綺麗な蝶には毒がある   作:れいめい よる

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取り返しがつかない

 

 

上空から鳥瞰できる稀有な東京の有様に京都での任務を終えて急帰した五条がいかに絶句したかは謂うまでもない。壊滅状態となった渋谷を空から無力に眺めた末にやっとのことで後方本部へと辿り着いた五条は夜蛾に詰め寄った。 

 

「こんなザマになってんならなんで直ぐ呼ばなかった!?」

「与が安否不明となったことで通信手段が断たれた。お前も帳の中に居たんだろう、携帯では連絡がつかなかった。」

「だからって…傑は何してたんだよ!」 

 

空気の流れが変わった。陰湿な雨がねっとりと纏わり付くような暗鬱が渦巻きだす。明らかに重苦しくなった雰囲気に当惑の只中にいる五条は心付かなかった。ぴたりと噤んだ唇を横一文字に引き締める家入、恐ろしく厳粛する夜蛾。隠微に寂寂とした料金所。 

さも宣戦布告を行う大統領もかくやの面持ちで夜蛾は意を決して沈黙を破った。 

 

「いいか悟、よく聞け。」

——傑は死んだ。 

「は?」 

 

意図せず声が(まろ)び出た。目の前の男が放った言葉が呑み込めず面様を慄然と強張らせる悟に夜蛾は繰り返した。

時計の針が夜の九時を指す前に安否確認の掲示板に異変が起こった。夏油の生体反応消失は診療所で治療を受けていた呪術師に補助監督、作業を行っていた治療者に寒気立つ衝撃を与えた。直ちに真相の偵知をすべく気を持ち直した夜蛾に反して時機を見計ったかのように続々と負傷者が流れ込んできた。

鳴り止まぬ救援要請と情報の寸断。もはや夏油の生死を確認する場合ではなかった。喫緊事項として夜蛾は回復した呪術師を救援要請が送られた多数の前線へと送り出した。矢先、大規模な地震と停電が生じた。 

 

命からがら逃げのびた術師の話によると肉体の主導権を得た宿儺と見たこともない特級呪霊二体が熾烈な争いを繰り広げていたとのこと。その者の見立てでは内一体は非術師が鏖殺された渋谷ヒカリエShinQsに残っていた残穢に酷似しているとのこと。京都で五条が菅原道真と対し、また総監部からの一報で平将門が大手町に出現したことを鑑みれば夏油を殺害し宿儺に匹敵するほどの呪霊といえば現況崇徳天皇以外に思い浮かばなかった。糅てて加えて禪院家出身の男の予測では宿儺と崇徳天皇と対峙していたもう一体は以前実家の文献で見た相伝の術者が調伏の儀に召喚した八握剣異戒神将魔虚羅の見目形に酷似していたという。同時刻に失われた伏黒の安否不明もあり信憑性は増した。 

 

「俺も何が何だか分からんのだ…。何故虎杖が乗っ取られているのか、傑が死んだ理由、伏黒が魔虚羅を召喚した訳も…何もな」 

 

多くが殺られた。多くが負傷した。

現実を否定するように横かぶりを振って夜蛾は治療所の帷幕を開く。所狭しと増設された寝台で大小様々な傷創を負った呪術師と補助監督らが手当を受けていた。重症者が寝そべる奥には何者かに運ばれた伏黒が眠っている。 

家入の代わりに診療していた順平の傍で顔面蒼白に記録を記入する後輩の姿に五条は愕いた。灰原が彼の存在に気付いた。 

 

「五条さん。」

「灰原?お前潜入中じゃ」

「俺が呼んだ。もっとも、全てが手遅れだったがな。」 

 

高専の内通者であった与を味方に引き戻し敵勢力に関する必要最低限の情報を入手し、三十一日のいつ何時侵攻されようと切り返しが出来るよう準備も整えた。事前に五条派の多くの呪術師が協力し来る闘諍に参戦の意志を表明した。

しかし誰もが此程の大規模攻勢を予想しなかったのだ。認識の甘さ、それが数多の惨敗に繋がった。敵はあまりにも用意周到だった。三大怨霊、改造人間、呪霊千体…偏執的なまでの措置に断末魔が尽きることはなかった。 

誰かが歯軋りする音が耳朶に届いた。一体他にどんなイレギュラーがあればこんな惨めが起こり得るのだろうか…イレギュラーが… 

 

『お前、五条悟だろ。』

『…ククっ!可哀想に、助けてやれよ最強!昼寝でもしてたんですかア?』

『呪詛師の渋谷急襲にあたって日下部、パンダ、与は舞南斗を監視しろ。何か異変があれば最優先に俺か悟か傑に連絡するように。』 

 

最悪のイレギュラーが。

 

「舞南斗、舞南斗は何処にいんの」

「分からん、待機時に日下部が舞南斗を保護したと連絡があったが救援要請とともに舞南斗だけ消息が途絶えた。」 

 

その時、帷幕が上げられた。久方見なかった舞南斗の補助監督が手負の風体で現れた。両脇に瀕死の釘崎と新田を抱えて。順平と家入が急ぎ患者を受け取ると五条は憔悴しきった西野の胸ぐらを掴んだ。 

 

「お前だろ…お前が現場を撹乱したんだろ!」

「やめて下さい五条さん!」 

 

静粛であるべき診療所に響き渡る最強呪術師の怒声に皆が萎縮して注目した。今にも呪力を帯びた一発を喰らわそうとする修羅場を止めるべく灰原が止めに入る。ところが彼の制止を振り切って西野は自身の血でべたつく手で五条を掴み返した。 

 

「私だって!」 

 

肺腑から抉り出された悲鳴だった。己を掴む手が危うく震えているのに五条は気付いた。 

不意に彼は力を失った。本来ならば佇立していることも困難な程の重症だった。糸が切れたように崩れ落ちる西野を灰原が咄嗟に支える。懸命に意識を繋ぎ止めようとする花緑青の双眼が五条に訴えかけた。 

 

「彼を…舞南斗君を助けて下さいっ。きっと死ぬつもりだ。」 

 

 

変わり果てた荒野の中心で虎杖は目を覚ました。動物も植物も人も、終末映画の一場面さながらに文明を喪失した景観が無情に在った。脹相との戦闘、様子のおかしい樹、宿儺の覚醒、伏黒の死…最悪の目醒めとともに彼は全てを理会した。眼前に拡がる地獄は紛うことなき己の仕業だと、己が尊い命を奪い尽くしたのだと。

 

「死ね…俺だけ…死んじまえ…っ!」 

 

血反吐を吐き捨て、無意味に更地を掻き散らす。そうしたところで現実は変わらない。それでも虎杖は最大の呪詛を己自身に掛け続けずにはいられなかった。 

 

やがて彼は面を上げた。渋谷の無明の闇を顔貌に反映させて。己だからこそ行かねばならぬと。無効にできぬ奇禍を犯した殺人鬼だからこそ、このまま終わるわけにはいかない。

眦は涙で濡れていた。後生乾くことのない忸怩たる涙だった。 

 

「そうだ、夏油先生。あの人に会って…兎に角会わないと」 

 

魂から血涙を流して、主人公は更なる地獄へと歩み始めた。

 

 

渋谷の各所で殆どの高専呪術師らが僅か数時間以内に実現化した末法の世を嘆いている一方で、同特別区の一画では命懸けの闘乱の土壇場に迫っていた。その場の誰もが予想しなかった甚爾の参戦により形勢は一気に逆転。負傷者の真希を傍で傍観させても尚有り余る程の暴力の権化はたった一発で海底に沈めた漏瑚が回復する前に陀艮を撃破。

触手を捥ぎ取り翼を削ぎ落とし、両眼を抉る悪質な行為の数々。風雲児の檜部隊というよりは静座ができぬ暴君の怒涛の進撃であった。とうに領域は意義を失い彼等は百貨店のエントランス階にいた。 

 

絶大な力量を知らしめた甚爾は次いで駆け戻ってきた漏瑚を相手に圧倒…とは流石にゆかず、宿儺の指八本分程度の実力を有す漏瑚との戦闘が思いの外難渋することを察知すると方針を転換。陀艮を人質に尋問を始めた。まるで破落戸の所業だがそれもこれも灰原と共に潜入捜査を行う際の情報収集の癖が発揮された所以である。 

 

「おら、早く答えねェとお仲間の首が捥げるぞ。」

「貴様それでも人間か!」

「そこらの呪霊より悪質だな。」 

 

薙刀で斬り落とされた頭を修復して抗弁する漏瑚に真希が呆れ半ばに同意した。だが同情の余地はない。潜入捜査ではなくパチンコ依存症と度重なる暴言を矯正させてみせると意気込む灰原を渋々送り出したものの、成果を得るどころか心持ち残虐性が増強されて帰ってきた伏黒に七海は泣きたくなった。今すぐ灰原の元に向かいあの暴君の所為で理不尽な目に遭ってはいまいかと問い糺したいところだった。無論、身分秘匿捜査が煩わしくなった伏黒が密かに呪詛師を片っ端から拷問して回っていたのは灰原の存知するところではない。何とも都合の良い相棒である。 

 

「大体質問がないと答えられんだろうが!」

「あー?そういやそうだったな。おいソコ、何訊きたい。」 

 

直毘人は仮にも親族の甥の出来の悪さに当主としての謎の責任を痛感していた。 

 

停電は復旧していない。真暗闇で七海が灯した一つの篝火が中世の教会の隠し通路の如く辺りを朧げに照らしていた。互いの位置しか把握できない状況下で屋外の状態を余所見することは不可能だが、不可解なまでに静寂(しじま)に包まれた窓外世界で何らかの不測の事態が起こったのは察せられた。それ故に彼等は一刻も早く戦闘を終了させる必要に迫られた。  

 

「では敵の数と配置、それから目的を」

「それはどうかな。」 

 

直毘人に先んじて声を発した七海を何者かが遮った。一同は一斉に視線を走らせる。 最初に白髪が灯りに揺らめいた。動かないソレは微動だにせず、髪を掴まれ強引に引き摺られている。

失われた右腕と見覚えのある制服…何においても彼を拘引する人物も高専生であることを殊七海と真希は信じられなかった。篝火が生み出した幻影なのでは、思わず瞼を擦るもこちらへと進行する者達の影は消えやしない。 

 

そのうち、暁闇の最中に狗巻と樹の輪郭がくっきりと浮かび上がった。一縷の望みは呆気なく打ち砕かれた。 

 

「樹君ッ、君は自分が何をしてるか…」

「舞南斗!棘を離…せ」 

 

動揺をもって張り上げた声は語尾に至る前に消滅した。 

大方呪詛師に掛けられた呪いが効果を発揮したのだろうと拳の五発でも喰らわす所存で睥睨して、樹の鼠色に染まった白目に言葉を失った。

これは格段に拙い。是迄で一番の状態だ。若しや他班と連絡がつかぬのも彼の所為では…考えたくもない想像が脳内を占める。 

 

眸が元に戻った。しかし中身は変わらない。寒心に堪えない七海と真希を他所に樹は狗巻を乱暴に捨て置くと甚爾と直毘人を見遣る。すっと両眼を眇め、次いで完膚なきまでに痛めつけられた陀艮と漏瑚を見て小さく嘆息した。 

 

「可哀想に、弱いもの虐めは駄目じゃん。」 

 

あまりに無防備に歩み寄るもので甚爾と直毘人は反応に戸惑った。小隙に樹の指先が陀艮と漏瑚に触れる。二体は眩いばかりに発光し、光が収まる頃には傷一つない状態へと戻っていた。仄聞していたものの反転術式以外の治癒を目にしたことのない二人は奮闘を無碍にされたことに角を立てた。 

 

「余計なことをしおって」 

 

そう漏らした直毘人には一瞥せず樹は甚爾を正視する。壊滅的に記憶力の乏しい甚爾は記憶の隅から幾度か伏黒家に遊びに来た息子の同級生を辛うじて思い起こした。 

 

ついと一羽の蝶が何処からか飛んで来る。百入茶色の翅を緩慢にはためかせて。掌よりも小さなそれは止まり木を見つけた鳥のように伏黒の鼻先に止まった。 

 

次の瞬間、蝶が爆発した。モバイルバッテリーが発火したかの小規模な爆発だった。されど人の頭を吹き飛ばす程度には十二分な破壊力を持っていた。 

閃光と煙に包まれて見えなくなった甚爾に呪術師らは聳動した。まさか斯様な不意打ちに甚爾がやられるなどと誰が予想できただろう。同時として樹の等級に相応しくない能力を測り知るのは必然だった。 

高専生の予告のない裏切りに意表を突かれる三人の差し置き樹は漏瑚と陀艮に話し掛ける。 

 

「二人とも、そろそろ撤退し…!」 

 

言葉の半ばで第六感が猛烈に危険を訴えた。

樹は急ぎ背後を振り返る。…いや、振り返ろうとして間に合わないことを悟った。甚爾が牙を見せる。 

 

「舞南斗ォ、一丁前に反抗期なんてなりやがって」 

 

云い終える前に樹は蹴飛ばされた。すかさず抱き止めた陀艮ごと吹っ飛ばされる。派手に壁を破壊して彼等は建物の外へと消えていった。 

 

「やりすぎだろ!」

「あ゛?悪ガキの矯正にはこれくらいがもってこいなんだよ。」 

 

甚爾はすでに得物を構えていた。 

刹那、剣戟が鳴り響いた。甚爾の蹴りをものともせず戻ってきた樹の抜き身の太刀は刀刃と交わっていた。蝶遣いの樹の初見の戦法に彼をよく知る七海と真希は驚異に見張った。樹を援護せんとする漏瑚を七海と直毘人が二人掛かりで押し留める。 

力比べで徐々に押されつつある樹は焦るどころか愉しげに呟いた。 

 

「成程、これが現代のフィジカルギフテッドとやらか。」 

 

蚊と対話するような囁く程度の小声だったが、天性に五感の優れた甚爾は確と聞き取った。変なこと云ってんじゃねぇ、そう返そうとしてあることに気付く。妙な違和感だった。 

 

「…お前、誰だ。」

「舞南斗!」 

 

真希の横槍に樹は我に返ったように呻く仕種をした。都合の良い演技だった。正気を取り戻しつつあると誤解した真希は再度呼び掛ける。すると事態を察した漏瑚が七海を燃やすことを諦めて舞い戻ってきた。彼が二、三声掛けると樹の頭痛は治ったように思われた。 

 

「もう貴方達と戦う理由はない。」

「ならせめて情報でも吐いてから行くんだな。糞餓鬼。」 

 

…微笑が冷たく吊り上がった。 

 

「云う必要があるかな。」

——ねぇ、花御。 

 

天井から何かが落ちて来た。隕石の如く瓦礫を四散させ着地とともに風圧を生み出して。 

七海達は脚を踏ん張ってもうもうと昇る塵埃の先にいる何かを見据える。漏瑚よりも陀艮よりも、この場にいる誰よりも大きい図体がサイボーグが立上るような動作で身を起こした。 

埃が収まると真希が息を呑んだ。 

 

「遅いぞ、花御。」

驕?l縺セ縺励(遅れました)

「じゃあ後は任せた。」

「待てよ舞南斗!」 

 

助っ人に現れた花御と陀艮に足止めを任せ立ち去ろうとする樹を追いかけるべく真希が駆け出す。これを逃せば二度と会えないような言いようのない不安が募ったのだ。築き上げてきた絆に縋るように必死に後輩を追った所為で、背後に急接近する気配への反応が遅れてしまった。

見返ろうとした時には横目に鋭利な枝先がちらついた。瞬きよりも早くそれは眼球に突き刺さらんとする。 

思わず目を閉じようとして、横から現れた人影が花御の枝を手刀で落とした。 

 

「この老耄を忘れてくれるなよ。」 

 

投射呪法の練達である直毘人の超速に花御は一瞬停る。七海が頭上から鉈を振り落とした。 

惜しくも間一髪で攻撃は避けられた。花御がいた場所に降り立った七海は甚爾の方角を見遣る。

樹はもういない。群を抜いて精強であった漏瑚も。最も引き留めるべき者達の撤退をみすみす許してしまった己の不甲斐なさが血管を浮き彫りにさせた。時間を掛けられぬのはこちらも同じこと。以前として回復していないものの、後輩の喪失に受けた精神的衝撃を踏み台にして真希は拳を握った。 

 

「さっさと退いてもらいましょう。」

「ハッ、おっかない顔しやがって。」 

 

甚爾が嘲笑した。憐憫の対象は陀艮と花御だった。二体も引下がりはしない。人間などには屈しないという確固たる意思が夜を通して強められていた。 

二体と四人は緊迫を抱えて向かい合う。瞬きの後に、最高潮に達した殺意(呪い)が衝突した。

 

 

 




『戦況』
京都:五条悟(勝利) 対 菅原道真
   呪術高専京都校&呪術師多数 対 改造人間千体(進行中)
東京:禪院真希&直毘人&七海建人&伏黒甚爾 対 陀艮&花御&漏瑚&樹舞南斗(??)(痛み分け)
   魔虚羅(敗北) 対 虎杖悠仁(宿儺)(勝利) 対 崇徳天皇(離脱)
   樹舞南斗 対 真人&裏梅(進行中)
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