「釘崎っ!」
舞南斗を偽ったナニかに強烈に吹き飛ばされた野薔薇が木々を薙ぎ倒して遠ざかってゆく。即座に救出に駆け出した悠仁達の背に追撃を仕掛けようとしたソレを妨げるべく傑が立ちはだかった。呪霊操術により操作された数体の一級呪霊が我先にと襲いかかる。だが、
「やっぱ最近の呪霊って雑魚いな。」
たった一振り。其奴が薙ぎ払うように腕を横に振り被っただけで傑の呪霊は幻の如く消え失せてしまった。実力は特級相当、けれど六眼が伝える情報は樹舞南斗の術式そのものだ。だというのに、何かが違う。拭えない違和感に苛まれていた。
己の術式で対処できても、舞南斗の安否を保証できない以上下手に手出しするのは憚られる。傑と京都校、東京校の二、三年が中心となって攻撃を仕掛ける光景を後方から注意深く観察し続ける。僕の視線に気付いて傑が近寄ってきた。
「悟。」
「…やっぱり、アレを取り囲むように舞南斗の呪力が渦巻いてる。」
「私が放った呪霊達はアレの周囲約五メートル以内に侵入した途端に消滅した。生徒達も本能的にアレの防衛ラインに踏み込まないようにしている。」
傑の説明から脳内で幾つもの仮説が組み立てられていく。中でも最も有力なものは...。
「間違いない、アイツ領域展開してる。」
舞南斗の領域展開を実際に目の当たりにしたことはなかった。というのも、ついこの間まで舞南斗自身が加波比良古操術の領域展開を知らなかったからだ。総監部の圧力に屈せず、彼が呪術師として自立して己の身を守れるようになるまでは黙っておくつもりだった。そうして時が経ち、舞南斗は準一級術師に昇格した。遂に彼に術式に関する秘密を教え、一年全員での任務から帰って来れば共に習得方法を調査しようと送り出した。けれども舞南斗は帰ってこなかった。
「アイツ、加波比良古操術の複雑な領域展開を完璧にコントロールしてる。範囲を狭めて不可視にしてるんだ。」
「そんなことが可能なのか?」
「舞南斗の術式は複雑なんだよ。…おそらくアレの正体はーー。」
紡いだ言葉に傑はこれでもかと瞠目した。
今は暇潰しの遊戯とばかりに適当に選んだ生徒達を揶揄って遊んでいるが、いつ飽きて本気で襲いくるやもしれない。現に飛ばされた森林から戻ってきた野薔薇達に再度攻撃を仕掛けようとしている。僕は三人を背後に庇うように立って、無下限術式を張った。
「先生!」
「悠仁達は下がってて。」
実力は紛うことなき特級。それも宿儺や昨日高専に侵入してきたような異質型。舞南斗を人質に取られている以上祓うこともできない。
目の前のナニかを見据えて一挙一動を見逃さないでいると、其奴は舞南斗の顔面で考える素振りをみせた。
「お前、五条悟だろ。んでそこに居るのは夏油傑か。」
「だったらなに。」
其奴の発言は、僕の存在を知ってるうえで舞南斗の意識と肉体を奪ったということに他ならない。自他ともに認める特級呪術師を相手取れる程の実力なのか、将又此奴の特殊さ故に自惚れているのか。或いは何か別の意図が?探るように眼を細めると、其奴は小刻みに震え笑いだした。
「くっ、クククっ…!」
舞南斗の声で、顔で、気味悪く壊れたように嗤う様に言いしれぬ憤懣が湧き上がる。
「空白の一ヶ月のことを教えてやろうか。」
「何?」
心底愉快そうに口角を吊り上げる其奴に波のように引いていく憤りの代わりに嫌な予感が過ぎった。聞きたくない、聞かなかればならない。舞南斗の身に降りかかった災難を、その全てを知るべきか。二つの感情が拮抗して胸をぐちゃぐちゃに掻き混ぜる。そんな衷心を判っているかのように、其奴は返事も聞かずに語り始めた。
「ずばり言うとな、お前らがのろのろしてるせいでイカれた呪詛師共に洗脳されちまったんだよ!」
「..........。」
「人間どもに蹂躙されてお前らの名を叫ぶ無様といったら...ククク!「先生っ、五条先生助けて!」ってな!」
髪の毛の躍動から苦痛に歪んだ表情までを仔細に真似て、其奴は呪霊のように大笑した。その仕草の一つ一つが、僕の神経を逆撫でする。
「あっはははは!ははっ、あヤバい噎せる。」
空気が振動した。収束された無限が引力を生み出して一箇所に集まり始める。膨大なエネルギー、怒りの矛先が自身に向けられていると判っていながら、其奴は尚も憎悪を受け止めんと煽り続けてくる。
「…ククっ!可哀想に、助けてやれよ最強!昼寝でもしてたんですかア?」
舞南斗を傷つけてはいけない、それは重々承知している。けれども腹の底から煮え滾る激情に飲み込まれて自分自身を呪い殺してしまいそうで、そんな負の感情を紛らわすように呪いへと注いだ。
全力でこいつを吹き飛ばす。当然舞南斗の肉体は傷つくだろうけど、直ぐに硝子に診せれば善い。可愛い教え子が戻ってくるなら多少の犠牲は免れない。
十分に引き寄せられた引力が蒼となり発散されようとした時だった。
「そこまでです。」
僕と其奴の間滑り込んでた第三者によって術式は強制的に解除された。
黒いスーツを微風に靡かせて佇立する若い男。腐った蜜柑との連絡係として重宝されている保守派の補助監督。御三家までとはいかずとも、それなりに歴史の古い術師家系は多くの保守派の人間を送り出してきた。その殆どが我が身可愛さに補助監督となるのだ。
昔から事あるごとに学長をはじめとする俺達革新派の邪魔をしてきた。同じ思想の仲間を集めて組織の内側から革命を起こすには高専に留まるほかない。それを理解しているこいつらは態と総監部の名前を盾に牽制してくるのだ。
それにしても今回ばかりは間が悪すぎるんじゃないだろうか。僕の眼前で生徒を偽る存在の緊急事態たるやを理解できないほどに保守派の脳味噌は腐っているのか。
「邪魔してんじゃねえよ。」
つい学生時代の口調で睥睨するが彼は意に介さず、無謀にも舞南斗に成り代わった其奴に近づいていった。優しい悠仁達が止めようとするのを傑が止める。これで死んだとしても鬱陶しい腫瘍が省けると思えば万々歳だ。だが、想定したような出来事は起こらなかった。
「樹術師、早速ですが今から神奈川へ任務に向かっていただきます。支度をしてください。」
「……ああ、任務ですね。分かりました、すぐに準備してきます。」
数秒ほど黙りこくった其奴は何を企んだのか、よりにもよって舞南斗のふりをして受け答えをした。すかさず勝学長が呼び止める。
「それは許可できない、樹舞南斗を含めた高専生の任務の斡旋は我々の管轄だ。」
「本日から彼は諸事情により総監部の管轄下となりました。お含みおきください。」
「誰がそんなことを勝手に決めたの。」
「それはそちらの補助監督がよく知っているのでは。」
怒気を含んだ声音で問いただそうとも簡単に受け流す男に苛立ちが募る。こちらを完全に舐め腐っている...。
楽巌寺学長のそばに避難させた、今朝舞南斗を任せた補助監督に視線を寄越せば彼女は唇を横一文字に引き締めて震えている。舞南斗と老害どもの間で何らかのこちらに不利な異常事態が起こったことはもはや否定しようがなかった。
「ではこれで。」
「待て!」
言いたいことだけ言い残して踵を返す補助監督と舞南斗。
「お前は''何''だ。」
慎重に問いかけると、其奴は顔だけを見返らせていつかの舞南斗のようにふわりと微笑んだ。
「俺は
「樹!」
今度こそ、悠仁達の呼び止める声さえも無視して二人は去っていった。
*
目を開けると、壮観な景色が広がっていた。
「ここ、どこだ…?」
目の前に広がるは地平線まで広がる紺碧の海。橙色に輝く夕焼けに照らされきらきらと光る様が幻想的だ。
外を見ようと一歩足を踏み出したところで、ギシリと足元から音が鳴る。板敷きの床は高専と同じだが、建物の造りはまるで違う。俺が立っているのは風通しの良い縁側で、何本もの柱が屋根を支えるようにして立ち並んでいる。
「......この場所知ってる。」
親に連れられて何度も来た場所。立派な寝殿造りに遠目からでも分かる、海に浮かぶ特徴的な朱色の鳥居。
「厳島神社。…でもなんかちょっと違う。配置か?」
取り敢えず記憶を頼りに回廊を歩いて祓殿に進んでみる。歩を進める度に温かくて心地良い風が潮の匂いを運んできた。
不思議だ。自然はこんなにも青々と生気を漲らせているのに、人どころか生き物の気配が一切しない。そもそもいつの間に厳島神社に来たのだろうか。
確か最後の記憶は…そうだ、腐った蜜柑と話して任務に復帰しようとして、それで五条先生達に挨拶しに行ってそこからの記憶がない。
「うーん、分からん。」
もしかして元の世界に戻ったとか?それにしても、俺の知ってる神社と微妙に景観が異なってることに説明がつかない。百歩譲って元の世界に戻ったとして、如何して家でも近所でもなく厳島神社なのか。考えども答えなんて見つかるはずがなくただ境内を歩き回っていると、いつの間にか祓殿に辿り着いた。
ザーザーとさざめく波の音色が耳朶を撫で、生温かい斜陽に照らされる。いつ詣っても息を呑むほどに美しい絶景だ。遠くに聳え立つ大鳥居を眺めていると、ふいと視界の端に見慣れた翅が映った。
「ドルーリー?」
青緑に光る綺麗な羽を羽ばたかせ俺の周りを浮遊するドルーリーオオアゲハ。昨日のようにテレパシーで何かを伝えてくれるかもと話しかけてみる。
「なあ、此処がどこか分か...ちょ、ドルーリー!?」
だがドルーリーは俺の言葉を最後まで聞き届けずに何処かへと離れてゆく。と、数メートル程の位置で一度空中停止した。何となくその意を察する。
「…着いて来いってこと?」
首肯の代わりに一際大きく翅を躍動させると、ドルーリーは拝殿の向こうに入っていった。直様後を追いかければ、本殿の目の前で立ち止まる。再び振り返ったドルーリーはこちらを目と鼻の先で動作を停止させそして…
淡い浅葱色の光が俺達を包んだかと思えば、やがてその光は大きくなり辺りを包み込んだ。あまりの眩しさに目を瞑ると、瞼の裏がチカチカと点滅したーー。
「おい。」
光が収まっても尚固く視界を遮断していると、誰かの声が聞こえた。俺は恐る恐る瞼を開けてみる。
赤のハイライトが入った鉄紺色の髪に、下唇のすぐ横にある小さな黒子。肌の色も、顔立ちも瓜二つ。唯一違うのは白む夜空を閉じ込めたような、タンザナイトの双眸。
真正面に立っていたのは間違いなく俺だった。
「ぇ…ぇええええ!?」
「うるさ。」
「え、俺?...え!?」
混乱極まり思わず頭を抱えると、いつの間にか接近してきた俺が拳を握り込んで、腹に強烈な一発を放ってくる。「っげほ…!」と蛙みたいな情けない呻き声が洩れた。
「なにすん...」
「餓鬼みてえに騒ぐな。格好悪い。」
「..いや言われるほど叫んでないけど、ていうか誰!?」
衝撃に蹲りながら抗議の声をあげれば、今度は鬱陶しげな溜息と共に拳骨が降ってくる。暴力の嵐だ。もう一人の俺は「いいから落ち着けや。」と呻く俺を引きずって奥へと歩き出した。
「ちょ、拙いって。そっちは不明門だよ。」
不明門、立ち入り禁止とされる限られた者しか入ることのできない門。即ち神の通り道。だが彼は俺の言葉を無視してとずかずかと進んでいく。
裏方へ続く襖を迷いなく開けると、俺の想像していた切戸は其処には存在していなかった。
「あれ…?」
切戸の代わりに観音堂が一堂、緑豊かな森林を背景に佇んでいた。厳島神社の裏に観音堂?そんなはずはない。あるとすれば平清盛が建てたという本地堂。けれど本地堂は江戸時代に取り壊されたはず。...いや待て。微妙に配置の違う厳島神社に本殿の裏の本地堂。次第に朧げな点と点の輪郭が明瞭化され、一つの線に繋がっていく。
「気付いたか。」いつの間にか俺を肩に担いだ瓜二つの俺が大きく跳躍して観音堂の屋根に着地した。少し傾斜となった部分に建てられた観音堂、その屋根から一望できる景色は圧巻だ。あまりに美しい眺めに口を呆けていると、もう一人が何処からか急須を取り出して湯呑みにお茶を注いでいた。
「いいか、一度しか言わないからよく聞け。」
ぐいと一杯の茶を飲み干して、彼は俺に視線を寄越すことなく言葉を紡いだ。