綺麗な蝶には毒がある   作:れいめい よる

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怨敵

 

日没を迎えたハロウィンの東京は普段以上に邪悪なエネルギーに満ち満ちていた。引き潮のない海岸のように多寡は関係なしに鬱屈とした不可視の波がひたすらに打ち寄せてくる。恐怖や不安、悲しみ苦しみ嫉みといった様々な負の感情は万物に伝播し地面深くに根差した木々や夜の闇を飛び交う野鳥までもが不吉な未来に慄いているようだ。 

それは渋谷という要の戦場を図らずも離脱することになった俺も同じだった。 

 

今から十五分前、八時十分くらいのこと。愈々万全の準備を期して待ち構えていた俺は当初の計画通り渋谷駅を中心に下ろされた嘱託式の帳を解除すべく踏み出した。

 

帳は全部で三種類四つ。一般人を閉じ込める帳は際内側と最外惻にあり蝗GUYという呪霊が守っている。原作では虎杖と冥冥さんと憂憂が破壊したので優先度は低い。五条先生を閉じ込める帳は本編でも明らかになっていないので後回しだ。 

機先を制するうえで俺がおっとり刀で駆けつけるべきなのは術師を入れない帳だ。これは呪詛師粟坂二良、オガミ婆と孫が守っていてCタワーのヘリポートで呪術師を待ち構えている。不自由な活動範囲を解消することで呪術師と補助監督は一層の連携を持って事に当たることができる。つまるところ第一回戦は旗取りゲームなのだ。 

 

九月の病院任務で初めて領域展開をしたときに三福が精巧な分身をつくって顕現できることが明らかになったので今晩は別行動をとって暗躍してもらうつもりだった。換言すれば、渋谷事変を完全勝利Sでコンプリする為に俺が練った作戦は三福なしでは遂行できない。だというのに… 

 

「先にオガミ婆を倒して帳を消す手筈だったのに…!」 

 

出端を折ったのは三福だった。

それは総監部から単独行動の権利を勝ち取ってやる気を倍増させて寮を出た矢先のこと。 

 

——ほぉ、いやに懐かしい気配だな。…舞南斗、働け。 

突然理由も告げずに進路変更を要求した三福に俺は当然反発した。だけど三福は大手町に向かえの一点張りで、ならそれは俺達の行き先を改める程のことなのかと詰め寄れば煩わしげに肯定する始末。そこまで謂うならと三福にCタワーでの呪詛師打倒を任せて大至急大手町へと向かっているわけだった。 

 

「大体働けってなんだよ、仮にも俺主なんだけど!」 

 

詳細を求めるも俺を待ち侘びている奴がいるとしか云ってくれないし、とても元神様には思えない横暴っぷりだ。 

 

更には流石に十五分ぶっ通しで走っていれば息も上がってくる。蝶の翅で手っ取り早く移動したいところだったけど不明瞭な目的の為に呪力を消費したくなかったので全力疾走するしかなかった。誕生日プレゼントに家入先生に電動自転車を買ってもらうのを遠慮するんじゃなかった。トレイルランニングじゃなくてパルクールでも極めとけば良かった。 

 

無茶振りを要求してきた三福に悪態付きながら足を動かすこと更に十分、片道一時間四十分の距離をかっ飛ばして僅か三十分で中間点に至った。偏に日々の努力の賜物だ。 

 

「待って。なんだ、あれ」 

 

線路沿いの住宅街に闇が広がっている。夜の暗さじゃない、住宅照明、道端の街灯、自動車のライト…街の隅々にあるべき光がブラックホールに吸収されてしまったのように暗澹としていた。 

モンシロチョウの色覚を利用して目を凝らして見る。黒一色に染まった視界は立ち所に色彩で溢れた。遠方で立ち昇る黒煙、こちらへと一目散に駆ける人々の高まる鼓動。コスプレをしてる人は勿論平社員や老人まで、まるで悪魔にでも追われるように…  

 

丁度通りがかった女の人を呼び止める。彼女は酷く怯えていた。 

 

「わ、わた…アレが」

「落ち着いて下さい、アレって一体」 

 

質問の最中に迸った悪寒に俺は女性を抱えて飛び退いた。 

 

爆発音にも似た大音響とともに俺の立っていた場所が五メートル近く抉れていた。攻撃の来た方角を見据えて…身体が勝手に強張った。 

肩から上のない濡羽色の馬に跨る落武者が怪しく煌めく太刀を回転させる。ホラー映画さながらに首を三百六十度回転させて、留めどなく血の流れる双眼が俺を見た。

 

「見付けたぞぉ!時当ォぉオ!」

「早く逃げて…早く!」 

 

反射的に下ろした女性に手を伸ばした瞬間、斬撃が飛んできた。オオムラサキを巨大化させて女性の背後を庇わせる。耳鳴りが起きる程に大きな風音だった。たった一振りでオオムラサキは跡形もなく消滅した。幸いにも女性は角を曲がって逃げ延びたようだ。 

 

かくいう俺は斬撃をできるだけ逸そうと蛹の抜け殻を連結して強化させた盾で壁を作って、けれども両極に方向転換したはずの攻撃は鎌鼬の如く皮膚を裂いていた。肌は火傷を受けたように熱い。 

 

「なんなんだよ…ッ」 

 

気配に跳躍。出し惜しみしている場合じゃなかった。時速百キロのイトランセセリの翅を広げて百メートル程飛び立つ。仄青い閃光が元いた場所を通過していた。 

直後、ソイツが太刀を奮った。

 

こちらに目掛けてさっきの斬撃が飛んでくる。俺は精一杯身体を捻った。 

肉体が傷付く代わりに翅が断ち切られた。僅かな浮遊感。 

降下。 

 

「やばっ、わぁああ!」 

 

地面に激突する未来に思わず受け身をとって目を瞑った。 

 

…待てども待てども激痛は来ない。それどころかコンクリートとは似ても似つかぬ温かくて柔らかい感触に包まれて、疾風が耳元で轟々と鳴っていた。

俺は恐る恐る瞼を開けて、自身を抱き止めた存在に瞠目した。 

 

「西野さん!どうして此処が!」 

 

いつもの遮光眼鏡を掛けていない花緑青の眸が険しく俺を睨んだ。 

 

「私がこの五ヶ月あまり、好き好んで貴方のような呪術師と組んで補助監督をしていたと?兎のように好き勝手に跳ね回る所為で振り回されるこっちの身にもなって下さい!」

「何で怒ってんの!?」

「伊達に愚図で鈍間な貴方と付き合ってないということです。」 

 

動けるならさっさと自分の足で走って下さい、辛辣さを微塵も緩めずに西野さんは俺を下ろした。彼は俺がこの世界の俺と成り代わって総監部と初めて密約を交わして以来ずっと支えてくれている補助監督だ。元々一年前までは一級術師として活動していたけれども、かなりの面倒臭がりで度々任務を怠けて愛想を尽かしたお上に補助監督に回されたと聞く。 

 

瞬刻、また脅威が背筋を駆け巡った。俺と西野さんは屋根の上で二手に分かれる。 

 

矢先にあの忌々しい剣撃が俺達の間を目にも止まらぬ速さで過ぎていった。再び肩を寄せ合うと、西野さんの目配せに従い瓦を滑り降りて生活道路に降り立つ。目先の角を急角度に曲がって召喚したクロコノマチョウの力で背景と擬態した。 

 

蹄がコンクリートを蹴る音が近づいてくる。俺と西野さんは息を殺す。 

直ぐに四足歩行の大きな図体が前を過ぎって行くと、俺は無音の安堵を漏らした。目眩しには成功したもののアイツが民間人に被害を加える前に祓わなければならない。 

 

背後から呪霊の様子を観察してみる。俺達の姿が見えなくなった途端、アイツは歩調を減速させ十メートル先で立ち止まると血眼になって周囲を捜索しだした。

戦国時代の武士を彷彿とさせる甲冑、おまけに鍛え抜かれた筋肉を黒光させる黒馬には頭がない。馬と騎手が反転した日本版のデュラハンみたいだ。通った後には辺りの照明が漏れなく消えてしまう奇妙な現象も引っ掛かる。一撃の威力は下手な二級呪術師を優に凌いでおり、人間の言葉を話すのである程度のコミュニケーションは可能と思われる。即ち、特級だ。 

 

「なんだってあんな奴が」

「平将門でしょう。」

「え?」 

 

素っ頓狂な声を漏らす俺に西野さんは驚愕すべき事実を滔々と語り始めた。 

 

何でも京都の北野天満宮に怨霊菅原道真と千体を超える呪霊が出現し、渋谷駅に派遣される筈の五条先生が急遽そちらに派遣されたという。更には渋谷駅に閉じ込められた一般人は五条先生ではなく夏油先生を呼び出したことで、夏油先生が単身で地下へと向かったと。 

将門塚で特異な事件が発生し波紋が広がっていることからお上は非番だった西野さんに三十分前に呪術師として出動を要請、現着して早々事態を把握し俺を探していたのだと。 

 

「なに、それ。そんなの聞いてない…」 

 

是迄は些かの異変もなく原作通りに進行していたのに、何で渋谷事変が始まって急に激変するんだ。けれども同時に、いつかファミレスで安達達と落ち合わせた時に彼が見せた謎めいた笑みが脳裏に蘇った。もっと、もっと積極的に敵の策謀を詮索するべきだった。 

 

「この期に及んで悔いている暇があるなら打開策でも考えたらどうですか。」 

 

予想を遥かに裏切った現実に己の不甲斐なさに失望する俺に西野さんは云い放った。淡白とした声調には彼なりの鼓舞が含まれていた。

俺は拳を握り締める。 

そうだ、ここでぐだぐだと悩んでいる余裕はない。京都で菅原道真、大手町で平将門が喚び出されたならあと一体…崇徳天皇で三大怨霊は揃う。いや、既に揃っているけれど報告に上がっていないだけなのかもしれない。単純にまだ行動を起こしていないか、或いはソイツと対戦中の味方陣営に報告する余裕すらないか。後者なら最悪だ。 

 

だけど今は三福を信じるしかない。俺に出来ることは一刻も早く平将門を祓って渋谷に馳せ参じることだけ。 

俺は拳を開いて現実と生得領域とを接続した。音を鳴らさないように指を擦り合わせると血塗と壊相が現れる。西野さんが眼を見張った。

 

「呪胎九相図?貴方まさか」

「すみません西野さん、今は大目に見て。」 

 

久々に現界した二人は俺達と前方の平将門を見て即座に状況を察したようで臨戦態勢に移った。けれども俺が求めるのは共闘じゃない。 

 

「血塗、壊相、お願いがある。今すぐ俺達の代わりに渋谷へ行って補助監督や呪術師を助けて欲しい。その後に虎杖の所に向かって。きっと脹相は二人を殺したって勘違いしたまま虎杖に矛先を向けるから。」

「分かりました。」

「兄者のことも呪術師のことも任せとけぇ。」 

 

二人は直様踵を翻して去って行った。不安要素は依然として無くならないがこれで少しは緩和された。 

 

「樹術師はアレの能力が何だと思いますか。」 

 

西野さんが尋ねた。俺は思案してみる。

平将門の逸話に跡付けるなら確率的な事故死とか、疫病、天変地異など怪異を挙げ出せば枚挙にいとまがない。けれど対峙してからの十分未満でアイツの術式は大凡予測がついていた。 

 

「火雷天神平将門、雷…ですかね。」

「妥当でしょうね。」 

 

その時、跫が止まった。体は正面を向いたまま、悪鬼の形相が晒される。

くるりくるり、首が回る。

……気付かれた! 

 

「西野さん!」

「私に指図しないで下さい!」

「そんなこと言ってる場合じゃ」 

 

真横で手拍子が鳴った。次いで彼は両手を地面に叩きつける。 

 

刹那、地底から盛り上がり防壁が出来上がった。金属を自在に操る術式だ。平将門が放った雷撃は防壁が避雷針の役割を担って消滅した。 

 

防壁が下がる。初めての共闘なのに肚と肚で全てが通じてるような連帯感が俺の闘志を奮い立たせた。西野さんの防御が解けるや否や俺は跳び出した。 

夥しい数の蝶で相手の視界を遮る。太刀を握る手に力が込められる前に、呪力を這わせたナイフを首目掛けて振りかぶった。 

 

…感触がない。あることに勘付く。 

首が胴体から離れていた。 

 

「おのれ時当ぉおお!」

「巫山戯んなそんなんずるじゃん!」

「良いから早く走りなさい!」 

 

西野さんの怒声に弾けるようにして俺は引き下がった。平将門は愈々怒髪天を衝いたとばかりに奇声を発している。彼が繋ぎ馬の腹を叩きつけると、ありもしない口先が強い磁界を発生させた。 

 

「嘘だろ…」 

 

まだまだ祓除には時間が掛かりそうだった。 

 

 

 

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