ぼくの愛バはむっつりさん【完結】   作:帝都造営

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スティルインラブ専属
結んで、ほどいて、


 

 

 

「おでかけ?」

 

 

 ぼくは首を傾げた。桜花賞のしばらく前のことだ。

 

「はい。トレーナーさんのご都合がよろしければ」

「デートかい?」

「……っ、今回は、そういうのでは」

「『今回は』ということは、つまり普段はそう(デート)なのか。しらなかったよ」

「とっ、トレーナーさん!」

 

 スティルが腰のわずかに上、お腹の真ん中に添えていた両腕を身体の側面へと寄せて背筋を伸ばす。

 怒っていますよのポーズなのだろうけれど、ぼくにはレッサーパンダの威嚇にしか見えない。

 

「ごめんごめん。それで? どこに行くんだい?」

 

 

 ぼくはスティルと定期的に外へ出掛けている。

 これにはもちろん、理由(名目)がある。

 

 一番多いのはトレーニング目的の外出だ。

 スティルは自分の走りを隠したがっている。とはいえ理事長に毎日猫缶を渡すわけにもいかず(猫の肥満問題もあるが、毎晩コースを貸し切るのは現実的ではない)ある程度は学外の練習場を使う必要がある。

 

 次にロードワーク。学園で行う基礎的なトレーニングでは物足りなくて、学外の施設を借りるほど強度の高いトレーニングをするわけではない場合に行う。

 ちなみに、スティルが「餓えて」しまいそうな気配がした時は「学園のジャージを着ないで」出掛けることもある。

 

 そして最後に、レース場の下見(スクーリング)を目的とした遠征。ぼくとスティルが唯一、学園から公式に認められている外出である(学園生徒の遠征にはトレーナーか教官の同伴が必要なため)。

 

 

 いずれにせよ、きちんと目的のある外出であり、隠す必要もないことである。その道中で多少の寄り道があるのは……まあ、中央のトレーナーなら誰しもやっていることだ。

 ともかくそういうわけで、スティルがぼくを「おでかけ」に誘うことはなかったし、誘う理由もないはずなのである。

 

「仕立て屋に、いきたいのです」

「ふむ」

 

 学生であるスティルには学生服という立派な正装があので仕立て屋に用はない。加えてぼくと一緒に行きたいということは、ぼくに服を用意して欲しいのだろう。

 

「とはいえ、ぼくも正装くらいは持っているよ?」

 

 名家名士の子女を預かる(にトレーニングをつける)トレーナーとして、一応のドレスコードに耐えられる服を用意しておくのは当然だ。

 ……文字通りの一張羅、マ子にも衣装という感じで、全く使ってないけれど。

 

「トレーナーさんに。なにか、お礼をしたくて」

「月謝なら貰ってるけど」

「…………」

 

 事実を言っているだけなんだけどな。

 冷たいスティルの視線をぼくが受け流すと、彼女はわざとらしいため息を吐く。

 

「私の勝負服デザインに、トレーナーさんは口を出しましたよね」

 

 なら、私もトレーナーさんの()()()に口出ししてもよろしいのではありませんか?

 つまり、来るべき桜花賞(G1デー)において、ぼくにも着飾って欲しいということ。

 

「でも、洋服はちょっとね」

「ええ。お母様からも、服は()()()()と」

「それが常識的な反応というものだ」

 

 その常識が、スティルにとっては辛いのだけれど。今回ばかりはお母さんに賛成だ。

 なにせオーダーメイドの服を仕立てれば三桁万円は余裕でかかる。レース界隈ではさしたる額ではないとしても、学生が簡単に動かしていい額ではない。

 

「ですから、ネクタイなどを差し上げられればと考えているのですが、いかがでしょう」

「そうだね。そのくらいなら」

 

 

 


 

 

 

「そういや、ネクタイ新調したんだな」

「……ん。まあね」

 

 ゲート前にウマ娘たちが集まっていく。ファンファーレ担当の音楽隊が演奏準備をするなか、ぼくは関係者エリアへ向かう。

 どうやらギリギリまでついてくるらしい(プレスIDでは出走ウマ娘関係者エリアには入れない)親友は、じっとぼくのネクタイを覗き込む。

 

「珍しい色だ。お前、こういう色合い選ばないだろ」

「うん、ああ。そうだね」

 

 答えてから、今のは生返事だったろうかと不安になる。しかし相手は何も気にしていないようで、手帳に何やらかを書き込んでいる。

 

「(緊張しているな)」

 

 客観的に、そう思う。そう思わないと身体の震えが押さえられないくらいに、緊張している。

 とはいえ、ぼくに出来ることはもうない。ターフに送り出した競走ウマ娘にトレーナーがしてやれることは何もない。

 

「……」

 

 ぼくは思い出す。

 首もとに、流されていく布の摩擦音を。

 

 しゅるりと擦れる音。上手くいかないのがもどかしいのか、口をすぼめたり、頬を緩めたりするスティルの表情を。

 

「慌てない、落ち着いて」

 

 ぼくは、今日の控え室でスティルに言った言葉を反芻する。

 

 慣れていないのだから当然だけれど、スティルは滑らかという言葉からは程遠い手つきでぼくのワイシャツの襟にネクタイを通していた。

 その長さを見極めるように右を引いたり、左を引いたりを繰り返す度に、ぼくの首筋をネクタイが撫でていた。

 

 その感覚が、まだ残っている。

 

 

 ファンファーレが鳴る。

 観客たちの手拍子、たったの340m(2ハロン弱)で1秒ずれるリズムに、全員が合わせようとするが故の不協和音。

 

 人差し指と親指で襟を摘まむ。ネクタイには触れない。

 

『ゲートに収まっていきます、最内枠から……』

 

 ターフビジョン、場内に設置された巨大な画面にスティルの姿が映る。そしてすぐに消える。

 

 彼女の高揚が、ぼくの不安を融かしていく。

 ならば、ぼくの不安は。彼女の高揚を鎮めてしまうのだろうか。

 

「(いや)」

 

 きっと、彼女はぼくの緊張など微塵も感じていないことだろう。

 よしんば感じたとて、己の不安を圧し殺すのに必死なきみは気付かないだろう。

 

 だからきっと、きみも同じように留め具の近くに触れるのだろう。

 あの勝負服に僅かに載る、ぼくの熱を消さないように。

 

 親指で人差し指の腹を撫でる。

 

 あの留め具の感覚を思い出すように。

 あの勝負服に宿る熱を思い出すように。

 

『体勢完了』

「……っ」

 

 ぼくらの紐帯(イト)は、誰にも切れない。

 

 

 

 

 


 

 

 


 

 

 

 

 

 ぱたり、と扉が閉まる。

 

 音を立てないよう、過剰な慎重さによって閉じられた控え室の扉。両手でドアノブを掴んだスティルが、深く深く息を吐く。

 

「お疲れさま。スティル」

 

 ぼくは努めて低く、間違っても感情を乗せないように言葉を紡ぐ。

 ここは控え室。ぼくらは2人きり、無遠慮なメディア(抑止力)はいない。

 

「さて、予定を確認しよう。12Rが終わったらすぐにウイニングがはじ」

「トレーナーさん」

 

 ぼくの言葉を遮るスティルの声。

 それは抑揚のない声。ぼくと同じように、感情を溢れさせないように抑えた声音。

 

 でもスティル、隠しきれていないよ。

 それに、隠さなくていいんだよ。もう。

 

「トレーナーさん」

「スティル」

 

 彼女は勝負服に身を包んだまま、ぼくの方へと進み出る。いや倒れるという表現が正しいか。

 倒れるように重心を崩して、土と芝にまみれた脚を前に出して。ぼくへと距離を詰めてくる。

 

 そうして彼女の両の手が、ぼくの首筋へと迫る。

 

「ひどいひと」

 

 しゅるり、と布の擦れる音。両手でがっちりと掴まれたぼくのネクタイを、彼女は慣れない手付きで解いていく。

 ぼくはそんな彼女を支えるように腰を落とすと、互いに前のめりになりつつあるふたりの足が滑ってしまわないように手を添える。

 

「あなたのせいで、もう忘れられない」

「よかった。満足してもらえたかな?」

「ええ、いいえ」

 

 そうだろうね。

 

「安心していい。正餐(フルコース)はまだ1皿目。次はオークス(メインディッシュ)だ」

「2ヶ月も先です」

「今日まで我慢してきたんだ。できるだろう?」

 

 ぼくの言葉に、彼女の眼に感情の焔が宿る。

 迸る激情を抑える、理性の火もまた、そこに。

 

「今日のインタビューで分かっただろう」

 

 ぼくの言葉に、スティルの目に陰が差す。

 桜花賞を勝利したスティルに寄せられた質問は、想定問答集通りの()()()()()な質問だった。

 スティルの「走り」に言及した記者は、誰もいない。

 

「世間の認識はG1程度では変わらない。きみは単なる桜花賞ウマ娘だ」

 

 もっとも、出走したウマ娘や、同業(トレーナー)には気付かれているだろう。それだけ、スティルの走りは鮮烈で、素晴らしいものだ。

 ……ああ。そういう意味では、気付いても「あえて」口にしない世渡り上手もいるかもしれない。他ならぬぼくが今日まで独り占め(そう)したように。

 

「……トレーナーさんは、こうなることを知っていたのですね?」

「きみの走りを『正しく』世界(みんな)に知ってもらう。そのために必要な手順だよ」

 

 ぼくはきみを世界に認めさせると言った。とはいえ、時期までは指定していない。

 

「トリプル・ティアラを戴冠するまで、あなたは私を隠し通せるとお思いで?」

「隠すよ。なにがあろうと」

 

 ぼくの言葉に、スティルはネクタイを握る手に力を込める。

 質問を変えます、と彼女は言った。

 

「……あの子達(私に勝てないウマ娘)が、それまで保つとお思いで?」

「きみ、テーブルマナーは得意だろう?」

「はい。でも……」

 

 あえて挑発的な言葉を選んだぼくに、彼女は微笑む。

 それは沸き上がる感情を映す、透き通った笑顔。

 

「私、我慢できなくなってしまいそう」

 

 そうだろうとも。

 一度G1の味を知ってしまえば、きみは格下狩りで餓えをしのぐこともできなくなる。

 

「トレーナーさんは、わかっていたのですね?」

「ああ、分かっていたよ」

 

 だから、ぼくを理由にしてくれていいのだ。

 ぼくは純真無垢なウマ娘を誑かす、悪いトレーナーなのだから。

 

「本当に、わるいひと」

 

 ネクタイをほどいたスティルが、両手を襟元からうなじへと這わせる。

 細く滑らかな指が、ぼくの肌と髪の境目を撫でる。

 

「そうとも」

 

 ぼくは応じるように背中に手を回し、留め具を探る。

 緊急時の救護を容易にする目的もあり、競走ウマ娘の勝負服は見た目に反してシンプルな構造となっている。

 

 なのでこうして、いくつかの留め具をぱちぱちと外すだけで……。

 

「えっ」

 

 スティルの表情が一瞬リセット。

 そりゃそうだ。身体に密着しているはずの衣装が()()()()()()になれば、誰だって思考が止まる。

 それこそ、沸騰しそうな熱情すら()()となってしまうほどに。

 

「さて、落ち着いたかな」

 

 ぼくはネクタイを畳んで仕舞うと、真っ赤になって勝負服を抑えているスティルに背中からタオルケットをかけてあげる。

 

「まずは身体を拭って、それからウイニングライブの準備をしよう」

 

 ぼくを見ているスティルの瞳に、いや表情全体に感情が溜まっていくのが分かる。

 それを直視したくないので、ぼくは予備の、つまりウイニングライブで着ることになる勝負服を収めたロッカーに向けて足を進める。

 

「あ、そうだ。桜花賞制覇、おめでとう」

「……」

 

 

 ひゅん、と風切り音。

 聴こえるより早く足に走る鋭い感覚。

 

「痛ッた!? …………スティルさん?」

「失礼、尻尾が当たってしまったようですね」

「………………」

 

 

 

 

 

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