喫茶店を出てすぐそばにある、野良レース場での1600メートル。
それがメジロラモーヌの指定したレース内容だった。
「ふーむ。分かってはいたけれど……」
そしてスタート位置についたスティルインラブは、パーカーを被ったまま。
「あら。そんな格好でいいのかしら」
「…………」
ぼくはメジロラモーヌのとなりで、所在なさげにふたつの腕を胸の前へと寄せた彼女を観察する。懸念通りというべきか、やはり彼女は。
「あくまでも、品格を保とうとするか」
それはメジロラモーヌという明らかな有名人がいるから、というのもあるだろうが……きっと一番の理由はトレーナーであるぼくの存在だ。
なにせ、彼女は自分の本能に依った走りを不適切、不正解なものだと定義している。そしてトレーナーであるぼくは「それ」を素晴らしい走りだと言っている。
そして厄介なことに、トレーナーとはウマ娘を走らせるためなら何でもやる連中だ。だからスティルインラブも、ぼくから逃げられないことを本能的に理解している。でなければ学園で再会したとき、1ミリ秒の思考も挟まず逃げることはできなかったはずだ。
こんな状況でトレーナーから逃れる手はひとつ。失望されること。
「位置について」
「あら。もう始めてしまうの?」
このまま始めたら私が勝ってしまうわよと言わんばかりのメジロラモーヌ。
「位置について、よーい……」
有無を言わさず手を掲げるぼくに、スタート体勢を取るラモーヌ。つられるようにスティルインラブも体勢完了。
「はじめっ」
振り下ろされた手より早く芝が跳ねる。スタートに大きな出遅れはない。順調に加速していく。
「よし……」
そしてぼくも走り出す。目指すは最終コーナー、仕掛けどころ。
その隙にちらりとスティルインラブの様子を見る。さすがにデビュー前のウマ娘とG1ウマ娘となれば地力に差がありすぎる。走っているだけでも突き放される。
「くぅ……!」
そして、それでも決定的な差にならないよう食い下がるスティルインラブ。
「うん、正しいね。
まるで学園の指導レースを見ているようだ。ペースにあわせ、脚を使いすぎずに集団に追従する……そんなこと、ちょっと学べば誰でも出来る。というか誰でも出来るからこそ、どんなレースだって最終直線に向かうまでは勝者が分からない。
だが、最終直線で抜け出すウマ娘はいつだって一握りだ。
正しいことは勝利に結び付かない。適切なことが正解とは限らない。
だからこそ、ぼくは最終コーナーに向かうスティルインラブに向かって、叫ぶ。
「勝ったら『フルーツ巨大パクパク』無料!」
「えっ……ええッ!?」
なんでこのタイミングで?
本当に無料になるの?
お代を払ってくれるの?
今すぐ食べたい、けど本当にいいの?
というかレース中なのに!
そんな、さまざまな考えがよぎるスティルインラブの横顔が通りすぎていく。そんな彼女のとりとめのない思考を一言で表すなら、ぼくの発言に対する疑問だろう。
「その状態こそがぼくの狙いだよ」
つまり、無駄なことを考えさせること。頭の中身をノイズまみれにすること。
そうすれば君は、その考えを振り払おうとして……。
「だめっ、集中……!」
頭を振ったスティルインラブ。それが彼女を覆い隠していたパーカーを
「うん。勝ったね」
ウマ娘は走るために生まれてきた。
……違う。走れなかったウマ娘は歴史に消えた。
走ったウマ娘だけが残った。走れたウマ娘だけが。
レースは社会の縮図だ。レース運びの定石やら、妨害に関する規則やら、決勝線でだけ決まる勝敗とか。雁字搦めの常識、ルールの中でもがくように走っている。
けれど、近代レースのルールなんてここ100年ちょっとで作られたものじゃないか。
これまでウマ娘たちが紡いできた
なるほど彼女は聡明なのだろう。自らの走りを常識の枠に当てはめ、それを制御するだけの理性を持ち合わせているのだろう。
しかし、だからなんだ。
何十億年と紡がれた
「走っていいんだ、スティルインラブ」
君の、心のままに。
「…………あなたは、酷いヒトです」
「そうかな?」
「そうですよっ」
スティルインラブはどうやら怒っているらしい。パーカーを深く被り直して、目の前のフルーツ巨大パクパクに長くて細いスプーンを差し込む。
「レース中に……トレーナーがすることは……仕掛けのタイミングですとか……」
「うんうん。全部聞いてあげるからまずは食べようか」
それにしても、やはり素晴らしい走りだった。ぼくはフルーツをひとつひとつ味わっているスティルインラブを眺めながらに思う。
しかしまた同時に、課題も見えた。最後の直線、いい動きを見せたスティルインラブは結局メジロラモーヌを差しきれなかったのだから。
「となれば、君に必要なのはより強い相手との実戦経験だ。強い相手が分からないから、どこまで力を出せば勝てるのか分からない。つまり……」
「……んくっ、ちょっと待ってください」
スティルインラブがパクパクを崩す手を止める。細い喉を鳴らしてフルーツを嚥下。
「私に必要なもの? 私、忘れてくださいっていいましたよね?」
「言ったね。でも約束はしていない」
「……それは」
「まあまあ、ぼくが買ったパクパクを食べている間くらいは聞いてくれよ」
そうぼくが言うと、彼女は不満顔ながらもパクパクを崩す作業に戻る。
「……んっ、うぅん。…………」
クリームと具材の相性がいいのか顔が緩む。
「今日、よく走れただろう?」
ぼくのことを思い出したらしい。ところが早く食べ終った方がいいとばかりに真剣な顔つきに戻る。忙しないな。
「気持ちよかった。だろう?」
ぼくの言葉に彼女は一瞬だけこちらを見る。
それは、こちらを
「……結局、試されているのはぼくの方か」
いや、そうでなくては。
トレーナーという資格を持ち、
「うん。なら、ぼくを利用しなさい」
ぴたり、と彼女の手が止まる。
「もし君があの走りを拒むのなら、ぼくを拒めなかった理由にすればいい」
その眼が、じっとぼくを見据える。
「……私は、私のことが怖いのです」
「知ってるよ」
だからこそ己を律して、型にはめた「レース」をしようとしている。
「でも君は結局、その走りを押さえ込まなかった」
「それは」
「うんうん。理由があったよね。走り屋ウマ娘に絡まれた、ぼくに余計なことを言われた」
しかし理由さえ与えられてしまえば、それに流されてしまう程度には。
「君は走りたいんだろう?」
「…………」
彼女が眼を伏せる。パーカーに隠すようにうつむく。
だからぼくは、手を伸ばしてソレにそっと触れる。
「……!」
「だから、ぼくが理由になってあげよう」
その程度で君が走れるのなら、安いもの。
すると彼女は、パーカーにかけたぼくの手を、いや腕をつかんだ。思ったよりも強く握られる。
「あなたは、自分が何を言っているのか分かっているのですか?」
「分かっているとも。君に向き合うと言っている」
「
「そうなのかい?」
「私はまだ、あなたに私の本当の姿を見せていないのですから」
「見せていない? 少しも?」
「ええ、欠片ひとつも」
「……ほう」
なんと、それは。
それが本当なら。
「素晴らしいな。あの走りに、さらなる高みがある」
その言葉に、スティルインラブが眼を見開く。ぼくは至極トレーナーらしいことを言っただけだと思うけれど、それが彼女には意外だったらしい。
「いいね。なおさら気に入った」
ぼくは彼女のパーカーから手を離す。
ひとまず分かったのは、彼女を覆うヴェールはこんな簡単に剥いでしまえる布製品ではないということ。
「後悔します、きっと」
「それはしてから考えるさ」
「……どうしてそんなことを言えるのですか?」
スティルインラブが問いかけてくるのは、理由。
なら答えは簡単だ。
「見たいから。ありのままの、君を」
「…………」
隠していると、隠すほどにソレが大きくて。
なおかつ本人が心の奥底では解放したいと思っているのなら。
「契約しよう。スティルインラブ」
「……」
「君の全てを、暴いてあげるよ」
沈黙。
それからスティルインラブはパクパクにも手をつけず、静かにぼくの言葉を飲み下した。
「……責任、とっていただきますから」
「うん。契約とはそういうものだからね」
互いに持ち寄り、成果とそれに伴う責任を共有する。それが契約というものだ。
「じゃあ、決まりでいいかな?」
「ええ。トレーナーさん」
そしてスティルインラブはスプーンでフルーツ巨大パクパクの底をすくう。そこには店内の照明を浴びて輝くクリーム。
それをパクりと口にして、そして。もう一度すくう。
豪快な食べっぷりだなと思うぼくの目の前に、そのスプーンが差し出された。
「うん?」
もちろんその上には、クリーム。きっと舌が溶けそうになるくらいに甘いそれ。
「私がこれから喰らう全てを、トレーナーさんも共有するんです……それが、契約というものですよね?」
「なるほど。なるほどね」
スプーンを差し出す彼女の、その眼の奥。
……これが「彼女」の片鱗というわけか。
「いいね、契約成立だ」
ぼくはそれを口に含む。あまいあまい、 生物の味覚が求めてやまない甘露の味。この作られた世界にありふれてしまった、作り物の甘さ。
それをきっと、彼女に棲む
そんな予感を、ぼくは甘露ごと飲み下した。
「スティルインラブとの出会い」(勝手に)獲得!
スティルインラブ育成実装してくれませんかね。