綺麗な蝶には毒がある   作:れいめい よる

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最悪

 

絶えず遠く近い所から高々と爆音を届け渡る。虚妄の世界で廓大する血涙と嗚咽から逃げるように星々のいなくなった空は重苦しい沈黙を保っている。地上で変災に見舞われる生きとし生けるものにとって此程の長夜は二度と味わえまい。帳が解除されるにつれて一つ、また一つと泡沫の如く命は弾けて消えてゆく。悲劇はまだ中盤に差し掛かったばかりである。 

ところで、其処彼処で進行する生殺与奪の権利の奪い合いを差し置いて、現実を把握するべく摩天楼を見渡せる渋谷Sタワーの屋上に昇った二名の呪術師が居た。 

 

「全ツッパしたってのに邪魔しやがって…よっぽどの事態なんだろうな?」 

 

此処に至るまでの夥しい同胞の亡骸を見ておきながら腕弛げに後頭部を掻く男にもう片方がすかさず抗議した。 

 

「流石に不謹慎ですよ!昨日の今日連絡を受けたばかりなので僕も何がなんだかですけど、少なくともこの景色を見れば最速最短で帰ってきた甲斐はあると思ってます。それに良かったじゃないですか、ここで大活躍したらぱちカス脱却できますよきっと!」 

 

苛立ちも募らぬほどの巧まざる罵りだった。どうして負のエネルギーを扱う呪術師になったのか甚だ不思議でならない程に無邪気な楽天家を前に男は全てが馬鹿らしくなって欠伸をした。こちらはどこまでも意気込みに欠けていた。 

 

「じゃあ早速学長に会って状況の把握を」 

 

蒼卒と空気の流れに乗って何かが男の鼻腔を掠めた。嗅覚というよりは第六感に訴えかける、一種予知にも似た感覚だった。

人間界に招かれざる客人が来訪している。言葉よりも己しか持ちえぬ鋭感を以て理解した男は「適当にやっとけ、新井。」と云い残して呪力の支えもなしに生身を宙へと投げ出した。 

 

唯ならぬ気配を察知したのは彼も同様だった。端から男の言動に掣肘できるなどとは思っていないお目付役は無音の息を漏らした。 

 

「僕は灰原ですって、伏黒さん。仕方ないなあ、じゃあ僕一人で本部に向かおう!」 

 

伏黒甚爾、灰原雄、渋谷現着。 

 

 

真冬の寒気のような顫動が背筋を走って狗巻は飛び退いた。 

 

砂塵、いや寧ろ爆撃機が機体ごと飛来してきたかの衝撃が大地を激しく振動させた。拡声器を用いて呪霊を祓い、市民誘導するだけの呪術師相手にも呪詛師勢力が嗾けてくるなどとは誰が想像できただろうか。前代未聞の奇襲に狗巻は臨戦体勢をとった。幸いにも一帯の非術師の避難は済んでいる。そして己は準一級術師、たとえ敵が特級相当であろうとも幾許かの抗戦は演じられるだろう。若しも相手が一級以上の猛威ならば一度退き誰かしらの助けを求めることはできる。決して楽観視ではない上々の技能を備えていた。

…それ故に彼は思いつかなかった。呪霊でも呪詛師でもない相手と対するかもしれないという希少な確率を。されど不時の厄災に相応しき不幸が自分に降りかかってくることを。 

 

砂漠地帯を馬の大群が駆けていったかの如き砂埃が徐々に収まりゆく様を狗巻は凝視していた。 

つと、近くで物音がした。礫がカンカンと地を叩く軽妙な音だ。実際、それは只の石ころだった。 

 

狗巻は寸秒で目線を戻す。雲さならがに立ち昇っていた砂埃はいつしか膝元くらいの高さにまで減じていた。疑問が差し込む。踏ん張らなければ飛ばされる台風もかくやの威力を引き起こせる敵手が自身の膝丈よりも矮小なことがあろうか。 

 

拡声器を口元に寄せて狗巻は近付いてみる。 

瞬時、頸を震わす気配に彼は咄嗟に見返った。大太刀の切先が伸びる。拡声器を持つ手が驚愕に震える。 

呪言と得物、惜しくも狗巻の呪いが(味方)に到達することはなかった。 

 

* 

 

呪胎九相図。かの史上最悪の呪詛師加茂憲倫が生み出した呪霊と人間の混血児。総計九つを指し、中でも一番から三番は特級相当とされている。既に馴染みのある壊相と血塗は蝕爛腐術という生得術式を保有し、呪力を血液に変換できる九相図に共通する能力を用いて戦う。無制限に血液を操れる術式な為に毒性のある彼の血液操術と対面して無傷でいられる呪術師は極限られている。 

 

脹相、一番。赤血操術の使い手である加茂家と同じ術式を持ち、先述したように貧血や失血死のリスクのない戦闘スタイルは自由度が高く偏っていない。まさに上位互換と称するに相応しい能力だ。 

 

ときに、八十塚橋での戦闘に際して己の兄弟が呪術師の生得領域を隠れ蓑として戦線離脱したことを知る由もない脹相は弟達の気配の消失を死と断定した。四番以降の兄弟がとうに死去している為に取り残された唯一の血縁者を殺された彼が復讐に走るのは当然の理だった。誰がどう殺したかは問題ではない。問題はその場に宿儺の器と高専生の釘崎がいたことだ。無論、現場にいながら救難を行わなかった舞南斗も怨恨の対象である。 

その為、復讐相手を探すべく夏油の始末の後に単身で繰り出した地下鉄内で冥冥らと別れ与を探しに駆ける虎杖に鉢合わせたのは脹相にとっては思いがけない幸運だった…。 

 

脹相は特級の名声を傷付けぬ圧倒的強さだった。極限に圧縮された血液が鉄砲玉の数倍の速度で飛翔し、ときには爆発的な超高圧切断攻撃を放つ。一度身に受ければ人体各器は立ち所に穿たれ、ウォーターカッターの如く腕を振るわれようものなら豆腐を切るように肉体は切り裂かれよう。防御により辛うじて分散された攻撃は四方に飛散し如何に強固な壁でも一瞬にして崩壊してしまう。脅威的な強度を誇る赤血操術の絶え間ない攻めに虎杖が敗北するのも無理もないことだった。 

 

無貯蔵の血液による苛烈な憎悪を受けた虎杖は戦闘開始から程なくして壁にめり込んだまま意識を失った。戦闘不能となった宿儺の器を前にしても尚脹相の腹の虫は治らなかった。彼の裡で宿主の窮地を傍観しているであろう呪いの王に対しても然り、九割の呪霊と人類にとって彼等は安寧を脅かす寛容し難い姦悪そのものであった。この場で己が引導を渡したところで苦情を云う者など、人間と呪霊の立場を反転させる大義に宿儺の手助けが不可欠と認識する漏瑚と、腹の内が見えない安達くらいなものだろう。二人の糾弾など今の脹相を止めるに値しなかった。 

 

脹相は伸ばした腕と掌を胸前で合わせる。今度こそ虎杖の心臓を射抜かんと、あるだけの憎悪と呪力を一点に掻き集めて。 

照射… 

 

ドゴォン!凄まじい衝撃音が閉塞的な空間に轟いた。

虎杖を貫く予定だった百斂はタイル張りの壁面を真っ二つに両断した。直前に自身の腕が右から現れた存在によって照準を狂わされたのだ。 

 

脹相は即座に大幅に後退した。いくら油断していたとはいえ触れられるまで気配に気付かぬことなど有り得ない。どれ程の猛者が横槍を入れたのか、忌まわしさを前面に押し出して相手を睥睨しようとして…頭が真っ白になった。 

 

過激なボディハーネスに蝶ネクタイとTバック、頗る趣味の悪い棟髪刈りと絶妙に相性の良い眉上ピアス。片やそこらの呪霊と大差ない外見と藍緑色の裸体。 

 

「あ…ぁぁあ…」

「兄さん!」

「兄者ー!」 

 

見紛うはずがない、聞き間違えるわけがない。如何に崇高な魂でも優ることはない、この世で最も愛おしい弟達。 

 

「血塗、壊相?」

「今だ!」

「殺しちゃダメだぁー!」 

 

完全に戦意を喪失した脹相に二人はここぞとばかりに飛び掛かった。 

 

「はぁっ?お前ら、虎杖悠仁はお前らを殺…して?…いや、何が起こってるんだ…」

「全て誤解です、兄さん。」

「そうそう!俺達は」 

 

その時、無人の構内に新たな足音が響いた。作動しないゴム底靴の柔らかな感触がエスカレーターを踏み締める小さな足音だ。取り立てて悪意や緊迫感の類は感じられない。されどもこの無秩序の中心部で乱れ一つなく階を降ろうとするそれは異様に聞こえた。 

運動靴の靴先が天井から覗ける。次第に脚、下半身、腰、上半身の順に全貌が露わになり、やがて馴染みの顔を見留めると一人の呪力が不穏に変容した。 

 

「樹、舞南斗…!」 

 

二人目。虎杖の次に自身が仕留めるべき仇——繰り返すが血塗と壊相は生きている——を前に一度収めたばかりの憤怒が再燃するのは当然の流れである。

何せ死んだ筈の弟達の生存を樹舞南斗、延いては安達景時に知られるのは芳しくないという不明朗な危機感が彼を戦闘体勢へと駆り立てた。 

兎にも角にも樹を斃し戦線離脱しなければ。一級術師とはいえ領域展開されたら一溜りもない、先制一撃で毒牙に掛けるべく血液を圧縮させる。超新星を発動しようとした彼を血塗と壊相はまたもや押し留めた。 

 

「さっきから何なんだ!」

「いやダメなんだってぇ兄者!」

「良いですか?落ち着いて聞いて下さい。彼こそが私と血塗を救った恩人なんです。」

「…なんだって?」 

 

突拍子もない発言に訊き返す脹相に腰を据えて説明を施そうとする壊相をやって来た樹が遮った。 

 

「壊相、血塗。お兄ちゃんに会えて良かったね。」

「ええ、お陰様で。舞南斗、アナタあの呪霊の討伐は済んだので?」

「む?あー、そうだよ。終わったから急いで帰ってきたんだ。」 

 

平凡な黒眼が節々から血を流し微動だにしない虎杖へと流される。 

 

「宿儺の器は俺がなんとかするから三人は一旦ここから離れてもらえる?」

「お前が言うなら勿論だぁ」

「待て、一体何の話か」

「道中に説明しますので兄さんは付いてきて下さい。」 

 

脹相は弟達に強引に引き摺られるようにしてその場を立ち去った。 

 

三人の姿を見送ってすぐ樹は相好を削ぎ落とした。三福に預けられたモノと道中遭遇した呪詛師から強奪したモノを手に目覚める様子のない虎杖に歩み寄る。至って義務的な手付きでソレらを鯨飲させるとその後の変化には興味を示さずに、樹は鼻高々と元来た道を戻って行った。 

 

宿儺が覚醒したのはそれから一分後のことだった。  

 

「ケヒッ、滑稽な気配が彼方此方に居るな。良い良い、余興に遊んでやろう。」 

 

 

 

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