欲情の恐ろしさ、勇敢なる無知。
純潔を保たねばなりません。
清く、美しく……そして正しく。
それだけが、幼き日のスティルインラブに求められたことでした。
ある種の
もちろん、フランス式騎兵術の導入や日愛同盟を確固たるものにするための政略結婚といったところに理由を求めることも出来ましょう。しかし真なる理由は語るまでもございません。
速かったのです。海外のウマ娘は。
遅かったのです。在来のウマ娘は。
故にこそ起きた淘汰。そうした歴史の上に……わたくし、スティルインラブは産まれ落ちたのです。
今日からスティルインラブとトゥインクル・シリーズに挑む日々がはじまる。
そういう訳でぼくらは記念すべき最初のミーティングを開いていた。なのだけれど。
「(……思ったより重たい話題だね、これは)」
ぼくは困惑していた。
だってそうだろう? 最初のミーティングといったら、担当ウマ娘の目標レースだとか、トゥインクル・シリーズ参戦を通じて叶えたい夢だとかを共有するものだ。
もちろん、ぼくはそんな見掛け倒しの夢を聞きたい訳ではないし、目の前の彼女がターフに求めていることは先日のメジロラモーヌとの一件で共有済み。
だからまあ、彼女がその話を通じてぼくに伝えたいことも多少の予測はたつのだけれど……ともかくぼくは慎重に言葉を選んでいく。
「うん、うん。シリアスな話題だけれど、レース界隈では暗黙の了解……つまりみんな知っていることだね」
「はい」
スティルインラブは静かに首肯。
「トレーナーさんは、トレセン学園は婚活会場であるという噂を聞いたことはありますか?」
「あるよ」
そして、それはぼくがレース界隈に辟易とする理由でもある。
「ヒトとウマ、ウマとウマ、ウマとヒト、ヒトとヒト。ぼくらの社会は、どうしたってそういう『人間』の集まりで出来ている。だから名家名士の息女が集まり、さらにはレースという全身全霊をかけて競う場で芽生えた絆を『卒業後にも』活かそうとする……ゆえにトレセン学園は婚活会場だと、そういう話だよね?」
呆れた話だが、現実は現実。競走ウマ娘は名家を繋ぐ
「ですから、私に求められたのは淑女たること。ただそれだけなのです」
「……トレセン学園への入学、トゥインクル・シリーズへの出走はあくまで
スティルインラブは無言のままに首肯。
「けれど、きみは知ってしまった。レースを」
スティルインラブは無言のままに首肯。
「ですが、正しくないのです。こんなことは……」
うんうん。事情はよーく理解できた。つまりスティルインラブが恐れているのは、学園へと彼女を送り出したご実家の意図に反して、結婚相手が捕まらなくなるような……平たく言うと「ドン引き」するような走りをしてしまうことなのだろう。
「確かにね、きみの走りを観たら10人に9人はドン引きだ」
「…………そこまで、言わなくても」
「おっと、加減したつもりだったんだけれどね」
直感的には1000人に999人はドン引きだろう。トゥインクル・シリーズは「可愛いウマ娘が走って踊る」興業だ。そこに剥き出しの本能による闘争を求めている観客はほとんど居ない。
それを包み隠さず伝えてあげると、彼女は頬を膨らませた。
「トレーナーさんはひどいお方です」
「うん。そうだろうね」
というか、どう考えても酷いトレーナーだろう。
なにせ慎ましく淑女たる走りをしたいという彼女に対して、これからぼくは真逆の提案をするのだから。
「スティル」
名前を呼ばれた彼女の肩がわずかに跳ねる。
ヴェールに隠された小さな流星と瞳が、ぼくのことをみつめてくる。
「きみは走っていいんだ、思うままに」
「ですが」
「いいんだよ。ぼくがその道を作ろう」
彼女の走りを阻もうとするのは、ありきたりな常識であり、社会通念だ。
それはきっと、彼女にとっては恐ろしく大きな壁に見えるのだろうが……。
「きみはぼくを利用するだけでいいんだ」
「……」
「もしきみの走りにケチをつける奴がいたら言ってやれ、トレーナーに走りを強いられたと。ケツを鞭で叩かれて、生存本能を剥き出しにされたと」
「ケツって……そんなはしたないこと」
「おや、やけに反応するじゃないか。叩かれたいの?」
「そんなわけないでしょうッ!」
ガタッと効果音がつきそうな勢いでソファから立ち上がるスティルインラブ。
彼女の瞳に浮かぶのは6割の羞恥に3割の怒り、そして残りの1割は……おいおい、冗談だろう?
「ま、なんにせよトレーニングはやっていこう。もしもきみが淑やかな走りだけで満足できるなら、それに越したことはないだろうからね」
「……そうですね、それはその通りかと」
不承不承ですよ。と主張するようにジトリとぼくを睨みながらスカートを静かに整えてソファに座るスティルインラブ。
もちろん、彼女も理解はしているのだろう。本能を押さえ込む走りで通用するほど、トゥインクル・シリーズは甘くないと。
「うん。そういうことだから、今日はトレーニング計画について説明していくよ」
「それじゃ、今日はこれでおしまい。明日から頑張ろう」
「はい。……失礼いたします」
カラカラ、と静かに扉を閉める。
そうして私は、ため息。
「このままでは、いけません」
どうしてトレーナーさんは気付いてくださらないのでしょう。
……いいえ、あの方はご自身では気付いているつもりなのでしょう。全てを見通して、知ったつもりでいらっしゃる。
「ですが、それは大きな間違いです。後戻りの出来ない、過ちです……」
いま、私の取るべき行動は明白です。この扉を開け放って、トレーナーさんに全てを洗いざらいお話ししてしまうのです。そうすれば少なくとも、これまでの静かで穏やかな日々は取り戻せる……。
嗚呼、けれど私はそれをトレーナーさんには伝えないのでしょう。
だって。だって。
「お母様、お父様。そして三女神様、ふしだらなわたくしをお許しください……!」
言葉とは裏腹に口端は持ち上がり、脚はスキップを刻もうとします。
私はそれを必死に押さえ込みながら、堪えるようにして寮への道を急ぐのでした。
「やれやれ、これは大変なことになりそうだ」
スティルインラブの気配が廊下から去ったことを確認して、ぼくはソファの背もたれへと身を預ける。
生涯の趣味として人間観察をしているぼくにとって、スティルインラブという多感な女学生の感情を見抜くことは容易かった。
『そんなわけないでしょうッ!』
そしてあの時、彼女がみせた表情……6割の羞恥と3割の怒りはいい。むしろこの配分なら、ぼくは随分とスティルインラブに『買われている』らしい。
しかし問題は残りの1割だ。あの表情に隠されていた、恐らくは彼女の気付いていない真なる欲求。
「ふ、ふふっ」
思わず口元に手が伸びる。
ひきつったソレを、恐怖に歪んだ表情を直すために。
「いや、しかし。それでこそだよ」
走って歌って踊る。それがトゥインクル・シリーズだって?
そんな生温いものではない。レースとは、興業とは……少なくとも古来から続く日系ウマ娘の血筋を殆ど途絶えさせる程度には残酷なのだ。ターフの上は闘争の世界であるべきなのだ。
「あぁ、そうだよ。そうでなくては」
そして彼女の魅せたあの表情。その欲望を実現させるだけのポテンシャルを持つ脚。
剥き出しの本能が、いま世に解き放たれようとしている。
「……楽しみだね、スティルインラブ」
忘れられない3年間が、いま始まる。
スティルインラブ育成実装してくれませんかね。