眩惑されるは、不可視の影。
ぼくは喧騒の中にいる。
「注文おねがいしまーす」
「……お陰さまでデッドラインにアジャストできたワケです。プロジェクトのクローズ後はですね、サポートセクションにハンドオーバーしまして……」
「注文おねがいしまーす」
「……無重力空間での中口径実体弾使用は極めて理にかなっているんだな。庵野マゼランはやられ役のモヴなどでは断じて……」
「「「アパートにょきにょきニョッキッキ!」」」
「あのー、注文おねがいしまーす」
「当店、お机のQRコードから注文となっておりますぅ」
流行りの横文字、タブレット端末も導入しない経費削減。謎の掛け声で騒ぐ学生グループ。
ぼくを包囲する喧騒はまさに社会の縮図。
だからこそ分からない。
「意外です。こんな場所をご存じだなんて」
「ふふ。そうでしょうか?」
数多くのトレーナーを輩出してきた桐生院家のご令嬢が、こんなところにいることに。
「
「(あっ、これは深入りしない方がいいな)」
彼女の綺麗な横顔、その視線が見据える面影を察してぼくは軽く咳払い。
ウマ娘同士の恋愛に口を挟んで蹴り殺された賢人ウマラテスの逸話は有名だ。同じ轍を踏む理由はない。
「……それで、今日は何を伝えに来たのですか?」
あとついでに、こんなところを選ぶに至った理由も教えて欲しいのだけれど。
「
「……」
ぼくは肩を竦めるに留めておく。頭の中に渦巻くのはどうしようもない感情ばかり。
本題に入りますね、と桐生院トレーナー。
「あなたと、あなたの担当ウマ娘の距離感について……適切な距離感はどこにいった。と」
ほら、やっぱりそれだ。
明らかにオークスでの『アレ』を意識した物言いにぼくはため息ひとつ。
「……そういった、親切な助言があったそうです」
「親切な助言、ですか」
こういう場合の「親切」が押し付けどころか抑圧なのは議論の余地もないところ。
もちろん、ぼくも彼らの言いたいことは分かる。
オークスでのスティルの振る舞い……ゴール板を駆け抜けた後も茫然自失といった様子で、近づいたぼくに
幸い、ぼくが彼女を抱き締める格好とした為に彼女の行いが露見することはなく、メディアの
とはいえ、それは「悪くない」だけ。
ランナーズ・ハイで興奮した競走ウマ娘が、抑えに入ったトレーナーに抱きついた……あり得ることではあるけれど、その距離感を好まざらしかるものとする人は多いだろう。
「きっと、皆さんそう仰るのだと思います。トレーナーと担当ウマ娘は適切な距離感を保つべきであると……トレセン学園は、婚活会場ではないのですから」
「なるほど、いい言葉ですね」
トレセン学園は婚活会場ではない。
建前はそうだ。当然。
だから女性(ウマ娘含む)
……ゆえにこそ、
「『トレセン学園は婚活会場ではない』、当たり前のことをわざわざ強調する。うん、素晴らしい言葉だ」
ぼくの言葉に、桐生院トレーナーが返すのは業務用の微笑みだけ。これで十分絵になるのだから、良血を編み込まれた名家の令嬢というのは恐ろしい。
……良血、血統の
ぼくは担当ウマ娘を思い出す。
きっとスティルも、
良い血を、強靭な肉体を、素晴らしき才能を。
この世界の未来を担う人材を産み出すために。
『そうした歴史の上に……わたくし、スティルインラブは産まれ落ちたのです』
「とはいえ、
子の結婚相手を親が世話するような時代ではない。
親族が核家族と呼ばれる最小単位に分割されたことでにより仲人なる結婚の仲介人は霧散し、結婚相手はオークションアプリを
もちろん、
「ま、ここはぼくを悪者にしておいてくださいよ」
ぼくは立ち上がると、自分の端末で会計ボタンを押す。
「壁は高い方が、壊しがいがありますからね」
そうして会計を済ませるために足を出口の方へと向けた、その時。
「お待たせしましたぁ、自家製手作りプリンが4つでございまぁ~」
突然テーブルに置かれる瓶入りのプリン。
首を傾げる桐生院トレーナー。
「あれ? プリンなんて頼んでなかったような……それに、4つ?」
「………………」
一方のぼくは頭を抱えた。
いつの間にかテーブル上のQRコードを読み取り、プリンを勝手に注文する……それも、誰にも気付かれることなく。
「そんなに、プリンを食べたかったのかい?」
そんなことが出来るのは、ぼくの担当ウマ娘以外にいるはずがない。
「ええ、とても美味しそうでしたので」
「スティルインラブさん!?」
「……きちゃった」
「ミークまで?!」
驚く桐生院トレーナー。ぶい、とVサインを作るのは桐生院トレーナーの担当ウマ娘。白い巨塔ことハッピーミーク。
「トレーナーさん、勝手は許しませんよ」
そしてスティルは、ぼくの腕を両の手で撫でる。滑らせるようにして腋の下へと腕を絡める。
当て付けのような距離感の詰め方。きみ、いつから話を聞いていたんだい?
ぼくは足に絡む尻尾を座面で挟んでしまわないよう、慎重に腰を降ろす。
ぼくが離席を諦めたことを悟ったらしい桐生院トレーナーも、座席の位置を調整してミークを隣に座らせた。
「……なんにせよ。ぼくにはぼくの考えがあります。『親切』には感謝を示しますが、それだけです」
とはいえ、それで状況が好転する訳でもない。
そもそも桐生院トレーナー(を寄越した誰か)の目的はぼくとスティルに「適切な距離感」とやらを教えてやるというものであり、ぼくとしては「この状況のスティル」から距離を置くわけにはいかない。
「(というか、そもそも……)」
ぼくは隣のスティルにそっと目配せ。彼女の意識の半分くらいは桐生院トレーナーへと注がれている。
そこには、
「スティル、いけないよ」
「……っ」
スティルがぼくを見る。
そこに顕れるのは、ありありとした不安。
きみが自由になればなるほど、きみの
「ぼくだけをみて」
「トレーナーさん」
対症療法だ。そんなことは分かっている。
けれど今のスティルは焦りと怯えに挟まれている。自由な自分でいられるようになったのに、いや
でも、きみはこれを乗り越えなくちゃいけない。
どうしようもない世界に喰われる前に、きみが世界を喰わなきゃいけない。
「できるね? スティル」
さあ、次は己を越えよう。
秋のG1シーズンに向けて、夏の調整期間が始まる。