綺麗な蝶には毒がある   作:れいめい よる

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死の喧騒

 

渋谷を占領していた帳が消えるや否や、七海班は本格的な行動に乗り出した。電波が繋がり早速他班に電話を試みたものの通信確保を担う日下部班との連絡は一向につかない。そこで禪院班に連絡をとったところ直毘人と真希が彼等の方角へと移動していること、釘崎と新田が渋谷料金所へと向かっていることが判明した為、七海班も禪院班同様に二手に別れることを決した。伏黒と伊野は釘崎達と合流の後に日下部班の捜索と本部との連携を図り、一級術師である七海は単独で禪院二名と合流することに。意図せずして呪術師側の分断は加速した。 

 

「静かすぎませんか。」

「え?」 

 

都心メトロ十三番出口から徒歩五分、道玄坂に沿って渋谷スクランブル交差点を抜けた辺りで遽かに伏黒は立止った。不審な眼差しが周囲を見渡すのに従い伊野も注意を配ってみる。非術師は勿論のこと呪霊も呪詛師も呪術師も、駅周辺で七海と別れる以前まで耳朶を脅かしていた複数の戦闘音もまるで聞こえてこない。街が丸ごと海底に沈んだかのように、或いは己の命運を悟った住民らが息を潜めて街を闊歩する絶大な脅威から逃れようとしているかのよう。 

 

何かがおかしい。無意識に帽子へと手を伸ばす伊野の横で伏黒は鵺を召喚した。 

 

「鵺、周囲を偵察し」 

 

云うよりも先に北東で巨大な破壊が起こった。井の頭通りの方角だ。二百メートル先の爆風が津波の如く吹き付ける。

粛然たる渋谷の都市景観の只中で人間や通常の呪霊よりも大きなナニカが猛り狂っている。暴虐性を剥き出しにして。共振周波数で硝子を割るかの衝撃派が二人を怯ませた。十種影法術で召喚した怪鳥が一瞬にして消滅した。 

 

「鵺っ!」

「伏黒!逃げんぞ!あれはやばい!」 

 

伊野に引き摺られるようにして伏黒は激戦地とは真反対の方角へと駆け出す。アレは特級だ。経験の深浅に関わらず本能的な切迫感が深刻に存亡の際だと告げていた。尚も響き渡り続ける超音波的呪力の拡大に耳を出血させながらも二人は脚に鞭を打つ。ここで止まればアレがやって来ることは火を見るよりも明らかだった。しかし由々しき事態に際して、己の命を脅かす元凶から目を背け続けるという忍耐はこの一年には備わってなかった。危険な好奇心とも謂える。 

走りながら伏黒の尻目は甚大な破壊が繰り返されるビルへと向いていた。

 

「一体じゃない…」

「はぁっ?」 

 

音響振動を起こしつつも高速移動するナニカはそれ自体が時折悲鳴のような怒号のような咆哮をあげている。目を凝らしてみる。 

 

…一瞬でも識別できる紺碧と褪紅。目下に刻まれた傷跡、墨を指で引いたような紋様。間違えようもない、アレと拮抗しているのはまさか。 

 

「伊野さん!あそこに虎ど…」 

 

掌の温もりが消えた。

咄嗟に振り返る。塵埃が三十メートル先のテナントビルの面前で上がっていた。見たくもない血飛沫が飛散している。伏黒は反射的に玉犬を召喚した。 

キャイン。頭に陰が差すと同時に玉犬が踏み潰された。転瞬、伏黒は建物の外壁に激突していた。 

 

「……ぁ…」 

 

頭の中身をどこかに取り落としたみたいに意識が朦朧としている。時刻は真夜中へと向かっているのに視界が眩しい。己が何時の何処にいるのかすら分からなかった。 

茫然とする視界をどうにか凝らせば、目と鼻の先で二つの陰が高速に激突し合っている。朧げに記憶が戻ってきた。見たこともない特級呪霊と同級生が戦っている。…いや、同級生の肉体を奪った呪いの王が。 

 

何故、如何して。漠然とした疑問が湧き上がれど解は与えられず、感覚が薄れゆく己を辛うじて認識している己がいることだけがはっきりとしている。脚を動かそうにも感覚がない。下を見ることすら億劫だった。 

 

「ははっ」 

 

アレのたった一薙ぎで先輩呪術師は蚊のように潰されてしまった。一体から生命を感じないのはとうに喪われてしまったからか。お前は詰んだのだと、もう休めと天使の声が耳元で囁いた。同意もなく盤上に担ぎ出され、生死を賭した仕合のルールも知らぬまま攻勢の機会も与えられずに蹂躙されるのみだと。死がすぐそこまで迫っている。

 

「は、ははは」 

 

せめてもの意趣返しでもしたくはないのか。悪魔が囁いた。気付けば伏黒の唇は最も忌まわしき呪文を紡ぎ始めていた。 

それは式神を調伏する十種影法術において調伏の先例のない最凶の式神である。屈強な筋肉質と四メートルにも上る巨体。目元から生えた二対の翼と背には八握剣の紋章の一部分が備わっている奇奇怪怪な形姿をしている。

玉犬や鵺といった通常の式神とは一線を劃しており実力は宿儺の指十五本分にも匹敵する。遡っては江戸時代、六眼の五条家当主との決闘において禪院家当主が召喚し相討ちという古今未曾有の帰結に導いた悪夢の式神… 

 

「布瑠部由良由良」 

 

ありとあらゆる立体物を破壊し尽くしていた敵が矢庭に動作を止める。伏黒を纏う呪力の異様な変化に心付いたのだ。されど時すでに遅し、死なば諸共の無敵の勇気が最後の呪いを云い放った。 

 

——八握剣異戒神将魔虚羅 

禍々しい負の力が一箇所に集中する。大きな大きな影の塊となったそれは寸秒後には実態を持っていた。対呪霊に特化した退魔の剣が、白花色の単調な裸体が、不可避の死が具現化する。此程までに濃厚な死を実感していながら、伏黒には如何してだか同級生の肉体の主導権を奪った呪いの王が屈する様が思い描けなかった。 

 

「じゃあな呪いども。精々頑張れ」 

 

舞台は整った。最期にありったけの呪詛を込めて…凄まじい衝撃と共に世界が闇に沈んだ。 

 

* 

 

肺が張り裂けそうだ。走っても走ってゴールの見えない迷宮を彷徨っているみたいに、自分が何をしてるのかすら分からなくなる瞬間がある。けれどその度に真後ろに感じる謂れのない殺気が意識を現実に引き戻して俺を遮二無二前進させた。気分はさながら広大な森で羆に遭遇してしまった遭難者、身も心も捕食者が捉えられない疾風にでもなってしまいたかった。 

 

節々が痛い。というよりは焼けるようだ。平将門の握る大太刀はそれ自体が彼の伝説に則した性能を備えているようで、詳細は判然としないものの電気を帯びた斬撃が幾度となく俺を切断しようとした。真っ二つなら可愛いものだ、アレの場合はどこぞのゾンビ映画のレーザー攻撃みたいに変幻自在な光線を放ってくる。血を分け与えた半霊の蝶たちも数え切れないほどやられた。俺の右手の小指と薬指も吹っ飛んだし彼方此方に火傷が拡がっている。左眼だってお陀仏になったけど、いつかの病院で対戦した特級呪霊とは桁違いの相手から命からがら逃げ果せてるってだけでも賞賛ものだろう。西野さんが心配だった。 

 

というのも彼曰く、超電磁砲を扱う馬もまた特級相当だそうで最初の完全体で戦えば完全に勝敗が決まった持久戦に持ち込まれていたとのこと。特級と特級が合体した超特級怨霊なんかいて溜まるかってんだ。少なくとも馬と騎手の二手に分割できたこと、西野さんが駆けつけてくれたことは不幸中の幸いだった。でなければ俺は住宅街の時点で存在が豚の丸焼きみたいに消滅していたかもしれない。特級っていう括りでも此程までに脅威に開きがあるだなんて、きっとこの世界に来て一級に昇格して実際にイカれた呪霊達と拳を交えてみなきゃ一生理解できなかっただろう。尤も、微塵も望んでない実感だけど。 

 

「時当ォ!」

「執拗いなあ!それしか言うことないわけ?ていうか俺樹舞南斗だし人違いですぅ!」 

 

もう一つ、生身の人間では到底あり得ない速度で疾駆する将門に対し、イトランセセリの飛行速度がそれを上回ってくれていたことも幸運だった。翅の酷使は陸上競技と同様に循環器系に重労働を強いられる。即ち、蝶や鳥でもない俺が死に物狂いで飛べば飛ぶほど呼吸は全力疾走と同じく過酷になっていく。

会話困難な相手なのは判っていたのでとっくに術式の開示をしている。そうして戦闘力に大幅のバフを与えても攻撃を躱すだけで精一杯なのだから洒落にならない。 

 

埠頭を周回し始めてから彼此十分が経過していた。一万平方メートルの敷地の片隅で軒を連ねる火力発電所の外観には依然として変化が見られない。 俺は鞭に変身させたツマグロヒョウモンを振り向き様に叩きつけた。 

激しい音を立てて弓形にしなった鞭が地面を抉る。三福に教えてもらった毒壊鞭(ドクエベン)という技だ。瓦礫が平将門へと飛んでゆく。案の定、糸も容易く一刀両断された。舌打ち混じりに前に向き直る。首を獲ろうにも逸話に倣って彼は自在に胴体と頭を切り離せるから豆腐に鎹だ。だからといって電撃の供給源を絶ったところで下手に接近すれば純粋に傑出した技量で反撃を喰らうだけ。近付きすぎても、離れすぎていても攻撃は無効となる。となると理想的なのは相手が反応する速度もなく決定的な一撃を加えることだが、今の俺の実力と環境条件でできる方法は限られている。 

 

高い足場が要る。二人以上の人間が留まることができないような鋭利な塔のような踏み台が。電柱じゃ高さが足りない。たとえば東京タワーの頂上とか電線とか、或いは… 

 

「コンテナクレーン!」 

 

目先に丁度良い五十メートルくらいのクレーンがあった。 

地上に降りる。両脚にありったけの力を込めて一気に駆け出した。クレーンは火力発電所三号機の手前、間違っても平将門が西野さんと馬の気配に気付かないように鬼ごっこで極限まで注意を惹きつけなければならない。 

将門は相も変わらず別人の名を叫んでは電気を帯びた鎌鼬を飛ばしてくる。避けて避けて、煽り立てて、傷が増えていく。それでも止まるわけにはいかなかった。 

 

クレーンまで後二百メートル。

百五十、百、七十五、五十…四十に至ったところで俄かに間近で爆発が起こった。 

ドドン!と重々しい轟きが暴風と共に拡大する。発電所を中心に発生した衝撃波はすぐに瞬間的に俺達のところまで達した。何が原因かなんて考えるまでもなかった。 

 

「ありがとう、西野さん…!」 

 

辺り一帯が暗転する。停電が起こったのだ。 

俺はクロコノマチョウの擬態を纏いイトランセセリの翅を広げて一息にクレーンの頂点目掛けて跳躍する。俺を見失った平将門が残像の行方を追って四方を探していた。地上五十メートルに到達して、身体を捻った。平将門はまだ真下にいる。 

 

…骨組みを踏み壊す勢いで蹴飛ばした。翅も納め、呪力を毒壊鞭へと結集させる。轟轟と風を切って急降下する俺を漸く将門が見上げた。 

頭上に掲げた鞭を確りと握りしめる。自然と口端が吊り上がった。小烏丸が切先を持ち上げる。もう遅い。 

 

「時当ォオオ!」

「舞南斗だって…言ってんだろ!」 

 

力任せに腕を振り下ろす。途方もない歳月を超えた一太刀と、加波比良古操術最後の生き残りの渾身の一撃が交わった——。 

 

………。 

 

意識を取り戻した時には品川埠頭は跡形も無くなっていた。発電所もコンテナもクレーンも、まるで爆撃を受けたかのように木っ端微塵に吹き飛んでいた。平将門の姿はどこにもない。祓除とともに消えなかった小烏丸だけが落ちていた。 

 

埠頭を囲む東京湾の海水が大浪をつくり寄せては返している。その度に召喚した覚えのない、呪力を分け与えていた蝶達の無惨な尸が海へと流れていった。きっと呪力を返してくれたのだろう、四割まで落ち込んだ負の力が回復しているのが分かった。 

びしょ濡れになった重い身体をどうにか起こして、小烏丸を手に俺は立ち上がった。 

 

「早く、向かわないと……渋谷に」 

 

皆んなのもとに。

 

 

 




安否不明:
日下部篤也、与幸吉(救援要請後、最終位置:渋谷ストリーム近辺)
狗巻棘(最終位置:東京メトロ渋谷駅付近)
七海建人、禪院真希(救援要請後、最終位置:東急百貨店本店)
釘崎野薔薇、新田明(最終位置:渋谷Cタワー)

生体反応消失:
枷場美々子・菜々子、夏油傑(最終位置:渋谷駅)
パンダ(最終位置:渋谷ストリーム近辺))
伊野琢真(最終位置:道玄坂109前)
伏黒恵(最終位置:道玄坂 109前)


『戦況』
京都:菅原道真 対 五条悟(進行中)
   呪術高専京都校&呪術師多数 対 呪霊千体(進行中)
東京:平将門 対 樹舞南斗&西野智風(勝利)
   釘崎野薔薇&新田明 対 樹舞南斗(??)(勝利)
   狗巻棘 対 樹舞南斗(??)(勝利)
   伏黒恵&伊野琢真(敗北) 対 魔虚羅 対 虎杖悠仁(宿儺) 対 崇徳天皇 (進行中)
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