ペルソナ5 明智兄妹の事件簿   作:かっぱえびせん

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第六話 運命のアルカナ

 あくる日の朝。リビングで、真理子は自分の淹れたお茶を飲んでいた。向かいに座る吾郎は、インスタントコーヒーに口をつけている。

 

 話しているのはもちろん、銀太から新しく伝えられたことについてだった。

 

「銀太さんから言い渡された課題、早くクリアしないといけませんね」

 

「そのことだけど、あれ以外にペルソナを強化する方法が他にないか、次銀太に会ったときに聞こうと思ってる」

 

 いきなり難しい顔でそう切り出す吾郎に、真理子はきょとんとした顔になる。

 

「もちろん、聞いてみてもいいと思いますよ。でも、どうして?」

 

「君、知らないの。タロットカードは、大アルカナなら二十二枚、小アルカナまで含めるなら七十八枚あるんだよ」

 

 ずいぶんと占いに詳しいけれど、吾郎はその手のものはむしろ嫌いそうだ。

 ウィキペディアみたいに物知りなところがあるので、ただ知識として知っているだけに違いない。

 

 ……しかし、いまいち吾郎が何を言いたいのかわからず、「そういうものなんですね」と真理子はあいまいな相槌を打った。

 

「絆一つに一人相手が必要だと仮定すると、二十二人もしくは七十八人……それだけの人数と関係構築する必要があるってことになる。でも僕たちは異世界の探索もしなきゃいけないし、岡倉のことだってある。そんな中でこの数の人間と関わるなんて、現実的じゃないって思わない?」

 

 アルカナの数と照らし合わせて考えると、絆を築くノルマは、二十二人あるいは七十八人。

 確かに吾郎の言うとおり、どちらも少なくはない人数だ。

 

 だけど自明の理だと言わんばかりに説明されても、真理子にはやっぱり不可能というほどには思えなかった。

 

「いいじゃないですか、学校でお友達を百人作れば」

 

 吾郎の第一志望の高校は、たしか一学年に五クラスある。大体一クラス四十人程度と考えれば、一気に二百人もの同世代の人間と会えるのだ。そこで友達を作っていけば、難しい話じゃない。

 

 真理子がそう口にすると、分かっていないな、とばかりに吾郎は眉をひそめた。

 

「上部だけの仲じゃ、絆が深まった判定にはならないんだよ。たとえば僕たちはすでに一年以上同じ家に住んでいるよね。だけど、君と僕の絆はたったランク1らしい」

 

「……えーっと、ランクって、なんのこと?」

 

「僕もよくわからないけど、今朝から君の顔を思い浮かべると、星のタロットカードと、ランク一という言葉が頭に浮かんでくるんだ」

 

 面倒だから聞いてくれるなと、吾郎の表情は物語っていた。

 

「そ、そうなんですね」

 

 正直訳がわからないけど、不条理なのは異世界に迷い込んで以来同じこと。

 いちいち反応していてはキリがないので、真理子はひとまず聞き流すことにする。

 

「しかも上限がランク十らしいってことも、なんとなく分かる。つまり、僕と君の絆はまだ求められている値の十分の一程度にすぎないんだよ」

 

「悲しい話です」と、真理子はしみじみと言った。

 

 でも、そんな気はしていた。

 

 吾郎は一歩距離を詰めようとすると、その分だけ離れていくところがある。親しくなるのは相当に難しいタイプだ。

 

 一年もの間同じ家で暮らし、修羅場は共に超えてきた。だけど吾郎と仲がいいかと言われると、首を傾げたくなる距離感。

 

 今よりもっと親しくなれる余地があるというのは、悪いことじゃないのかもしれない。

 

「つまり十まで絆を築くのには、相当な労力が必要。何十人もの人間とランク10の親密さになるまで努力するのは、効率的じゃないって思わない?」

 

 ──ここまで長々と話しているけど、要約すると、友達を作る自信がないってことだろうか……?

 

 そんな疑いを、にわかに胸に抱く。

 

 決して顔には出さなかったはずのその疑念を読み取ってか、吾郎はスッと視線を向けてくる。

 

 誤魔化すように、「でも」と真理子は口を開いた。

 

「そもそもですね。前提として、新しく関係を築かないといけないって考えるから難しくなっちゃってる気がしません?」

 

 我ながら、名案だ。

 両手をぱんと合わせて、真理子は微笑む。

 

「昔のお友達に連絡してみればいいじゃないですか。案外、すでに深い絆で結ばれていたなんてことも……」

 

「…………」

 

 吾郎は、無言かつ無表情。

 

 もしかして……。

 真理子はハッと息を呑む。

 

「あっ……ごめんなさい」

 

 そうか、一人も友達がいないのか。可哀想に、なんだか悪いことを言ってしまった。

 

 いたたまれなくなった真理子を見て、吾郎の機嫌は急降下したようだ。

 

 静かな声で、「……君は?」と尋ねてくる。

 

「私?」

「そういう君にはいるの? 今すぐ連絡できるような、気の置けない友人が」

 

 いないだろうという言わんばかりの吾郎には悪いけれど、真理子にも友達くらいいる。

 

「私だって、留学前は学校に通ったり、習い事をしたりしてたんです。そこでできたお友達は、みんなかけがいのないお友達。もちろん、今でも繋がっています」

 

「知ってるよ。君がおかしくなっていた時に届いた連絡は、僕が目を通していたわけだし。同級生っぽい子たちからも、たくさん手紙とかお見舞いがきていたのは見てる」

 

「そうなの?」

 

 驚く真理子に、吾郎は勝手に見てたわけじゃないと弁明する。

 

 とつぜん失踪して活動休止した真理子には、以前の仕事相手や学校の同級生から、心配の手紙や見舞い品が届いていたらしい。

 

 それに目を通し、必要であれば返事するように、吾郎は啓次から頼まれていたのだという。

 大事な連絡を見落として、何かあったと疑われても困る。だからうまくやっておいて、と。

 

 改めて聞くと、本当に申し訳なくなるくらい色々と押し付けられている。

 複雑な心境の真理子をよそに、吾郎は言う。

 

「その時見たんだけど──君のいうお友達って、みんな君のことを真理子様って呼ぶよね」

 

「ええ、そうですけど……?」

 

 真理子は、はたと首を傾げる。

 

 吾郎の言うとおり、今まで日本人の友人には「真理子様」と呼ばれてきた。他のみんなは「ちゃん」や「さん」や呼び捨てのなか、当たり前のように自分だけ「真理子様」なのはおかしいと思っていたけど、嫌と言うわけでもないので気にしたことはない。

 

「様付けだけじゃない。文面を読んでも、友達っていうよりは取り巻きか部下って感じだった。『何かご不便があったらお申しつけください』なんて、友達に宛てて書く文章じゃないよ」

 

「失礼ですね。私はちゃんとお友達だと思っていましたよ。ただ──私への畏敬の念を感じて、みなさんが勝手に遠慮したり、いろいろと気を遣ってくれるんです」

 

 さらりと真理子が言うと、吾郎は呆れ顔になった。

 

「そんな対等じゃない関係は、友達とは呼べない」

 

「……友達がいないのに、友達の定義にはずいぶんこだわりがあるのね」

 

 思わずぽそりと口を滑らせた後、真理子は怒られる前に言葉を継いだ。

 

「それに対等なお友達だって、ちゃんといます」

 

 真理子はそう言って、窓の外の庭園を指差す。

 その先にあるのは、ポットに植えられた細い柚子の木だ。

 

「あの柚子の木は、その方から餞別でいただいたもの。私が一緒にしていた習い事をやめてしまう時に、友情の証として贈ってくれたんです」

 

 もらった時は、ほんの小さな苗だった。それが、今や真理子が見上げるほどの高さになっている。

 

 朝露に濡れる背丈の伸びた柚子の木をガラス窓越しに見ると、ふわふわの薄茶の髪が目に浮かぶ。

 

「マリちゃん、元気でね」

 

 そう言って苗をくれたのは、春お姉さん──同じバレエ教室にいた、一つ年上の女の子だった。柔らかくて優しい雰囲気を持ちながらも、芯が強くて、気品のあるところに憧れていた。

 

 もう二年近く会っていないけれど、元気にしているだろうか。

 

「今度、吾郎くんにも紹介しますよ。もしかしたら、新しい絆になるかもしれないし」

 

 温かな思い出に、自然と表情が緩む。

 

「──いや、いい」

 

 しかし、吾郎の返事はにべもなかった。

 

「真理子さんの友達ってことは、世間知らずのお嬢様でしょ。そういうのは君一人で食傷気味だから」

 

「あら、いいんですか。そんないじわるを言って」

 

 真理子は余裕の笑みを浮かべて、胸に手を当てた。

 

「強くなるには、私と仲良くしなきゃいけないんですよ。もっと尻尾を振った方がいいのでは?」

 

 その瞬間、吾郎は苦虫を噛み潰したような顔になった。

 

「……今晩、絶対に銀太に他の方法を聞く」

 

 予想通りの反応を見て、真理子はくすくすと笑ったあと、ふと尋ねる。

 

「ちなみに、今ので私たちの絆が上がったりは……?」

 

 間違いなく真理子は今の時間を楽しんでいた。

 だから期待していたのだけれど、返ってきたのはクールな視線だった。

 

「上がるかよ、こんなクソみたいな会話で」

 

 口汚い言葉はともかく、それもそうだと真理子は納得する。

 

 それなりに意味のある会話をしないと、ランクは上がらないみたいだ。

 この調子では、上限のランク10になるまでどれだけかかることやら。

 

 吾郎の鉄壁の壁も問題だけれど、真理子自身も、彼を相手にするとついつい揶揄いたくなってしまうところがある。前途多難の予感がした。

 

 

 

 そんな会話をしてから程なく、二人の様子を見に森岡が家を訪ねてきた。

 

「啓次さんの、知り合いの脳科学者の方?」

 

「はい。一色若葉さんという方です。父が突然倒れた原因も彼女なら分かるかもしれないと思って、診てほしいとお願いしたんです」

 

 真理子は彼に対して、すらすらと嘘をついた。

 

 啓次は、救急搬送された病院から別の病院へ転院させられている。病室に若葉を連れて入るには、森岡の許可がなければ難しい。

 

 真理子の祖父──清水誠一が持病で倒れたというニュースは、津々浦々で報道されている。さらに跡を継ぐはずだった息子まで不審な倒れ方をしたと明らかになれば、メディアが放っておくはずがない。

 

 そのため、今は信頼できる病院で、限られた人しか面会できないようになっているのだ。

 

 若葉が父の知り合いだというのは真っ赤な嘘だったが、森岡には知るよしもないはずだ。

 

「お父さんを助けたい気持ちは分かるけど……ここは病院の先生たちに任せた方がいいんじゃないかな」

 

 けれど説得はうまくいってなかった。

 歯切れ悪く断ろうとする森岡を見て、吾郎が前へ出る。

 

「病院の先生を信頼していないわけじゃないんですが……父の倒れ方は今思い出しても異常で、何かおかしかったんです」

 

 そう言うと、地下室の扉に視線をさっと走らせて、悲壮な表情を作った。

 同情を誘う演技も、吾郎はお手のもののようだ。

 

「若葉さんは、最新鋭の知識を持った研究者なんです。手遅れになる前に、彼女からセカンドオピニオンを伺いたいんです」

 

 そう言って、吾郎はどこからか持ってきた名刺を差し出した。

 

 迷った表情で、森岡は手渡された四角い紙に視線を落とす。

 

 そこに書かれているのは、若葉の所属する「先端脳科学研究センター」と、日本有数の一流大学の名前のはずだ。

 

 どんなに言葉を尽くすよりも、そのネームバリューは偉大だったらしい。

 熟考したあと、森岡は頷いた。

 

「そうですね、分かりました。私も一緒に、という条件付きでよければですが、その人に相談してみましょう」

 

 どうにか許可は降りたことに、真理子は胸をなでおろす。

 

「ただ、申し訳ないけれどスケジュールが空いていなくて……」

 

 だけど、森岡が付き添えるのは、今日の午前までだという。

 若葉にも仕事があるし、さすがにあと一時間やそこらで来るなんて、難しいんじゃないかと真理子は思った。

 

 その予想に反して、若葉にメッセージを送ると、すぐに出られると返ってきた。

 もしかしたら、吾郎が話したことが気掛かりで、ずっと連絡を待っていてくれたのかもしれない。

 

 

 善は急げとばかりに、そのまま真理子たちは森岡に付き添われて病院へ向かった。

 エントランスホールで若葉と合流し、軽い挨拶を交わすと、真理子以外の三人は、啓次の病室へと向かう。

 

 真理子はというと、どうしても今の父を直視する気持ちになれず、「祖父の顔が見たい」と言い訳してしまった。

 

 看護師に付き添ってもらって、今は意識があるという祖父の病室へ向かう。

 

 といっても、顔を合わせても、話せることは多くない。

 父がいまどんな状態にあるかは、闘病中の患者にはショックが強すぎるという理由で、祖父には隠されているからだ。

 

 結局、許された短い面会時間の間、当たり障りのない見舞いの言葉を口にすることしかできなかった。

 

「吾郎は、今日は来れなかったんだんだね?」

 

 と、最後に祖父は確認した。

 倒れてしまう前から、何度も聞かれた質問だ。

 赤ちゃんの頃に一度会わせてもらったきりの兄と、祖父がずっと会いたがっているのは知っていた。

 

 まさかその兄が、とっくのとうにこの世にいないだなんて、口が裂けてもいえるはずがない。

 

「うん、次は必ずお兄ちゃんと来るから……」

 

 そう約束しながら、真理子は暗い気持ちになった。

 

 今日一日、嘘ばかり口にしている。

 その度に、本当のことをすべて話して頼れる大人なんてどこにもいないのだという事実が浮き彫りになって、胸を締めつけた。

 

 


 

 

 その後、若葉は吉祥寺の家まで足を運んでくれた。

 リビングのテーブル越しに、真理子の淹れたお茶を口にした若葉が、そっと微笑む。

 

「真理子ちゃんの淹れたお茶、まるでお店みたいね」

 

 ここまで来てもらったのは、彼女からすればひどく唐突に聞かされただろう「認知世界のせいで父が危篤状態になった」と言う話を説明するためだ。

 

 幸い、というのも失礼かもしれないけれど、森岡は病院から事務所へと直接向かったため、この場にいない。

 

「ありがとうございます。私の淹れ方というより、茶葉がいいんでしょうけど」

 

「謙遜しなくてもいいのに。真理子ちゃんも吾郎くんも、本当に大人びているのね」

 

 のほほんと、若葉は微笑んだ。

 異常な状態の啓次を見て、何が起きたのか気になっていないはずがないのに。彼女は落ち着いた物腰だ。

 

 若葉の独特の雰囲気のおかげか、真理子も自分の緊張が和らぐのを感じた。

 

 とはいえ、いつまでもこうしてなごやかな雰囲気に浸っているわけにもいかない。

 

「……あの、それで、今日見ていただいた父のことなんですが」

 

 真理子が切り出すと、若葉はすぐに表情を引き締めた。

 

「ええ、聞かせて」

 

 その言葉を合図に、吾郎は立ち上がると、自分のケータイを取り出して机の上にのせた。

 

「まずは、これを見てもらえますか。すべての発端は、このアプリが勝手にインストールされたことなんです」

 

 今からする話は、あまりに荒唐無稽。

 先に形のある証拠を見せた方がいいと思ったのだろう。

 

 画面に映し出されたアプリを見て、若葉は読み上げる。

 

「異世界ナビ、βテスト版……」

 

「これを手に入れてから、僕たちは異世界──おそらく若葉さんのいう認知世界に侵入できるようになったんです」

 

 どういう順序で話すか、どこまで話すか。すべては吾郎と事前に打ち合わせていた。

 

 もっとも重要なのは、啓次がどうしてああなったのか、である。

 真理子と吾郎が本当の兄妹でないことや、岡倉のパレスのことは関係がない。

 

 まずは、この家にあった二つのパレスについて話そうとを決めていた。

 

 真理子が長らく、いわゆる二重人格のような精神状態にあったこと。

 迷いこんだ真理子のパレスが崩壊したことによって、魔法のようにそれが一瞬で治ったこと。

 そして、同じ処置を啓次にもしようとしたら、黒い体液を吹き出して廃人状態になったこと。

 

 事の顛末の説明は、気がつけばほとんど吾郎に任せていた。

 あくまで客観的にあったことを話す吾郎に、口を挟まずに若葉は耳を傾けていた。

 

「──だから、父がああなった原因は金色の瞳の同一体を傷つけたからとしか考えられないんです」

 

 吾郎はそう言って話を締め括った。

 結局、誰がシャドウに止めを刺したか明言しなかった。もしかしたら真理子のことを気遣ってくれたのかもしれない。

 

「この家の地下で、お父さんが倒れてしまったのね……?」

 

 そう静かに確認する若葉に、吾郎が答える。

 

「はい。……確認しますか?」

「ええ、お願い」

 

 二人は地下室へ向かうと、五分も経たないうちに戻ってきた。

 

 戻ってきた若葉の顔は強張っていた。

 どす黒い体液が飛び散った跡を見たのだから、当然かもしれない。

 

「疑っていたわけじゃないけれど、本当なのね」

 

 押し殺した声で、若葉はそういった。

 

 廃人になる間際の、異様な父の様相が背中から追いかけてくるような錯覚を感じて、真理子は背筋が寒くなる。

 

「……ねえ、私もそのキーワードの入力を試してみても、いいかしら?」

 

 若葉は、吾郎のケータイに視線をやった。

 

「はい。でも、キーワードを三つすべて当てると異世界に引きずり込まれるかもしれないので、二つで留めておいてください」

 

 吾郎はそういうと、机の上のケータイを若葉の方へ滑らせた。

 

 すると、若葉は異世界ナビに向かって、人の名前を挙げ始めた。

 

 最初は知り合いがヒットするか試しているのかと思ったけれど、それにしても膨大な量の名前だ。

 

 確認作業は、気がつけばゆうに十分を超えていた。

 

 よくこれだけ人の名前が出てくるものだと、真理子は驚かされる。

 もしかして適当な名前を言っているだけかと思ったけれど、そうじゃないらしい。口にした名のうち、いくつかはヒットを叩き出した。その度、若葉は押し黙って、確認するようにナビをじっと見た。

 

「……ありがとう、もう十分よ」

 

 やがて実験を終えて、若葉はゆっくりと顔を上げた。

 

「あなたたちの言うとおり、これは間違いなく認知訶学の延長線にある技術だわ」

 

 もしかして、 今ヒットを叩き出した四人の名前は……。

 考えを巡らせる真理子の隣で、吾郎が淡々とした口ぶりで確認する。

 

「若葉さんが言っていた、集合的無意識の外に認知体がいた四人の被験者。ナビがヒットを出したのは、彼らの名前ですか」

 

「さすが、何を試していたのかは、お見通しなのね。……そう、吾郎君の考えている通り、今試していたのはすべてCSTNに入った被験者の名前。そして、このアプリがヒットを叩き出したのは、たった四人──集合的無意識の中に認知体を持たなかった被験者たちよ。二つの実験の結果が、完全に一致しているの。偶然だとは、とてもじゃないけれど考えられない」

 

 若葉はしばらく深く考え込むような顔になったあと、やがて綺麗に口紅の塗られたくちびるを開いた。

 

「信じるわ、二人の言うこと。あなたたちがこのアプリを使って認知世界に入ったという話も……」

 

 その言葉に、真理子はほっと息をつく。

 

「そしてね。私からも、お願いがあるの」

 

 ひどく真剣な表情で、若葉は交互に二人を見た。

 

「異世界の中に一緒に行きたい、ということですよね」と、吾郎が聞く。

 

 若葉はゆっくりと首を縦に振る。

 

「そう、取引がしたいの。その異世界には、私の研究を押し進める手がかりが絶対にある。そして認知訶学の研究が進めば、あなたたちのお父さんを救う手立ても見つけられるはず」

 

 今までにないほど強い意志を宿した瞳に、少し圧倒される。短い交流の中で真理子が見てきた一色若葉という女性は、冷静沈着でどこか浮世離れしたところがあるように見えたからだ。

 

 だけど遅れて、真理子は理解した。

 認知訶学とは、若葉にとって半生を捧げた研究なのだ。その秘密へ直接アクセスできる方法があると聞いて、気にならないはずがない。

 

 どうする、というふうに、吾郎はこちらを見た。

 啓次を救いたいという動機は、あくまで真理子のもの。だからこの取引を受け入れるかどうかも、真理子が決めるべきだと考えているのかもしれない。

 

 考えるまでもなく、真理子の答えは決まっていた。

 

「もちろん、協力させてください」

 

 父を救うヒントを探すには、異世界に足を踏み入れるしかない。

 

 しかしあの異世界は、恐ろしいほどの影響力を現実世界に対して持っている。

 本当なら、もう二度と立ち入るべきじゃないのかもしれない。手を出すことが禁忌とすら言えるほど、危険な場所だった。

 

 でも、若葉が一緒なら。認知訶学を長年研究してきた彼女がいれば、自分たちの浅知恵で何かするよりもずっと安全のはずだ。

 

「僕も、妹と同じ考えです」

 

 と、吾郎も同意する。

 

「父のことはもちろん……あの異世界の原理。なぜあんなことになってしまったのか、その真相が知りたいんです」

 

 そう吾郎が口にした刹那、またあの声が響く。

 

 『──我は汝……汝は我……

 汝、ここに新たなる絆を得たり

 絆は即ち、宿命に抗う反逆の道を照らす光なり

 汝、”運命”のペルソナの生み出せし時、

 自由へ至る、更なる力とならん……』

 

 新しい絆を、吾郎が手に入れたのだ。今朝あれだけ悩んでいたのが嘘のように、あっさりと。

 

 そしてやはり、銀太が説明した通り、彼の声は吾郎と真理子以外には届いていないみたいだ。

 チラリと視線をお互いに向けた真理子たちと違って、若葉は少しも不思議そうにはしていない。

 

 ──それにしても、運命のアルカナとは若葉にふさわしい。

 

 唯一頼れる認知訶学の研究者が、吾郎の亡き母親の古い友人だったなんて、まさに定められた運命としか言いようがない。

 

「私のことを信頼して話してくれて、ありがとう。お父さんを救うにはどうすればいいか、必ず私が見つけてみせるわ」

 

 若葉の言葉に頷いてから、真理子はすぐに壁があることに思い至った。

 

「あの、異世界に行くと言う話ですが……すぐにというわけにはいかないんです」

 

 大きな問題がある。若葉を連れていけるパレスがないのだ。

 真理子と啓次のパレスはもう存在していない。そして岡倉のパレスはあまりに危険すぎて、二人だけでも危ういくらいだ。若葉を守りながら探索するなんて、もってのほか。

 

 そうなると、危険のないパレスを真理子たちが見つけてくるしかない。

 

「私と父の異世界はもうなくて……。だから、安全に探索できる場所を見つけるまでは、待っていただくことになります」

 

 真理子の言葉を聞いて、若葉はさっと表情を曇らせた。

 

「異世界っていうのは、そんなに危険な場所なのね?」

 

 思えば、吾郎の説明だと二人が何度も死にかけたことは省かれていた。

 もしかしたら、止められることを予測してわざとそうしていたのかもしれない。

 

 やってしまった、と真理子は後悔する。

 

「だったら、尚更二人だけで行くなんて駄目だわ。研究のために子どもを危険に晒すなんて、認められない」

 

 厳しい表情でそう言う若葉を見て、吾郎は自分のケータイを机から取った。

 

「僕たちは、どちらにせよ異世界を調べるつもりです。……ただ、若葉さんが来ないというのなら、引き留めはしません。異世界で若葉さんの身を守る努力をするつもりですが、危険がないとはお約束できないからです」

 

 早くも交渉決裂になろうとしていたところに、「待って」と若葉が声をかける。

 

「もう一つ……試してみたいことがあるの。今まで私の研究は、渋谷の集合的無意識の観測を主に行ってきた。あそこだったら、もしかしたら安全に探索できるかもしれない」

 

 外の存在を排除する個人の認知世界ではなく、集合的無意識なら自分たちを攻撃してこないのではないか。その可能性を試したいのだという。

 

 でも、どうやって集合的無意識に入るかなんて、見当もつかない。

 そう言うと、若葉は自分に考えがあるといった。

 

「私たちのセンサーが計測したパターンは、一定の周期で一つの言葉を繰り返していたの。その言葉を試してみていいかしら」

 

 若葉はそう言うと、アプリに向かってつぶやいた。

 

「──メメントス」

 

 たった一つのキーワード。

 それだけでは三つのキーワードが必要という条件に満たないはず。

 

 にも関わらず、機械音声は返ってきた。

 

「ヒットしました」




アンケートのご協力ありがとうございました。
今月は更新もっとできるよう頑張ります。
あと、遅くなったけど明智くんハッピーバースデー!
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