顕現する演舞、後背の文法。
音楽が流れている。
よくあるクラシックや、聞き慣れたファンファーレとは異なるリズム。
それは観客の心を鷲掴みにして、スポットライトの真ん中へと視線を誘き寄せる引力となって会場を支配する。
『青コーナァー……イズカム・ツァーリィ!!!』
アナウンスが喉が張り裂けそうに叫び、真っ青なマスクを被った半裸中年男性がロープをくぐる。
観客の歓声がドッと沸いたところで、画面を一時停止。
さて。ぼくが何を観ているのかと言うと、プロレスリングである。
わざわざ「プロ」と頭につく通り、これは単なるスポーツとしてのレスリングではない。
格闘技を「魅せる」ための場所。
故に、レスラーたちは相手の技を
一辺10メートルに満たない正方形のリングは3本のゴムロープに囲まれた現代の
コンマ1秒単位で繰り広げられるアドリブや、相手の得意技を受け止める覚悟。
……微かに混じる
「トレーナーさん?」
「おっと」
視聴に夢中になっていたせいか、すっかり彼女の足音に気付いていなかった。ぼくは画面から担当ウマ娘へと向き直る。
「すまない、気付かなかったよ」
「いえ……何を観ていたのですか?」
「プロレスだよ。参考にならないかと思ってね」
「参考に……?」
いったい全体なんの参考にするのかと言いたげな顔をするスティル。ぼくはリモコンを操作して別の動画を呼び出す。
『エルの勝ちデース!』
エルコンドルパサー。ジャパンカップ制覇、凱旋門賞は惜しくも2着という文句のない成績を持つ競走ウマ娘。
「彼女のパフォーマンスはプロレスラーのそれを参考にしているらしい」
もちろん、そのまま参考に出来るものでもないのだけれど……。
…………。
「トレーナーさん?」
「いや、なんでもないさ。なんでもないとも」
ニコニコしているスティル。ぼくは話題を逸らすように咳払い。
「新しいアプローチというのは、端から見れば突飛なものだよ。常にね」
「ええ、もちろん。そうですね?」
同意してくれるのなら、そのお面みたいな笑顔をやめてもらってもいいかな?
次の言葉を探そうとするぼくに、スティルはくるりと背をむけて応接セットへと向かう。ぼくも立ち上がりあとに続くけれど、今日の彼女は応接セットの向かい側に腰をおろした。
そう、
「実は、お願いしたいことがあるのです」
「なにかな」
「はい」
スティルは何枚かの書類を取り出す。
何かの申請フォーマットのようだけれど、見慣れない書式のそれは……。
「聖蹄祭の
聖蹄祭。それは日本ウマ娘トレーニングセンター学園における学園祭。
生徒たちが自主性を発揮し、思い思いのアイデアを形にして……そんな成功体験を得るための
「はい。出来ることなら、チームの名義で」
応接セットの向こう側、両膝を揃えて手を添えて。正しい姿勢の上に、理性を湛えた瞳でぼくを見据える。
「チームの名義で、ね」
どうやら、なにか考えていることがあるらしい。
さて、どうするかな。
「うん。まず前提として、チームと学園が別組織なのは知ってるよね?」
まあほとんど有名無実な
なにせ、
聖職者たるべき教師と学園に、そんなことが許されるとでも?
「だから、ぼくらトレーナーは学園内で〈チーム〉を
「世界の関節が外れてしまわないために、ですね」
やれやれ、誰がスティルにこんな悪知恵を吹き込んだのやら。
ぼくはじっと見つめてくるスティルに肩を竦めてみせる。
「チーム名義で出展する。それ自体は構わないけれど、クラスの出し物としてやった方が
なにをするつもりなのかは分からないけれど、こういった催し物の運営は、とにかく頭数を揃えなくては始まらない。
例えば模擬店。喫茶店や屋台、キッチンカー。どんな形態を取るにせよ、接客担当に調理担当、そして会計担当は必須となる。
シフト交代や材料調達などの裏方も含めたら二桁の生徒は欲しい。
では当日の人員が少なく済むパネル展示は? 今度はその展示物を用意するために莫大な準備期間が必要となる。
最悪ひとりでも出来なくはないけれど、ひとりで教室を埋め尽くす展示物を作成するのは……相当に骨が折れることだろう。やはり参加者は多いにこしたことはない。
これがクラスや、複数のサブトレーナーに数十人の競走ウマ娘を抱える大規模チームの
「いいえ。その必要はありません」
「うん?」
聖蹄祭当日。
「ラヴミー、ラヴユー♡ ラヴズオンリーユーと……」
「スティルインラブと申します。皆さま、はじめまして」
仮設の水道やシンク、コンロを備えた簡易キッチン。
そんな施設を一通り画角に収めるように配置されたスマートフォン。単なるコンテンツ消費には過剰も過剰なハイエンドモデルが、今日のカメラマン。
そして被写体は、スティルともうひとり。
「今日は聖蹄祭! 会場のみんなも画面の向こうのみんなも、楽しんでいるかな?」
彼女の名前はラヴズオンリーユー。
「スティルインラブさん、考えたな」
納得したように頷くのはぼくの親友。
目テレG+の
「……よく分からないな。模擬店でもなければ、具体的なファン交流があるわけでもない」
まして固定カメラを設置して撮影するだけなら、単なるライブ配信でいいはず。
そんなぼくにお前は何も分かってないと彼は言う。
「ライブを生でも観られることに意味があるんだ」
「
「お前な……じゃあレースが中継されてたら全部配信でいいのか?」
それは困る。
配信で流されるレースは興業向けに加工された偽りのそれ。ぼくが求める本能の走りと、燃え盛る炎の激突は存在しない。
……いや、存在はするのだろう。けれど
「とにかく、だ。こういうのには『生でも観られる』こと自体に価値がある。聖蹄祭に足を運べば観られるし、そこまでのコストを払えなくても配信で観られる」
そういう高付加価値と裾野の広さに意味があるのだと彼は言う。
「なにより、珍しいだろ。スティルインラブさんが料理をしている姿なんて」
なるほど確かに、ぼくもスティルが料理をしている姿をみるのは初めて。
スティルが
「まして
「そりゃね。チーム名義で出展するというのがスティルの要求だったわけだし」
「なら聞かせてもらうが」
そして彼は手元の端末から目を離し、目の前に設営された簡易キッチンを見やる。
「調理実習向けの家庭科室があるのに、なんで仮設の調理場を用意したんだ?」
「それは公平性の問題、かな」
家庭科室は普通に模擬店を運営したい学生グループも使うから、独り占めはできない。
それは正しいことだ。
それが
「それじゃ、あの機材はどこから? お得意の猫缶か?」
「おいおい、理事長は
ヒシミー電機にタケノリ食器、ワダイ建設。協賛を持ちかけた企業たちは喜んで機材を提供してくれた。
もちろん、彼らは
「俺たち
「ぼくらは
「お前、それでいいのかよ」
「ぼく個人に限っては、よくないね」
けれど、これはスティルが望んでぼくが受け入れたこと。つまりはぼくたちの
そして
「さぁ~て。それじゃ、いよいよメイン・デッシュにいっちゃおう♡」
「はい。参りましょう」
その欲望の一端、画面に注がれる視線を一身に浴びながらスティルは手を動かす。
ぼくは考える。
スティルが、この画面で「なにを描きたいのか」を。
史上2人目のトリプル・ティアラ。それ自体は間違いなく快挙。もちろん称賛の雨あられは降ってきている。
けれど例の写真集は決して飛ぶように売れたわけではない。衆目の視線は決して彼女に焦点を当てていない。
……とはいえ、だ。このような配信活動がなにかを変えるのだろうか?
加えて言うならば、このように衆目に
答えは否、全くもって否である。
「スティル。きみの望みは……」
ぼくが舌の上で転がす問いに、きみは答えない。
今のきみは、ぼくの想像のラチの外にいる。
「いや、うん。そうだな」
いつかは終わるのだ。
きみの走りで全てを焼きつくし、そうしてきみの競走生活は終わるのだ。
だから、うん。スティルはその先のことを考えているのだろう。うんうん。
別にそれは、むしろ。喜ばしいことじゃないか。うん。
「さ、これで完成ね♡」
「はい。このフルコースにて、私の本日までの足跡を表現させて頂きました」
さて、気付けば出展企画も佳境を迎えた様子。
この後の撤収の流れを考えるぼくに、視線。
瞬間、仮設キッチンの彼女と目が合った。
「……なんだい、スティル?」
ぼくの声は届いたはずだが、彼女は答えない。
代わりに口を開いたのはラヴズオンリーユー。柔らかな調子で、絞めるように言う。
「それじゃあ、今日の特別ゲストを紹介しちゃうね」
このラヴをこめて作ったお料理。それを食べて欲しい人がいるんだよね~?
左腕が掴まれる。
ガシリ、とそれはもう力強く。
「おいおい。親友のぼくを売るのかい?」
「あいにく、高値で買ってくれるらしいんでね」
ひどいじゃないか。ぼくは売り物じゃないんだぞ。
ぼくは下半身に力をこめて重心を落とす。
「抵抗するな。
「そうだぞ、往生際が悪い」
今度は右腕まで掴まれる。誰かと思えばラヴズオンリーユーのトレーナー。
「まてまて、トレーナーはそう表に出ていくものじゃない。きみなら分かるだろう?」
「それでも、担当と夢の架け橋になるのが俺たちなんだ」
ウマ娘ほどではないにしろ、大の大人2人に挟まれては流石に抵抗しきれない。
仕方がないので、やれやれとぼくは前に踏み出し……画面の中央、仮設キッチン前のテーブルへ。
もちろんスティルの恥となってはならないから、正しい所作を心がける。
「これで満足?」
ぼくの問いに、スティルは微笑む。
目の前には可憐に盛り付けられた3つのお皿。春の息吹、初夏の大樹、そして秋の実りを思わせるメニュー。
……さて。ここでぼくに求められる役目となると。
ぼくは集音マイクの位置を確認して口を開く。
視聴者たちが、一言一句聞き漏らすことのないように。
「しかし、あれだね。このコースは素晴らしいけれど」
ぼくの言葉に、スティルは気持ち声を弾ませながら応える。
「それと、食後のコーヒーも欲しいです」
「
ぼくは挑発。
今年中にG1をふたつだって? 我ながら愚かなレーススケジュールだ。
スティルは目を丸くする。
そして、細める。
「……よろしいのですか?」
「きみが望むのなら、そうしようか」
あくまでリップサービスだ。
それに、
しかし、それでも。
「それじゃあ、実食タイムといきましょ♡」
おあつらえ向きに司会進行が促してくれるので、ぼくは素敵なコース料理に手を合わせた。
「