空に憧れて 作:剣盾発売五周年おめでとう
「ユウリ君にとって、空が何色かというのは大事なことかい? 少なくとも、私にとってはそうだ」
心に目指す、空の色。それは……
「''ダークブルー''」
◇
ユウリ、ガラル地方の若きチャンピオンにして英雄。二年前、ローズ元リーグ委員長によって引き起こされたムゲンダイナの暴走を治め、現リーグ委員長でもあるダンデ元チャンピオンを打ち破った未来ある勇敢な少女である。
世界一のポケモンバトルの盛り上りを見せるガラル地方のチャンピオンたるユウリの生活は忙しい。未成年ということもあって融通は効くが、バトルにテレビ出演と……特に就任したての頃は家族と食事を取ることも難しかった。
そんなユウリも、ここ最近は少しずつ休みが増えてきている。二年も経てば主要な企業のCMには大抵出演済みで、新チャンピオンという目を引く看板も今や馴染みの我等がチャンピオン。そこにリーグのオフシーズンと巧みなスケジュール管理が合わさった結果、久し振りの連休を勝ち取ることに成功したのである。
「ふふっ、明日は何しよっかなー」
ユウリは、何も考えてなかった。翌日からの五連休について、何一つとして。この二年、彼女の生活は全て予定に従っていた。だからこそ、この貴重な連休を行き当たりばったりで自由な五日間にしたかったのだ。
「ただいま!」
「あら。おかえり、ユウリ。今日もカレーよ、これで二十ヵ月連続ね」
「わーい!」
帰宅したユウリは母の作るカレーの香りに心を踊らせ、手洗いうがいを済ませ自室へ入る。バッグを下ろし、グレーのニットパーカーとグリーンのニットベレーを脱ぐ。ピンクのワンピースのリボンベルトを緩め、第一ボタンを外しベッドに転がる。
「むふー」
休日が、待望の五連休が待っているのだ。チャンピオンとして恥ずかしくないキッチリとした姿を常日頃心掛けていたユウリも、家まで入ってしまえば後は自堕落し放題。人間の男が居ないこの家でも下着姿になっていない分、まだ偉いと褒めるべきか。
ユウリちゃんスーパーカレーセンサーは匂いから完成までの所要時間を正確に見極め、六分と導き出している。それまでの時間を潰すのに、スマホロトムでSNSを眺めるというのは現代っ子には当然の流れであった。
「……あ、ルリナさんから電話だ。もしもしー、ユウリです!」
[こんばんは、ユウリ。折角の休日前の仕事終わりなのにごめんなさいね]
ルリナ、バウスタジアムをホームとする水タイプのジムリーダー。ハッキリ言ってメジャージムリーダーの中では下位の実力だが、モデルも兼業している彼女の美貌は高い人気を集めている。
「いえいえ! 大丈夫ですよ!」
[早速本題なのだけれど……連休の予定って決まってたりする?]
「よ……予定、ですか」
[あら、もう埋まってた? 出来ることなら、リスケしてでも付き合ってほしいのだけれど……]
「…………一応、フリーではあります」
[よかった! 急で悪いんだけど、実は一緒に来て欲しい所があってね。どうしても、ユウリの力が必要なの。私も三連休取ってきたから……どうかしら?]
「あぁ……はい……ワカリマシタ……イキマス……」
【わくわく! 普通の女の子ユウリちゃんの予定無し自由満喫五連休!】、崩壊の瞬間であった。ユウリとルリナは、単にリーグのチャンピオンとジムリーダーというだけの関係でない。
ユウリとて、少女である。人よりちょっと……いや、かなり…………いや、ドン引きするぐらいポケモンバトルの才能とカレー愛があるだけの、普通の少女なのだ。勿論、オシャレには興味が有るし自立したカッコいい大人の女性になりたいとも思っている。
リーグのチャンピオンとジムリーダーという立場の近さ、チャレンジャー時代の交流、テレビでの共演。ユウリがルリナに憧れを抱き、親交を深めるのは早かった。そんなルリナから休日のお誘いとなれば、断るのは少しばかり難しかった。
[それで、行く場所というのが……]
ティロンッ
ユウリは無言で電話を切った。
「ユウリ、ご飯よー」
「はーい!!!」
カレーの完成をユウリちゃんスーパーカレーセンサーによって察知したユウリは、母から言われる前に行動を開始していた。
敬虔な宗教家にとっての聖書や神像に当たるモノが、ユウリにとってのカレーという料理なのだ。誰にも邪魔されず、ただ純粋にこのカレーという恵みを頂く。それこそがユウリの生きる意味であった。
ユウリはルリナのことを尊敬している、心の底から。あんな女性になりたいと思ったことや、然り気無く助けられた回数は数え切れない。
だが、出来立てのカレーの前にはありとあらゆる一切が皆、心底どうでもいい些事であった。
◇
「……は? ちょ、ちょっとユウリ!? どうしたの、大丈夫!?」
「あー……そうだった、この時間はそうね。あんっのカレー馬鹿……ホンットに」
「明日絶対ボコす」
褐色肌の美女──ルリナは、とある友人の影響で最近ハマッているカレードレッシングのサラダを片手に明日の日程を綴ったメールを送り付けた。
◇
「おはようございます!」
「えぇ、おはよう。ここまで暑かったでしょう? 海は涼しいわよ、乗りましょう」
強い日差し、眩しい太陽、暑い気温。制汗剤があれどいかにも化粧が崩れてしまいそうな天気に火照った身体を、冷涼な北国の潮風が癒してくれる。
カレーを食べた後、ユウリは何の悪びれも無く送られたメールを確認。疑問点には質問も交わしつつ、無事予定通りにこのバウタウンの港へとやって来た。
ガラル一の港町であるバウタウンには、様々な船が立ち並ぶ。港の前でユウリを待っていたルリナは、今から乗る船へ案内する。
「外見はちょっとボロいけど、中はマトモだから安心して。需要が薄いとは言え公営の船なのにあんまりにも酷かったから、直接口出しして内装だけでも去年改修したの」
ルリナが指を指したのは、一隻の定期旅客船であった。客の収容可能数はかなり少なそうに見える。錆びと傷も重なり見た目はかなり貧相だ。
「わ、ホントだ。中は思ったより綺麗ですね」
「でしょう?」
船に乗り込んだ二人は客室に入り、荷物を置く。ダブルベッドの客室は手狭ながら、デザインや家具の質は悪くない。空調設備も、最新式ではないがそれなりの品がついている。
「これから行く場所は、定期船便数削減が主張されるぐらいには田舎の離島。定期旅客船の法的な基準を満たす為に、二代前の市長さんが本来は一人部屋しか無い船なのに安さ重視で無理矢理ダブルベッドで収容人数限界をかさ増ししてね。改修しても、狭さだけは……ね」
ルリナとしては、元々の予定では別部屋のつもりであった。だが、こんな時に限って満員御礼。泣く泣く同部屋である。
「おぉふかふか。船のベッドって結構硬いイメージがありましたけ……ぅにゅぁあっ!?」
ルリナは激怒した。必ず、かの邪智謀虐のチャンピオンを躾ねばならぬと決意した。ルリナにはカレーは分からぬ。ルリナは脂質と炭水化物を気にするモデルであった。美を追求し、ポケモンと遊んで暮らしていた。けれど、人が話している最中に電話をブツ切りするような邪悪には人一倍敏感であった。
「にゃっ、何をっ……!」
「仕返し」
出航し、微かに揺れ始めた船内。ルリナは、ベッドに腰かけるユウリを押し倒し、その柔らかな肉を思いのままに揉みしだく。
腹の肉を。
「毎日毎日、カレーカレーカレー。何? このお腹は」
「うぅっ……!」
「素揚げしないスープカレーや、細かくみじん切りにした野菜を溶かしルゥ変わりにトロミを付けたカレーなら、食べても太りはしない。でも、貴女が一番食べるのは?」
「も、モーモーチーズをたっぷり入れたキョダイマックスカレー……です」
「一週間前、SNSでこんな投稿がバズったのを知ってる? 『【悲報】チャンピオン、二年間で贅肉がたんまり』この二枚の写真を比較してみて、どう?」
「……明らかに、脂肪が増えてます。で、でも! 二年前が細すぎただけで、今でも平均の範囲のお腹を……」
「今は、ね。まだ16歳だから胸やお尻に肉が行って、女性らしさが大きく強調される体型で留まっている。でも、後数年もすれば? 身長なんて、もう止まったわよね? それに……布越しの仰向けでも、肉がつまめる」
「ひぎぃっ!」
ルリナは鞄から布を取り出す。自身がジムリーダーとしての活動の際に使っている、スポーツセットである。セパレートタイプの水着も兼ねている。
「旅に出てカントー式のカレーを知る前の貴女や、チャンピオンになったばかりの貴女なら難なく着れた筈。身長的にも、私の方が15cmも上。ねぇ……コレ、着てみてくれる?」
ユウリは青ざめた顔で服を脱ぎ、下着を晒す。ルリナの水着に袖を通すが……毎日4000kcal生活で急速に膨張した胸が邪魔で入らない。ブラジャーを外すことでなんとか布を下げられたが、それでも酷くパツパツで乳輪から下は露出している。ショートパンツは太ももで完全に突っ掛かり、なんとか上げようとするが……
ビリッ
「あ」
「あ」
だらしない身体を憧れの女性にして細身なモデルの前で晒け出す。チャンピオンとして人より濃く誹謗中傷も知る人生を送ってきたとはいえ、思春期の少女には過ぎた羞恥。中々着れないことへの焦りも相まって、ユウリの全身に汗が大量に流れる。
その汗が潤滑剤となり、力強く上に引っ張っていたショートパンツを履くことに成功。しかし……上下共に、特に負荷の掛かる股間の縫い目と谷間から大きく割けてしまった。
「……ご、ごめんなさい」
「あー……いえ、大丈夫よ。私こそ、恥ずかしい思いをさせてしまってごめんなさい。話の最中にいきなり切られただけにしては、やりすぎだった。……その、オヤツ食べる? 貴女が好きかと思って、カレー味のスナックを買ってきたのだけれど」
「やったー!!!」
◇
バウタウンから、南南東に20時間。午前6時57分、ユウリ達は目的地へ到着した。荷物を手に船を降り、ぐっと身体を伸ばす。
「ああぁ……地面の安心感……!」
「急な悪天候で揺れたものね」
「ルリナさんは平気なんですか?」
「慣れてるからね」
カラの諸島、ガラル中心部から南南東、冠雪原から東に位置する。15の小さな島からなる諸島で、人口は1万人強とあまり多くはない。
「さぁ、また船よ。今度は手漕ぎ、ポケモンに引かせるけれどね」
「……え」
「ここは田舎諸島。定期船が泊まる港はこの本島だけ、けれど目的地は別の島…………なんてね。またすぐに船は辛いでしょう、先に朝食にしましょうか」
「わーい! 私、カレーが良いです!」
「だと思ったわ。近くに小さいけどスーパーが有るから、そこで食材を買いましょう」
ミガルーサの切り身カレーを堪能した二人は、カジリガメに引かせたボートで更に南東へ向かう。やって来たのは、スクラップ島と呼ばれる荒れ果てた赤褐色の平地。大事にモスボールされたものから、ただのジャンクまで。数々の旧時代の機械達が眠る島。
「油の臭い……」
「ここに、会ってほしい人が居るの」
ルリナは、とある人物へ会いに来た。彼を救うために。二人は機械の山を通り抜け、先へ先へと進む。コイルやギアル、機械系のポケモン達が力無く浮かんでいる。
「久し振りね」
「……また、来たんだね」
「えぇ、''思い出せた''から」
一人の男が、ルリナの呼び掛けに応じる。ジャンクパーツから抜き取ったスクラップパーツでバイクを改造していた彼は、工具を置き振り返る。
「彼が、私達が会いに来た男。私の兄にして貴女の先々代。名はカナン」
「先々代……貴方が、カナンさん」
「ということは、君がユウリ君かな? ムゲンダイナ事件の解決に、ダンデ君への勝利、その活躍はこんな辺境にも届いているよ。おめでとう、よくやったね」
「あ、ありがとうございます!」
ユウリが目にしたカナンの姿は、映像で目にした姿とは少し違った。最後に表舞台に立ってから12年、今では31歳にもなり、容姿が同じでないことは自明。だが、それだけじゃない。単なる12年の老いだけではなく……何かが、致命的なまでに違った。
カナン、それは12年前のトップスター。14歳で初出場したジムチャレンジを突破、セミファイナルも軽々越え、ファイナルトーナメントで惜しくも二回戦負け。その後成績最下位だったひこうジムのジムリーダーに抜擢、去年の悔しさを胸に努力を重ね、二年目にはチャンピオンマッチ出場、三年目にはチャンピオンとなった。
褐色の玉の肌、しなやかな筋肉と細長い身体、母譲りの中性的で美しい顔立ち、腰まで伸ばし後ろに纏めて結ったルリナと同じ艶髪、柔らかな笑みと人柄。カナンはジムチャレンジャー時代より高い人気を集め、チャンピオン時代にカロスチャンピオンのカルネと共演した贅沢なキャストのドラマの最終回は視聴率62.1%を叩き出した。
ユウリにとっての幼少期に映像で見たカナンは、自信に満ちた憧れの美少年であった。ヒゲを無秩序に生やしたツナギ姿の今でも、美男には変わりない。
ユウリは気付く。今のカナンに、一切の覇気が無いことに。全てを諦めた、今にも海へ身を投げ出してしまいそうな目をしているのだ。そして……
ドス黒い何かが、粘っこく蠢いている。
「……悔しいけど、私一人で勝つのは難しい。ようやく生まれた挑戦権、今度こそ終わらせたい。だからこそ、最強を呼んだ」
ルリナがスクラップ島に来るのは、三回目であった。そしてこれまでの二回、ルリナは敗北していた。兄を蝕む、あの忌まわしきポケモンに。
「ユウリ、私は兄さんを救いたい。その為には、あるポケモンを倒す必要がある。私と共に、戦って」
「勿論です! ところで、そのポケモンというのは?」
「わからない」
「えぇ!?」
「でも推測はできる。アレは、スリーパーよ」
ルリナは調べた。数少ない時間で、寝る間も惜しみ徹底的に調べ尽くした。そして、パルデアに残る文献からとあるポケモンの名前が浮き上がった。
「
カキカエノワ、スリーパーの古代の姿。十二年前、永い封印から解き放たれパルデア地方エリア0から脱走したポケモン。
当時19歳であったカナンは、ダンデに敗れガラル各地で武者修行をしていた。その最中、彼はこのスクラップ島で一匹のポケモンが漂着しているのを見付けた。ゼブライカ模様の身体、赤紫の鬣、バンギラスを越える体躯、結晶質の腹部に空いた大きな穴。カナンはこの未知のポケモンを必死に救助し、リーグに保護を頼むが…………未知のポケモン──カキカエノワは、邪悪だった。
カナンの相棒と救助隊に、催眠術を掛けたのだ。カキカエノワの催眠術は、そこら辺のスリーパーの比ではない。
相棒はカナンを──いや、全てを忘れ、書き換えられた偽りの経歴を信じこみ、主人とはカキカエノワであると定義付けた。自らの肉体が傷付くことも厭わず大暴走、自分のモンスターボールも破壊。カキカエノワにとって、絶対に手放したくない最高の下僕となった。
救助隊はカナンからの保護要請を完全に忘れ、我々は何故スクラップ島に来たのかと困惑し帰還。カキカエノワはガラル本土へ乗り込み、催眠術を全人類に放った。
カナン、それはダンデに敗れ何処かへ旅に出た元チャンピオン。完全に忘れ去った訳ではない、だが記憶の表層に現れることもない。目の前に現れ、名乗り、それでようやく『あぁー……そう言えば、そんな人も居たな。懐かしい』と暫くの間だけ思い出す。例え名前と映像を差し出されても、直接目の前で話でもしない限り思い出せない。
カナンを今でも明瞭に覚えているのは、催眠術を受けておらず今も共に居る残り五匹の手持ちだけ。それと……漁で滅多に家に帰ってこない父と市場で働き詰めの母の代わりによく面倒を見ていた可愛い妹が、数年に一度少しだけ自力で思い出す……その程度。
ルリナは分かっていた。自分に残された猶予の少なさを。調査に時間を掛けすぎた、後数日でまた忘れる。次はいったい何年後だろうか、その時まで兄は自殺を選ばずに居られるだろうか。
「私は、必ずカキカエノワを打ち倒す。奴の催眠がある限り、兄さんの目に明日が宿ることは無い」