今年もお世話になりました。
トレセン学園には冬休みがある。これは学園としては当たり前のこと。
教室が、廊下が、カフェテリアが無人になる。卒業前でどこか浮ついた空気の漂う春休みや、熱気に満ちた夏休みとは異なる、冷たい静寂。
その静寂が訪れるのは、
冬のG1戦線は有マ記念・ホープフルステークスで終幕、ここから先は春に向けた蓄えの時機。そもそも冬休みの最中に控えるクリスマス元旦は名家名門に連なるウマ娘たちにとって重要な時期である。
「ところで、スティルはいつ帰省するんだい?」
ぼくはとなりの担当ウマ娘へと声をかける。小さなラジオは、年末の帰省ラッシュで渋滞ばかりとなった道路交通情報を流している。
「……新年の挨拶には伺います。いつも通りに、そうするつもりです」
彼女はそう言う。まるで他人の家の話をするかのように。
彼女の中で積み重なってきた家族への想い。その尊敬に塗れた疎外感。それはそう簡単には拭い去れないだろうし、拭いさってしまえばいいものでもない。
「すると、年越しは寮で?」
全国から才能を集めるトレセン学園は、セキュリティの都合もあり原則として全寮制を採用している。もちろん今回のような長期休暇では実家へと帰省する生徒がほとんどなのだけれど……スティルのように、親との間に
「そうか。でも、三が日は
へたり、と。ヴェール型のメンコが動く気配。
「……やっぱり、閉めるのは元旦くらいにしようかな」
「帰省されるのですか?」
うーん。いや、言い直したことからも分かるとおり、別に明確な予定があるわけではない。
「来年も、きっと忙しいからね。いったん立ち止まる時間も必要かと思って」
この一年、ぼくらがやったことと言えばデビューして条件戦をある程度走っただけ。だというのに、この一年はあまりにめまぐるしい一年だった。
これが来年は、クラシック競走に挑戦することになる。忙しさは今年の比にならないことだろう。
「今年は、いい一年になったと思う」
ぼくは振り返るように言葉を並べる。
「クラシックレース前哨戦への出走を確実にするだけの獲得賞金も積み上げられた。勝利インタビューは毎回ぼくの親友が水を向けてくれるおかげで
「はい」
確認するようなぼくの口調に、合わせて同意を示してくれるスティル。
ちょうど示し合わせたかのように、2人のカップが空になる。
「それじゃあ、休憩終わり。掃除を終わらせてしまおうか」
「はい」
そうしてぼくらは掃除を終えて、良いお年をとトレーナー室を後にしたのであった。
しかし、ぼくらトレーナーに仕事納めは…………ない。
うん。残念だけれどそれはそうなんだ。まあ一年の計は金杯にありとか言うしね。いつの話だよとか思うけれど。
「とりあえず、元旦で同期の研究を終わらせないとなぁ」
学園からほど近い、高級路線のスーパーでぼくはひとりごちる。
同期の研究とはもちろん、この一年でデビュー戦を終えたウマ娘たちのこと、つまりスティルにとってのクラシック期ライバルとなる存在達のことである。
今年は、まあハッキリ言うと楽勝なレースが多かった。というか、勝てるレースをぼくが選別したうえで出走しているので楽勝だった。
なにせ目的はレース経験よりも獲得賞金を積み上げること。これは有力ウマ娘に勝利することによる悪目立ちを避ける目的もあるし、下手に強いウマ娘とあたると、仮にそれが
そう、スティルの問題点はまだ解消された訳ではない。今の彼女はまだ、あの全てをさらけ出した走りをレース場で、公衆の面前で出来るわけではない。
だからこそ、ぼくは楽勝なレースを選んだ。
これはスティルに、基礎的な能力だけでもある程度は勝てるという自信を持たせる結果にもなっただろう。
とはいえ。そして今年を楽勝で
桜花賞か皐月賞か、どちらのクラシックレースを目指すにしても、確実な出走のためには
ここから先はもう、強い相手とのレースは避けられない。
「研究が必要だ」
ぼくはそう言いながらお惣菜コーナーに並べられたおせち料理を手に取る。ぼくは独身だし実家にも帰らないので、こういった
「どなたの研究をなさるのですか?」
と、買い物かごの中にカヌレが現れた。掌に収まるくらいにサイズが小さくて、カロリーのギュッと詰まったお菓子が2つ。
「……きみのことだよ。スティル」
あとお菓子は買わないからな。ぼくは冷静を装いつつカヌレを棚へと戻したが、内心ではそれなりに焦っている。
なぜ、ここにいる? もちろんぼくの内心の呟きにスティルが答えるハズはなく、彼女は買い物カゴを載せたカートを押すぼくの手の上にそっと手のひらを重ねた。
「私自身のこと、ではないですよね」
「きみに関することではある」
まあつまり
「三が日のご予定は、それだったのではありませんか?」
ぼくらは歩く。先ほどまで見えていた店内の商品が見えなくなる。
「休もうとしていたのは本当さ。それにスティルは、実家で過ごすと思っていたから」
「そう、ですね。……でも、ここ最近のところは。ずっとトレーナーさんと一緒でしたから」
うん。いや。うん。それが問題なんだけれどね。
なにせ、スティルとずっと一緒にいた関係で同期のライバルの研究がほとんど何も出来ていないのである。
ぼくも基礎的なトレーナーとしての座学は学んでいるため、過剰に距離感が近づいた担当ウマ娘とトレーナーの間に起こる「好ましからざる出来事」については把握している。その中でも、担当ウマ娘の前で他のウマ娘の話をすることは御法度なのである。
実例としては、メイショウドトウの前でテイエムオペラオーの話をしてはいけないとか……いや、あれは悪質なデマだったかな。あの2人普通に仲いいし……。
「私の、せいですか?」
「いやまさか」
「やっぱりそうなのですね」
「話聞いてる?」
「トレーナーさんの『まさか』は、否定ではなく肯定ですから」
「まさか」
あくまで否定するぼくに、スティルはそっとこちらへ視線を寄越す。
買い物カートを2人で押す状況、被ったぼくの右手と彼女の左手。普段のソファより、重なった腕の1本分だけ近い距離。
「私、構いません。気にしません」
「……」
「だって、私のためだってこと。ちゃんと分かっていますから」
「…………きみの理解が得られたなら、それに越したことはないよ」
なんだろう。すごくイヤな予感がする。
そしてこういう第六感、つまり本能的なモノは、よく当たる。
「トレーナーさん」
「なにかな?」
「もっと効率よく、研究する方法がありますよ」
「そうなのかい?」
「ええ」
ぼくの右手、彼女の左手の上に、さらに彼女の右手が重ねられる。
「私をご一緒、させてください」
「うーん……」
いや、それはダメでしょ。女子生徒をぼくの家にあげるのは……。
……ん? いや、そうか。
「分かったよ。じゃあ、明日は一緒に研究しよう」
「えっ」
ぼくがそう言うと、スティルの手が少しどころか大分震えた。
まあうん。何を考えているのかは文字通り手に取るように分かるよ。ぼくも一瞬そういう文脈かと思ったし。
しかし今回、議題として上がっているのはあくまで「ぼくがいつスティルのライバルたちを研究するか」という話なんだよね。
ぼくは戻したカヌレをカゴにもう一度いれる。
「じゃあ、明日はトレーナー室で集合かな。年始早々で悪いけれど、お詫びにロードワークも付き合うからさ」
ぼくの言葉に、スティルは視線を逸らす。
顔もそっぽを向かれてしまったので、彼女の顔はヴェールに隠れて見えない。
「…………トレーナーさんって」
「うん」
「こういうとき、いじわるですよね」
「まさか」
体力が回復した!