帰路へ向かういつもの道。
十年近く通ってきたなんの変哲もない道だ。
ただ……ここ最近は変わって見える。
「はぁ、のんびりするために越してきたというのに」
ユクモ村は温泉で有名な小さな村だ。
小さな、と言っても不自由は一切無いし、歓楽街に行けばそれなりの人数を見ることができ、もうもうと立ち込める温泉の香りは不思議と心を落ち着かせてくれる。
湯治目的で大都市から越してきたのだが、今も変わらずハンター稼業を生業としている。
常に死と隣り合わせの危険な仕事だ。のほほんと観光気分で住めるとは思っていなかったのだが。
(こうも大きく変わるとは、人生は一本道じゃいかないな)
灯篭の並ぶ石畳の道を終え、我が家の玄関前に到着。
呼吸を整え、目を閉じ心を落ち着かせる。
そして一息に戸を引こうとした
―――次の瞬間。
「おっ帰りなさ~~~いっ‼」
「うぐっ⁉」
桃色の弾丸が射出。
ちょうど前方に立っていたために直撃し、力を受け流せず地面へもんどり打った。
痛みに顔を顰めているのが目に入らないのか、甲高い声が嬉しげに跳ねる。
「ねえねえ疲れたでしょ。お腹空いたでしょ。お風呂に入る? それともごはん食べる? そ・れ・と・も、ウチにする?」
キャーキャー黄色い悲鳴を上げる可憐な同居人。
腰まで伸びる艶やかな髪は桃色と白が混じり、快天を映したような紺碧の瞳に喜びをいっぱいに浮かばせ、線の細い体をこれでもかと擦り付けてくる。
スラリと通った鼻先をくっつきそうなぐらい近づけ、潤む唇からは甘い吐息が漏れている。
「寂しかったよ? 一人で半日もお家で過ごさなきゃいけなかったもん。だから、たっくさん甘やかしてね?」
「はいはい。分かったからどいてくれ」
こんな状況を見られては誤解されかねない。
とうにご近所の間では『ばかっぷる』だなんて不名誉な呼ばれ方をしているのだから。
しかし、
「やーだ。抱っこして」
……こ、こいつ。
上目遣いで手を伸ばす小悪魔に、鉄拳制裁でもしてやろうかと考えが過る。
(でもこいつ、それすら喜びそうだしな)
厳密には、鉄拳制裁しようものならぬらぬらと躱しながら揶揄ってくる、だ。
仕方なく頭一つぐらい小さな体を抱きかかえ帰宅。
俗にいうお姫様抱っこに本人は大層お喜びなようで。
「キャーッ! 逞しい腕!」
「馬鹿っ! 静かにしろ」
「もう諦めたら? みんなウチらのこと羨ましがってるよ?」
「面白がってるの間違いだろ」
「ん~どっちでもいいでしょ!」
「良くない」
これ以上の議論は無駄だ。
頭痛を堪えつつ居間まで行って荷物(同居人)を下ろし、自室で装備を脱ぐ。
愛用の太刀を壁に立てかけ、ジンオウガで作られた装備を慎重に外す。
足まで脱いだところで、下のインナーが露わになる。
―――上半身を斜めに走る裂傷も。
「失敗したな」
出血こそ止まったが、思いのほか深く動くたびに激痛が走る。
これは古傷だ。
大都市で名を上げていた自分を転落させた原因。
未だ治ることは無く、激しく動いた日にはパックリ開いて邪魔をしてくる。
「いつまで俺を邪魔する気だ……!」
本当ならハンターとして名を上げ、人々の羨望を受ける逸材になるはずだった。
こんなところで、自分のために細々と生きるはずじゃなかった。
……何度も考えた。
『なぜ自分がこんな目に』
常に一人で狩りをしていたからか。
力を求めるがあまり我を失ったからか。
答えなどとうの昔に諦めたはずなのに、心の中では疑問が尽きない。
「お前は落伍者だ。名誉も誇りも捨てろ」
姿見に映る自分に言い聞かせ、手早く部屋着を着て居間へ。
ちょうど同居人が晩飯を作っていた。
……いや待て。
「お前、何をしているんだ?」
土間で動き回る不審者は、その声に振り返るとニンマリ(ニッコリじゃない)と笑った。
「お風呂用の薪を見繕ってるの。ちなみにもう湧いてるよ!」
「はあ⁉」
自分でも驚くぐらいの大声が出た。
てっきり食事か、そうでなくとものんびりするものだと思っていた。
「いつもはぐーたらしているくせに今日は準備が良いじゃないか」
それにこの表情。
悪だくみをしている表情だ。
「何を考えている?」
「んもー人聞きの悪いぃ。ウチはただ、疲れた体を癒してほしいなぁって思ってるだけなのに」
頬まで引き裂かれそうなぐらい笑みを深くして。
小悪魔は言った。
「そして、ウチのことを甘やかして!」
「断る!」
一緒に入るなんてあってはならない。
少なくとも今日は。
「お前が入ると泡で大変なことになるから駄目だ」
「良いじゃん、泡々は楽しいよ?」
「楽しくない。それにお前と入ると騒がしいんだ。悪いが後にしてくれ」
「やーだ。一緒に入る」
「駄目だ。諦めろ―――」
「拒否権は無いよ」
「ッ⁉」
低く、ドスの効いた声。
普段の姿からは想像も付かない、しかし幾度となく見てきた態度。
……怒っている。
据わった目に睨まれ、気分は蛇に睨まれた蛙だ。
「一緒に入るよ」
「……分かったよ」
こうなった以上は止められない。
諦め、共に風呂場へ向かう。
脱衣所でも共にあり、必然的に真っ裸の姿をお互いに見ることになる。
(血は止まっているから気付かれないだろう)
不安を押し込むように呟き、腰に布を巻いて中へ入る。
一歩遅れて、機嫌の治った同居人がやってきた。
生まれたまんまの状態で。
「いやっほ~、楽しい時間の始まり始まり~!」
嬉しそうに叫ぶ姿は慣れることは無いだろう。
丸みを帯びた輪郭、平らな胸。
そして……デカデカとぶら下がる
女性的な肉体に男性の象徴がある姿は、人間では到底見ることのできないものだ。
それが―――彼ら『タマミツネ
ここで、タマミツネというモンスターについて確認しよう。
彼らは近年になって確認された海竜種のモンスターだ。と言ってもラギアクルスやアグナコトルのように特定の場所でなければ生活できないわけではない。
特徴としては白や桃色といった華やかな外見と、特殊な粘液からなる泡を生み出す能力がある。性格もかなり温厚で縄張り意識も強くなく、一般的な被害としては漁師の魚を盗んだり行商人などを泡塗れにしたりと、幾分大人しめだ。
その擬人種も彼らの特徴を受け継いでおり、麗しい外見と泡を生み出す能力を持っている。
だが、人間化したことで顕著になった特徴がある。
麗しい外見が印象的なタマミツネだが。
―――麗しい個体はすべてオスだ―――
動物界ではそれなりに多いタイプと言える。
オスが華々しく身を飾ってメスを誘惑、逆にメスは外敵に襲われないよう地味な色合いをしている。
原種の時点では大した違いは見抜けないものの、人間になるとこうも違和感の塊となる。
初対面で驚いたのは言うまでもない。
さて、場面はお風呂場。
見た目と正反対の猛々しい
「おい、まず体を洗え!」
だが、
「えーウチちゃんと洗ったよ? それに、入りながら洗うし大丈夫でしょ」
何が大丈夫かは知らないが、水面をパンパン叩きながらこちらも入るよう催促される。
なので、思いっきり時間を掛けて体を洗ってから入った。
当然、誘いを断られ不満顔に。
「なんで入らなかったの?」
「今は入っているんだから良いだろ」
「もうっ!」
ふくれっ面でそっぽを向くと思いきや、不意に全身を抱きしめられる。
……またいつものか。
そう気を緩んだ次の瞬間、肌に緑色の泡が纏わりついた。
タマミツネが生む治癒の泡だ。
「おい、これ―――」
「気付いてましたよ」
お淑やかな声音が、神妙な顔つきから零れる。
「あの時の傷が開いたんでしょう?」
「……ああ」
いつから、なんて聞く必要は無かった。
「最初から気付いてたのか」
「もちろん。血の臭いはそう簡単に消えないもの」
空色の瞳と目が合う。
不安に揺れ、けれど慈愛に満ちた瞳と。
「あなたが名声のために戦っていたのは知ってる。でも、あなたのお陰で救われた命もたくさんあるんだよ。知っているでしょう?」
微笑みに、無意識に纏っていた棘が抜かれていく。
「ウチもその一人。だからこうしてあなたと一緒にいる。あなたに救われた命を、今度はあなたのために使いたい」
「……惚れたから一緒に住む、と最初は言っていなかったか?」
「理由の一つってこと。まあ大部分は惚れたから、だけど」
照れたように肩を縮めてはにかむ。
「ウチはあなたが好きだよ。だからお願い。無理しないでとは言わないから、怪我をしたり嫌なことがあったら、ウチに相談して」
「……考えておく」
「そこは頷くところでしょ⁉」
満面の笑みで、更に強く抱きしめられる。
初めこそ困惑したが、彼のお陰で助かるのも事実だ。
肉体的に、そして、精神的に。
……もう痛くない。
「ありがとう。だいぶ良くなった」
緑の泡が引いていくのを眺め、思ったことをそのまま口に出す。
まん丸になった目が愛おしい。
「ウチに言ってる? ウチにお礼言ってる?」
「二度は言わん」
「言ってよ! 二度も三度も、ずっとずっと言って!」
慌ただしさの戻った同居人―――いや、家族に、じんわりと熱い感情が込み上げる。
(こいつが居てくれて良かった)
今ある生活も感情も、彼が居なければ荒涼としたものになっていた。
(感謝したいのはこっちも同じだ)
あの時のお礼など、とっくに貰っている。
恥ずかしさが抜けず、けれど居ても立っても居られなくなり、そっと肩を抱き寄せる。
気持ちが伝わったのか、揶揄わず、そっと腕に力が籠った。
ゆったりと、互いに心を通わせるような時間が過ぎていく。
……はずだった。
「おい」
「ん?」
「なに、当ててんだ?」
今は、お互いに向き合って抱き合っている状態だ。
そして両者共に男だ。
つまり、必然的に
「当ててんのよ」
「やめろ」
前言撤回。
しまうではなく、している、だ。
悪戯がバレた子供のように舌を出しながら、大悪魔は悪びれず提案した。
「あのさ、あなたって普段太刀を使ってるでしょ? ……ランスの練習もしてみない?」
「やめろ!」
これ以上は危ない。
本能から逃れようと抗うも、擬人種に勝てる筋力は持っておらず。
結果、風呂場は泡だらけになり、二人仲良く掃除をしたのだった。
いつもの家、いつもの道、十年近く付き合ってきたなんの変哲もない景色だ。
ただ……ここ最近は変わって見える。
……良い景色だ。