ペルソナ5 明智兄妹の事件簿   作:かっぱえびせん

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第二十三話 昭和五十五年 清水邸2

 窓の外の時間はあっという間に進み、すっかり夜が更けていた。

 真っ暗になった廊下を、ランプの冷たい光が照らしている。青白い輝きが、薄暗く寒々しい空気をいっそう深めていた。

 

 視界に入る壁は余すとこなく、それこそ天井までもが、「清水一生」を称える表彰状でびっしりと埋め尽くされている。まるで、啓次の狂気の深さを知らしめるかのように。

 

 これが父の心の中の情景だと知って、真理子はどう感じればいいのか分からなかった。

 

 偶然とはいえキーワードを口にして異世界に迷い込んだ時──本音を言うと、真理子は安堵したのだ。

 吾郎に指摘された通り、自分の提案した計画は穴だらけだったのかもしれない。当然だ。あの時は必死に理屈を並べ立てていたけれど、きっと、すべて啓次の異世界へ来るための口実だったのだから。

 

 どうしても、この異世界を見たかった。

 

 優しくて家族思いの父がどうして突然あんな理不尽な怒りをむき出しにするのか、その答えがここにあるのだと。啓次の心象風景には、真理子や兄や母の姿があるはずなのだと。真理子はそう信じていた。

 だからずっと、この異世界で自分たちの姿を探していた。

 

 それは岡倉のおもちゃ屋にいた吾郎の人形のように、醜い歪みを突きつけるだけのものかもしれない。それでも、この異世界に自分たち家族がいることを真理子は疑ってはいなかった。

 

 だけど──期待はあっさりと裏切られた。

 啓次の心の世界に、真理子たち家族の居場所はどこにもなかったのだ。

 

 あちこちを歩き回って、自分たちの姿がないことを確信するうちに、真理子は落胆した。

 

 その代わりに父の心を埋め尽くすのは、今は亡き叔父と祖母の存在。

 

 視界いっぱいの表彰状から、真理子は目を逸らすようにうつむいた。すると、足元に落ちている薄汚れた本が目に入る。

 

「……これ、なんでしょう?」

「手がかりになるかもしれない。今のところ敵はないし、読んでみよう」

 

 拾い上げた本を、吾郎が横から覗き込んでくる。

 

 それは、薄ぺっらいコピー本だった。

 真っ白な表紙には『降霊術・実践法 魂を導く会』の文字。半ばの厚みのところに黄色い付箋が挟まっている。

 

 付箋のところで本を開く。

 中身は、まるでWordで作ったドキュメントをそのまま印刷したような、素人感の漂うレイアウトだった。

 

降霊の儀 必要なもの 酒・ロウソク・髪の毛・骨・札・塩・人

一、 火の灯っていないロウソクで円陣を作り、対象者を中心に座らせる。

二、 酒を対象者に振りかけ、マントラを唱える。これを清めの儀式とする。

三、 髪の毛と骨を燃やして擦り潰した粉を、対象者に飲ませる。

四、 ロウソクに火を灯す。決して絶やしてはいけない。

・・・

九、 降霊の儀を終了させる

 

 書かれていることは、いかにも眉唾ものだ。だけど、各ステップごとに実践中の人間の写真が添えられている。少なくともこれを執筆した人間は大真面目だったらしい。

 

「啓次さん、こういうオカルトが好きだったりするの?」

「まさか。星占いだって信じてないくらいです」

 

 言いながら、真理子は次のページをめくる。

 そこには『実践記録』という題と、日付と結果の記入欄のある表が載っていた。まだ誰も書き込んではいないからだろう、真っ白な行が続いている。

 

「実践って……こんなもの誰が信じるっていうんですか」

 

 呆れた声を上げたその時──真理子の言葉に返事をするように、キィと甲高い音を鳴った。廊下の左手側の扉がゆっくりと開いたのだ。

 

 その先は、先ほどまでは何度入ろうとしても開かなかった扉だ。

 

「行ってみようか」

 

 吾郎が先導して、慎重に扉を押し開ける。

 続いて真理子が中に足を踏み入れると──異様な光景が目に飛び込んできた。

 

 四方の壁に、ベタベタの赤色の象形文字が書かれた札が貼られていた。

 大きなクイーンサイズのベッドの前にあるのは、ロウソクで形作られた円陣。その中に、白布を顔に被せた子どもと、傍らに座る母親らしき女性がいた。

 

 母親は理解不能な言葉を一心不乱に唱えながら、震える少年の口元に液体を押し当てる。

 少年の小さな肩はすくみ、怯えきった様子で母の手を振り払おうとしていた。けれど母親は子どもの手を縋るように掴むと、「お母さん、またあなたに会いたいわ」と嗚咽を漏らす。

 

 その薄幸そうな顔には、写真でしか見たことがない祖母の面影があった。

 

「……おばあちゃん?」と真理子は緊迫した声をかける。

 

 と、映像に激しいノイズが入ったように少年と母親の姿がブレた。

 一体何が? そう思ったときには、二人の姿も、不気味な儀式の道具も、跡形もなくかき消えていた。

 

 残ったのはただの寝室。最低限の家具が置かれた、広々とした部屋が広がっているだけだった。

 

 しばらく沈黙が降りた後、真理子はぽつりと口を開く。

 

「……今のって、過去の出来事なのでしょうか」

「たぶんね。啓次さんの母親は長男の方を溺愛していた。だけど彼は死んでしまった。亡くなった息子に会いたくて、彼女はおかしな儀式に手を出すようになった。そんなところかな?」

「じゃあこの本は、おばあちゃんのもの……」

 

 真理子は手元の本を見た。そして、はっと息を呑む。

 

「どうしたの?」

「ここ……。さっきまで何も記録がなかったはずですよね?」

 

 『実践記録』のページに、新たな記入が浮かび上がっていた。

 

『昭和五十五年 三月六日午後三時四十分 降霊失敗。啓次が粉を吐き出したせい』

 

 達筆な筆跡。書道家が筆を走らせたような整った文字で、はっきりとそう書かれていた。

 

 それを読んでいる間にも、次々と記録が増えていく。

 

 『昭和五十五年 三月八日 午前十時五分 降霊失敗。啓次がロウソクの火を消した』

 『昭和五十五年 四月二十日 午後八時四十分 降霊失敗。夫が帰ってきて片付けるしかなかった』

 『昭和五十五年 五月五日 午後一時三十分 降霊失敗。啓次が泣いて拒否したせい。酷すぎる。自分のお兄ちゃんなのに』

 

 次第に怒りからか文字は乱れ、枠からはみ出し、乱雑にページを埋め尽くしていった。ついに欄がすべて埋まり、やっと収まるかと思ったら──今度は、ホッチキスで止められたページが勝手に追加されていく。

 

 パチッ、パチッ……と音が響いては、既にびっしりと埋められた実践記録のページが膨れ上がるように増えていった。

 

 気味の悪さから手を離したくなるのを、真理子はグッと堪えた。

 

 そしてついに──開かれた本の上に、何十枚もの紙が爆発したみたいに現れ、床へとバサリと落ちた。

 

「やっと終わったみたいだね」

「こんなに大量の記録があるなんて……いったい、何回こんなことを繰り返していたのでしょう?」

 

 真理子は、散らばった紙に目を落とす。

 

 そこに書かれているのは、ただひたすらに啓次への怒りだった。

 降霊の失敗を息子のせいにし、「邪魔をした」「まさか夫に言いつけるつもり?」「私をわざと困らせてニヤついている」「一生(いっせい)ならこんなことしなかった」と呪詛のように繰り返される怨嗟の言葉。

 

 筆圧の強い文字は紙をえぐり、インクが滲んだ文字が読めなくなるほどに歪んでいる。

 

 吾郎は「これが最後の記録みたいだ」と床に落ちた紙を拾い上げた。

 

『昭和六十年 二月六日 啓次が家から出ていくという。裏切り者!!!』

 

 昭和六十年、つまり五年もの間こんなことを祖母は繰り返していたことになる。

 両親が二人とも実家を嫌っていたことは気づいていたし、駆け落ち同然で結婚していたということも聞いていた。だけどまさかこんなことがあっただなんて、想像もつかなかった。

 

 こみ上げる嫌悪感を抑えて、その代わりのように真理子はふっと笑って見せた。

 

「父がいまだに実家を嫌悪するのも、無理のない話だったようですね」

 

 頷きながら、吾郎は床に散らばった紙に目を走らせていく。

 

「ああ……。明らかに異常だけど、あの儀式をすれば亡くなった長男が生き返るって啓次さんの母親は信じ込んでいたみたいだ。そのためなら出来の悪い次男はどうなってもいいって、そう書いている。啓次さんにとっては相当なトラウマだろうね。まあ、どんな事情があるにしろ、自分自身があんな親になっていたら世話ないけど」

 

「そう、ですね……」

 

 どういう顔をすればいいか分からなくて、真理子は気のない返事をした。

 

「一応、他に何か手がかりになりそうになものがないか見てみよう」

 

 という吾郎の提案の通りに、しばらく部屋を見て回った。けれど、特にこれといった収穫はなかった。散乱した手記を除けば、ここはただのゲストルームでしかない。

 

 見切りをつけて、二人は部屋の外に出る。そのまま廊下の先まで歩いて、またリビングへ向かうつもりだった。けれど……。

 

「──戻されたみたいだね」

 

 と、吾郎が事もなげに言った通り、廊下を抜けようとするとゆらりと空間が揺れて、端まで戻されてしまった。

 

「ええ……いい加減にしてほしいものです」

 

 瞬間移動したくらいではもう真理子も驚かなくなっていたけれど、面倒なものは面倒だ。

 うんざりしながら周囲を観察して、真理子はあることに気づく。

 

「ねえ、表彰状が少し古くなっていませんか?」

 

 壁や天井を覆う表彰状が、明らかに経年劣化していた。紙が黄ばんで、金色の額縁も錆び付いている。

 

「ああ。さっきまでとは似てるようで、別の場所みたいだ」

 

 吾郎は横のドアへ目を向ける。

 

「こっちも何か変わっているかもしれない」

 

 寝室へ続く扉は、二人を招き入れるようにわずかに開いていた。

 その先に、また足を踏み入れる。

 

 バタンと背後で扉が閉じた瞬間に、一気に眩い光が目を差した。

 

 細めた目で周囲を見渡す。いつの間にか、あのゲストルームは明るい木目の部屋に姿を変えていた。クリーム色の壁紙の、キッチンとリビングが一体となった少し手狭な部屋──既視感をふと覚えてから、ここが真理子が幼稚園生だった頃に家族四人で住んでいたマンションだと思い出す。

 

 そこに、まだ若さを残している頃の両親が話しながら入ってきた。目の前に立つ真理子たちの存在には目もくれず、二人は会話を続ける。

 

「本当にすごいわ。真理子がまた未就学部門の最優秀賞だったの。テレビの取材も来ているのよ」

 

 濡れ鴉のような黒髪と深い青い瞳の女性は、真理子の母親──アリアだ。母国語が日本語じゃないから、少し独特の癖が発音にある。

 高揚した顔で一人話し続ける彼女を、啓次はぼぅっとした表情で見ている。

 

「ねえ、聞いてる? それでね、吾郎のヴァイオリンの方は、やめさせてもいいんじゃないかと思うの。真理子より先に始めたのに上達もまだまだ。本人もあまり楽しくなさそうだし、たぶん、やる気もないのよ。送り迎えに使える時間だって限りがあるから──」

 

 とつぜん、啓次がアリアの顔を思い切り引っ叩いた。

 赤くなった頬を押さえながら、アリアは呆然と夫の顔を見る。

 

「……どうして?」

 

 そう彼女が問いかけたところで、二人の姿はふっと消えた。

 同時に、部屋はまた暗い寝室に戻ってしまう。

 

 真理子は、自分が消えた光景に向かって腕を伸ばしていたことに気づいた。

 まだ家族がみんな揃っていた頃の家。あのリビングから出れば、生きている頃の兄に会えたかもしれないのに……。

 

「──真理子さん」

 

 吾郎の声に、現実に引き戻された。

 

「また実験記録に記述が増えている」

 

 そう言って、吾郎はページを開いて見せてきた。

 

平成十七年 七月一日 午後九時四十分 結果不明

 

真理子は本当に優秀な子だ。

他の子と比べて飛び抜けて頭もいいし、容姿も美しい。なにをやらせても一番、音楽の才能は言うまでもない。

アリアは、真理子の教育のことしか頭にない。病弱で、全てにおいて妹に負ける吾郎のことを忘れてしまったみたいに。

これじゃあ、吾郎が可哀想だ。吾郎は僕によく似ている。いつも兄にいじめられ、母に見捨てられた僕に。まるであの家に戻ったみたいに感じる。

そう思った時には、僕はアリアのことを引っ叩いていた。

強い力じゃない。怪我はしなかったのは幸いだったけれど……そういう問題じゃないな。

当たり前だけど、アリアはカンカンに怒っていた。

人に暴力を振るうことなんて、今まで一度だってなかったのに。僕はいったいどうしてしまったのだろう?

苛立ちを暴力に変えて人にぶつける。こんなのは、まるで兄や母がやっていたことだ

 

 筆跡が、他の実験記録とは明らかに違う。これは啓次の字だった。

 

「パパ……」

 

 書かれていることを頭の中で咀嚼するたびに、心臓が冷えていった。

 もしこれが家族の不和の呼び水となった出来事だとしたら、真理子の今までやってきたこととはなんだったのだろう? もっと頑張れば、もっと結果を出せば、家族を幸せにできる──そんなことを考えていた自分がまるで馬鹿みたいだ。

 

「所詮、啓次さんが自分で書き連ねた言い訳だ。真面目に考えてやる必要なんてないと思うけど?」

 

 不機嫌な声で吾郎はそう言ってくるけれど、たぶん、励ましているつもりなのだろう。

 

 王子様らしくしていた時はあんなに簡単に優しいことを言えたのに、どうしてこんな不器用な言い方しかできないんだろう?

 そう少しおかしく思うと同時に、冷え切っていた心に温かいものが流れ込んでくる。

 

 真理子は顔をあげて微笑み返すと、「先にいきましょうか」と言った。

 この異世界をどう進んでいくことになるのか、もう分かった気がした。

 

 

 予想した通り、廊下を抜けることは再び叶わず、またループさせられた。

 

 壁中の古びた「清水一生」の表彰状の中に、今度は真新しい「明智真理子」の表彰状が加わっている。どれも現実で真理子が貰った覚えのあるものだ。

 そのことに、吾郎も真理子も触れずに、先へ進む。

 

 寝室へ続く扉が開いているところも同じ。今度は、その先は見覚えのない古民家の一室に続いていた。

 

 障子越しに柔らかな光が差す、畳の敷かれた和室。木目の美しい柱と梁は古びているけれど丁寧に手入れされていて、趣があった。

 

 部屋を満たす静けさを、鈍い打撲音が打ち破った。

 辺りを見渡すけれど、人の姿はない。

 

 断続的に何度も同じ音がした後、ビシャリと血飛沫が障子に飛んだ。

 鮮明な血の匂いが部屋を満たした瞬間──全てはかき消えて、ただの寝室に戻った。

 

「……吾郎くん、本に変化はありましたか?」

 

 声が震えないよう強く意識しながら、真理子は聞く。

 

 吾郎は頷くと、本を手渡してきた。

 そこに書かれていたのは、枠をはみ出して長々と書かれた『実践記録』だった。

 

平成二十年 五月六日  降霊失敗

 

周りの人は僕がどれだけいい父親かを賞賛してくれる。

僕も自分で驚いている。子どものために田舎へ転勤して、仕事の外の時間をすべて吾郎の病院の付き添いや看護に回している。

こんな風に誰かを愛おしく思えるなんて。

兄は全てを持っていたけど、家族だけは持っていなかった。その前に死んでしまったから。

もし吾郎みたいな病弱な子どもがいて、兄は僕みたいにしてあげられただろうか?

馬鹿らしい質問だ。兄が僕になにをしたかを考えれば、答えはわかりきっている。自分みたいに虐待される子どもをなくすため、心を壊す前に見つけるため、僕は教師になったんだ。あのまま兄が生きていたとしても、僕は兄よりもずっと立派な人間だ。

 

 

平成二十一年 三月二十五日  降霊失敗

 

もうすぐ吾郎の具合もよくなるという。本当によかった。

またヴァイオリンをしたいと吾郎は言ったから、すぐに先生が呼んだ。吾郎の演奏を聞いて、先生は驚いていた。もしかしたら吾郎は、真理子と同じくらいに音楽の才能があるかもしれないと。このまま順調にいけば、大成するに違いないと。

 

喜ぶふりをしながら、どうしてか裏切られた気持ちになった。

嫉妬で気がおかしくなりそうだ。

僕には支えてくれる大人なんていなかった。なのに、吾郎は僕のおかげでどんどん幸せになっていく。そして真理子と同じように才能に愛されて、僕の元から離れていく。許せない。

様子のおかしい僕に気がついた吾郎が、心配そうにしていた。

ああ、どうしてこんなことを考えてしまったのだろう?

 

 

平成二十一年 四月一日  結果不明

 

ああ、僕はどうしてあんなことを?

拳に残った暴力の感触が気持ちが悪い。吾郎の歯に当たったのか、指に切り傷ができている。

水道で血を洗い流した後、何度も何度も吐いてしまった。涙も鼻水もゲロも出て、もうめちゃくちゃだ。

こんなに悲しんでいる僕に、あんなことができたとは思えない。

殴ったり、溺れさせたり、煮えた湯をかけたり、あんな非道なこと──まるで兄みたいだ。

 

こうしている今も、視線を感じる。

苦しむ僕を、アイツが見ている気がしてならない。

もしかして、今になって降霊術が成功したのか? 

兄と母の呪いがこんなところまで付き纏ってきたとか……いや、そんなことあり得ない。目を逸らしちゃいけない。

どうしてこんなことをしてしまうのか分からない。だけど今の僕にできることは、またいつもみたいに吾郎の看病をしてやることだけだ。そしたら、吾郎もきっとわかってくれる。あんな酷いことをしたのが僕じゃないことに。

どれだけ父さんがお前のことを愛しているかを、示さなければいけない

 

「……真理子さん、貸して」

 

 震え始めた真理子の手から、吾郎が日記を取り上げる。

 さっと文章に目を通すと、汚物を目にしたみたいに眉を顰めた。

 

「本当に啓次さんがこんな日記をつけていたかは疑わしいところだけれど……この自己憐憫にどっぷり浸かった独白が本音なのは想像がつく」

 

 ぼぅっとしたままの真理子を見て、吾郎は少し気遣わしげに「君、大丈夫?」と声をかけてくる。

 

「え?」

「たぶんここから、何度も同じ光景を見ることになる。覚悟しておいた方がいい」

 

 

 吾郎の忠告通り、その先は同じことの繰り返しだった。

 

 廊下に戻る。ループする。寝室へ入ると過去の記憶の断片──啓次が暴力性をあらわにした時が垣間見える。すると、言い訳をするように実験記録に記述が増える。その主張のほとんどは、『降霊の儀式は今になって成功してしまった、兄が僕を操っているのだ』というものだった。

 

 幾度も繰り返すうちに、本は分厚く、持ち上げるとずしりとした重みを返すほどになってきた。

 

「こんなものを見ていたって仕方がない。いい加減、啓次さんのシャドウを引っ張り出さないと」

 

 二十回は同じことを繰り返した後に、さすがに焦れた様子で吾郎はそう言った。

 チラリと意見を伺うようにこちらに目を向けてから、すっかり沈黙している真理子を目にして、小さくため息をついた。

 

「辛いのは分かるけど、ここに来たいって言ったのは君だ。気を強く持ってもらわないと困るな」

「……分かっています、ごめんなさい」

 

 そうは言っても、吐きそうだった。

 もう何度も何度も、父が兄に暴力を振るうのを見た。その度に、何もできない自分に直面させられる。

 

 それは、過去の出来事だから干渉できないだとか、そういう類のものじゃない。心の底から生み出される恐怖が、体を震わせるのだ。今目の前に生きている兄がいても、また何もできないんじゃないのか? そんな焦燥感が胸を締め付ける。

 もしそうだとしたら、自分は母と何も変わらない。

 嫌な考えが、頭の中をぐるぐると回り続けていた。

 

 でも、ここまで吾郎にも付き合ってもらっているのだ。戦闘じゃ役に立たない分、しっかりしないと……。

 ぎゅっと拳を握り、真理子は気を持ち直した。

 

「その本、貸してもらえますか?」

 

 実験記録の確認は、吾郎に任せっきりにしていた。

 特に内容に変化はないと言っていたけれど、娘の自分が見たら何かヒントになるものがわかるかもしれない。

 

 胃のなかに鉛を落とされたような心地になるのを無視して、真理子は本を読んでいく。

 

平成二十一年 六月八日  降霊成功

 

吾郎の傷が治った。だけど、また怪我をしてしまった。

僕は分かった。兄の亡霊が、僕に取り憑いているのだ。

幸せな家族を持った僕を、いい父親になった僕を呪って、アイツが僕の身体の主導権を奪い取る。アイツは僕の幸せを壊すのが大好きだ。だから死してなお、僕の体を乗っ取って、家族を傷つけさせようとする。

このことを吾郎に教えた。吾郎は分かってくれた。

大丈夫。父さんは負けたりしない。

二人でアイツを追い払おう

 

 そこからしばらくは、延々と同じことを日記に書き連ねている。

 衝動的に暴力を振るってしまったこと。怪我をした吾郎を看病していること。過去の兄への恐怖と恨み言。段々と気が触れたような支離滅裂な文章が増えていき、ついに最後の一ページになった。

 

「そこから、新しいページだよ」

 

 そう言って、吾郎も本を覗き込んでくる。

 

平成二十二年 十二月二十五日  降霊成功

 

またアイツが僕の身体を動かした。

アイツが出てくる条件が分かった。僕の心が弱った時、アイツは僕の心を支配する。

なのに吾郎はいつも僕のことを困らせる。

泣いたり、嫌がったり、言うことを聞かなかったり、僕のことを悪く言ったり、僕から逃げたがったり、僕のことを恐ろしいものと決めつけた目で見たり……。絶対にわざとやっている。

儀式。母が完成させられなかった降霊の儀が完成したんだ。

本当は、みんな、アイツを呼び戻したいんだ。一生の方がいいから。代わりに僕が死ぬべきだったと思ってるから。

それでアイツとグルになって、アイツを僕に取り憑かせようとしている。みんな母さんと同じだ。僕をあの家に戻したいんだ。なあ、そうなんだろ?

 

 吾郎が隣で舌打ちした。

 

「馬鹿馬鹿しい、反吐が出る。ここまで一貫して自分を被害者だと思えるだなんて」

「……パパは、暴力を振るう時、いつも泣いているんです。泣いて、どうして自分にこんなことをさせるのかって、そう慟哭するんです」

 

 真理子は疲れた笑みを浮かべた。

 

「おかしいですよね? 泣きたいのはこっちだっていうのに。でもやっと、あんなことを口にする理由が、分かった気がします」

「どうしようもないほど歪んでいるね、啓次さん」

「確かに、もう、どうしようもないのかも……」

 

 本当に、パパの心を治すことなんてできるのだろうか?

 

 真正面から自分のしたことと向き合う強さが、啓次にはきっとない。だからこそ、他責と錯乱を繰り返すこんな手記を産んだのだろう。

 

 じゃあ、諦めるの? パパのことはどうにもできないと、諦めて現実に戻る?

 

 そう考えると、心の奥底から拒絶反応が返ってくる。例え父の心を救えなくても、このまま何もしないでここを去るだなんて、それだけは絶対に嫌だった。

 

 おかしな話だ。吾郎には、父の心を治すためにここに来たと口にしたのに。でも今も、真理子は何かを求めてここにいる。

 

 ──分からない。私は、何をするためにここに来たの?

 

 葛藤する真理子の隣で、吾郎は本を手に取ると捲り始めた。

 

「……そうか。賭けになるけど、試して見る価値がある」




誤字報告ありがとうございました。見落としていたので助かりました。
活動報告に書いたとおり、今週は二つ更新があります。次は明日投下します。
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