あなたのそば。ぼくのとなり。
コーヒーの香り。ほんのりと、酸味を和らげてくれるミルクの気配。
「メイクデビューの日取りが決まったよ」
ぼくは隣にコピー用紙を手渡す。ぼくに視線をあわせて、眼で頷いてから手に取るスティル。無人になってしまった机の向こう側が、恨めしげにぼくを睨んでいる。
「いよいよ、はじまるのですね。私たちのトゥインクル・シリーズが」
「ああ、そうだね。だから対策をたてよう」
ぼくの言葉に、スティルは小首を傾げる。
「メイクデビューに、気を付けるべきお相手がいるのですか?」
「まさか。ぼくたちの相手は目下のところ、世間の目だよ」
つまりメディア対策である。ぼくは準備していた資料を取り出す。
「トゥインクル・シリーズでの強さはそのままスター性に繋がる。無敗の三冠を達成したシンボリルドルフは皇帝と崇められ、海外勢を返り討ちにしたスペシャルウィークは日本総大将の名を背負い、グランドスラム達成のテイエムオペラオーは世紀末覇王となった」
そしてぼくらの視点からでは、それらの「称号」について彼女たちがどれほど意識していたのかは分からない。
「だから、注目するべきはその
シンボリルドルフは
「そのスター性の
スペシャルウィークが日本総大将ではあるが、それ以前と以後の彼女の活躍にもスポットライトを当てて、黄金世代の頂点(または一角)として語られるべきではないのか?
「その
テイエムオペラオーは、最初は無名の自称覇王に過ぎなかった。そして彼女は
全てを制御していたのなら、それでもいい。しかし現実には、そうではないだろう。グランドスラムという偉業を打ち立てたからこそ、覇王の称号が転がり込んできたと考えるべきだ。
ではいったい、誰が覇王を創ったのか?
「……つまり、ドラマをつくるのはメディアと?」
「もしそうなら、レースは八百長になってしまうね。メディアはあくまで脚色を施すだけ。競走ウマ娘の実力も信念も走りも事実で、それのどれを強調して報道するかの話なのさ」
ぼくの言葉に、スティルは考える。
その理性が優る眼が小さな流星の下、ヴェールの下に消える。それから顔をあげた彼女は、表情を一欠片も崩さずにその言葉を口にした。
「つまり、トレーナーさんはメディアを操りたいのですね?」
「うーん、少し違うかな。手助けだよ、記事作成のお手伝いと言ってもいい」
記事のヒントを出して、良い記事を書いてもらうのだとぼく。
「確かに、自分でヒントを見つけたのなら、皆さん喜んで書いてくださるでしょうね」
「そういうこと」
「ですが、それは事実を歪曲することになるかと」
「事実は変わらない。だけれど真実はいつもひとつ、さ」
平然と言ってのけるぼくに、スティルは呆れた視線を送ってくる。今にはじまったことではないだろう?
「それで、トレーナーさんはどんな脚本を描いてくださるのですか?」
「うん。いくつか考えてきたよ」
ぼくは何枚か用意した候補を机の上へと。
一番上の紙には『純真無垢なウマ娘を誑かす悪いトレーナー概念』と書いてある。
「…………」
「あっ」
スティルはそれを一瞥すると、さっと手にとって目にも止まらぬ速さでクシャクシャに丸めてしまった。
それからソファから立ち上がると、静かにゴミ箱の傍まで行ってストンと棄ててしまう。ポイ捨てしないあたり、やはり育ちが良いなとぼくは現実逃避。
「弱ったな。いちおうその
「あなたはもう、こちら側ですよ」
戻ってきたスティルがぼくの隣に腰を降ろす。秋が過ぎ去りつつあるトレーナー室。熱源はぼくらとコーヒーだけ。
平熱が高めのウマ娘の温もりで、少しだけ暖かい。
「とはいえ、メディアが求めるのはあくまで『ウマ娘』だよ」
そのため、2番手以降の
「やむを得ない。専門家を呼ぼう」
「どうも」
差し出されるのは名刺。デフォルメされた目玉がトレードマーク。スティルは
「『
「いえそんな。こちらこそ、ありがとうございます」
それから彼女は目の前の記者をみて、間違っていたら失礼なのですが……と切り出した。
「以前、どこかでお会いしましたか?」
「はい。少しだけですが、走りを拝見させてもらいました」
そう、全てがはじまったふわふわパンケーキの喫茶店。ぼくにパンケーキを押し付けた張本人である。
ジッ、とスティルの視線が
まあうん。気持ちは分かるよ。
「大丈夫、彼にもちゃんと口止めしてある」
「念のため言っておくが、本人の了承を得てから記事を出すのは常識だからな?」
まあ週刊紙だとその限りでなかったりもすると思うのだけれど、天下の目白テレビでダメならどこもダメだろう。
「メディアに、お知り合いの方がいらっしゃったのですね」
「知り合いが居たというか、唯一の友人と呼べる人物がメディアに就職したという感じだね」
「他にお知り合いの方はいらっしゃらないのですか?」
「うっ!」
ぼくは胸を押さえて倒れた。コミュ障は交遊関係における事実を提示されることが食事中の油虫並みに耐えられないのである。
スティルはぼくを自分の方に引き寄せると、ダメージを受けないように柔らかな膝の上に軟着陸させてくれる。
応接セットの机の向こうでは、唯一の親友が「なんだこれは」みたいな顔で見ている。
「……ええと、それで。スティルインラブさん」
「はい」
「
「はい。……その、ご迷惑ではありませんか?」
「いえいえ。彼から話を聞いただけならともかく、私も走りは見させてもらっていますから。それに、ここだけの話……」
未来のG1級ウマ娘の
それが、薄れゆく意識のなかでぼくが最後に聞いた言葉だった……。
トレーナーさんの友達だという、記者さん。
彼は仕事を始めようとばかりに書類鞄からパソコンを取り出します。
「あの」
「? なんでしょう」
「実は、少しお聞きしたいことがありまして」
私の言葉を受けて、記者さんは居住まいを正してくださいます。丁寧な所作から漂うのは、ほんの少しの警戒。
ですが、その空気は私の次の言葉で緩むことになります。
「トレーナーさんのこと、教えては頂けませんか?」
「……と、いいますと」
「お友達、なんですよね?」
そう言えば、一応はねと愛想笑い。それから記者さんは手帳を取り出します。
「いいですけれど、
「それはもちろん」
むしろ取引ということにしてくれた方が助かるくらいです。
だってそうしませんと、隠されてしまうかも知れませんから。
「
私の言葉をどう受け取ったのでしょう。記者さんは額をそっとハンカチで拭きます。
「……スティルインラブさん。いくらコイツがおかしいヤツでも。
「そうなのですね」
「もしかして、彼をわざと昏倒させたりしました?」
「まさか」
冷や汗を流しているらしい記者さんに、私は笑顔をつくってみせます。
トレーナーさんが倒れてしまったのは、確かに不幸な事故でした。ええ、不幸な事故。
でも。
「トレーナーさんのことを、もっと知りたいのです」
「トレーナーさん」
地下バ道の向こうからは何も聞こえない。重賞レースでも、オープン戦ですらないメイクデビュー。
そこでぼくたちは、手を繋いでいる。
柔らかくて、しなやかで。それでいて力強さを備えた、手を。
「はじまるよ、スティル」
「はい。はじまりますね」
もう、これ以上の言葉はいらない。
一緒に往こう。どこまでも、いつまでも。
「…………あの、そろそろ」
「はい」
「手を放してもらえないかな。これからレースだし、さ」
「ふふ。では、祝福を頂けませんか?」
まったく、しょうがないな。
ぼくはそっとヴェールに手を添えると、彼女を抱き寄せる。
どうか、きみに幸あれ。
ご愛読ありがとうございました!!!!
-
トリプル・ティアラは?
-
ライバルとのレースは??
-
むっつりエピソードは???
-
実装されてないんだよ正気に戻れ