ぼくの愛バはむっつりさん【完結】   作:帝都造営

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日本のクリスチャン人口は約2%、教会で式を挙げるカップルは半分。不思議ですよね。

でも。憧れるんです。なぜなら新婦は、世界で一番最初に愛してくれた人と式場へ向かい、世界で一番愛している人と共に式場から旅立つのですから。


スティルインラブ担当
口直しに珈琲を。


 

 

 スティルインラブの指導をはじめてしばらく経った、ある日のこと。

 

「トレーナーさん、失礼いたします」

 

 丁寧に扉をノックして、スティルインラブがぼくのトレーナー室にやって来た。ぼくは仕事の手を止めて、彼女へ身体ごと向き直る。

 

「スティル。どうかしたのかな」

 

 時計を見れば午前10時を指している。そしてトレセン「学園」に通っている以上、今の時間帯におけるスティルインラブの居場所は教室であろう。

 そんなぼくの疑問を予見していたらしい彼女は、両手で扉を閉めながら事情を説明する。

 

「いまは中休みですから」

「うん? ……ああ、そうか。そういうのもあったな」

 

 トゥインクル・シリーズへの人材供給を存在意義とするトレセン学園ではあるが、学園は学園。まだまだ幼い中等部の生徒たちにとって午前中いっぱい全て学科授業というのはそれなりに堪える訳で、ひと息つくための中休みが存在するのだ。

 

「それで、そんな貴重な中休みに、どうしてここへ?」

 

 ぼくの問いに、スティルインラブは応接セットの方へと向かうことで応える。ぼくも机から移動して、いつものように向き合う形で座る。

 

「先ほど、家庭科の授業でこちらを作ったのです」

 

 そう言って彼女が差し出してきたのは、ふたつの包み紙。

 

「食べ物かい?」

「はい。クッキーを」

「お洒落だね」

 

 包み紙が、というより家庭科の授業でクッキーを作ることがお洒落だとぼくは思った。

 

「トレーナーさんも、こういったものは作りませんでしたか?」

「どうだったかな。ソバ飯を同級生に教えてもらったことは覚えているけれど」

「ソバメシ?」

「あぁ、うん。焼きそばの麺を刻んで、ご飯を……」

 

 そこまで言ってしまってから、ぼくは口を噤む。

 

「いや、ごめん。あまり上品な料理ではないんだ。忘れてくれ」

 

 じとり、とスティルの視線。

 

「私は、上品でなければいけませんか?」

「……わかったよ。こんど、作ってあげるから」

 

 果たして口に合うかは分からないけれど、まあ人生は経験とも言うからね。降参したぼくに、彼女は包み紙のひとつをそっと前に押し出す。

 

「ぼくが食べるのかい?」

 

 いや、予想された展開ではあるけれど。というか、トレーナー室に持ち込むだけ持ち込んでクッキーをくれないならイタズラ心が過ぎるというか。

 

「それなら、なにか飲み物でも出そう。時間はまだある?」

「問題はありません。次の時間は自主学習の時間です。それに、遅れる理由もここに」

 

 その言葉と一緒に現れたのは一枚の書類。メイクデビューへ向けた申請書だ。もちろん、ぼくがサインするべきところもある。

 

「なるほど。遅刻の理由はサインを渋ったぼくということか。うん、良い傾向だね」

「おかげさまで」

 

 とはいえ、あまり長居をさせても心配されるだろうから、早めに返してあげたいところだ。

 

「なにか希望はあるかい? コーヒーなら、淹れてあるからすぐに出せるんだけれど……」

「では、コーヒーを」

「ミルクと砂糖は?」

「ミルクをお願いします」

 

 実際、クッキーと合わせるならミルクは必須だろう。了解とぼくは返して、魔法瓶と冷蔵庫の中のミルクを手に取る。

 それからいつものようにマグカップに手を伸ばして、少し逡巡。止まった手をカップへと向けた。もちろんソーサーがセットになっているものだ。

 

「……あと、マドラーか。あったかな」

 

 ぼくの呟きを聞き取ったらしいスティルインラブが、トレーナーさんと声をかけてくる。

 

「お気を遣われなくても、いいのですよ?」

「そうもいかないさ。洒落たものには相応のモノを宛がうべきだからね」

 

 とはいえ普段からブラックしか飲まないぼくの部屋にマドラーはなかった。かわりのティースプーンをソーサーに添えて、机の上に。

 

「さすがに、ミルクポットはないけれど」

「十分です」

 

 そう言ってスティルインラブは少し微笑むと、カップにコーヒーとミルクを注いで、静かに撹拌。それから瞑目。

 

「……どうしたの?」

「いえ。懐かしい香りでしたので、つい」

「そうなのかい? チェーンのコーヒーショップで買った安物なんだけれど」

 

 ぼくはウマ娘のように鼻が効く訳ではないから、匂いで銘柄まで判別できるのかは分からないけれど……スティルインラブのような子が嗜むブランドではないハズ。

 

「そういうことではなくて、父がいつも飲んでいましたから」

「ああ。思い出の香りってわけだね」

 

 相槌を打って、ぼくもカップにコーヒーを注ぐ。

 立ち上る香り。鼻腔に忍ばせれば、舌の上に酸味の記憶が蘇るので、ぼくもスティルにならって目を閉じる。

 

「トレーナーさんは、コーヒーがお好きなのですか?」

「好き、ってのとはちょっと違うかな。一種のルーティーンみたいなものだよ」

 

 ブラックコーヒーは大人の象徴だった。

 人間関係から逃げないことが大人の条件だと知ってしまった今のぼくには、浅はかな思い出だ。

 

「父は、コーヒーだけは自分で淹れていたんです」

 

 スティルインラブがぽつりと口にする。ぼくは、ぼくの知らない彼女の話に耳を傾ける。

 

「豆を引いて、ポットを傾けて……一度だけ、やらせてもらったことがあるのですが、散らかしてしまって」

 

 彼女がどのような家庭で育ったのか。それをぼくは文字列でしか知らない。彼女の踏みしめた日々、彼女が目にした書物、聞いた音楽、嗅いだ香りを知らない。

 

「私、お嫁さんになりたかったんです」

「ぶっ!?」

 

 危うくコーヒーを吹き出しかけたぼく。スティルをコーヒーまみれにすることを回避した代償は気管への侵入。咳き込むぼくに、スティルインラブは慌てた様子。

 

「あっ、あ……、ごめんなさい。そういうつもりじゃ」

「けほっ、けほっ。……きみは時々、話が飛躍するね」

 

 恐らく、今の話にも何か省略された言葉があったのだろう。想像はつくので、ぼくはその行間を埋めてあげることにする。

 

「つまり、きみは。お父さんのような立派なヒトを支えるお嫁さんに憧れていたんだね」

「……すみません、言葉足らずで」

「いやいや、いいんだよ」

 

 まあ、その言葉足らずなところは誤解のもとだから、もう少し文章を組み立ててから口にした方がいいとは思うけれど。

 それにしても、お嫁さんか。

 

「じゃあ、トレセン学園が婚活会場って言っていたのも?」

「……はい」

 

 少し俯いて、誤魔化すようにカップを口もとに持っていくスティルインラブ。

 

 しかし、そうか。お嫁さんになりたいとは。

 どんな競走ウマ娘でも一度はダービーウマ娘に憧れるように、その夢は多くの少女が抱くものだとは思う。けれど。

 

「じゃあ、いずれは分岐点がくるね」

「……」

 

 沈黙は、肯定。

 いつかスティルインラブは選ばなくてはならない。

 レースに挑むか、辞めるか。

 その本性をおおっぴらにするか、現状維持を選ぶか。

 

「スティル」

 

 なら、ぼくの願うことはひとつだ。

 

「きみが、決めるんだよ」

 

 もしかするときみは。ぼく(トレーナー)が決めてくれると思っているのかもしれないけれど。

 

「確かに、ぼくはきみに『ぼくのせいにしろ』と言った。けれどそれはぼくを利用してくれて構わないという意味であって、ぼくに委ねるという意味じゃない」

「……そうは言いますけれど、トレーナーさんは、私に走って欲しいのでは」

「まさか」

 

 全くもって、まさかである。

 

「ぼくはレース界隈が好きじゃない」

「……」

「トレセン学園の濃密すぎる人間関係、最初の3年間(シニア1年目)までの活躍に重きを置く育成効率主義、芝重賞レース偏重によるダート・障害路線の軽視……」

 

 でも、ぼくはレースが好きだ。

 そんなしがらみに囚われず、全力でレース場を駆け抜ける彼女たちが好きだ。

 

「だから、いつかきみが決めるんだよ」

「…………」

「その時まで、ぼくはきみを隠そう」

 

 その日が来るまで、きみの本当の走りはぼくだけのもの。

 それだけ告げて、ぼくは包み紙を開いてクッキーを口にする。

 

 

 砂糖と小麦粉の舌触りが、コーヒーの酸味を少しだけ引き立てた気がした。

 

 

 

 

 

 

 




スティルインラブのヒミツ①
お菓子があると幸せ。コーヒーもあると、もっと幸せ。
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