ブルアカの先生がレイヴンの火を選択した621だったら 作:寺水 風味
誤字報告ありがとうございます
二人を見送ってからシャーレへと向かい始めると、間もなく大通りの突き当たりにあるT字路に差し掛かった
普段なら往来が絶えないであろう場所だが、今は人気を感じさせないほどに静まり返り
周囲には今まで行われていた戦闘の激しさを物語る数多の弾痕と、微かな硝煙の香りだけが人の営みを感じさせるに留まっていた
ただ移動するだけでここまで大事になるとは思いもしなかったが、やっと目的地へ到達できそうな達成感に年甲斐もなく胸の高鳴りを押さえきれずに急ぎ足で歩みを進めていると
ふと大きな塊が視界に入る
"……やっぱり、かなり無理をして使ってたんだな"
周囲の街並みとは相容れない圧倒的な存在感を放つそれは、今回の戦闘で最後まで抵抗していた生徒たちが操っていた戦車だった
ここ渡ってしまえばそこはもうシャーレの敷地内、本来ならばこのままビルまで直行するべきだったのだろう
しかし、それが目に入ってしまったのが運の尽きだった
強化人間のしがらみからは解かれたとはいえ、もはや本能レベルで染み付いてしまった大型兵器の類いへ警戒心が無意識のうちに発揮され、いつの間にか歩みを止めて無心で戦車を見つめていた
「迷子ですか?お困りなら案内しましょうか」
突然、開けた交差点に響いた声で意識が現実に戻される
不意を突いて現れたその気配に驚いて振り返ると、そこにはセーラー服の少女が一人佇んでいた
「この辺りには詳しいっすよ。任せてください」
少女は手を後ろで組み、曇りのない笑顔でただこちらを真っ直ぐ見据えながら
一歩一歩、着実にこちらへと近付いていきている
一見、不自然な所は見られないが、こちらへと投げ掛けられる声は硝煙の香りに相反して優しくおおらかで、不気味な程に精彩を欠いた声色だった
"あぁ、いや──"
目的地はもう目前
突然に現れた少女に戸惑いつつも、掛けられた親切を無下にしないように断りを入れようとした瞬間
歩みに合わせて揺れる前髪の合間から現れた視線に言葉を飲み込んだ
最初のうちは見間違えたかと何度か目を凝らすも、距離が近づくにつれて鮮明になっていく少女の瞳から感じる違和感と既視感は、徐々に確信へと変わっていく
見紛う筈はない
彼女の瞳には、闘争に身を投じ続けた人生で幾度となく相対した『強い意思』が宿っていた
"──ありがたい提案だけど、もう着くところだから平気だよ。……それとも私に用事かな?"
内心、警戒しているのを悟られないように少女の提案に笑顔で答える
突然のことで気が付けなかったが、少女の顔には見覚えがあった
他の誰でもなく最後まで抵抗していた生徒のうち、唯一意識のあるまま拘束された生徒だ
作業に散らばった生徒たちの監督に引っ張りだこで、遠目に顔を見ただけだが間違いない
そんな生徒が見え透いた嘘でわざわざ声を掛けてくるあたり、よほど退っ引きならない事情があるように見受けられた
鬼が出るか、蛇が出るか
どちらにせよ穏やかに済みそうにないが、『先生』として困っている生徒が居るのであれば、話を聞く以外の選択肢は無い
「…………あんたが外から来たっていうシャーレの先生なんでしょう?そうでもないと三大学園のお歴々を従えられるとは思えないんで」
暫しの沈黙が流れた後
少女はこちらの答えの意図に気がついたのか、軽く息を吐くと今まで浮かべていた笑顔を一転させ
冷淡な眼差しをこちらへ向け、今度は取り繕うことなく話を始めた
"その通り、私が先生だよ。よろしくね"
「話が早くて助かります──実は私、今困った事になってまして」
やはりというべきか、どうやら私に用事があったらしい
尚も歩みを止めない少女に自己紹介を兼ねた遅めの挨拶をすると
彼女はほの暗い笑みを浮かべ、腰の後ろで組んでいた手を解いた
その瞬間、ハスミ達の杞憂が正しかった事を理解した
少女がこちらに差し出した手中には歪に変形した金属片が握られており、その袖口から覗く手首には
恐らく隠し持っていたそれで拘束を断ち切った際にできたのであろう擦り傷が顔を除かせていた
しっかりとした用意があれば、切り口が鋭い金属片があったところで大きな問題にはならないだろう
しかし今回は火急を要する事から、協力してくれた生徒には在り合わせの装備での対応を強いることになってしまっていた
そんな状況の中、若干5名で広範囲に散らばった数十人の拘束を、しかも対象が目が覚める前にという制限付きで行わなければならなかった以上、こういう事態に備えておくべきだった
「ある人からビルに人を寄せるなって言われてるんですよ……すいませんけど暫く付き合ってもらいますね」
ジリジリと間合いを詰めながらこちらを見つめるその視線は刺すように鋭く、それはまるで追い詰められた野良犬のような獰猛さを感じさせる
誰にも助けて貰えず、寄せ集まった少ない仲間と出来ることをやり尽くしても明日の食事すらままない状況が続き、わずかな希望に縋って武器を取る
外の世界ではありふれた話だが、ここは『
私の生徒にはそんな思いををさせたくはない
"……君は、この戦車を指揮していた子だよね。良い腕をしているね"
金属片をちらつかせながらにじり寄ってくる少女を尻目に
目の前で鎮座する戦車へとおもむろに手を伸ばし、そっと撫でつけながら反応を伺うと
きっと外の世界から来た貧弱な大人は、暴力をちらつかせれば簡単に従わせることができるとそうか考えていたのだろう
予想通り、こちらの行動に少女は眉潜ませ不快感を露にさせている
こういった状況に持ち込まれるとは思いもしなかった
知恵が回る生徒だ、素直にそう思う
しかし、まだ子供だ
勝負を仕掛けるにはまだ詰めの甘さが目立つ
確かに少女の導き出した手立ては概ね有効な手段だ
ただ一点、少女が知る限りの情報でしか成立しないという条件が付く事を除けば完璧と言えるだろう
"整備も自分たちでやったんだね、ここまで直すのは大変だったでしょ?"
改めて戦車を眺めて脳裏を過るのは、戦闘中に感じていた違和感の正体についてだった
錆で傷んでしまった装甲を誤魔化すように丁寧に塗り重ねられた塗装
エンジングリルから覗く有り合わせの部材で直したエンジン
ジャンク品から部品取りをして修理をしたと思われる消耗具合が異なる履帯
目の前で沈黙する車両に施された数々の処置、その全てが彼女たちの苦労と執念の塊だ
それ故にこの戦車を知り尽くした少女達が戦闘に臨む事になった時の心境はさぞ複雑だった事だろう
「アッハッハ、いやぁ良く見てらっしゃる───その程度で油断するとお思いで?」
少女の口調が剣呑なものへと変わった事に反応する暇もなく、首元から固い物が当てられた気配が伝わってきた
反射的に顔を向けようとするも
身体に力を入れる度、首元を何かが引っ掻くような感覚が身体の動作を緩慢にする
"…………そんなつもりはないよ"
一呼吸置き、無駄な動きをしないように気配のする方にゆっくりと視線を動かしていくと、いつの間にかすぐ側まで近付いていた少女が手に持っていた金属片を突き付けていた
こちらを食い破らんと睨みつけるその顔は、あどけない顔立ちには似つかわない程の憎悪が満ち、溢れんばかりの殺気を撒き散らしており
その強い殺気にあてられ、心臓が徐々に鼓動の早さを増していく
キヴォトスで育った生徒達は、外の世界と手加減が違う
それは今しがたまで行われていた戦闘を通して自らの目で確認したばかりだ
無論それは生徒たちにとっても、冷静であれば誰にとっても明白な事実といえる
しかし、今目の前の少女は、積み重ねた努力の結晶とも言える戦車を破壊され、頼るべき仲間も皆捕まり
一人なんとか逃げ出して最後の望みで捨て身の行動を行っても、成果を期待できそうにはない状況に追い込まれていた
これ以上の行き場を失った彼女に、おそらく手加減をするという余裕は無いだろう
"用心深いのは良いことだね、でも──"
彼女の現状を鑑みれば、少女が自棄になって取り返しの付かないことになる可能性は非常に大きい
もし、このまま何もせずにいればそう遠くないうちにこの人生は少女の手によって終わりを迎える事になるだろう
そういった事態は『先生』を請け負った身として、なんとしても避けたい
がしかし、既に話し合いでどうこうできる段階では無いことは誰の目にも明らかだ
何が彼女達をここまで突き動かしたのか、何故そこまで固執したのか
それらを明らかにする為には、今以上に生徒の事情に土足で踏み込まなければならないだろう
そうなれば自ずとこちらも相応の『覚悟』が求められることになるはずだが、もう悩んでいる暇はない
今はとにかく武器を降ろしてもらうことが最優先だ
覚悟を決め、既になりふり構わなくなった少女に対し
穏やかな口調を意識して言葉を投げ掛ける
"まだまだ甘いね"
「っ!」
人は話を聞くとき、相手の言葉を理解するまでに一瞬考える時間が生まれる
取り分け内容が意に沿わない場合はより深く思考が巡る事になるだろう
今回も例外ではなく、話しているうちに少女の表情が強ばる瞬間があった
その一瞬の隙をつき、首元から払いのけるように袖口で破片を握る手を捻る方向に弾く
「なッ?!」
瞬く間に行われたその動作は、少女の手首を支点とした回転運動を生み出し
一瞬にして人体の構造の限界を超える角度まで手首を回転させ、金属片は勢いを保ったまま宙へと放り出され
鈍い音と共に足元で2、3回跳ねた後、完全に動きを止めた
"──こういう時は一旦落ち着いた方が良い"
振りきった腕の勢いで乱れた体勢を素早く整える
パイロット上がりとはいえ、数多の死線を超えてきた身だ
長年培ってきた小手先の技術が生徒にも通用するか、一か八かの賭けだったが
どうやらひとまず危機を脱する事はできたらしい
しかし、所詮はその場しのぎの対応だ
もし真っ正面から渡り合えばどうなるかは目に見えていた
後がないという緊張を短く吐き出し、次の攻撃をどういなすか思考を巡らせながら少女へと向き直る
"…………あれ?"
武器を取り上げられたならば、次は拳か蹴りか
拘束が目的なら掴み技や絞め技の可能性も選択肢としては十分あり得る
そう様々な予測を立て、不足の事態に備えるも
そんな警戒心は無意味であったとすぐに思い知らされた
不気味な程静けさに包まれていた交差点、障害物は何もなく開けた視界の真ん中で
少女は唖然と地面に落ちた金属片を見つめたまま、身動き一つせずに静止し
こちらに応える事もなくただその場に立ち尽くしていた
その様子に唇を擦る呼吸と規則的に打ち続ける鼓動が徐々に鮮明になっていく
"……………"
「…………」
着々と流れていく短いながらも確かに流れるその時間は、自分が行った事を思い返すには十分すぎる時間だった
その身を賭して守りたかった物を全てを失った絶望感
キヴォトスの外から来た人、という先入観が生んだ現実との齟齬
子供にとって超えられない壁の向こうに立つ大人という存在から手荒な対応を受けた衝撃の大きさ
目の前に広がるあまりにも長く感じられる静寂と、現実が受け入れられない少女の様子は焦燥感を著しく掻き立てるには十分だった
"…………えっと"
「…………」
きっとそれらが合わさったことによる精神的ダメージの大きさは、孤独な子供にとって到底受け入れらるものではないだろう
だというのに何故それを考え付かなかったのか
その答えは考えるまでもない
これまでの人生で、人の上に立つということが無かったからだ
そもそも使い捨てとして作られた旧世代の強化人間に、そういう機会が巡ってくること自体がありえない事だ
結果として運よく再手術を受けることできた後も、争いから逃れることはできずに戦場を転々とする日々
大なり小なり多くの経験を積んだとはいえ、こういう状況を解決するための手段として手荒な対応しか経験はなかった
そんな浅はかな自分が、不安定な生徒の心に大きな傷を付けてしまったのではないか
考えが脳裏に浮かんだ途端、急速に思考から冷静さが奪われていく
"あの……大丈……夫?"
「…………ッ」
焦り、罪悪感、後悔、浮かんでは消えていく感情が渦巻いた逡巡の末
ふと行き場のない感情と共に、少女を労るような言葉が口からこぼれた
同情や哀れみといった同情的なものではなく、ただただ不味いことをしたという反射的に湧き上がる漠然な感情に突き動かされ
気がつけば、いつの間にかあてもなく伸ばした腕が少女の肩に触れようとしていた
刹那、そこまでしてやっと自分が放った言葉に思考が追いつく
すぐさま我に返り、少女の顔へと視線を向けると
今まで伏せられて見えることのなった少女の双眸が、こちらを真正面から捉えていた
「──っナメんなァッ!!」
迂闊な言葉が逆鱗に触れたのだろう
沈黙を貫いていた少女は突如雄叫びを上げ、拳を振りかざした
避けられない
そう直感で悟り、考えるよりも先に身体に染み付いた経験が両腕を頭を抱え込むように動かし
ただ視界のみが、閉ざされていく景色の奥から拳が迫る拳を克明に思考に刻んでゆく
"……ッ!?"
視界が暗闇に包まれた瞬間、前腕に重く鈍い衝撃が走った
少女が繰り出した打撃の勢いは凄まじく、受け止めた箇所に至ってはダメージが筋肉を通り抜け、骨が悲鳴を上げる
まるで鉄骨をぶつけられたような、そう形容せざるを得ない程の拳を受け流す事は難しく、腕を通して身体に伝わった衝撃は上半身を大きく仰け反らせ
受け身を取る余裕のないまま地面に叩きつけられた
幸い身構えていたおかげで頭部はなんとか庇えたものの、その代償で背中から強く打ち付けるように地面に強く叩きつけられ
その衝撃は肋骨全体を這うように伝播し、先程の戦闘で負った負傷の痛みと共鳴する
「ふざけるなよ……この位で調子に乗りやがっ──てッ!!」
"ぐァっ?!"
横隔膜が一時的な麻痺を引き起こして呼吸のリズムが大幅に乱れる中、身体中を駆け巡る痛みで身を捩っていると
間髪いれずに何か重いものが落ちてきたような強い衝撃が腹部を襲った
内蔵に直接響く先程までとはまた違った痛みは、反射的に腹筋を収縮させるのと同時に、意識を闇へと引きずり込もうとしてきた
意識を手放すという責任放棄への甘い誘惑を必死に耐え、粗い呼吸と共に大きく揺れ動く景色の中、何とか痛みの方向へと目を凝らすと
歪む視界の先で少女の脚は腹部へと伸ばぢており、執拗に自分の身体を踏みつけていた
「お前みたいな弱ェ大人があたしらに勝てると本気で思ったのか」
少女が蔑むような恨みのこもった瞳でこちらを見下し、放った酷く冷たい言葉は、吐き気を催す痛みを裂いて胸に突き刺さる
侮蔑、嫌悪、憤怒
そういった衝動的な負の感情はこれまで幾度となく向けられてきた
もっとも実感を持ってるようになったのは再手術を受けてからだが、やはりそう簡単に慣れるようなものではない
"ま……まさか……ぅッ…………最初から、こうなると──っく……思っていたよ"
「そうか、じゃあ──」
何度も繰り返し、なぶるように与えられる腹部の痛みの合間を縫って言葉を振り絞る
所詮ただの人である自分が生徒に真っ向から争って勝てる可能性は極めて低い
言ってしまえば端からこの勝負の結果は決まっていた
途切れに途切れに伝えた言葉を聞いた少女は短いため息を吐き捨てると、一際大きく脚を上げ脇腹を蹴り上げた
「──後悔はないな」
少女は痛みに揉んどり打つ先生を尻目に傍らに落ちていた金属片を拾い上げると、迷いなく先生の胸の上に腰を下ろし
改めて首元に金属片を突きつけた
今度は空いた片手で胸倉を強く握り地面に押し付け、両腕にも脚を乗せ、完全にこちらの自由を奪う徹底ぶりだ
対してこちらは組伏せられた状態からもう抗うだけの体力は残されていなかった
"…………きみ、に……君に、全てを委ねる前に……一つ、聞きたい事があ、る──ゲホッ……"
息も絶え絶えに、少女にそう訪ねるも帰ってきたのは光のない瞳の視線だけだった
その沈黙を肯定と受け取り、話を続けようとするも
荒い呼吸で乾ききった喉が言うことを聞かず、咄嗟に唾を飲み下すも鉄臭い香りが鼻腔全体に広がった
"どうして、そこまでして……約束を守ろうと……?"
「──あんたは一つ勘違いをしてる」
呼吸を落ち着かせ、なんとか言葉にできた問い
それはようやく手繰り寄せた、少女がここまで引き下がらない核心に迫るものだ
やっと掴んだ解決の糸口を手放さないよう、組伏せられながらも少女から目を逸らさずにいると、ポツリと少女が呟いた
「約束なんかどうでもいい、生徒会長が居なくなってからD.U.の治安が悪くったせいで学生証を失った……うちの生徒会に取り合おうにも治安維持で手一杯でたらい回しだ──あたしらだけそんなのは不公平だろ?」
少女の語る声は震え、襟を掴む手には力が籠り
より一層深い影が落ちた顔に浮かぶ表情は、この世の終わりにが迫った絶望とその理不尽さに怒りで塗りつぶされていた
原因を考えれば無理もないだろう
キヴォトスにおいて学籍の喪失は学園都市における市民権の消失を意味している
そもそもこの学園都市は連邦生徒会を頂点とした数千の学園が保有、管理する自治区の連合体だ
当然、学生の身分を保証する学籍の管理も各学園に与えられた権利であり義務の一つでもある
「聞けばあそこを荒らせば連邦生徒会は終わりらしいじゃないか、そうなりゃD.U.一帯……いや、キヴォトス中があたしらと同じ目に遭う──ヘへッ、全部放り出した連邦生徒会長も本望だろうさ」
それが現状ではまとめ役である連邦生徒会が機能不全を起こし、その余波はお膝元のD.U.地区どころかキヴォトス全体に及んでいる
この状況を引き起こした連邦生徒会に、ましてそれが原因で日常を破壊されたのならば猶更に恨み持っても仕方ないだろう
"……本当に、それだけ?"
「あぁ!そうだッ!!それだけだ!もう帰る場所もなけりゃ仲間も矯正局送りだ!!……ここまで来たんだ、最後までやりきらなきゃあたし達がしてきたことが嘘になる」
少女は怒りに身を任せ、怒鳴り声を上げながら襟首を掴んだ手を激しく打ちつける
やっと垣間見得た少女の原動力、それは自分の在処を奪われ路頭に彷徨うしかなかった、無力な子供が最後に見た夢の成れ果てだった
なすがまま身体は大きく揺さぶられ、その度に身体に痛みが走るものの
それよりも少女の叫びが痛覚を押し退け、思考を埋め尽くしていく
「良くは知らないが、生徒会長が居なくなった連邦生徒会はあんたを頼りにしてるらしいな……今逃せばこんな機会はもう無い」
少女が焦がれた願いを、ただ黙って聞いていると、見下ろす光の無い瞳が怪しく光り
首に押し当てられた金属片が一段と強く押し付けられた
二人の間に衣擦れと荒い呼吸音が木霊する
緩やかに動かされたそれは皮膚を引っ掻き、首元に傷をつけていく
じわじわと面積を増やしていく傷口は徐々に鮮血を湛えてゆき、やがて溢れたそれは首元に伝わる一筋の赤い線を描いた
"……知ってると思うけど、私はキヴォトスの外から来た。このままそれを引き抜けば、君は取り返しのつかない罪を背負う事になる"
こちらの言葉に少女の手が小さく震え、首元に走る不快な感覚が止まった
それは、彼女がまだ引き返せる事を何よりも示している
元よりいつ終わっていてもおかしくない人生だった、それ故に死への恐怖心はとうの昔に麻痺していた
今更自分の命がどうなるかより、瀬戸際に立たされた少女にどう手を差し伸べるかで頭の中は一杯だった
確かな希望を前に、後悔に乱された思考が澄んだものへと変わっていく
なんとか繋ぎ止めたいその一心で、まっすぐ少女を見つめ続けると
彼女の笑顔が徐々に引きつったものに変わり、金属片を握るも手もあからさまに力んでいくのが伝わってきた
「はは……どうせ矯正局送りなんだ、今更1人くらい──」
"それは違う"
震える声で紡がれる言葉を力強く遮る
ここから先は決して口にさせてはいけない
越えてはならない一線だ
とっさの判断で口を挟んだ勢いで金属片は更に食い込み、勢いを増して傷口から溢れてくる鮮血は、金属片を伝ってぽたぽたと滴って地面に赤い斑点を増やしていく
"私からも言わせて欲しい。君は一つ勘違いをしている"
こちらの顔と首元の間で視線を行き来させながらたじろぐ少女に、矢継ぎ早に言葉を続ける
今ここで自分の人生と引き換えにしても、これだけは伝えなくてはいけない大切なことがあった
'"嘘になんてならない"
少女の瞳が見開かれる
驚きと困惑が入り交じった表情で、耳にした言葉が理解できないと言わんばかりにこちら睨む少女の瞳が揺れている
"まだ最後なんかじゃない。希望はある、君はまだやり直せるんだ。私が保証する"
「──そんな綺麗事誰が信じる?こんな事件を起こした奴らを生徒会が野放しにする訳ないだろ」
その声は相変わらず精彩を欠いた声色だった
が、先ほどまでの気迫は鳴りを潜め、ただただ困惑した様子で馬乗りになった少女からは悲壮感すら漂っていた
"あの子達も話せば分かってくれるよ、私もついてるから"
信じられないのはもっともなことだろう
両腕にのしかかっていた重量感が薄れていき、鬱血気味だった指先に血液が行き渡っていき痺れる感覚が両手を包む
至極真面目に答えたつもりだったが、少女には酷く稚拙に感じたらしく
呆れた様子で覆いかぶさる体勢から、こちらの身体の上にへたり込むように腰を下ろした
"こう見えても私はシャーレの先生だからね。きっとどうにかして見せる、だから信じて欲しい"
「さっき騙し討ちしたのに冗談じゃない、そもそもそんなことしてあんたに何の得が?」
少女は無気力に握られた金属片を突き付けながら、唸るような声を上げる
それは紛れのない、今まで復讐心で覆い隠していた恐怖が
胸の奥に秘め、溜まりに溜まった救いを求める切望が、捌け口を求めて表に出てきた証だ
ならばこちらも、最大限の形で答えなければならないだろう
記憶を遡り、褪せた過去を出来るだけ鮮明に組み立て直す
もはやどれだけ時が流れたか、正確な時間さえ分からなくなってしまっているものの
不思議と当時の思い出はすぐに呼び起こされていく
"──昔、私も気がついたらどうしようも無い立場に居たことがあったんだ"
十数年前、あの星で、あの場所で、あの都市にたどり着いた時には全てが遅かったんだろう
あの時のウォルターは、全ての決着を着ける為にあそこに立っていた
当時の私にはどう転んでも止めることなどできなかっただろう
指示通りに障害を排除し、放棄された技研都市で眠るバスキュラープラントを眼前にした時
突然打ち込まれた砲弾によってシステムを落とされ、コックピットが暗闇に包まれた
どの位中に閉じ込められていたかはもう覚えてはいない
ただ、その時胸に抱いた感覚とその後に再教育センターで受けた『処置』は今でも忘れることができない
"右を見ても左を見ても、もう後には引けなかった"
あるべき主を失った、その遺志を継ぐのは仕える者として当然だ
──例え傍にあり続けた者を引き換えにしたとしても
全てを焼き払う事がその代償だとしても、やり遂げなければならない最後の『仕事』だとそう直感し、実行に移し
最後までそれを完遂した
完遂できてしまった
"私はそのまま突き進んだ──それで得たものも確かにあったよ。でも、それは失ったものに比べれば無いに等しいものだった"
全てを終え、燃え尽きた灰が漂う宇宙を漂っていると機体から『報酬』を告げる主の声が再生された
あらかじめ仕込まれていたのだろうその音声データは簡潔に謝罪と感謝を述べ、最後に自由と一枚の『カード』を私に与えて役目を終えた
カードにはこれまで稼いだ賞金が貯蓄され記録されており、調べてみれば中にはざっと見ただけでも人生を買い直して余りある金額が記されていた
結局手元に残ったのはそれが全てで、そこには今まであったささやかな温もりは跡形もなく消えてなくなっていた
"君たちにはそういう思いはして欲しくないんだ"
上半身に押し付けられるような圧迫感を感じ、思い出から現実に戻る
いつしか襟首を掴んでいた手は解かれ、両肩の上に置かれた少女の両手は
仰向けに寝そべるこちらの真上に影を落とす彼女の頭を支えていた
「…………そんなの出任せだろ」
"そうだね、今の話の証明はできない。──でも"
覆いかぶさった少女は口を震わせながら、なんとか紡いだ言葉を素直に肯定する
事の顛末の全てを生徒に語ることは今はまだできない
そもそも教えたところでキヴォトスからはあの惑星で起こった事を調べることはでないだろう
しかし、大事なのはそこではない
"君にはまだ仲間が居る、君の青春はまだ終わってない。それだけは信じて欲しい"
少女にはまだ、金銭で手に入れることができない唯一無二の大切なものが傍に居る
その温もりはまだ手の届く場所にある
それが何よりもかけがえのない、とても大切なものだということを少女には伝えたかった
「────はぁ…………まったく興覚めっすね」
こちらの言葉を聞き終えた少女が大きなため息をついて上体を起こすと、少女が落していた影が消え
強烈な日差しに視界が真っ白に染め上げられた
急に差した陽光を遮ろうと手をかざし顔を背けると、耳元で金属が地面に転がる音が聞こえる
視線を向ければ、そこにあったのは少女が固く握り続けていた金属片だった
"──これからどうするの?"
少しずつ陽の光に順応していく視界を少女に向けると
凶器を手放した少女はそのままのけ反り、空を仰ぎ見ていた
風がそよぎ、少女の髪を揺らす
あまりに心地よさそうなそれにつられて視線を空へと向けると
そこにはビルに切り取られたどこまでも突き抜けるような蒼い空と、そこにゆっくりと流れていく雲に加え、目新しさを覚える光輪が浮かんでいた
「……大人しくお縄になろうかと──あんたの言う通りあいつらを放っては置けないし、それに」
あまりにも底抜けに澄んだ空を前に呆けていると、急に体が軽くなり
それと同時に少女の今まで聞いたことのない声色が返ってきた
「最後に良い夢みれて満足したんで、あとは煮るなり焼くなり好きにして貰おうかと」
驚いて視線をもとに戻すと、視界に捉えた少女は立ち上がり
手足に着いた埃を振り払いって身支度を整え、こちらに屈託のない笑顔を向けていた
初めて目にする少女の明るい表情は、心底晴れやかなもで
先程まで仄暗い表情を浮かべていた人物とは思えないほど、その笑顔が似合っていた
「あんたの話、面白かったっすよ。……それじゃ、二度と会わないでしょうけど」
"うん、またね"
最後まで強がりを見せながら手を振り別れを告げる少女に、地面に手を突きどうにか身体を起こして手を振り答える
辺りに燻っていた硝煙の薫りはいつしか消え、ただ大気で拡散した陽の光があたりに降り注ぐ中、元来の負けず嫌いと諦観が混ざりあった少女の声はビルの間へと消えてゆき
満足そうにこちらを見つめていた少女は踵を返して歩き始めた
「あぁそうだ、最後に一つ」
大通りの仲間の方へと淀みなく歩みを進める少女の後ろ姿に、無事事態を収拾できた喜びを感じていると
少女は何か思い出したように、はたと歩みを止めてこちらを振り向く
油断していた所を突かれたせいで、思わず上擦った声が漏れた
「それってミイラのコスプレですか?」
当惑した表情でこちらに問いかける少女の眼差しを追っていくと、傷の程度に対してあからさまに過剰にまかれた包帯へと注がれていることに気が付いた
思えば何も事情を知らない彼女からすれば、今の格好はさぞ異様な見た目に違いないだろう
"あー、えっと……"
どう説明したかと、包帯まみれの両手へと視線を落とすと
清潔に保たれていた包帯は、先程起き上がった時についたらしい血痕と土埃ですっかりと汚れてしまっていた
本来の用途を考えればすぐにでも取り替えた方が良い状態だろうが、不思議とその気は起こらなかった
見覚えのある汚れた手に、不潔な包帯
あの頃の自分と今の自分を結ぶそれを二、三度開閉させながら逡巡して顔を上げると、少し沈黙したこちらを不思議そうに見つめる少女がそこには居た
"似合ってる……かな?"
答えを待つ少女の視線に苦し紛れの笑顔を向けながら頭を掻くと、ふわりと風に乗った懐かしい包帯の香りが鼻をくすぐった
今回は早めです
誰が何と言おうと早めです
異論は全面的に認めます
とはいえ今回でこんな感じの先生っていうのが大まかに書けたので個人的な満足度は高いです
プロローグとしてはいい感じじゃないかなって思います
プロローグだけで一年経ちそうってまじ?
これ終わるころにはACの次回作出てるかブルアカサ終してるんじゃ……
それはそうと今回先生とタイマンしてくれたキャラここまで深掘りするつもりはなかったんですけど気が付いたらこうなってました、怖いね
おかげで軽率にイチカと似たような語尾にしたことを死ぬほど後悔しました、馬鹿だね
次の更新は一周年前を目指したいと思います
それでは、大変お目汚し失礼しました
涼しくなったころにまた読んでいただければ幸いです