ーー舞庭新蝶常世神
神の住まう島が卸された。呪術全盛より平家に限らず多くの時の権力者が、呪術師達が、神の加護を得ようと訪れた聖地。海上に佇む荘厳な社、伊都伎嶋神社。特級呪霊イツキの、氏神イツキ様の始まりの土地。
初めて見る舞南斗の領域展開、その神々しさに言葉を失くす釘崎と虎杖。一方、弟が死んだことにより正気を失った壊相はただ血塗に寄り添っていた。
「此処は、」
「……。」
釘咲達は必中となった舞南斗の領域展開の中で、現実よりも心地の良い空気を吸い込むだけで体の痛みが抜けていくことに呆然としていた。
上空からふわりと羽の音が聞こえ頭上を仰ぐ。天まで届きそうなほどに巨大な朱色の鳥居の上に舞南斗が佇んでいた。
「樹、」
舞南斗は彼等に応えることなく、一つ指を鳴らした。瞬間、虎杖と釘崎を光が包む。そして眩い光が収まると、傷一つない二人は力尽きたように崩れ落ちた。
「ヒヒッ、ケヒヒ。」
虎杖の頬から現れた両面宿儺。懐かしの呪術全盛、想望の領域展開を目の当たりにし、何かを話すこともなくただひたすら嗤い続ける。それを一瞥した舞南斗は再び指を鳴らした。
すると、虎杖と釘崎は優しい風に運ばれて領域内を出ていった。
次に舞南斗が視線を注いだのは壊相と血塗。彼が地上に舞い降りて二人に接近すれば、壊相は血塗を守るべく庇い立った。
「近づいたら、殺すっ!」
最大限の殺気が凪いだような表情の舞南斗へとぶつけられる。だが舞南斗は不快に顔を染めるどころか、壊相を安堵させるように温和に花笑んだ。
「壊相、血塗を生き返らせるから俺に任せてくれない?」
「そんなの信じるわけがないだろ!」
「じゃあこうしよう。」
パチンと鳴った。虎杖と釘咲同様に、今度は更に眩い光が壊相の腕を中心に広がっていく。
そうして光が収まると、腕も傷も真っさらの元通りになっていた。壊相は怪我一つない己を見下ろして驚愕に目を見開いた。
「ね?俺は血塗を助けたいだけなんだ。何なら今ここで縛りを結んでもいいよ。」
「.........。」
舞南斗の真剣な眼差しを受けて、沈黙した壊相は恐る恐る横にずれた。 舞南斗は一つ礼を言うと血塗の傍に屈み込む。
血塗の状態を確認すると、彼の心臓付近に両手を翳した。今までよりも格段に明るく輝く光が放たれる。濃厚で膨大な正のエネルギーに、二人を中心に風が巻き起こった。
暫くして、舞南斗は傷の無くなった血塗から両手を離した。
縋るような眼差しで血塗を見守る壊相と舞南斗の間で緊迫感が漂う。直後、
「゛ツア!!」
血塗が息を吹き返した。
「血塗っ!!」
「あ、兄者?俺...」
体を起こし立ち上がる血塗を壊相は強く掻き抱く。
「あれ、俺何で生きて.......」
「血塗っ.....血塗!」
奇跡の再会を得て熱い抱擁を交わす二人を、舞南斗は柔らかな眼差しで眺めていた。
ーーそれから数分後、壊相の説明により事情を把握した血塗が二人で詰め寄るのに舞南斗は困り果てていた。
「それで、対価はなんですか。」
「対価って、別に何も望んでないよ。」
「嘘ですね、先程まで敵だった奴が何の思惑もなく助けるはずがない。」
「うーん、」
血塗を助けたのには特に理由はない。強いていうならば、今後の虎杖を支えてくれる心強い存在となる脹相の為であった。だがそんな詳細な未来の話を彼等に話せるわけもなく、何度願いなどないと言おうと信じようとしない壊相と血塗。
「弟を助けてくれたんだ。どんな対価でも私にできることなら払いましょう。さあ、早く言いなさい!」
「お、俺も…!」
舞南斗としては二人が生きているならそれで良かった。寧ろ彼は血塗か殺られる前に間に合わなかったことを悔いていたのだ。
「いやだから、本当にないんだ…あ。」
「なんだなんだ?」
思い出したように舞南斗は声を上げる。
「願いってわけでもないけど、二人には暫く三福の中に隠れててもらうよ。」
「三福?」
「俺だ。」
どこからともなく現れた人間姿の三福に驚く二人。舞南斗の領域は三福の領域でもある為、三福は自在に行動することができるのである。
「安達が事を起こすまでは二人のお兄さんには会わないで欲しい。けど安心して、全てが終わったら元通りだから。」
「安達?お前、あの呪詛師の言ってたもう一人の仲間か!」
安達という単語に反応してそう叫んだ血塗に、舞南斗は口元を引き攣らせる。
「どう聞いたのかは知らないけど、俺はあいつらの仲間なんかじゃない。」
「?けど安達は...」
「だーかーら!俺は死んでも呪詛師には堕ちないし、いつだって五条先生率いる東京高専の味方なの!!そうだ、安達について言っておきたいことがあったんだ。」
舞南斗は安達という呪詛師の正体、その目的についてを話し出した。
安達の正体から彼の目論み、渋谷事変までを簡潔に語り明かした舞南斗は謎の疲労感にどさりとその場に腰を下ろした。視線を動かせば、ショックから抜けきれない様子の壊相と血塗が動揺に瞳を揺らしている。
「そんなっ、じゃあ兄者が危ない!」
「まあ気持ちは分かるんだけど、脹相は大丈夫だから。」
「何故そう断言できるのですか!?」
「
どこか懇願するようなその眼差しに、壊相と血塗は顔を見合わせる。
「……わかりました。対価を払うと言ったのは私ですし、アナタの言葉を信じましょう。」
「兄者が信じるなら俺も信じる。」
「ありがとう。」
「決まったならここを潜れ。俺の生得領域に繋がってる。…さっさとしろ。」
長いこと鳥居の上で彼等の話が済むのを待っていた三福があくびをしながら降り立った。三福が指差す先には厳島神社の象徴ともいえる巨大な鳥居が構えている。
「本当に、ありがとうございました。」
「あ、ありがとう。」
そう言って壊相と血塗は鳥居を潜り蜃気楼のように姿を消した。
彼等の姿が完全に見えなくなるのを見届けた瞬間、舞南斗の体から力が抜けた。
「ッゴホ…ゲホッ!!」
「あーあー、言わんこっちゃない。」
血を吐いて崩れ落ちそうになる舞南斗を咄嗟に支えた三福がそれみろと呆れ果てる。
「阿呆。一度に何人も治すからそうなるんだ。領域展開だって万能じゃねえんだぞ、それを俺の神聖な家に四人も連れてきやがって。」
両面宿儺にまで見られちまうとは、ぶつくさと小言を垂れながらも治療を施す三福に舞南斗は笑いかけた。
「ゲホッ!皆が助かるなら、こんなの痛くもないよ。.......ウ゛ッ、」
「大した虚勢だな。」
「三福。」
「なんだ。」
「いつもありが、と…」
限界を迎えて意識を失った舞南斗を三福はいつまでも呆れ顔で見下ろしていた。その瞳に慈愛が満ちていることに、本人すら気付かぬまま。
*
一方、東京内のとある空き巣に三人はいた。
兄弟の気配が消えたことに気づいた受胎九相図一番、脹相は手に持つ人生ゲームの駒を押し潰した。
「…弟が死んだ。」
「あーっ!!コマ壊すなよ!!」
「そういうことわかるんだ。」
駒が潰されたことに怒るツギハギの呪霊真人を無視し、額に縫い目のある男、安達と脹相は話を続ける。
「受肉体ならまだしも二人が指一本分の呪霊にやられるとは思えん。」
「そうか…待ってね。」
携帯を取り出し何かを確認した安達は一瞬目を見開いて、そして愉快そうに笑った。
「フフッ、報告が入ったよ。壊相と血塗を殺したのは呪術高専一年、虎杖悠仁とその一派だ。」
変わらずの無表情で、されど凄まじい殺気を脹相は纏わせる。
不穏な空気で満たされた室内に、引き裂けそうなほどに口を歪めた真人の嘲笑が響き渡っていた。
*
目を覚ましたら高専の寮の自室にいた。
電気を付けると眩しさで目を瞑る。次第に明るさに順応して壁にかかった時計を見遣れば、時刻は朝の四時を指していた。
「起きたかい、悠仁。」
背後から突然聞こえた声に振り返ると、窓際に夏油先生が座っていた。
「夏油先生…。」
「久しぶりに悟と二人で任務報告を待っていたのに、恵は医務室、君達は何故か無傷で自室で寝ているものだから驚いたよ。」
夏油先生の言葉に次第に最後の記憶が蘇ってくる。
「そうだ、樹!.....先生、樹がッ」
「落ち着きなさい。舞南斗なら先程補助監督から別の任務に向かったとの連絡があった。」
樹を探しに部屋を出ようと立上がると、近づいてきた夏油先生に肩を押されて椅子に逆戻りする。
「恵は硝子の治療を受けてまだ眠っている。君が代わりに何があったのかを説明してくれ。」
俺は今回の任務での出来事を事細かに話した。車の中での出来事から任務に関する全てを。
「そうか、舞南斗が領域展開を…」
「樹が指を鳴らしただけで俺と釘崎は暖かい光に包まれて...それで気付いたらここに。」
「命の理に干渉するというのは本当のようだね。」
「俺、五条先生に下手に刺激するなって言われてたのにっ、ついカッとなっちまって…!」
車の中での舞南斗の表情が鮮明に浮かんでくる。
伏黒に呼ばれて我に返ると、助手席に座る舞南斗を見て凍りついたように体が動かなくなった。瞳のハイライトを無くして、無表情でこちらを見つめる舞南斗。あんな姿は見たことがなくて、別人と錯覚してしまうほどだった。
あの時のことを思い出して自責の念に駆られていると、ふと頭に温かな重みを感じた。恐る恐る顔を上げれば夏油先生が優しく微笑みかけてくれる。
「悠仁は優しいね。」
「…そんなことないよ。」
「あるんだよ。だって悠仁は舞南斗を思って居ても立っても居られなくなった。舞南斗だって心の何処かではきっと理解しているよ。」
それでも、あの時の樹の表情がどうしようもなく己の胸を締め付ける。俺達が今まで共に過ごしてきた日々がなかったことにされたような、そんな虚しくて切ない気持ちにさせられた。
「私は一度、離反を考えたことがあったんだ。」
「え?」
予想外の言葉に驚くと、夏油先生は先生の学生時代の過去を語り始めた。
とある任務の失敗、後輩の死、非術師の存在意義への疑念、片割れである五条先生との蟠り...様々な精神的疲労が重なり次第に正常な判断力を失っていたと。
「挙げ句の果てに、私の様子がおかしいと詰め寄ってきた悟と殺し合い。最後にこう言われたんだ。」
ー若人から青春を取り上げるなんて許されていないんだよ、何人たりともね。
「その言葉で目が覚めたよ。…あの日、私は私がもっとも憎んだ猿に成り下がるところだった。」
「そんなことが…」
夏油先生の苦悩の学生時代に言葉を失っていると、先生は空虚を睨みつける。その双眸に怒りや悲しみ、悔しさが宿っていた。
「…だが舞南斗は違う。彼は自分が何をしているのかも分からぬまま呪詛師の思い通りに動かされている。…私と悟がなんとしても彼を元に戻す。けど彼が正気に戻った時、彼が自分の行いを知った時、心から彼を支えられるのは同級生である悠仁達だけなんだよ。...私が悟に救われたように。」
樹と出会った頃の日々を思い出す。 呪術界に入って右も左も分からない俺を常に気にかけ、傍に居てくれた樹。上の連中がいかに腐っているかを五条先生と豪語して、いつか特級術師になって見返してやれっていつも励ましてくれた。だから樹がしてくれたように、俺も樹を支えてやりたい。
覚悟を決めた俺を、夏油先生は力強い眼差しで見つめ返してくれた。
「そうだ。先生…役に立つか分からないけど、」
「なんだい?」
「樹のやつ、今回の任務の危険度が上がるの知ってた。それに、」
寝ている間に宿儺の生得領域に呼びだされた。いつもみたいに馬鹿にしてくるでもなく、自分の指は誰が持ってると不思議そうに訊いてきた。宿儺曰く、最後に持っていたのは伏黒だと。そして俺の記憶違いじゃなければ伏黒と共に結界に残ったのは樹だけ。
俺と釘崎が祓おうとした呪霊、いや人間の二人も樹と共に居なくなった。戦闘中の俺達の間に入ってきた樹の様子からして、二人を祓おうといった意思はなかったのだろう。何故だろうか、順平の時と同じでアイツは何が起こるかを知っていたような気がしてならない。
今回の任務で度々感じた違和感を先生に伝えると、先生は深刻な面持ちで終始真剣に話を聞いていた。
「そうか...ありがとう、一度悟と相談するよ。」
「…また元通りになれるかな。」
「元通りにするんだよ、私達全員で。……さ、まだ朝まで時間がある。もう寝なさい。」
最後に俺の頭を一撫ですると夏油先生は電気を消して部屋を出て行った。
「…っていっても、目覚めちまったな。」
再び電気を付けた俺は溜まっていた宿題をするために机に向かった。
夜明けが来るまで、室内にはカリカリと鉛筆を走らせる音が響き続けた。