ペルソナ5 明智兄妹の事件簿   作:かっぱえびせん

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連続更新(2/4)


第十二話 神託の神殿 1

 健康状態をもう一度チェックしたいと若葉に言われて、真理子は吾郎といっしょに研究所の前まで来ていた。

 

 けれど、若葉が少し遅れていた。

 冬休みが終わり、戻ってきた大学生たちが構内を行き交っている。そこに中学生がいると、流石に目立ってしまう。

 人目を避けるように、真理子と吾郎は先端脳科学研究センターの建物の影に立っていた。

 

 このところ若葉とは会えておらず、最後に会ったのは彼女のマンションの前だ。

 

 あの日、メメントスを探索した後、お年玉を渡そうと思い立って一色家に行ったところ、鍵を忘れて待ちぼうけしている双葉と鉢合わせしたのだ。

 

 夕飯を食べていないと聞いて、真理子たちは近くのファミリーレストランに向かった。二十四時間営業のところが徒歩距離にあったのは幸いだった。

 

 想定したよりも長く居座ることになってしまったけれど、楽しかった。

 さすがに十一時をすぎると、店員に子どもだけなのかと咎められたが、そこは吾郎が上手く誤魔化していた。

 

 外面のいい笑顔を浮かべて、もっともらしい事情を並べたら、最後には相手の方が納得した顔で引き下がっていく。

 本当によく口の回るものであると感心する一方で、もしかしたら、一人で家の外で時間を潰さなければいけないことが多かったのかもしれないと思うと、口には出さないけれど同情してしまう。

 

 しばらくは三人でお喋りしていたのだが、双葉は夜が更けるにつれ、妙に興奮していった。彼女曰く、それは「深夜テンション」という現象なのだという。

 

 深夜一時を過ぎ、ドリンクバーのジュースと茶を混ぜてどれが一番美味しい配合か見つけるという珍妙な会が開かれた頃には、吾郎は段々と愛想よく振る舞うことが馬鹿らしくなったのか、一人で本を読み始めていた。

 

 フェザーマンの話題でずっと相槌を打っていた吾郎に相手をしてもらえなくなった双葉は、しばらく拗ねたように足をぶらぶらさせていた。

 けれどしばらくして、真理子がケータイをうまく扱えないまま最近壊してしまったと知ると、目を輝かせた。

 

「フッフッフッ。明智妹、電子機器が苦手らしいな」

 

 双葉は、スマートフォンの操作を教えてくれると胸を張った。

 ITマスターだと自ら名乗るのは、伊達じゃない。彼女は小さな指を画面の上ですばやく動かしながら、信じられない速度で文字を打っていた。

 

 コツはたくさん教えてもらった。だけど真理子が同じことをしようとしても上手くいかず、苦戦すること数十分。

 双葉はそれでも諦めず、フリック機能をオフにしたり、キーボードの配列を変えてみたり、あれこれと試した。

 

 若葉からの連絡がきたのは、そんな時だった。

 

 すぐ返事をしようとしたのだが、なぜかケータイがクラッシュして動かなくなってしまったのだ。

 

「あああああ、わたしのデータが……!」

 

 双葉は魂の抜けたような悲鳴を上げていた。

 

 三人で……というよりも真理子を抜いた二人がケータイを直そうと奮闘したが、どうにもならなかった。吾郎のケータイも電源切れを起こしていたせいで、連絡手段はない。

 結局、すれ違いになってはいけないと、三人はマンションの部屋の前で待つことになったのだ。

 

 そのせいで若葉に多大な心労をかけたと思うと、申し訳ない。ただでさえ、ここ最近の彼女は疲れているように見えるのに……。

 

「ダ、ダイジョブだ! お母さんなら直せるから」

 

 落ち込む真理子を、そういえば双葉は涙ぐみながらもそう励ましてくれた。本当に優しい子である。

 

 一方、吾郎は全く優しくなかった。

 その日以来、吾郎のケータイに近づくと烈火の如く怒るようになったのだ。

 

「君のそれは呪いの類だ」と言って、異世界ナビの入ったたった一つのケータイを壊させるわけにはいかないというわけだ。

 

 まったく失礼なものである。

 真理子が今まで壊したのは、パソコンとスマートフォンを数台程度。それも、触っただけなのに勝手に動かなくなったのだ。どう考えても、問題は電子機器が不良品だったことだ。

 

 ──そういえば、春お姉さんも、会社の役員の人のパソコンを初期化させてしまったって昔言っていたっけ……。

 

 電子機器はとても脆いから、壊れるなんてよくあることだと、彼女もそう言っていた。やっぱり吾郎が大げさなのだ。

 

 そんなことを思いながら隣を見ると、彼は研究センターを見上げている。

 

 ここ最近様子がおかしいのは若葉だけじゃない。吾郎もどこか、上の空のように感じられる時がある。

 

 このまま無言でいるのも嫌で、なにげなしに話題を振ってみる。

 

「ねえ、そういえば、どうしてコードネームはクロウにしたの?」

 

 何かを考え込んでいる様子だった吾郎は、少し反応が遅れて、こちらを向いた。

 

「たいした理由じゃない。僕と似ている動物を挙げただけだよ」

 

「あなたが、カラスに?」

 

 真理子は、自分よりも少し低い位置にある顔をまじまじと見つめた。

 

 ふんわりしたミルクティー色の髪。柔和な印象を与える、大きな赤色の瞳。

 そっけない表情をしていても──出会った時から変わらない、天使みたいな顔の男の子だ。

 

 客観的に見て、カラスには少しも似ていない。

 

「どちらかというと、ウサギのほうが似てますよ。ふふっ、今度からバニーかラビットになります?」

 

「……いかにも君が考えたって感じの、格好のつかないコードネームだね」

 

「あっ! それじゃあ、”クロウ”はかっこいいと思って名乗ったんですね?」

 

 真理子が笑顔で聞くと、吾郎はフンと鼻を鳴らしてそっぽを向いてしまった。

 

「照れているの?」とからかいたくなる。けれどそんなことをしたら、若葉が来るまで無視されそうだ。つつき回したくなる気持ちをぐっと抑えて、真理子は話題を変えた。

 

「意外といえば、”オラクル”も同じです」

 

「そうかな。若葉さんらしいと思ったけど」

 

「でも、オラクルってスピリチュアルな言葉じゃないですか。論理派の若葉さんが自分につけるとは思わなくて。それで、この間、若葉さんにもコードネームの由来を聞いたんです」

 

「へえ……君、今みたいに失礼なことを言ったんじゃない?」

 

「私に限ってそんなことはあり得ません」

 

「どうだか」

 

 少しからかったくらいで根に持ちすぎだ。

 若干いらっとしながらも、真理子は続ける。

 

「……とにかく。そしたら、あなたと同じで、『似ているから』だとおっしゃっていたんです。研究室で昼夜なく実験を続けていると、いもしない神様のお告げを待って、神殿でひたすら祈り続けているみたいに思える時があるって」

 

 ね、そんな比喩をするなんて、意外でしょう?

 

 そう続けるつもりだった。

 

 ただの時間つぶしの雑談は、吾郎が頷いて、それで終わるはずだったのだ。

 

 なのに、

 

『候補が見つかりました。ナビゲーションを開始します』

 

 景色が、ぐにゃりと歪んだ。

 赤煉瓦の建物が波打ち、学生たちの声が遠のいていく。冬のしんと冷たい空気も、足元の舗装も、輪郭を失って溶けるように崩れていった。

 

 ……乾いた熱風が、頬に吹きつけていた。

 

 目に痛みが走り、真理子はまぶたを閉じる。風は熱いだけでなく、ざらついていた。細かな砂埃が肌にまとわりつき、息を吸うだけで喉の奥が焼ける。

 

 匂いも、空気も、なにもかもが違っていた。

 

 そっと目を薄く開くと、灼熱の太陽が視界に刺さる。

 目の前にそびえ立っていたのは、古代エジプトの建造物を思わせる、巨大な塔門だった。燃えるような太陽の光を受けて、その輪郭は金色に縁取られている。

 

 石の壁面には、びっしりと象形文字が刻まれていた。

 細かいところまでは、読み取れない。

 あまりの暑さのせいか、空気が屈折していた。あるいは、熱で頭がくらくらしているのか。

 

 コートを脱がなければ、蒸し焼きになって死んでしまう。

 

 そう考えていた時、隣で吾郎が動く音がする。

 

 吾郎はケータイを左手に持っていた。画面を見る横顔は、信じられないほど冷静だった。

 

「……一色若葉、先端脳科学研究センター、神殿」

 

 読み上げるその声を聞いて、じわじわと理解が追いついてきた。

 考えないようにしていた可能性が事実になってしまったという方が、正しいのかもしれない。

 

 ナビが起動した時、真理子たちが口にした名前は一人だけ。

 

 このパレスの主は、若葉なのだ。

 

 彼女自身の放った言葉が、頭のなかに蘇る。

 

 ──パレスを持つ条件は、激しい認知の歪み。

 

 いまの真理子たちにとって唯一の頼れる大人であり、双葉の大好きな母親であり、もっとも心強い味方である若葉が?

 

 あの若葉が?

 

 呆然とする真理子を置いて、吾郎が口を開いた。

 

「こんなところに立っていても仕方ない。神殿の中に入ろう」

「なに、いってるんですか?」

 

 震える声で聞く真理子を、どこまでも落ち着き払った顔で吾郎は見た。

 

「君は気にならないの?」

 

 その落ち着きように、すとんと真理子は理解した。

 心の準備がついていなければ、こうも平然としていられるはずがない。

 

「あなたはずっと、若葉さんのことを疑っていたんですね。いつか裏切られるかもしれないと」

 

 あれだけ心を砕いてくれた人のことを、信用していなかったなんて。

 知らず、咎めるような口調になってしまう。

 

 いや、声に棘がある理由はそれだけじゃないと、自分でも分かっていた。

 

 吾郎のこういった一面を目の当たりにするたびに、聞きたくなってしまう。

 私のことも信じていないのかと。いつか裏切るに違いないと、静かに距離を取りながら見ているのかと。

 

 真理子の非難を、吾郎は表情ひとつ変えずに受け止めた。

 

「それで、僕は間違っているのか?」

 

 言って、視線を神殿の方へと向ける。

 

 石造りの神殿は、息を呑むほど美しく、厳かで、神秘的だった。

 それと対照的に、背後に広がるのは、どこまでも続く茫漠とした砂漠。生命の気配も、風景の変化さえない。ただ同じ色の砂と空だけが果てしなく続いている。

 

 まるで神殿──研究所以外のものへの興味の薄さを表すかのように。

 現実世界とは、あまりにも乖離していた。

 

 当然だ。

 これは激しい認知の歪みによって生み出された産物なのだから。

 

 ……若葉の、歪んだ認知によって。

 

 真理子は目を閉じて、考える。

 

 若葉との信頼関係を守るのなら、いますぐここから出て、パレスが見つかったことを本人に伝えるべきだ。

 それが疑いようもなく、道義的に正しい選択なのだから。

 

 だけど、もし若葉が信頼に足る人物でなかったら?

 もし、あの優しさの裏で、自分たちを利用しようとしているのだとしたら?

 

 そんなわけがないと信じている。信じたい、けれど……。

 

 若葉のことを、どれだけ真理子たちは知っているのだろう?

 

 啓次のことを、誰もが立派な校長先生で優しい父親だと評した。

 職業柄、父は数多くの人と接したけれど、あの恐ろしい裏の顔を見抜けた人間はいなかった。

 

 同じように、真理子自身、岡倉の本性にはまるで気が付かなかった。

 あのおもちゃ屋に入るまで、優しい保護者なのだと信じきっていた。

 

「若葉さんを信じましょう」と、そう口に出したところで、何かが変わるのだろうか。

 

 自分自身の心すら、まるで納得させることができないというのに。

 

 でも今なら、その不安を解消するのは簡単だ。

 神殿の中を覗き見て、すぐに出る。誰も傷つかない、一番安全な解決策だ。

 

 そう考えた瞬間にはもう、ただ言い訳を探しているのかもしれなかった。

 

 一度芽生えた若葉への猜疑心は、簡単に裏切られることへの恐怖に変わる。頭では間違っていると分かっている方向へ、抗いがたい力で背中を押してくる。

 

 神殿の入口を見る真理子に、吾郎がいう。

 

「僕らの姿は変わっていない。若葉さんは僕たちを外敵と認識していないみたいだ。あの中で話を聞くだけなら、何も起きない」

 

 そうだ。岡倉のパレスにだって何度も入ったが、何も起きなかった。すぐに出るだけなら、安全だ。

 

 だけど、いずれにしろ、これは若葉との信頼を裏切る選択だ。

 だからこそ──吾郎ひとりの選択にせず、自分の意志を表明するべきだと感じた。

 

「中に入りましょう。若葉さんの認知の歪みを、確かめるために」

 

 


 

 外の眩しさは、背後で断ち切られた。

 

 神殿の内部は薄暗く、しんと冷えた石に囲まれている。天井の隙間から差し込むわずかな光が、砂埃を黄金の粒に変えて漂わせている。

 空気には香油の甘い匂いと、古い石の匂いが混ざっていた。

 

 外の熱気が嘘のように、床石は冷たい。真理子たちの足音は、思ったよりも大きく神殿の奥へ響いていった。

 

「お客様ですね」

 

 静かな声がした。

 入ってきた真理子たちに気づいて、白い亜麻布のドレスをまとった女性が近づいてきたのだ。

 

 その顔には見覚えがある。研究所に手伝いに来ている院生の一人だ。

 

「主が、お二方のことをお待ちしております」

 

 柔らかく頭を下げる仕草は丁寧で、恭しい。

 主、というのは若葉のことだろうか。

 

「お招きいただきありがとうございます。僕たちがくると、この神殿の主から伺っていたんですか?」

 

 吾郎が適当に話を合わせながら聞く。

 すると、彼女は戸惑ったように目を揺らした。

 

「いえ……。私たちはみな、偉大なる太陽神に仕える身。ですが、主のお言葉を理解することはできません」

 

 その神が、若葉……? いや、それはあまりに彼女らしくない。

 

「ですから、神のご意志は、奥様を通して拝聴しております」

 

「奥様?」と吾郎が聞き返す。

 

「はい。神妻である奥様だけが、神託を読み解くことができるのです」

 

 彼女はうやうやしく背後の壁に向かって一礼した。

 

 そこには、一人の女性の壁画があった。

 丸い太陽円盤の冠を被り、古代エジプトを思わせる白い装束に身を包んだ、黒髪の女性。

 

 描かれているのは若葉だ。けれど、その装束には既視感があった。

 

「アメンの神妻……」

 

 真理子は小さく呟いた。

 

 吾郎も同じことを考えていたらしく、隣で頷く。

 

「若葉さんは、この神殿の祭司ってわけか」

 

 そう、歴史書で読んだことがある。

 アメンの神妻とは、古代エジプトの太陽神信仰において、最高位の女性聖職者に与えられた位だ。絶大な権力を持ち、時代によってはファラオと並ぶ影響力すら持っていた。

 後の時代になると、婚姻は禁止され、実子を持たず、生涯独身を貫いて神に仕え続けたという。

 

 まさに、この神殿の形をした認知世界の支配者にふさわしい称号だった。

 

「恐縮ですが、どうしてそのようなことを確認なさるのですか?」

 

 戸惑った顔をする女性には答えず、吾郎は聞く。

 

「あなたは、僕たちがなぜここにいるか、理由は聞いていますか」

「いえ……。お二人が大切なお客さまだということ、それしか私は存じ上げません」

 

 チラリと、吾郎はこちらに視線を走らせる。

 

 彼女よりも、もっと深く研究に携わっている人間と話したほうがいいと言いたいのだろう。

 

 幸い、神殿内にはいくつもの人影があった。

 

 太い石柱が左右に整然と並び、天井を支えている。

 真理子たちは奥へと進んで、研究所の職員たちに話しかけていく。

 

 次にいたのは、若い男性だった。

 白い衣を肩で留め、両手で薄い石板を抱えている。

 

 声をかけると、彼はすぐにお辞儀をした。

 

「これはこれは、神妻様のお客人でいらっしゃいましたか」

 

 吾郎が、自分たちについて何か聞かされているか尋ねる。けれど答えは、やはり同じ。お客人については、何も知らされていないという。

 

 この人からも、あまり多くの情報は得られそうにないな。

 真理子はそう考えながら、ふと隣の柱を見た。柱頭は開いたパピルスの花を模しており、柱身には、黒い神像とその前に跪く人々の絵が刻まれていた。

 

「この彫刻は、あなたたちの仕える神を描いたものですか」

 

 真理子が尋ねると、男性は恭しく頷いた。

 

「はい。奥の至聖所に据えられた、黒き御神体です。あれほどの力を持つ神像は一体のみ。他の神殿にはなく、替えも利きません」

 

 小さな違和感を抱く。

 恭しい態度ではある。けれど、仕える神に対しての言葉と思うと、どこか不敬な物言いにも聞こえた。

 

「神像がある至聖所。それは、この奥にあるんですか」

 

 尋ねながら、真理子は男性の背後を見た。

 柱廊の先には、長い階段があった。

 

「……恐れながら、お客人といえど、至聖所への立ち入りは許されないかと。御神体から一度でも力が消えれば、もう戻ることはありません。そうなれば、神託は途絶えてしまう。この神殿は光を失い、砂に呑まれるでしょう。故に、御神体の前へ進み出ることを許されている者は限られております」

 

 隣で吾郎は顎に手を当て、考えこんでいた。そして、顔を上げる。

 

「では、神妻様の他にも、至聖所へ入ることを許されている方がいるんですね」

 

「はい。奥に白髪の男がいるでしょう? あの者は、奥様と共に至聖所を清めております」

 

 階段の前にいる男性には見覚えがあった。

 若葉と廊下で話していた、少し年配の研究員だ。もし研究所で立場が上なのだとしたら、彼は何か知っているのかもしれない。

 

 二人が声をかけると、彼は驚いた顔をした。

 

「神妻様のお客人が、どうしてこのような場所まで?」

 

 反応を見るに、真理子たちが侵入していい限界点が近いのかもしれない。

 

 あまり深入りしては危険だ。この人と話すのを最後に引き返そう、と心のなかで決める。

 

「神殿のことをもっと知りたくて、中を歩いていたんです。ご迷惑でしたら帰ります」

 

 真理子が言うと、男性は首を振った。

 

「いえいえ、若い方に興味を持っていただけるとは素晴らしいことです。ここは偉大なる太陽神の神殿。神妻様の知によって形を保つ場所です。我らは皆、神の真理へ至るため、日々祈りを捧げております」

 

「祈りというのは、研究のことですか?」

 

 つい、そう聞いてしまった。

 

 男は不思議そうに瞬きをした。

 

「研究……?」

 

 その言葉だけが、彼にはうまく届かなかったらしい。

 

「祈りは祈りです。正しき手順で香を焚き、正しき順序で言葉を重ね、御神体の前へ差し出す。そうすれば、いつか神はお応えくださる」

 

「ですが、その答えを読み解けるのは、神妻様だけなんですよね。では、あなたは至聖所でどのような役目を担っているんですか」

 

 吾郎が聞く。

 

「はい。神の言葉を解するのは、全てを捧げた者だけ。我らに理解することはできません。ですから神妻様は、眠る間も惜しんで神託に耳を澄ませておられます。私にできるのは、その御身が倒れぬよう、祈り、香を焚き、供物を絶やさぬことだけです。万が一にも、御神体が失われるようなことがあってはなりませんから」

 

 吾郎はさらに質問を重ねていった。

 けれど、返ってくる言葉は少しずつ形を変えながら、結局は同じところへ戻っていく。

 

 ここは太陽神の神殿で、中にいるものは聖職者。

 彼らは日々、神の声を聞くために一心に祈り続けている。

 

 けれどその神託を読み解くことができるのは、神妻である若葉ただ一人。そして、彼女がその責務を怠れば、この神殿は光を失い、砂に呑まれてしまう。

 

 真理子たちは大切な客人。それ以上のことは誰も知らない。

 

 あまり情報は得られないまま、そろそろ大切な来客があると言って、男性は去っていった。

 

 だけど、これで十分なほど、若葉のことは分かった。

 

「若葉さん……表には出さないけれど、途方もないプレッシャーを感じているんですね」

 

「そうだね。職員たちの口ぶりからすると、成果を上げられなければ研究所は存続できないみたいだ」

 

 だけど、誰もが若葉に頼りきりで、自ら神託を得ようとはしない。

 本当にそうなのかどうか、真理子たちには知るよしもないが……少なくとも、若葉はそう感じているのだろう。

 

「だけど、若葉さんは私たちとの約束を、守ってくれている」

 

 大切な客人だと認識してくれていること。それだけは確かだ。

 

「現実世界に戻って、若葉さんにお話ししましょう。……勝手に心の中に踏み入ったことも、謝らないと」

 

 そう促した時、

 

「神聖な地に、ガキを立ち入らせるとは。この神殿の格も堕ちたものだ」

 

 聞き覚えのある特徴的な声が、石の神殿に反響して届いた。

 周囲の聖職者たちは、一様にひれ伏す。

 

 真理子は階段の上を見た。

 そこでは、一人の男がこちらを見下ろしていた。




明日も更新あります。よろしくお願いします
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