで逃げてしまったら、その未来さえも奪ってしまいかねないの」
ウェーリンの目からは断固として変わらぬ意思が見て取れる。そんな様子を見たエフケスは溜め息をついた。
「わかった……。そこまで言うなら諦めよう。この子の為に二人で戦おう」
「ええ……」
ウェーリンとエフケスは、そっとリズの寝顔を眺める。おそらく家族三人で過ごす事ができるのはこれが最後であろう。ほんの数秒でも長く、二人はそうしていたかった。
だがそんな尊い時間ほど早く過ぎてしまうものはない。気付くと遠くの空はうっすらと明るくなり、アルビオン軍との決戦は刻一刻と迫っている。
それからしばらくして、朝日が昇ると同時にニューカッスル地下に造られた鍾乳洞の港へとリズを連れて向かう。そこではすでに、ニューカッスルから疎開する人々でごった返していた。
その一角でウェーリンとエフケス、リズ、専属の給仕であるグロリアの四人は船に乗る準備をしていた。
「お母様とお父様はこないの?」
不安そうにするリズに、ウェーリンとエフケスは言い聞かせる。
「大丈夫よ、後で必ず向かうわ。だからグロリアと一緒に先に船に乗ってくれるかしら」
「でも……」
それでも動こうとしないリズ。そんなリズに、ウェーリンは自らの前髪を止めていたシルバーのヘアブローチを取り外し、リズに移し替える。
「これを私だと思って持っていてくれるかしら」
それはウェーリンの母が生前付けていたもので、ずっと大切に持っていたものだった。そんな大切なものを預けられたリズは、その言葉が本当であると思う他なかった。
「ぜったい、ぜったいに来てよ?」
「もちろんだ」
「もちろんよ」
ウェーリンとエフケスは口を揃えて言う。それを確認したリズは、手元に置いた鞄を手に持った。
「すまない、グロリア。こんな事を任せてしまって……」
エフケスの言葉に、事情を知るグロリアは悲しみをこらえるように首を横に振った。今自分が泣いてしまっては、リズに全てがバレてしまう。それはなんとしても避けなければならなかった。
「い、いえ。先に……船でお待ちしております」
「ああ。すまないな」
深く一礼すると、グロリアはリズの手を引きイーグル号へと向かう。その様子を、ウェーリンとエフケスは見守った。
恐らくこれが最後であろう、愛娘の後ろ姿をしっかりと目に焼き付けるように。
そしてリズも、何度も繰り返し振り返っては両親の姿を確認した。そしてそれが最後に見た、両親の姿であった。
時刻は正午を半刻ほど過ぎた頃。日が昇りきっても、テューダー魔法学院周辺に広がる白銀色の景色は変わらないままだ。そんな中を、少しばかりげっそりとした清太はリズに引きずられるようにして中庭を歩いていた。
「な、なあリズ。もういいだろ……」
「いいえ、ダメよ。あんたがまともに魔法を使えるようになるまで目を離すなと言われたわ」
初回授業、当然魔法の使えない清太はそれどころではない。そして結果的にその主となってしまうリズも巻き添えを食らってしまう。とはいっても、リズも元々魔法が使えないため結果はあまり変わらなかったかもしれない。
そんな二人は魔法がまともに使えるようになるまで、授業の合間の休み時間や放課後の時間を利用して魔法の練習をする事になった。
「自分はいいのかよー」
「うっさい!」
リズが杖を取り出し呪文を唱える。目の前にあるグラスを浮かせようとするが、一向に動く気配がない。それどころか、何かに叩かれたように突然グラスが砕け散ってしまう。
「あれ?成功したじゃん」
リズがやろうとしていた事を清太は知らない。なので何かしらグラスに変化が起きれば、それが成功したように見えてしまう。
「してないわよ」
「なんで?グラス吹っ飛んだけど……」
するとどこからともなく聞こえてくる、嘲笑うような声。
「グラスを浮かせようとしたのよね?」
「シスカ・エストラーデ……」
リズが睨んだ先には、長く美しいブロンドの髪が目につく少女が一人、立っていた。その見た目はリズよりも少しばかり幼く、かといって年下に見えてしまうほどでもない。
「でもまさか粉々にしちゃうなんてね。あなた、魔法の才能がありすぎるんじゃない?」
「……馬鹿にしにきたの?」
「嫌な言い方ね。たまたま通りかかった所にあなたがいたものだから、声をかけてあげただけじゃない」
リズとあまり身長の変わらないシスカは二人の隣までやってくると、取り出した杖を軽く振った。
すると、粉々に砕けたグラスの破片がゆっくりと集まり始め、あっという間に元のグラスへと姿を戻してしまう。
「あなた、コモンマジックでさえまともに成功しないのね。それに唯一成功した使い魔の召喚がまさかの人間でしょう?ほんと、色々と驚かされるわ」
「うるさいわねえ。あんたの胸の無さにも驚かされるわよ」
「な、なんですって!」
ただでさえ胸がないリズ。だがそのリズにさえ胸がないと馬鹿にされるシスカ。清太からしてみるとどちらも同じように見えるのだが、さすがにそこで口をはさむほどぬけていない。
「あなたに言われたくないわよ!魔法も成功しないうえに胸もないなんて、メイジどころか女としてすら危ういじゃない!」
「なっ!それならあんただってこの前男に逃げられたでしょう!なんていったっけ、あの女ったらし!」
「違うわ!私がふったのよ!だいたい、男性経験が皆無のあなたに言われる筋合いはないわ!」
「いいの。そのうちとてもいい男性がきっと現れるから。あんたみたいにがっついてるわけじゃないのよ」
余裕の表情のリズ。だがその表情は何か悔しさを隠しているようにも見えた。
「ふん。まあいいわ。どのみちあなたの魔法技量とその使い魔じゃ、次の自立試験は絶望的ね」
「自立試験?」
首をかしげる清太を見たシスカは、やれやれといった表情で説明を始める。
「そうよ。使い魔との絆をより一層強くするため、二学年の後半に行われるの。内容は全員共通で、だいたいはレアアイテムの収集。使い魔との連携が重要になってくるから中途半端にはできない試験よ」
「ふーん」
「まあ、あなたでは難しそうだけどね」
意地悪そうな笑みを浮かべるシスカを、リズは睨む。だがそんな二人を余所に、二人とも喋らなければものすごく可愛いのにと考える清太であった。
「じゃ、せいぜい頑張るのね」
満足したのかシスカはそう言い残すと、本校舎のほうへと消えていくのだった。
「なあ、今の子は誰なんだ?」
「シスカ・エストラーデよ。アルビオンの中でもとりわけ歴史のある名家の出身で、学校での成績は上の中」
「なるほどね……。でもさ」
「なによ」
「使い魔の契約もしてないのに、そんな試験できるのか?」
「知らないわよ。でもどのみち契約したところで、あんた何にもできないでしょう?」
「たしかに……」
そう言われると、自分の存在って一体……と落胆してみる清太であった。
それからというもの、魔法の練習は一向に成功する気配も無く、淡々と同じ事を繰り返すだけの時間が続く。特に自分が何かできるわけでもないので、それを見ているのにも飽きてきた。
そこで清太は適当な理由をつけて、その場を抜け出す事にする。そしてそれはまんまと成功した。
「やってらんないよ……」
行くあてもなく一人で校内を散策する。最初は部屋に戻ろうかなとも考えたが、それではあまりにもつまらない。
そこで未だに行った事のない図書館を、興味本位で覗いてみようと考えた。
「うえ、なんだこれ」
だがここは異世界であり、また魔法の国でもある。当然のごとく清太の知っている図書館とはスケールが違っていた。
それは天高く積み重なる本棚と、幾重にも別れた先の見えない通路。昔何かの映画で見たような、そんな光景が広がっている。
そんな圧巻の光景に見入っていると、突然後ろから誰かに声をかけられた。
「セイタさん!」
声のする方へ振り向くと、そこにはアリーがいた。
「あれ、アリーか」
「はい!図書館にご用ですか?」
「いや、ちょっと散歩してたらたまたま……」
「そうだったんですね。そういえばセイタさん、文字のお勉強されました?」
「いいや、全く。リズに魔法の練習付き合わされて、それどころじゃなかったよ」
「あはは……。ではせっかくなので、一緒にお勉強しますか?私で宜しければお手伝いしますよ」
「とても助かる」
では……と、清太を端のテーブルへと案内する。すると、アリーはそのまま幾重にも広がる通路へと何かを探しに行った。
そしてしばらくすると、両手に本を抱えたアリーが戻って来る。
「お待たせしました」
分厚い本が二、三冊ほど机に広がる。アリーはそのうちの一冊をとると、清太の目の前に広げて説明を始めた。
文字の発音から文法、意味に至るまで、一通りの文章として読めるまでの基礎が中心だった。
だが不思議な事に、“文字”としての発音は清太の全く聞き慣れない言葉なのだが、それが“文章”もしくは“単語”という形になると、例えそれが特殊な言い回しであっても清太の耳にしっかり日本語となって届く。
「じゃあこれは、彼が国を裏切ったって意味?」
「すごいです……」
ほんの数十分、特に何か特別な事をした覚えもないのに、すでに文章が完璧なまでに理解できるようになっている。それは異国の言葉を同等の時間で覚えた事と同じであり、普通であればありえない。
そもそも、異国以前にここは異世界。こちらに来た時点で言葉が通じている事すらおかしい話であった。
「記憶がないだけで、元々言語としての知識は残っていらっしゃるんですかね……」
アリーは不思議そうにしている。しかしそれは清太も同様であった。
今の今まで、お互いが自分の世界の言葉を話しているようにしか認識できていない。だが実際は、それぞれの事なった言語が耳に届くまでに自動で翻訳されている。
いざこうして文章という矛盾に当たるまでは、この先その事実に気づく事はなかっただろう。
「でも、なんだか残念です……」
「へ?なんで?」
アリーの突然の言葉に、清太はとても焦った。
「だって、セイタさんがこんなに早く文字を読めるようになるなんて思っていなかったから……」
ああ、まずい。アリーに嫌な思いをさせたら、リズに何をされるかわかったもんじゃない。冷や汗を垂らしながら、必死で思考をフル回転させる。
だが実際にアリーの考えていた事は、それまでの心配をことごとく消し去るものだった。
「その、たくさん……一緒にお勉強できたらいいなって……」
「ぷっはあ……」
一気に力の抜けた清太は、そのまま机に突っ伏した。
「ご、ごめんなさい!そんな大それたこと……」
清太の勘違いなのだが、それが自分のせいだと申し訳なさそうにしているアリーを見て、清太は胸が締め付けられる。
──こんなに優しくていい子が世界にはいたのか!あ、でもここ異世界か。
だが今の清太にはそんな事はどうでもよかった。
なんて言ったらいいのか、アリーのこの引き気味な感じ。リズはもう無茶苦茶だし、キュルケって人はなんだか別物だし。さっきのシスカときたらツンケンしてて嫌みっぽいし、スカロンさんは……って男じゃねえか。
何にしても、目の前にいるアリーという少女が天使に見えて仕方が無い。
「あ、そ、そんなことよりも!セイタさんに渡したいものが……」
顔を真っ赤にしながら、アリーは鞄から本を一冊取り出した。
「アルビオンの……剣?」
「はい。先日の出先でセイタさんが見ていたのを思いだしまして……」
ロンディニウムに出かけた際に見た、歌劇の宣伝を思い出す。
「それでわざわざ用意してくれたの?」
「はい……ご迷惑でしたらすみません……」
「迷惑だなんてそんな、本当にうれしいよ」
本を受け取ると、アリーは嬉しそうに笑う。
数ページめくって中身を確認すると、自分の世界でいう小説の類であった。この程度であれば、今の自分でも読む事ができそうだ。
「それではすみません。私、これから用事があるので……」
「そっか。本当にありがとう」
「い、いえ。……あの……」
「うん?」
「また今度……一緒にお勉強してくれますか?」
「もちろん。むしろ俺がお願いしたいくらいだよ」
「よかった。それでは」
そっと胸をなでおろしたアリーは、嬉しそうな顔で出口に向かう。そんな後ろ姿を目で追いながら、清太はとても重要な事を思い出した。
「やっべえ!そういえばリズを忘れてた!」
窓の外を見ると、すでに夕日で辺り一面がオレンジ色に変っている。未だに溶ける気配の無い雪が、キラキラと反射して幻想的な世界を作り出していた。
先ほどアリーから受け取った本を急いで手に取り、先ほど来た道を駆け足で戻って行く。
──さすがに悪いことしたな……
間違い無くご立腹なリズを想像して、少しばかり気が引けてしまう。
すぐに先ほどの中庭についた清太は、恐る恐る様子を確認した。
きっとイライラしたリズが、待ち構えているだろう。そう想像していたのだが、意外な事にその姿は見当たらなかった。
「あれ、どこいった?」
ゆっくりと周囲を見渡すと、近くに設置されたベンチに横たわるリズの姿を見つけた。
「リズ?」
慌てて駆け寄るが、どうやら寝ているだけのようだった。
すー、すー、と寝息を立てるリズを見て、清太はそっと胸を撫でおろす。
しかし季節は真冬、当然この時間であれば気温は更に冷え込む。このままではいけないと、清太はリズを担いで部屋まで運んだ。
だが無断でリズの部屋に入るとなんだか怒られそうなので、悩んだあげくやむなく自室のベッドに寝かせる事にした。
「よっこらせ……」
リズをベッドに寝かすと、清太は窓際に置いた椅子に腰かけた。窓から差し込む夕日が、一日の終わりを告げていた。
──そういえば皆、今頃どうしてるかなあ……
この世界に来てから数日が経つが、帰れる気配が全くない。そんな中、心配しているであろう両親や友人の事を考えると、やるせない気持ちになってしまう。そんな気持ちを少しでも紛わせようと、清太は外の景色を眺めていた。
そして一方のリズはというと、いつも見る夢にうなされていた。大好きだった両親と離れ離れになる夢。自分の一番辛い思い出は、十年近く経った今でも悪夢となって甦る。夢の最後はいつも、船に乗って両親の名を叫ぶ自分の姿。
そしていつものようにそこで目を覚ましたリズは、そっと目を開けた。
──あれ、なんでベッドに……
ゆっくりと視線を動かすと、窓際に腰かけ遠くを見るような眼をした清太の姿が見えた。どうやら自分は、清太の部屋のベッドに寝かされているようだ。
──なんだ、アイツが部屋まで運んでくれたんだ……
長時間待たせたあげくに、居眠りさせるなんて……と怒ろうかとも思ったが、清太はリズをわざわざ部屋まで運んでくれた。おまけにレピテーションや同等の魔法を一切使えないので完全に自力である。
大変だっただろうな……。そう思うと、リズは自然と温かい気持ちになった。
そしてそれは、いつもであれば心に靄がかかったような悪夢からの目覚めも、綺麗さっぱり晴れさせてくれるのであった。
─あとがき─
度重なる投稿予定日の延期を深くお詫び致します。予定よりだいぶ遅くなってしまいましたが、ようやく完成致しましたので投稿させて頂きました。定期的に覗いて下さっている方や少しでも興味を持って下さった方々、最後まで目を通して頂けた事に感謝しております。これからもどんどん新章を投稿していきますので、当小説を宜しくお願い致します。