薄気味悪いピエロから目を逸らしたあと、真理子は乾いた笑いを漏らした。
「まったく、ひどいセンスですね。座っていたソファまで、毒キノコに変わってしまってますし……」
そう、机だけじゃなく腰かけていたソファまでもが、シリコン製の大きなキノコに取って代わられていた。紫と黄の毒キノコのような配色の悪趣味さは、筆舌に尽くし難い。
なにげなく口にした言葉だったが、吾郎はすごいヒントを得たと言わんばかりに目を大きくさせた。
「そうか、君の言う通りだ。家具の配置は、全て同じ……」
ガーゼに覆われたあごに手を当てて、吾郎は真剣に考えこむ。この異常な状況から気を逸らすために会話を続けたかったけど、邪魔をするわけにもいかないので真理子はぼんやりと周りを見渡した。
今いる部屋は円形で、先ほどまでいた待合室の五倍の大きさはゆうにある。
テーマパークの中、あるいは子どものプレイルームを、とびきり趣味悪くしたらこうなるだろうなといった感じの見た目だ。
そして、ここは超高層ビルの一階らしい。
見上げると、天井はどこまでも高く、視力の良い真理子でも目を凝らさなければ上までよく見えないほどだ。
ずいぶん奇抜な設計らしく、この高層ビルはショッピングモールのように真ん中が吹き抜けになっている。どのフロアからでも、真理子たちのいる一階が見下ろせる構図なのだろう。
……それにしても、この建物、よく建築が許されたものだ。
上の階は、恐ろしいことに柵がついていないように見える。ドーナツのように開いた穴に間違って落ちれば、どんな生物でもまず助からずペシャンコになるに違いない。頂上はゆうに五十階はありそうで、高所恐怖症じゃない真理子でも見ていて悪寒が走る。
透明なワイヤーか何かで、上空にオブジェを吊るしているらしい。子どもが描いた絵のような飛行機や丸っこいスペースシャトルの模型がぶんぶんと変幻自在に空を飛んでいて──とにかく非現実的な空間だ。
商業施設なのだろうけど、用途がまるでわからない。極彩色の内装をじっと見ていると、そのうち気がおかしくなりそうだ。
「外に出る方法が分かったかもしれない。真理子さん、ここを出よう」
警戒するように周囲を見ながら、考えがまとまったらしい吾郎が戻ってきた。
「異存はないですが……」
出る方法と言っても、お互い初めて来たところのはず。戸惑う真理子を置いて、時間が惜しいと言わんばかりに吾郎は歩き出した。
「ついてきて」
吾郎はデコレーションクッキーのような柄のドアへ近づいていく。ドアノブを捻って開けようとするが、扉はびくともしない。
「鍵がかかってるんでしょうか」
吾郎は逡巡したあと、「下がってて」と振り返って言った。
真理子はその言葉に従って、後ろに大きく二歩下がる。そのことを確認するや否や、吾郎は体を捻ると、ドアに向かって思いきり蹴りを入れた。
すると、頑丈そうに見えたドアがクッキーみたいにぼろぼろと砕け散った。
あまりにあっけない。欠片を一個を拾い上げると、真理子は匂いを嗅いでみる。
「これ、本物のジンジャークッキーです」
「……脆いドア。そうか、ここは前から老朽化がすごくて、簡単に壊れそうな状態だった」
ぶつぶつなにか呟く吾郎の顔を、真理子はまじまじと見た。
「前からって、吾郎くんはここに来たことあるんですか?」
こんな悪趣味な場所が日本にあるなんて知らなかった。
「いや……。ただ、ここ、間取りが慈愛の翼とまったく一緒なんだ」
「え?」
「待合室をもっと広くすれば、扉の位置とか家具の配置は同じだ」
「じゃあ、私たちはまだ慈愛の翼のなかにいるってこと……?」
言って、すぐに口をつぐんだ。そんな馬鹿なことあるはずない。
しかし、真理子の荒唐無稽な質問を聞いても、吾郎は笑い飛ばすことはしなかった。
「……さあね。とにかく、外に出てみよう」
迷いなく歩き出す吾郎に頼るような気持ちで、真理子は後についていった。
「ほんと、意味わかんないです、こんなの」と、真理子は震える声でつぶやく。
外の光景は、ますます異様だった。
緑豊かな住宅街は、さっき待合室の窓から見たものとまるで同じだった──ただ一つ、慈愛の翼の施設の代わりに高くそびえたつ悪趣味な塔がそこにあること以外は。
「街はそのままなのに。異常だ、こんなの」
さすがの吾郎も、唖然として建物を見上げている。
「そう、ですよね。どうして慈愛の翼だけこんな変なものに……」
慈愛の翼の代わりにそびえ立つビルの外観は、非現実的だった。歪んだ大きな時計、安っぽいおもちゃの飾り、らくがきみたいな絵のプロジェクトマッピング──あらゆる装飾品に飾られたそのビルは、とてつもなく不気味なテーマパークのアトラクションのよう。
塔の頂上には、先ほど見たロゴと同じデザインの模型が置かれていた。
巨大なピエロの顔と、翼のように見える両手、壊れたロボットのおもちゃ──その下には、”My Little Toy Shop”と書かれた看板が掲げられている。
吾郎は不快そうに眉をひそめ、舌打ちした。
「ふざけやがって……」
「吾郎くん?」
どうしたのか聞こうとした瞬間、甲高い警笛の音が辺りに響いた。
『ケイコク、ケイコク! 貸出専用のおもちゃを外に持ち出さないでください!』
音の出どころは、おもちゃのパトカーだ。サイレンを鳴り響かせながら、住宅街のアスファルトの道路を猛スピードで駆けて近づいてくる。
ずいぶん小さいけれど、衝突されたらさすがに痛そうだ。
そう思った瞬間、吾郎に腕を引かれて、一緒に道の端に避けさせられる。
パトカーは、二人の目の前まで来たところで、絵に描いたような白い煙を出しながらキュルルルッとコミカルな音を立てて停まった。
近くで見ると、真理子の膝ほどまでの大きさしかない。
ミニパトカーのドアがパタッと開き、中から黄色いレゴの警官が二体出てきた。
器用にちゃかちゃかと歩いて、両方ともそろって真理子の顔を見上げてくる。ぷんすか怒っているせいで、頭のうえに小さな煙が生まれている。水蒸気の仕掛けなのだろうか? まるでアニメの世界みたいな演出。いったいどういう仕組みで設計されたのか、見当もつかない。
「盗難事件発生! ただちに所有者におもちゃを返却してください」
甲高い声で怒るレゴ人形は、ちょっと可愛いかもしれない。思わずくすっと笑う真理子とは裏腹に、苛立った様子で吾郎は警官人形を見た。
「所有者って、いったい誰のことだ? その人は、僕たちのことを知っているのか」
さすがにそこまで賢いロボットではないみたいだ。レゴ警官たちはなにも答えず、吾郎のほうを見ようともしない。まるで、彼の声が聞こえていないかのように。
「窃盗したモノを返却してください」と、同じことを真理子に向かって繰りかえすばかりである。
無駄かもしれないと思いつつ、一応、弁解を試みる。
「えっと……よくわからないけど、私たち、盗難なんてしていませんよ」
「なんと、盗人猛々しいっ!」
「盗難物を持った状態で弁解しようだなんて!」
Cの字の小さな手を顔に当てて、大袈裟に嘆いてみせるレゴ警官たち。
「なんなんでしょうね、この子たち。可愛いけど話通じない」
「埒が明かないな。少なくとも危険はなさそうだけど」
「……触ったら、どんな感触なんでしょう?」
好奇心に負けて手を伸ばそうとする真理子を、呆れた目で吾郎が見た。嫌味の一つでも言いたいのを我慢したみたいに、深い深いため息をつく。
だが、真理子の手が届く前に、レゴ警官たちは声を張り上げた。
「要請に従わない以上、強制的な手段に移行します!」
「します!」
そう言うと、おもちゃの拳銃をちゃかっと取り出して、吾郎の方に向ける。
なんてことのない、小さなプラスチック製の模造銃──だけど、なぜだかとても嫌な予感がした。吾郎もそうなのか、緊張した面持ちで銃口を見た。
「待ってください!」
真理子の制止も聞かず、警官たちはトリガーを引く。すると、銃口から嘘みたいに濃い煙がぶしゅーっと吹き出て、視界を覆い隠した。
げほげほとせき込む真理子をよそに、レゴの警官たちは「目標確保!」「やりましたね先輩!」と歓声を上げる。
「盗難物、回収しました。速やかに所有者に返却します!」
高らかに宣言する声が響くが、何が起きているのか煙が酷くて目視できない。
「げほっ、ま、待ってください……」
やっとの思いで目を開けると、残されたのはぽかんと立ち尽くす真理子だけだった。
「吾郎くん……?」
周囲には誰の姿もない。まるで手品みたいに、吾郎もレゴの警官もパトカーもいなくなっていた。
「吾郎くん、どこにいるの? 返事をしてください!」
何度叫んでも、吾郎の返事はない。それどころか、騒いでいる声を聞きつけた近所の住人が出てくることもなかった。
警察に電話しようとケータイを開いても、なぜか電波がなかった。
完全な八方塞がりだ。静まりかえった住宅街で、真理子はひとり呆然と立ちすくんだ。
「どうしよう……」
一人きりになった途端に、急に心細さに押しつぶされそうになる。
追い討ちのように、ひと際冷たい風がびゅうっと吹き、アスファルトの道路の上をチラシが飛んできた。ちょうど真理子の足に引っかかったそれを拾い上げてみる。
左端が破けているせいで読めないが、『……の、素晴らしい取り組み』という見出しが書かれたチラシには、またあのピエロのロゴがついていた。
……なんの話をしているのか、訳がわからない。
捨ててしまいたいけど、周りにゴミ箱はなさそうだ。落ちているところを拾ったとはいえ、ポイ捨ては自分の美学に反する。仕方なしに、流し読みしたチラシを丸めてポケットに入れた。
こんな無駄なことをしている間に、吾郎くんに何かあったらどうしよう?
うつむく真理子の横を、小さな影が走り抜けていった。
「わ~! やっと来れた、おもちゃ屋さん!」
「せっかくの休みだし、たくさん遊ぼうっ。ああ、リナちゃん人形に早く会いたいなあ」
「まいにちがおやすみだったらいいのにね」
三人組の男の子たちだ。ずいぶん背が低いので、小学校低学年くらいだろう。
とつぜん現れた彼らを唖然と見ていたが、行き先が目の前の異様なビルであることに気づいて咄嗟に体が動いた。
「待って、そこは危ないの。絶対入っちゃダメ!」
一番後ろにいた子の腕をつかむ。と、弾かれたように男の子はばっと振り向いた。
──その顔を見て、真理子は恐怖に息を呑んだ。
「どうしたの、お姉さん?」
そう純粋な声音で聞く男の子は、身体は小さくても中年男性のような顔をしていた。くすんだ顔色、シミやニキビ跡のクレーターだらけの脂ぎった肌、骨ばった輪郭──顔のどこを取っても子どもではない。きょとんとこちらを見る他の二人の子どもも、それぞれ特徴は違うけれど大人の顔だ。
おかしいのはそれだけじゃない。三人ともビジネススーツを着ていて、サラリーマンのような服装をしている。
「変なお姉さん」
「お姉さんもお客さんじゃないの?」
顔は大人でも、舌足らずな話し方も甲高い声音もまるっきり子どものものだ。
「えっと……」
言葉に詰まりながら、考える。
もしかしたら目の前の子どもたちも、この不思議な世界の住人なのだろうか? だとしたら、いまはまだ友好的な態度でも、それがいつ変わるか分からない。逃げた方がいいのかもしれない。
……でも、とにもかくにも、いまは吾郎を見つけたかった。
盗難物を所有者に返却、そう言ってあのレゴ警官たちは吾郎を攫ったのだ。たぶん吾郎がなにかを盗んだと勘違いして、”おもちゃ屋さん”のなかへと連れ去ったのだろう。だったら、目の前の塔の中を探しにいくしかない。
そして、一人で闇雲に探すより、案内がいた方がいいに決まっている。
真理子はめったに浮かべない愛想笑いを浮かべて、優しい声を出した。
「そう、私もここにお客さんとしてきたの。でも、初めてだから勝手が分からなくて。だから、一緒に入っていいかな?」
三人組の奇妙な子どもたちが顔を見合わせた。
「別にいいよね?」
「でもさ、女のお客さんって、珍しくない?」
「たまには見かけるけどさ」
「うーん、悪い人じゃなさそう」
「どうしっよか……」
口々に彼らは囁き合って、相談する。
ひとしきり話した後、結論が出たらしい。三人とも満面の笑みで、真理子の方を向き直る。
「いいよ、中を案内してあげる!」