ペルソナ5 明智兄妹の事件簿   作:かっぱえびせん

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第十二話 トイショップ「慈愛の翼」3

 真理子の右手を引いて、吾郎は迷いなく進んでいく。

 おもちゃフロアの端の隠れた通路に入っていくと、その先には廊下があった。

 

 光沢のある美しい木製の壁、柔らかな暖色の照明に、床はラグ・カーペット。おもちゃフロアの不気味なデザインとは打って変わって、一流ホテルみたいな造りだ。

 でも、真理子は逆に嫌な気持ちになった。先ほどまでの開けたところと違って、丸い形に湾曲している廊下の先はまるで見えない。何かいたとしても、近づくまで知りようがないのだ。

 

 怖いのを誤魔化すように、真理子は左手に持つ恐竜のぬいぐるみの丸っこい腕をギュッと握った。

 

「吾郎くん、引き返して、エレベーターの方へ行きましょう……?」

 

 そう言っても、吾郎は真理子の手を引いて歩き続けてしまう。

 

「ねえ、吾郎くん!」

 

 声を大きくすると、吾郎は足を止めずにこちらを振り返った。不安そうな真理子の顔を見て、くすりと笑う。

 

「もしかして、怖がっているのかい? 可愛いね」

 

 お化け屋敷で遊んでいるカップルじゃあるまいし、なんて緊張感に欠けた物言いだろう。バカにされたみたいで、流石に頭にくる。

 

「怖いって、当たり前でしょ。こんな訳のわからない場所にいて。むしろ、あなたはどうしてそんなに落ち着いていられるんです?」

「心配しないで、僕がそばにいるから」

「それ言うの、ハマっちゃったの……?」

 

 そう真理子が困惑した声を出したところで、吾郎は歩みを止めた。

 「403 VIP部屋」とプレートのかかった扉。どうやら、その先が目的地のようだ。

 

「ここに入りたいの?」

 

 彫刻の施された豪奢な木造りのドアを見て、真理子は瞬きした。

 

「大丈夫、僕が君を守るから」

 

 答えになっていないことを優しくささやくと、吾郎はドアノブを捻った。

 最初に目につくのは、前面が派手に割れた大きなガラスのショーケース。そして見覚えのある、あの革表紙で三方金の本が乗った大理石の台座。ホテルのような綺麗な部屋にあるのはそれだけだった。

 

 またなにか恐ろしいおもちゃがあるのかと身構えたけれど、目を凝らしても、大きく割れたガラス張りの箱のなかには椅子が一脚あるばかりだった。

 

 ふと、恐ろしい想像が頭をよぎる。

 ショーケースのなかの椅子には、もともとは『おもちゃ』が座っていたのではないだろうか。それが中からガラスを砕いて、外に出た。そう考えるのが自然だ。

 

「……吾郎くん、ここを出ますよ」

 

 中になにが入っていたのか分からない。だけど、それと遭遇するのは嫌だった。

 ひっ迫する状況が分からないのか、吾郎は王子様然とした微笑を浮かべる。

 

「大丈夫、待ってて」

 

 甘やかな声でそう言うと、優雅な仕草で台座の上から本を取ってきて、戸惑う真理子の手に押しつけた。

 

「なに?」

 

 そう聞いても、なにか期待するみたいな笑顔でこちらを見るばかりで、なにも言わない。

 仕方なしに、真理子は本に目を落とした。

 

『ゴロウくんドール 利用者名簿』

 

 ──これは見ない方がいいと、頭のなかでそう警笛が鳴り響く。

 でも、気がついた時には、真理子は本を震える指で開いていた。

 

商品説明: 等身大ドール ゴロウくん

 

本店で最高級、最高品質の等身大ドール

遊び方は多岐にわたり、可能性は無限大

VIPメンバーのみレンタル可能です

各種レンタル料金は全て時価

まずは店長にご相談ください

 

2013年11月1日 長期レンタルから、動作不良の整備のために一時的に帰ってきました

 

 今日の日付を見て、息を呑む。

 段々と頭のなかで嫌な仮説が形成されていくのを否定するように、真理子は本を放り投げようとした。

 

 けれど、その手を吾郎が押しとどめる。

 

「吾郎くん、この本って……」

 

 震えた声を出す真理子に構わず、吾郎は取り上げた本のページをぱらぱらとめくって、半分ほどのところで止めた。

 

「説明書を読んだら、ここにもう一度サインしてね」

 

 そう言うと、質のいいボールペンを開いた本の上に乗せて、渡そうとしてくる。

 真理子は受け取ろうとはせずに、ページに目を落とした。真新しい紙には、二行だけなにか書かれていた。

 

2012年12月6日 長期レンタルの申し込み

使用用途: 啓次くんの可愛い息子、真理子ちゃんの理想の王子様

 

 そう印字された隣には、手書きのサインが二つとハンコの跡ある。

 明智啓次と、明智真理子。父と自分の筆跡だった。赤いハンコの跡も、まぎれもなく自分の家の使っているものだ。

 

 心臓がバクバクと嫌な音を立てて、冷や汗が伝った。

 どこかに偽造された証拠があるはずと、注意深く目を凝らしてサインを見ても、一つの瑕疵もなかった。身に覚えがないのに、自分の書いたものじゃないと否定できない。

 

「なんなんですかッ。これ、気持ち悪いっ」

 

 悲鳴じみた声をあげて後ずさる真理子を見て、吾郎は綺麗な赤い瞳を悲しげに揺らした。

 

「もう一度貸出を申し込んでくれないと、僕は一緒に外に出られないんだ」

「あ……あなた、誰?」

 

 気が付けば、震える声でそう問いかけていた。

 これだけそっくりな顔の別人なんてこの世界にいるはずがない。そう思っていても、強烈な違和感が常識を否定する。

 

 目の前の少年が吾郎じゃないと認識した瞬間、背筋にぞわりと恐怖が這い上がる。

 

「あなたは、吾郎くんじゃないッ。本物の吾郎くんはどこなんです?」

 

 興奮した声でそう詰問しても、吾郎の姿をした『何か』は不思議そうに首をかしげるだけだ。

 

「なにを怖がっているの? 真理子ちゃん。大丈夫だよ、僕がそばにいるから」

「やめて……」

「僕がいれば何も怖いことはないよ。僕が君を守るから」

「触らないで!」

 

 近づいてくる彼を、真理子は衝動的に突き飛ばした。

 するとまるで抵抗することなく、彼はガラスの破片の飛び散った床へと倒れこんでいく。

 

「あ……ご、ごめんなさいっ」

 

 青ざめて、真理子は倒れた彼を助け起こそうと屈んだ。

 ガラス片が背中や腕にざくざくと突き刺さっていて、早く治療しないと取り返しのつかないことになってもおかしくない。

 

「どうしよう、本当にごめんなさい」

 

 慌てる真理子をよそに、吾郎とよく似た少年はすっと起き上がる。

 

「心配しないで、真理子ちゃん」

 

 品よい笑みを形作る美しい顔には、痛みや苦痛といった感情は微塵もない。

 

「あなた、痛く、ないの……?」

「どうして? 僕は人形なのに」

 

 少年は、眉一つ動かすことなく、手のひらに埋まったガラス片を引き抜いていく。

 音を立てて次々と床へ落とされるガラスの欠片には、彼の言葉を裏付けるかのように、血の一滴もついていない。裂けた肌の中には肉がなく、ただ空洞があるだけだった。

 

「それとも、僕が痛がっている姿を見たかったのかい?」

 

 絶句する真理子の顔を不思議そうに眺めてから、少年は明るい声でそう聞いてきた。

 

「君は自分を守ってくれる王子様が欲しいんだって聞いたから、そう振舞っていたけれど。もちろん、痛がったり泣いたりだってできるよ。僕は演技が上手な人形なんだ。どういう顔が見たいのか、教えてくれさえすれば、なんだって君が好きなように」

 

「い、いい加減にしてっ。もう嫌、こんなの……」

 

 逃げないと──そして、本物の吾郎を探しに行かなければ。

 廊下へ逃げようと振りかえった真理子は、ドアに立つ人影を見て悲鳴を上げた。

 

 ピエロだ。

 

 このおもちゃ屋さんのシンボルである、あのピエロがそこに立っていた。

 虹色の大きなアフロ、大きく隈取りされた金色の目、血のように赤い口紅で誇張された唇、子どもの悪夢を体現したかのようなピエロがドアを塞いでいた。

 

「やあやあ、真理子ちゃんじゃないか」

 

 真理子は、普通の人よりもずっとずっと耳がいい。だから気づいてしまった。陽気に話しかけてくるピエロの声に、聞き覚えがあることに。

 

 もしかして……。

 化粧で塗りつぶされた顔のパーツをおそるおそる観察して、真理子は疑念を確信に変えた。

 

「岡倉さん?」

 

 ピエロは、嬉しそうに左手を胸に当てた。

 

「そうだよ! ワタクシめは岡倉、子どもたちに夢と希望と楽しいおもちゃを与えるピエロでございます」

 

 深々とひとつお辞儀をしてから、顔だけひょこっと上げて真理子を見る。恐ろしいピエロ──いや、岡倉は、大きなくちびるを引きつらせてニンマリ笑った。

 

「真理子ちゃんが遊びに来てくれて嬉しいよ」

 

 そう言うと、ぴょんぴょん跳ねまわりながら、岡倉は近づいてくる。カラフルな衣装についた赤ちゃん向けのおもちゃが、カラカラと楽しげな音を立てる。

 

「ねえ、真理子ちゃん」

 

 岡倉は素早い身のこなしで背後にくると、白い手袋に包まれた手で真理子の細い肩を掴んだ。

 

「ッ……!」

 

 小さな悲鳴を喉元で殺して、真理子はぎゅっと目をつむった。今まで生きてきて、こんなに怖いと思ったことはない。

 

「今日はゴロウくんを借りにきたんだよね?」

 

 おもちゃ──ここの悪趣味なおもちゃのことを思うと、首を振りたくなる。

 けれど、客人じゃないと思われたら、とてつもなく不味いことになるという確信があった。

 

 どうすれば無事に切り抜けられるか。吾郎を見つけられるか。

 恐怖に凍り付いていた思考力が、突然エンジンがかかったみたいにめまぐるしく動き出す。

 

「……はい、そうです。今日はおもちゃをレンタルしにきたんです」

「そっかあ。でも、ごめんね、知っていると思うけどゴロウくんは今整備中だから、もう少し時間をちょうだい。ああ、それか、他のおもちゃを持っていく? その手に持ってるリョータなんか、お安くしとくよ」

「い、いえ……」

「ハハ、そうだよねぇ。VIP会員様にこんな商品、見せたくもなかったんだけど」

 

 岡倉はそう言うと、真理子の手から恐竜のぬいぐるみを摘み上げて、ポイっと部屋の端に投げ捨てた。

 

『あうっ……!』と、痛そうな声をぬいぐるみが上げる。

 

 ぬいぐるみに一度も目をくれることなく、岡倉は真理子の後ろから一人で話し続けた。

 

「もともと、ゴロウくんはボクの息子が見つけてきた子でね。どうしても欲しいっていうんだけど、施設の子は政府の記録に残ってるから売りづらい。ボクはあまり入荷しないようにしてるんだけど、もう息子が聞かないんだよ。どうしてもあの子が欲しいってね。正直、何がいいかわからなくて困惑したよ。あの頃のゴロウくんは脆そうだったし、目つきも悪くて、汚らしくて、不気味だった。ボクは隣のリョータの方がいいんじゃないかって、二体とも入荷したんだ」

 

 なんの話がわからず混乱する真理子をよそに、「でもね、息子は正しかったんだ」とまるで子どもの運動会を初めて見に行った親のように、岡倉は感慨深そうな声を出す。

 

「ゴロウくんは修復したら見違えたし、すっごく丈夫だ。逆にボクがいいんじゃないかって言ったリョータは弱っちくて、すぐダメになっちゃったよ、はっはっはっ。おもちゃに興味がないから、ボクが選ぶとどうにもうまくいかないね。うちのテルや陽菜みたいに、やっぱり、ちゃんとおもちゃを愛する心がないと」

「テルって……」

「ああ、ボクの息子の輝幸のことだよ。やっぱり自分の子どもは何歳になっても可愛くてね、ボクにとってはいつまでも小さな子どもみたいなものさ」

 

 いつまでも小さな子ども──そう聞いて脳裏に浮かぶのは、あの不自然なほどに大人びた顔をした”お客さん”の子どもたちの顔だった。

 

 岡倉は一人でペラペラと話し続ける。

 

「テルはおもちゃを見る目はあるけど飽きっぽいからね。ゴロウくんも大きくなって飽きる前に人に貸しちゃおうと思ったんだけど、あの子が毎晩泣くようになっちゃって。代わりに入荷したケンジ……ほら、待合室にいたあのおもちゃも気に入らないみたいで、もうゴロウくんの貸し出しはしないでほしいって言うんだ」

 

 そう言って岡倉は真理子の正面に来ると、しゃがみ込んで目線を合わせてくる。黒色の隈取りの中に、細い金色の目が爛々と輝いていた。

 

「──それで、ものは相談なんだけどさ。やっぱり代わりのおもちゃを連れて行ってくれないかな? ゴロウくんほどまでは行かなくても、うちにはなかなかいい子が揃ってる。ね、真理子ちゃん、今から二人で見にいこうよ」

 

 おもちゃ、貸出、長期レンタル、慈愛の翼、持ち主、子どもたち……。

 頭のなかでぐるぐるとキーワードが回って、最悪の想像を形成しつつあった。

 

 岡倉の言うところのおもちゃとは、慈愛の翼に保護されているはずの子どもたちのことなのではないか。家出中の子どもの炊き出しや、子育てに不安を抱える保護者の相談窓口、吾郎のような子どもの里親、ともかく岡倉の団体は積極的に子どもと関わることを目的にしている。

 もしそれが、善意によるものじゃなく、搾取のためだったら……。

 だけどそうすると、慈愛の翼というボランティア団体では、思考の端に乗せるだけでもおぞましいことが行われていることになる。

 

 もちろん、ここで見聞きしたものが、現実の慈愛の翼と関係しているという確証はない。

 だが、あのおもちゃ売り場で見た人形たちの姿には、吐き気がするほどリアルな何かがあった。そんな非道なことが今の社会であるはずがないと、頭ごなしに否定できないほどには。

 

 利用者名簿の存在する吾郎も、岡倉にとってはおもちゃの一つなのだろう。

 だとしたら、絶対に吾郎のことを放っておくわけにはいかない。この場所でも、現実でも。

 

「その前に、整備中なのは知っているけど……私、吾郎くんに一言挨拶をしにきたんです。彼のところに連れて行ってもらえませんか?」

「え? おかしいな、ここがゴロウくんの部屋なんだけど」

 

 岡倉は血走った目で部屋のなかを見渡し、ようやっとガラスの破片のうえに座り込んでいる少年に目をやった。

 

 その隙に、真理子はこっそりと、いちばん尖ったガラス片を拾う。

 

 人を刺そうなんて思ってないけど、私、力がないし、このままじゃ心もとないから……。

 袖のなかにガラス片を隠しながら、言い訳するみたいにそう思った。

 

「駄目じゃないか。せっかく特別に一人部屋まであげたのに、また他の子と喧嘩したのかい? あーあ、傷までついて。これじゃあ売り物にならないや」

 

 底冷えする冷たい声でそう言い放つと、膝をついて目線を吾郎とよく似た少年に合わせた。

 

「啓次くんの前でも動作不良を起こすなんてね。また特別な整備が必要かな?」

 

 岡倉は右手を彼の首にかけると、ありったけの力をこめて締め上げた。細い首が、あらぬ方向に曲がる。

 

「やめて!」

 

 真理子が悲鳴をあげると、ぎりぎりと腕にかける力はそのままに、岡倉は顔だけこちらに向けてきた。

 

「どうして。ゴロウくんは丈夫だから、このくらい大丈夫だよ。君のお父さんも同じ使い方をしたんだろ? 返却されてきたときに点検して見ているから知ってるよ」

 

 みしみし嫌な音を立てて、いまにも彼の首は折れそうだ。にも拘らず、その綺麗な顔には、苦痛の色が浮かばない。まるで全ての悪意を受け止めるためだけにある物のように、静かに口を閉ざしていた。

 

 岡倉は、ずっと吾郎くんのことをこんな風に扱っていたってこと?

 

 ──許せない。

 

「やめろって、言ってるでしょう!」

 

 今にも掴みかからんばかりの勢いで真理子が怒鳴ると、パッと岡倉は手を離す。ドサリと音を立てて少年はもう一度ガラスの破片まみれの床に倒れた。

 

「……やっぱり」

 

 ゆっくりと、岡倉は振り返る。

 大袈裟に誇張された笑顔のメイクを施されたピエロの顔の中には、冷酷な無表情が浮かんでいた。

 

「──キミは、ボクのお客さんじゃあないね」

 

 ポツリと岡倉はそう呟く。

 

 ああ、真理子のことを試していたんだと気づいた。でも、もう遅い。

 

 ドアを塞がれる前に逃げるしかない。

 真理子は廊下へ向かって駆けだした。といっても、真理子の全力は、普通の少女の競歩程度でしかない。

 

「ゴロウくん、アレはおもちゃ泥棒だ。捕まえて!」

 

 後ろから、表情の失った『ゴロウくん』が走って追いかけてくる。

 先の見えない婉曲した廊下を走る。横に連なる部屋、部屋、部屋……。一体どれだけの”商品”を岡倉は持っているのだろう。

 

 迫りくる足音は、もうすぐ後ろに来ていた。

 

「ぐっ……!」

 

 あっという間に距離を縮められて、羽交い絞めにされた。その人ならざる冷たい体温に、やはり彼は人間ではないのだと痛感する。

 

「離して!」

 

 じたばた暴れても、凄まじい力で押さえつけられて逃げられない。そのうち腕を捻り上げられ、ついになんの抵抗もできなくなった。

 

 諦めて力を抜くと、真理子は吾郎そっくりの少年の顔を見る。光の宿らない双眸を見て、口を開かずにはいられなかった。

 

「あなたは、どうして抵抗しないんです? 本当の吾郎くんだったら……」

 

 それを最後まで言葉にすることはなかった。

 

「──よくやったね、ゴロウくん。この子は、改造部屋に連れて行こう」

 

 後ろからゆっくり歩み寄ってきた岡倉の上機嫌な言葉に、遮られたからだ。

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