ぼくの求めていた走りに出会った。
そしてぼくはトレーナーだ。当然、そんな走りを見つけてしまったならスカウトせずにはいられない。
「とは言ったものの……」
あの日の野良レースはあくまで、東京の向こう側。千葉での出来事だ。
ガラの悪いウマ娘に絡まれたパーカーのウマ娘が、空を晴らすような走りで完勝、いや圧勝……
「違うな、蹂躙だ」
あれは文字通りの蹂躙だった。
野性的で、どこか粗暴で。本能の赴くまま、走る。
「うん。やはり素晴らしい走りだった」
レースはかくあるべしとばかりの走り。
本能に、生命の核心に結び付いた走り。
「……でも、まあ。
なにせここは中央、レース科学の先端をゆく日本ウマ娘トレーニングセンター学園である。
あの走りは確かに素晴らしかったけれど、学園の教官やトレーナーが教える
中央の走りはどこまでも合理的だ。スポーツ科学に、骨格に基づいた走り。身体に負荷のかかりづらい、つまり全てのエネルギーを効率的にスピードへ変換する走り。
そこには速さこそあれ、ぼくが見つけた生命の輝きはない。だから
内実を知ってしまえばなんてことはない、統計上の期待値から上振れることを期待してウマ娘を育成するだけの場所。
やはり、
彼女
「ここでぼくが、彼女を追いかけてスカウト出来るくらいの実績かコネを持っていれば良かったのだけれど……」
前者はぼくが新人トレーナーなので無理。後者は……そんな努力を出来るくらいなら彼女に出会えていないか、却下。
「はぁ、結局こうなるのか。ぼくは」
つまりは泡沫の夢、白昼夢だったと。
すると残されたのは現実だけである。
「昨日は目一杯理事長に帯同したから猶予は稼げたと思うけれど、いい加減に担当ウマ娘を見つけないとなぁ」
さもなければ教育名目でチーム送りだ。
「はぁあ……あのパーカーのウマ娘みたいな子、どこかに落ちてないかなぁ」
そんな都合のいいことは起こる筈もなく、ぼくは学内をふらふらしていた。中休み時間がやってきてチラホラ生徒が廊下に出てきたので、逃げるように学生寮エリアへ。
「……ん?」
とそこで、学生寮の一角。並んで干された物干し竿に見覚えのあるパーカーが掛けられているではないか。
「まさか、いや。落ち着け、既製品のパーカーなんて世にごまんと出回っているんだぞ」
しかし確かめないわけにはいかない。早速ぼくは物干し竿……ではなく学生寮の維持業務を担当する寮母さんのところへ。
「すみませーん」
「おや? 君は確か、新人トレーナーさんかい?」
こちらの顔を覚えているらしい寮母さん。
「はい。そうですそうです、ちょっと質問なんですけれど。そこの物干し竿って寮母さんが管理してるんですか?」
「もちろん。あの子たちの大切な洋服が、太陽のもとでしっかり乾くように、そして雨に濡れないようにね」
「となると、それぞれの部屋に後で返さないとですよね。管理はどうやっているんです?」
「ああ、それはほら。あそこをみてごらん?」
寮母さんに促されてみると、竿の端には数字のかかれた布がぶら下がっている。
「なるほど、部屋番号で管理しているんですね」
「そういうことさ」
「ちょっとみていってもいいですか? 参考にしたくて」
「参考というと、チームを立ち上げるつもりなのかい? 野心的でいいね! 応援しているよ。あぁ、分かっていると思うけどお触りはダメ*1だからね?」
「はは……ありがとうございます」
よし。とりあえず許可は得た。あとはいい感じに視察する感じで目当てのパーカーが干してある竿へと向かい、部屋番号を把握する。
「それで、あとはデータベースを調べれば……っと」
教員向けの情報検索窓が結果を表示。生徒番号と登録競走名、学年とクラスが表示される。
「該当者は、ネオユニヴァースとスティルインラブ」
そしてぼくはネオユニヴァースのことを知っていたので除外。つまり候補はただひとり。
「スティルインラブか。よし、当たるだけ当たってみよう」
そういうわけでぼくは教室棟エリアへと向かう。学園のデータベースに顔写真は乗っていないので、デビューしていないウマ娘であればクラスに行かないと分からないのだ。
そうしてクラスへと足を運んだぼくだったが学科教室に移動したらしくクラスはもぬけの殻。
「うーん。つくづく運がないな」
もうすぐ授業がおわる。午前中の授業が終われば昼休み。生徒たちはカフェテリアに向かってしまうだろうから、スティルインラブはおろか彼女の同級生を見つけることもできないだろう。
「出直すか」
というわけでトレーナーの居場所であるチーム棟エリアへ帰ることに。
その道中に授業終了を報せるチャイムが鳴り、教室からぞろぞろと学生服に身を包んだウマ娘たちが出てくる。掲示板の「廊下は静かに走る!」の標語通り、紫ベースの学生服が清流となる。向かう先はやはりカフェテリアだろうか。
その中、ひとり。突然くるりと踵を返すウマ娘。
「!」
あまりにも
その動きはまるで、危険を察知した
それをぼくは、気付けば追っていた。カフェテリアへと向かう清流を逆らう形で、どうにかこうにか……。
しかしもちろん、学園生徒を押し退けて進めるハズもなく、逃げるウマ娘はあっという間に角の向こうにいなくなってしまう。
ああ、ダメかとぼくは半ば諦めながら角を曲がる。想像通り、そのウマ娘は影も形も……
「……」
いた。影どころか形があった。まるで先ほどはなんでもありませんでしたとばかりに歩いている。
むしろ不自然なくらいである。先ほどまでの脱兎のごとき必死さはどこへ……そこでふと、ぼくはあることを思いつく。
「……」
「…………」
歩いてみる。彼女のあとを、少しだけ速度を上げて。
「……」
「………………」
思った通り、彼女とぼくの距離は縮まらない。
ぼくの足にあわせて、彼女は速さを調節している。
「……」
「……………………」
時間はたっぷりある。だからぼくは、彼女をじっくり観察した。
髪色は栗毛、メンコは両耳かつ後頭部までを覆う珍しいデザイン。飾りつけは朱色を取り入れながらも基本は無地で、それがまるで花嫁のレースのごとき雰囲気を纏わせるに至っている……そして、その重装備なメンコが、ぼくに彼女を昨日のウマ娘だと気付かせるのを遅らせたのだろう。
尻尾に目をやれば、彼女もまた学園生徒の例に漏れず完璧な手入れが施されている。そしてそれは今、主人の焦りを反映してかぎこちない動きをしていた。
「……」
「……………………」
歩幅は一般的なそれよりも、やや狭いだろうか。体格からすればもう少し大きく取っても良いかとも思うが……ともすれば、まさか大股で歩くことが恥ずかしいとでも言うのだろうか。
それは妙な話だ。なにせウマ娘とは、大股で大地を飛び越える存在なのだから。
「……」
「……………………」
それをわざわざしない、しかしぼくからは逃げようとする。しかも可能なら逃げたと気取られぬように?
とすると、もしや彼女は。ぼくが昨日、野良レースを眺めていた人物であることを理解している?
「スティルインラブさん」
「……!」
ビクリ、と尻尾が跳ねる。彼女は足を止めると、ぼくの方を見た。
「……私の、名前。知っているのですか?」
「他にも知っているよ。スティルインラブ、栗東寮の高等部。契約はなし、選抜レースの出走はナシ。そして……」
そう、そして。素晴らしい走りをする。
「君と契約したい」
「……!?」
彼女の顔が驚愕から恐慌に変わる。そんな変なことを言っただろうか?
「い……」
「い?」
「い、いや……です」
「…………」
いや。そりゃそうなるか。
追いかけ回した挙げ句、突然「契約しよう」である。ぼくが彼女の立場でも断るだろう。
「わかった。じゃあ出直すよ」
とはいえ、それで諦める訳にはいかない。とにかく今は一旦引いて……。
「わ、忘れてください! あの時のことは」
「あの時というと、昨日の?」
「……そ、そうです。あれは、違うんです」
「そうかな。ぼくにとっては素晴らしい走りだった」
「ちがくて!」
彼女はふるふると首をふる。レースのメンコと、結われた栗毛が揺れる。
「あれは、その。悪夢、悪い夢なんです」
「そうなのかい?」
「はい。決してあのようなことは……」
あのようなことは、許されないのです。
「ふむ。どうして?」
「あ、あのような走りは、正しくありません」
なるほど。確かに、あの走りはレース科学の道理からは外れている。
地元の走り屋ウマ娘を恐怖させるあの走り、獰猛で、品位の欠片もない……中央トレセンに送り込まれるような令嬢ウマ娘にとっては悪夢のような走り。
「悪夢か、なるほどね」
「で、でしょう? ですから、あんな走りでスカウトは、されたく……ありません」
「けれど、悪夢も夢だよ」
「な、なにを……」
「ぼくは君の悪夢に夢を見たんだ」
契約しよう、スティルインラブ。